第2章 七つの色は心を乱す

第11話 *1* 6月19日水曜日、放課後

 六月十九日水曜日、放課後。

 こう財辺たからべ先生に申し付けられた通り、抜折羅ばさらを案内していた。学生西棟にある特別教室は自分たちの教室がある四階から順に説明を終えて、今は三年生の教室や生徒会室が並ぶ二階にいる。

 ――なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないのよ……。

 右手首に付けたスタールビーの原石――フレイムブラッドをいじりながらため息をつきそうになるのを堪える。

 今朝から同じクラスメートになった金剛こんごう抜折羅は、中途半端な時季の転入生というだけでなく、アメリカからの帰国子女とあって注目された。英語の授業で披露されたALTの先生との会話はとても慣れた様子で、他の生徒をあっと言わせた。数学も得意なようで、演習問題をさらりと解いて暇そうにしているのが、数学が苦手科目になっている紅には腹立たしく思えた。ただ、現国や古典の授業は苦手らしい。海外生活が長いという彼には馴染みのないものだからのようだ。

 ――勉強はできる……。宝杖ほうじょう学院の編入試験は難しいと聞いているから、当然と言えばそうなんでしょうけど……。

 校内を連れて歩いていて気付いたことがある。彼には人をき付けるものがあるらしい。中高一貫校ではあるが、高校進級時には中学からの内部生は六割で、入試を受けてくる外部生が四割いる。五月くらいまでは外部生を物珍しく見ているところはあるが、すでに今は六月。表面上はその差はなくなり、すっかり仲良くなっている。そんな微妙なタイミングでの編入生は目立つようだ。

 ――だとしても目立ち過ぎるのよね。そう、まるでダイヤモンドがあらゆる人の心を捕らえたみたいな感じ……って、過大評価か。

 真珠まじゅの評価では「ルックス良し、頭脳明晰、運動神経抜群、笑顔は見せないものの誰に対しても穏やかに接しているところは好印象、総合的にみて学年ではかなりの優良株」だそうだ。親友がそう推していても、紅には彼がそこまで魅力的には思えない。

 ――別の出逢い方をしていたら……いやいや、有り得ない。

 紅は首を小さく振った。学校の案内に集中せねば。

「なぁ、紅?」

 下の名前を呼ばれて紅は背筋を伸ばした。クラスでは気を使ってくれたのか、『火群ほむらさん』と呼んでいたのに。

「な、馴れ馴れしく名前を呼ばないでちょうだい」

「苗字だとなんだかしっくりこないんだよ。お前だって俺のこと呼び捨てじゃないか」

「いつの間にか〝お前〟とか言ってくるし、あんたはあたしの何なのよ!?」

「えっと……護衛の対象? ってか、それ以上でもそれ以下でもない。仕事が片付けばアメリカに帰るんだ。俺のことがそんなに気に食わないなら、ひとまずここは俺に協力して、ホープの欠片が早く回収できるよう努めるべきじゃないか?」

「あたしを巻き込まないでよ、疫病やくびょう神っ!!」

「巻き込みたくて巻き込んだわけじゃない。運命だと思って諦めろ」

「あたしはこんな運命を認めたくないっ!! 絶対に全力であらがってやるわっ!!」

「はいはい。紅の気持ちは良くわかった。今日の案内はここまででいい。大体のことは入学前に調べて覚えてきたから」

 ――あたしの時間を返せ……。

 うなだれる紅に向けて抜折羅は続ける。

「で、ここからは仕事の話だ。――この街で奇妙な事件は起きていないか?」

「奇妙な事件? ホープに関係があるの?」

 無関係なら容赦はしないぞ、という気持ちを込めて紅が問うと、抜折羅は頷いた。

「そんなところだ。ホープやフレイムブラッドのような石は魔性石と呼んでいる。それらは特殊な力を持ち、不可思議な現象を起こす。その人が普段しないようなことをさせたり、常人では不可能な身体能力を発揮したりと、確認されている効果は数多い。だから、魔性石が事件に関わっていることも多いんだ。ちなみに紅を襲った二人とも、魔性石を所持していた」

「あぁ、そういうことなら変質者は多いかも。ほら、見て」

 紅はたまたま壁に掲示してあった新聞を指す。新聞部が毎週水曜日に発行しているものだ。その今週号の記事の中に、先週に学区内で起きた事件、事故の一覧が出ていた。新聞部員が独自に調査をしている情報で、評判は良い。

「天気が悪かったわりに結構出てるのよ。迷惑な話だわ」

「ん、これは?」

 記事の全体を見ていた抜折羅は、ある記事を指した。

「怪盗オパール? 宝石専門の泥棒らしいわ」

 校内で噂されている話題である。去年の秋ほどに現れて、今もひっそりと活動しているようだ。あまりにも興味がなかったので紅はすっかり忘れていたが、新聞部はきちんと追いかけていたらしかった。

「警察に捕まらないものなのか? 本当に宝石を盗んでいるなら、被害届が出ているはずだろう?」

 もっともらしい疑問に、紅は人差し指を立てて横に振る。

「なんでも、怪盗オパールが予告状で指定した宝石が消えると、それまでのあらゆる面倒ごとが解決して物事が好転するって話よ。だから、盗まれても被害届を出す人は少ないらしいわ」

