始まりの生活


ようやく3日間の旅路を終えて、リングナットの町が見えてきた。


目指すはグリーナさんの拠点としている家だ。リングナットの町の周りには牧場や畑が多い。牧場の中にはラクダのような形なのに、ホルスタイン牛の様な白黒模様のアグボラという家畜がいた。


畑には見たこともない綺麗な紫色の花を咲かせる、シジールの芋という作物の栽培が盛んなようだ。道中、グリーナさんにあれこれと質問をして解説をしてもらったが、聞いたことがないような知識ばかりだった……。


この少年自身の知識があまり無いのも原因だろう。なにせ、今年6歳になったばかりの少年だ。知識が頭に詰まっていないのも仕方がなかった。長閑な牧場と畑を見つつ、ようやく町の中心部、グリーナさんの家が見えてきた。


「あれです! やっと到着しましたね」

「あの屋根が緑色の家ですか? 高そうな良い家ですね!」


(私の実家よりも大きいな。この歳でどれだけ稼いでいるんだろう……?)


「いえいえ、

 一時的な拠点なので、認定魔法使いの権限で安く借りているだけですよ」


そう彼女は言い、首にぶら下げていた梟の紋章が刻まれたペンダントを見せてくれた。そのペンダントはとても精緻な作りをしており、素人の私が見ても良い物だとわかるペンダントだった。


「それが認定魔法使いを証明するものなんですか?」

「はい。国家試験に合格すると、証明証書と一緒に番号の刻まれたペンダントを頂けます。それがこのペンダントなんですよ! (どややっ)」

「うわー、素敵ですね!」


どうやら、彼女は認定魔法使いとしての自分にとても強い自信を持っているらしい。短い旅路とはいえ、彼女と話をすると魔法使いの話になった時だけ、明らかに饒舌に語りだす事からもそれが伺えた。


「ふぅ~、やっと着きました! 一週間ぶりの我が家ですね。

 ささっ! 遠慮せずに入ってください」

「お邪魔いたします!」


グリーナさんに案内されるがままに上がらせてもらった。中は一人暮らしのせいか質素なものだ。無駄な家具や食器がなく飾り気がない。本棚には分厚い本が、これでもかと詰まっている。そんなグリーナさんの家に入り、居間まで案内されて椅子に腰を下ろした。


「短い旅路でしたが、さぞ心身共に疲れたことでしょう。自分の家だと思ってしばらく休んでください。それからの事は追々決めていきましょう!」

「何から何までご親切に、本当にありがとうございます」


私は椅子から立ち上がり、お辞儀をして感謝の言葉を述べた。それを見たグリーナさんは、はにかんだ笑顔を見せて優しい視線を私に送っていた。しばらくしてお湯が沸き、お茶を出してくれた。ミントよりも優しく癖のない香りで、ビワ茶の様なほのかな甘みがある紫色のお茶だった。


「これは、先ほど道中で見たシジール芋のお花を煎じたお茶です。リラックス効果もあり健康に良いお茶なので、気に入ったらオカワリしてくださいね?」

「飲みやすくておいしいですね。おかわりいただきます」

「フフフ」


お茶のおかげで気持ちも落ち着いてきたのか、私はこれからの事について彼女に相談することにした。


「私はどこにも行く宛がありません。知識も乏しくまだ子供です。

 正直、何をしていけばいいのかわかりません...」

「……そうですね」


私はそう言いつつも最初から諦めている節があった。記憶の中では自殺したんだ、もし生きられない状況ならまた自殺すればいい。同じことだ。そう思っていた。


だが、同時に不安もあった。また、草原の中で目を覚まして振り出しに戻るのではないか? そもそも、何が起こってこんな事になっているのか、本当に死ねるのか。何もわからない不安が心を覆っていた。


「私はリョウと話をしていて思ったのですが、あなたは6歳の子供なのに理智的で賢い子です。礼儀正しいですし大人びて見えます」

「……」

「このままだと、孤児院などの施設にリョウを預けることになります。そこで考えたのですが、リョウさえ良ければですが私が面倒を見ようと考えています。どうでしょうか? (かつて、私がお師匠様に拾われた時のように……)」


「―――ッ!?」


才能があり、優しくて可愛らしい少女に面倒を見て貰える? 

これは夢かな。一体どうなっているんだ……。


「リョウが良ければの話です。理知的な子供は魔法使いの素養を秘めている可能性が高いので、私なら……と、思ったのですが無理強いはしませんよ?

勿論、魔法使いを目指す必要はありません。目指すのであれば色々と教えられると思っただけです」


「末永く宜しくお願い致します」

「まぁ! 本当に!? 良いんですね? 決まりですよ!」



グリーナさんに拾われた私は、こうして魔法使いを目指すことになった。

不安はある。この体に関しても呪いの事に関しても不安だらけだ。だが、彼女と一緒なら乗り越えられそうな気がした。彼女の優しい瞳に魅せられて、私は過去の自分を捨てて新しい人生を歩むことに決めたのだ。



……そして、瞬く間に一月が経ち彼女との生活が始まった。



先日、彼女が役所に届出を出して私の保護者になる事が正式に決まった。さすがは認定魔法使い、ペンダントと証書を見せたらあっさりと許可が下りた。さすがですねと褒めたら、彼女は平らな胸を張って「フフフ、当然です!」と、言っていた。その可愛らしい仕草と優しさのせいか、私は彼女に心を惹かれ始めていた……。


