カウント7◇最後の学園(1)


◇ ◆ ◇


「――逸可」


 呼ばれる声に視線を向けると、路上に停車していた車の後頭部の窓から見慣れた顔が覗いていた。エンジンはかかっておらず、車内の明かりすら最小限におさえて夜に紛れている。

 返事はせずに近寄ると静かにドアが開き、そこに乗り込んだ。

 運転席に居たのはあの白瀬という刑事だった。助手席が空席だったことに不信感を覚える。警察というのは大抵ふたり一組で動いているものだと認識している。

 まぁ見たところ警察の車が他にも複数台そこら中に待機しているようだが。

 バックミラー越しに白瀬が小さく声をかける。


「遅かったわね」

「…家で寝てたんだよ。…いいから状況を教えろ」


 未だ疲労感の抜けない体で呼び出されたのだ。しかも呼び出された内容が内容だけに既に頭痛がする。できるなら来たくなかった。

 不機嫌を隠さず言うと白瀬の苦笑いを漏らす気配が重たい車内を僅かに揺らす。

 心なしかこの前のような覇気が無い。流石にそういう状況ではないのだろう。

 細い銀のフレームのメガネを指先で押し上げながら、視線を窓の外に向けて話し出した。


「アナタにはどこから話せばいいのかしら…アタシとサツキは一緒に暮らしてるんだけど、今日はあの子、調子が悪いから学校を休ませて…アタシは朝から捜査中の現場に張り込んでいて、いったんお昼頃サツキの様子を見に戻った時、捜査資料の一部を忘れて出てしまって…アタシが居ない間に、サツキがその証拠品の過去を視てしまったの。あたしの許可なく捜査資料に手を出すなんて、初めて。いろいろ情報を引き出してくれたのは良かったんだけど…」

「長ぇよ要点だけまとめろよ時間も無ぇんだろ」

「砂月はその証拠品から犯人の情報と目的を知った。その最後の目的地がこの場所」


 説明を継いだのは隣りに座って居た篤人だった。俺の到着を待っている間に一通り説明を聞いていたのだろう。

 俺達が白瀬に呼び出されて来たのは、電車で1駅しか離れていない近隣の公立中学校だった。時間は夜の九時を回ろうとしていた。


「砂月はそれを知って、僕たちと白瀬さんにメールだけ残した。それで少しでも被害を食い止めようとして…先走った行動に出てしまった。そして…」

「見事犯人に捕まったってか」


 入沢が俺と篤人にメールを寄越したのは夕方の四時頃。俺は家に帰って寝ていたのでそれに気付かなかった。

 その後の篤人からの電話も完全にスルーし、俺が事の次第を知ったのは七時を過ぎた頃だった。どうしても来て欲しいという白瀬の電話に呼び出されたのだ。


「学校占拠って中二のガキかっつーの」

「子供よ。相手はアンタ達とひとつしか年の変わらない少年」

「…身柄ようやく割れたのか」

「ええ、サツキのお陰でね。犯人の名前は川津雄二かわづ ゆうじ。自殺した女子中学生、岩本ゆりの幼なじみで、恋人。でも恋人だったことは周囲の人たちも殆ど知らなかったみたい。川津は十年も前に海外に引っ越していて、岩本ゆりとはほとんどインターネット越しのやりとりでしか繋がってなかったから」

「それなら少しは形跡が残ってたはずだろ。ネットワークの履歴だって調べられる」

「…川津の方が、一枚上手だったの。川津はアメリカで機械工学や情報技術を学んでいて情報操作に長けていた。川津が日本に戻ってきたのはほんの数週間前。その間にすべての準備を整えていた」

「少なくとも岩本ゆりの自殺の時もっと入念に情報捜査をしてたら関係者の中にその名前もあったはずだ。お前らの怠慢が今回の事件の被害を広げたんだ」


 車内の空気が熱を帯びていく。吐き出す息が気持ち悪い。白瀬の表情は、見えない。薄暗い窓の向こうに浮かび上がる、暗い校舎。そればかりが意識を奪う。


「…認めざるをえないわね。当時親族からあった被害届や学校側の実態調査を退けたのも事実よ。だけど今それを言っても何の解決にもならないわ。いじめ首謀者の3人と…そして今夜で川津の復讐は完遂する…ここは岩本ゆりの通っていた中学で、自殺現場でもある」