「宝石と面倒ごとね……この記事を書いた人間に会えるか?」

 腕を組んで、ふむ、と唸ったかと思うと、抜折羅は真面目な顔で問う。興味が湧いたようだ。

「新聞部で聞いてみれば良いと思うけど――」

 紅の気の乗らない返事は、廊下の突き当たりで沸いた歓声に掻き消される。紅はその先にある教室がどこの部屋なのかを思い出した。生徒会室だ。

「なんだ? あの騒ぎは」

 廊下の先は人集ひとだかりができている。ほとんどが女子で、身長差の都合でその中心に少年が二人いるのが見えた。

「我が宝杖学院のアイドルよ」

 知っておいた方が良いだろうと判断し、紅は二人の説明をすることに決める。

「四角い眼鏡を掛けている堅物そうな男が星章せいしょう蒼衣あおい先輩。三年生。彼は現校長の息子で創設者の孫にあたるの。公式にファンクラブが存在するほどの人気があって、三年生では一番の人気者。学年主席で、入学以来一度もその座を譲っていないわ」

 紅は蒼衣とは幼なじみであるのだが、余計な情報は要らないだろうと伏せておく。制服を校則の模範と言えるような感じできちんと着込んだ黒髪眼鏡の少年を見て抜折羅が頷くのを確認し、紅は続ける。

「で、銀髪色白の中性的な方が白浪しらなみ遊輝ゆうき先輩。彼は父親が彫刻家。本人は画家よ。父親の個展に描いた絵が注目を浴びて名が広まり、今や人気の油彩描きなの。色気が漂う裸婦の絵を最も得意としているんだけど――見た方がわかりやすいかも。鼻血を出した人がいるって伝説になってる。そんな絵を描くのも相俟あいまって、色っぽい噂が絶えない人よ。で、二年生の美術科クラス特待生」

 美術科クラスの話題に触れたとき、ふと説明し忘れていたことを思い出す。宝杖学院にある普通科ではない教育課程の話だ。

「さっき説明しなかったけど、宝杖学院のF組は美術科で、普通科のあたしたちとは違うカリキュラムで授業してる。芸術棟にいることが多いから、なかなかお目にかからないけどね」

「進学校って聞いていたから、美術科があるって知ったときに引っかかったんだ」

「宝杖学院は、若いうちから宝石や絵画などの美術品に慣れ親しんでおくことで、その鑑賞方法や管理技術を身に付け、後世に伝えられるような人間を作ることを理念に掲げているわ。より学びたいという生徒のために美術科クラスを用意するのは自然の流れよ」

「なるほどね。面白いことを考える人もいるもんだな。――あ、それでこの学校、敷地に宝物館があるのか」

「そういうこと。――で、話が戻るけど、星章先輩が宝杖学院の生徒会長で、白浪先輩が生徒会副会長。今、彼らが出てきたのが生徒会室ね。毎日あんな感じだから近付かないのが無難だと思うわ」

 女子生徒たちの黄色い声に負けないように気をしっかり持って紅は説明する。

「これだけの人気があるのは、ルックスとか彼らのバックボーンとかのせいだけじゃないんだろうな」

 抜折羅が興味を示すので、紅は補足する。

「鋭いわね、抜折羅。指摘するように、いくつか偉業を成し遂げているわ。星章先輩は中等部時代も生徒会にいたんだけど、彼はそのとき、当時の中等部は利用できなかった宝物館を自由に出入りできるようにしたり、文化祭を中高合同で開催することなどを実現化したわ。高校では長期休暇中に開かれる夏期講習や冬期講習の誘致を実施。講習には有名予備校の元講師や退官した大学教授を招くことを提案したことは、彼の実力とされているの。でも、多分彼一人では実現できなかったことがほとんどだったんだと思うわ」

「持ち上げていたくせに、そこで落とすのか」

「実現化に拍車がかかったのは、星章先輩の下に白浪先輩がついてからなのよ。だからあたしはそう評価しているの」

 会長の星章先輩が判断力と交渉力を駆使して草案を通し、副会長の白浪先輩が的確な行動で草案を推し進めることで、数々の問題を解決してきたように紅の目には映った。どっしりと構えて静かに動かす星章先輩と、表に立って派手に動かす白浪先輩は何かをするのにちょうど良い距離のようだ。

「――ま、どちらも関わると厄介だから、とっとと新聞部に行くわよ」

 階段前のこの場所に居続けると、生徒会室前にたむろした生徒の波に飲まれることになりかねない。ひと通りの紹介が済んだところで、紅は階段に足を向ける。

「あれ? 会長殿が呼び掛けてないか」

 抜折羅が後ろで呼び止めてくるが、紅はちらりと人集りを見ただけで足は止めなかった。

「いいから、行くわよ」

 行き先に視線を戻すとき、紅は人集りの中の一つの視線とぶつかった。とりわけ背の低い、ツインテールの少女は翠川みどりかわ皐月さつき。一年B組にいる外部生の生徒だと紅は記憶している。彼女の視線には殺気が籠もっているように感じられた。顔を合わせる度にそんな反応をされるので、紅は彼女から恨まれているような気がしていたが、原因がわからなくて対応に困っているのだった。

 ――とにかく、今関わりたくない人が三人もいるんだからさっさと離れよう。

 紅は階段をずかずかと下りて、新聞部のある芸術棟を目指した。

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