第12話 ★2★ 6月19日水曜日、放課後
芸術棟の階段を上っていると、抜折羅は隣から視線を感じた。同じペースで進む紅が見上げて顔を覗いている。目が合うと彼女は話し掛けてきた。
「部室のほとんどは芸術棟の四階と五階に集まっているわ。どこか部活に入る気があるならついでに説明しちゃうけど?」
「紅は部活をしているのか?」
「なに、あたしについて回るつもりなわけ?」
あからさまに嫌な顔をされた。抜折羅は慎重に言葉を選ぶことにする。
「参考までに聞いただけだ。それに、俺は暇じゃない。放課後は仕事だ」
「そう。――あたしは美術部と地学部を兼部してるの。最近は色々な目に遭っていたせいでろくに顔を出せてないけど」
隠すことでもないと思ってくれたらしく、面倒くさそうな様子で紅は答えてくれた。抜折羅は彼女の台詞に引っ掛かりを覚える。
「美術部と地学部って、だいぶジャンルが違う部活に所属しているんだな。活発そうに見えたから、運動部に所属しているんじゃないかと思った」
抜折羅の感想に、紅は苦笑を浮かべた。
「中等部までは陸上部よ。でも、今は夢のために美術部と地学部にいるの」
「夢?」
「あたしにはジュエリーデザイナーになる夢がある。実力があったら、今頃はこの学校の美術科クラスにいたはずなんだけどね。転科試験に落ちちゃったから、やれることはやっておこうって――」
そこまですらすらと喋った紅は、台詞を切るなり真っ赤になった。
「って、なんであたし、んな話してるのよっ!?」
話していて急に照れが出てきたらしかった。抜折羅は努めて優しい笑顔を作る。
「素敵な夢だと思うぞ。俺にはないから」
そう告げた瞬間に彼女が足を止めたので、抜折羅は思わず身構える。また地雷を踏んだんじゃないかと警戒したのだ。
「――抜折羅はもう、鑑定士っていう適職に就いてるじゃない……。あたしは羨ましいのよ」
紅は視線を遠くに向けて、ぼそりと呟いた。何と声を掛けたものか思案して黙り込んでいると、紅は顔を抜折羅に向けた。
「どうでもいい話をしたわね。新聞部はすぐそこよ」
再び歩き出す紅の後ろを抜折羅はついていく。彼女のことを思いがけなく知れて、少しだけ嬉しく感じた。
目的の部屋は階段を上ってすぐの場所だった。四階にある新聞部の部室の扉には、大きな文字で〝新聞部編集室〟と書いてある。紅がその扉をノックした。
「どーぞー」
「お邪魔しまーす」
中から返事が聞こえたので扉を開けると、長机を二つ横に並べて配置した脇に二人の少女がいた。癖毛で跳ねた髪と丸い眼鏡が印象的な少女の方は抜折羅の記憶にある。同じクラスの
「あれれ、紅ちゃん。金剛くんを連れてここを訪ねてくるなんて、入部希望なん?」
ニコニコしながら弾んだ声で訊ねてくる真珠に、紅は手を横に振って彼女の問いに答えた。
「残念だけど違うわ。あたしたちは怪盗オパールの記事を書いた人を探しているの」
「面白いことしとるんやな。そんな都市伝説に興味があるん?」
真珠の好奇に満ちた目が抜折羅に向けられる。
「俺の両親が宝石商だから、気になったんだ」
抜折羅は適当な嘘をついてごまかす。両親が宝石商であるのは本当のことなので、無難な話だろうと判断したのだ。
「怪盗オパールの何を知りたいの? 記事の担当は私、
「記事に載せていない情報があれば教えて欲しい。バックナンバーもあるなら、是非見たいんだが……出していただけますか?」
「バックナンバーならすぐに出せるわ。ちょっと待って」
瑠璃が長机に出してあったノートパソコンをいじると、棚の上に置かれていたプリンターが動き出す。出力された数枚のプリントを手に取って角を揃えると、彼女は抜折羅に差し出した。読みやすい方向に揃えてあって、彼女のスマートな所作に抜折羅は感心した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取ったプリントに目を通す。記事には個人名が記されていなかったが、個人が特定できない範囲で住所が記されていた。スマートフォンで場所を確認しながら読み進めると、取材力の都合なのか学校近隣に集中していることがわかる。
「現れる時期に規則性はないと思うわ。去年の秋頃から活動を始めたみたいね」
「青空先輩がこの記事を書こうと思ったのは何故ですか?」
何か理由がないとこんなに長く記事を書き続けられないだろうと思っての問い。記事自体もこの盗難事件を茶化したり
瑠璃は僅かに表情を硬くした。
「最初の記事は私の体験談。その被害者は私よ」
「それにしては冷静に書かれていますよね。落ち着いて状況を見直しているように感じます」
率直な感想を述べると、瑠璃はふっと口元を緩めて笑った。
「ありがとう。――この記事を書くことを勧めてくれたのが顧問の
「川音満先生が、か……。情報ありがとうございました」
プリントを返そうとすると、瑠璃は押して返した。
「あげるわ。何か面白いことがわかったら、また部室に遊びにいらして。お茶くらいは出すわよ」
「是非そうさせていただきます」
プリントを畳むと、抜折羅は紅を見る。真珠と話をしていたようだ。
「火群さん、俺の用事は終わったけど?」
「あ、了解。――じゃあね、真珠」
「またねー」
紅と二人で新聞部を出る。すると彼女は熱のこもった息を吐き出した。