拾われた恩に報いるため、あわよくばラッキースケベに期待しながら、私は炊事・洗濯・掃除を自ら進んで頑張った。特に彼女の衣服を洗うときは、さながら宝物を取り扱う様にとても丁寧に洗った。


洗濯板で洗うのは初めてだったので、すぐに腕が悲鳴を上げたが今では少し慣れてきた。彼女が魔物の襲撃増加事件の調査などから帰ってきたら、俊敏にお湯を沸かしてお茶を出し、温かいおしぼりを出して肩揉みをする。


「そんなに気を使わなくてもいいのに、リョウは本当に良い子ですね」

「―――そんな事ないですよ」


私にとって、グリーナさんの肩揉みはご褒美ですからね。

本当はもっと色々な所を揉みたいですしおすし。


「そろそろ、リョウも町には慣れましたか?」

「はい。慣れてきました」


「それは良かったです。色々と不安もあるでしょうが、ゆっくりと解決していきましょう。それと、見習い魔法使いになるための勉強を教えたいと思います。やる気はありますか?」


「はい。そのために、家事の合間にコツコツと勉強をしています。

 ちょっと進みは遅いですが……」


「素晴らしいです! きちんと自ら学習する姿勢が大事なんです! 自信を持ってください。それにリョウは、なぜか算術の成績が非常に優秀です。あとは文字と歴史を勉強し終われば、見習いの国家試験はすぐに合格できるでしょうね!」


「頑張ります!」



この世界、オードラーニア全体の識字率は低い。

地球で言う、発展途上国未満の識字率の低さだった。

そのため、文字が読み書きできるだけでも一般人よりは優れているとされる。

日本で数学を学んでいた鈴木遼一にとっては、算術は小学生レベルの難易度で問題はなかった。だが、この少年の肉体の知識には国語や歴史に関するものがほとんどないため、そこは自力で覚えるしかなかった。


炊事・洗濯・掃除に肩揉み、食事の買い出しも任されるようになった。時間が空いたら国語と歴史の勉強。グリーナさんとの他愛もない会話。勉強を見てもらえるだけで幸せを感じた。とても充実した日々に、いつしか不安は薄れていた……。

そして、私は彼女に恋をした。


彼女と話すだけで、彼女の衣服を洗濯しているだけで、彼女が隣に来て勉強を教えてくれるだけで私はどこまでも頑張れる気がした。彼女に失望されたくない。彼女に微笑んでいて欲しい。そんな想いから必死に勉強をした。


家事をこなし、彼女を労い、勉強に打ち込む。そして気づけば、私は7歳の誕生日を迎え彼女は17歳になった。そして、瞬く間に見習い魔法使いになるための国家試験に挑む日がやってきた。


ゴードレア王国において、魔法使いのための国家試験は優秀な人材育成のためにも積極的に行われている。特に見習い魔法使いのための試験回数は多く、一定規模以上の町であれば試験会場を設けて、一年に一度は受けられる仕組みであった。

リングナット町もその一つである。


―――ドキドキ、ソワソワ、ザワザワ……そんな音が、辺りから聞こえてくる様だ。見習いの国家試験を受けるには認定魔法使いの紹介状が必要だ。年齢制限は特にない。私は、グリーナさんから渡された紹介状を受付に提出し、試験番号の札を渡されて指定の席に着いた。


「やばい、緊張してきた……はわわ」


前世の記憶は30歳。しかし、試験と名の付くものは緊張してしまう。社会人生活を送っていた時も会社で必要な資格を取るために、講習や試験を受けたことが何回もある。何度やっても慣れないものでいつも緊張してしまう。


もし落ちたらどうしよう。もし記入ミスをしていたらどうしよう。落ちたら上司からなんて言われるか……。考えただけでも震えが来る。勿論、グリーナさんの性格なら笑って許してくれるだろう。だからこそ、そんな彼女に甘えて失望されたくなんてなかった。


(落ち着け! 大丈夫だ! この日のために勉強したんじゃないか!

算術は確実に取れる! 歴史は丸暗記した! 文字の読み書きも一通り出来る様になった! 自信を持て。おちおちおおおおち落ち着け!)


自分に言い聞かすように深呼吸をした後、試験会場をゆっくりと見渡した。試験を受ける年齢層はバラバラで、10代もいれば40代のおっさんもいる。もしかしたら、私は試験に挑む最年少かもしれない。


だが、誰もが自分の事で精一杯なのか私を気にする人はいない。

たまに、チラチラと見られるだけだ。問題ない。

そして、周りの様子を見ているうちに運命の時が来てしまった。


「全員着席! 自分の試験番号の札と同じ席に着いているな? 以後、お喋りは禁止だ。ルールを破った者はその場で失格とする。きちんと話を聞くように!」


プロレスラーのザ○ギエフの様な風貌のおっさんが、大声で説明を始めた。怖い。吸い込まれそう!


「――以上で試験の説明を終わる。これからテスト用紙を配るが、裏返しのままでいろ! こちらの指示の前に表を見たら即失格だっ! 監視の者がいるから誤魔化せると思うなよ!?」



こうして、私の試験は始まった……。



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