「青空先輩にこんな間近でお会いできるなんて、今日は悪い日というわけでもなかったみたいね」
「青空先輩に憧れているのか?」
意外だった。歩きながら問うと、紅はこくりと頷く。
「だって格好良いじゃない。――しかし、青空先輩が新聞部にいるとは思わなかったわ。生徒会活動で顔を出しているって思い込んでいたから」
「彼女も生徒会メンバーなのか」
黄色い声が響いていた生徒会室前を思い出す。あの場に瑠璃もいたら、さらにギャラリーは増えていたんじゃないかと想像してしまう。
「青空先輩は生徒会会計なの。成績も優秀で、上位に入っているって話よ。男女ともに好かれているわね」
「この学校の生徒会は美男美女の集いか何かなのか?」
呆れ半分で問うと、紅は苦笑を浮かべた。
「人気者集団であることは間違いないわよ。地学部の先輩で生徒会書記をやっている
「そのときはよろしく頼むよ。――で、川音満先生に話を聞きに行きたいんだが、どこにいるか知っているか?」
抜折羅の問いに、紅はうーんと小さく唸る。
「うちのクラスは担当じゃないけど、英語科の先生だったはず。英語科準備室にいるんじゃない? 案内してあげるわよ」
「お、それは助かるよ」
「案内のついでよ。一人でいるところをうっかり
「嫌われているのか?」
「さぁね。頼みやすいんじゃない? だいぶ迷惑被っているけど」
紅は肩を竦める。
「手伝えることがあったら言ってくれよ。世話になっている礼くらいは働いて返すよ」
「いや、いい」
即答で拒否された。抜折羅は心なしかショックを受けた。
「遠慮するなって」
「したくもなるでしょ? 今日はたまたま良いことがあったけど、基本的に抜折羅といても良いことはないのよ。一緒にいたくはないわ」
「あぁ、そうですか」
面倒臭くなって、抜折羅は話をここで切る。階段も下りきって、すでに一階だ。芸術棟から学生西棟に行くには一度外に出なくてはならない。傘立てから赤い傘と青い傘を回収すると外に出る。小雨が降り続いていた。
「――英語科準備室って一階の真ん中あたりだったよな?」
学生西棟の東側の昇降口は芸術棟から近い。下駄箱にたどり着いたところで、抜折羅は紅に確認するが返事がない。
「……紅?」
見ると彼女は自分の上履きをしまっているボックスを見つめたまま固まっている。抜折羅は不審に思って覗き込んだ。
「予告状!?」
ボックスの中に収まったポストカードサイズの紙を取り出し、文面に目を通す。
〝
文面は印刷で、真っ白な紙に黒の文字。明朝体で綴られた文章は犯行予告。それ以上の情報はない――と、そこまで見たところで、抜折羅は腕時計を確認する。
「紅、ここを出て芸術棟に行ったのって四時を過ぎていたか?」
とんっと叩いて訊ねると、ようやく正気を取り戻したらしい。こくりと頷く。
「多分そんなところ」
「そのときには下駄箱の中は異常がなかったわけだ」
抜折羅が言わんとしていることが紅にも伝わったらしい。彼女はスマートフォンを取り出して待ち受け画面に視線を落とす。
「今は四時半を回ったところだ。怪盗オパールは三十分ほどの間にこれを仕込んでいる。案外と近くにいるんじゃないか?」
「まさか。十八年前にも似たようなことがあったんでしょ? 説明がつく?」
抜折羅が持っていた予告状を手に取って、紅が問う。
「
「あぁ、そっか」
「そのあたりを確かめるためにも、川音先生には会わないとな」
抜折羅はそう告げながら、予告状のある単語が気になっていた。
――どうして怪盗オパールは、紅の持つスタールビーが〝フレイムブラッド〟という名前であるのを知っている?
その名前を知っている可能性があるのは、抜折羅と紅を除くと、昨日の視聴覚室でその名を口にしたときに居合わせた岩ヶ峰先生くらいだ。他にあるとすれば、相手はタリスマントーカーである可能性が高い。
「――紅、一つ提案がある」
予告状をスポーツバッグにしまっている紅に告げると、彼女は顔を上げた。
「何?」
「今夜一晩、俺と一緒にいないか?」
紅のぽかんとした顔を見て、あぁ人間って本当に漫画みたいな表情をするもんだなぁなどと抜折羅は思う。次の瞬間には彼女の震える拳が視界に入った。
「抜折羅……あんた自分が何を口走ったのか自覚しているのかしら?」
「他意はない。その方が安全だと思うから提案したんだ」
「頭使いなさいっ!! 若い男女が二人きりで一晩明かすことができるかっ!」
「怒鳴らないでくれ。俺たちの間に
紅が何を気にしているのかようやく察して、抜折羅は彼女を
「良いこと、抜折羅。あたしはね、これまでのあんたの行いを記事にしてもらっても構わないのよ?」
「お、横暴だ……事故と適切な処置だと説明したのに……」
大きく出られて、抜折羅は引きながら抗議をする。紅の右手首に輝く赤い石を見てふと思い出し、抜折羅は彼女の反論が来る前に口を開く。
「それはそれだとしてもだ。お前は一人で挑むつもりなのか? その石はなくしたら困る
これを指摘すれば言葉を詰まらせるのではないかと期待したのだが、彼女は鼻で笑った。
「あたしにアイデアがあるわ。協力を拒んだりはしないわよね?」
確かに拒否権はなさそうだ――抜折羅はそう感じて、しぶしぶ頷いたのだった。
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