 その視線の先は、俺と同じ場所。夜に浮かぶ学校の校舎がある。俺たちが通う高校の校舎よりは少しだけ小さく見える箱庭だ。でも実際はそれほど大きな差はないのだろう。


「中には犯人とサツキ以外に人質が数人居るわ。当時のクラス担任、副担任、生活指導教諭、教頭…川津は当時の関係者すべてに復讐するつもりよ。勿論アタシ達警察も含めて」


 事態は最悪の一途を辿っている。

 入沢は俺たちが想像するよりずっと、突っ走るタイプのバカだったのだ。人質の数を自ら増やすなんて、呆れてものも言えない。


「本来創立記念日で休みだったこの学校に、川津はそれら関係者を何らかの手段で呼び出し、現状は拘束状態にされていると推測されるわ。川津の計画の最後は文字通りすべてを壊して復讐すること。日付が変わった深夜0時、岩本ゆりの命日に学校を爆破させるつもりらしいわ」


 ――なんて、くだらない。知能が高くても発想が中二以下じゃねぇか。


「で、なんで俺たちまで呼んだんだよ。こんな危ない現場に俺たちみたいな一介の高校生を」


 入沢から俺と篤人へ届いたメールは、あくまで報告だ。助けや協力を求める言葉はひとつも無かった。

 俺と篤人をここに呼び出したのは、白瀬だ。


「ここから先はどう考えても俺たちが踏み込む領域じゃないだろ。俺たちまで殺す気かよ」

「サツキがアナタ達に、心をゆるしたから」


 運転席で白瀬は、振り返らずにはっきりと答えた。その返答に俺は眉根を寄せる。


「アナタ達の助けが必要なの」


◇ ◆ ◇



 〇月×日 00:00

 ――…Congratulation!

 なんて言ったらユリは起こるかな。

 ユリはまだそこまでカンタンに、気持ちを切り替えられないかもしれない。

 だけどきっと今日は、おめでたい日なんだよ! 

 キミは今日、新しいキミに生まれ変わったんだ。ユリの可能性も未来も、全部これからだ。

 なかなか日本に戻れないけれど、ボクはいつもキミの味方だ。必ずキミに希望を届ける。

 カリフォルニアの風が、キミの背中を押してくれるよう…

 大丈夫、ずっと一緒だ――


 そこに映っていたのは、自分よりも幾分か幼い少年だった。少しだけ古い、自撮りの映像の彼の顔は、少しの哀しさとそれでも希望に満ちていた。

 揺るぎない信念と未来。その先に岩本ゆりが居た。


 物的証拠品としてひとつのipodがシラセの手に届いたのはつい昨日だった。3人目の殺害現場に落ちていたそれは当初被害者の物と思われていたが、所持品判別の際に家族にそれが否定された。

 念のため友人知人に裏付けをした結果、それは犯人の落としていったものである可能性が高まった。

 だけどここまで見事に証拠を残さず犯行に及んできた緻密な計画犯だ。 わざと現場に残していった可能性もあったけれど、ipodは古いもので既に壊れていて、中身の確認はできなかった。

 シラセは3人目の犯行に、犯人の焦りを感じていたという。ここにきて犯人のボロが出たのだという可能性も十分に考えられた。

 あたしの出番だと思った。これで犯人の身元や所在が分かるかもしれない。

 シラセからのメールで、自分が戻るまで安易に視るなと止められたが無視した。初めてシラセの許可を得ず、シラセの監視外でこの力を使った。

 時間の猶予は無い。なぜなら岩本ゆりの命日は明日なのだ。犯人が最後に何かを成し遂げようとするなら、今まさに動いているはず。

 更なる犠牲者が出るかもしれない。シラセの勘の通り、もっとひどいことが起こるかもしれない。犯人はもう、3人も殺しているのだ。

 彼を突き動かすものは復讐の完遂だ。その心を思わずにはいられなかった。

 情報を得るなら一刻を争う。

 だからあたしは初めてシラセに逆らって、ひとりでipodの過去を視ることにしたのだ。

 情報は多い方が良い。できる限り正確に、視れる限りの過去に遡りたい。だけどそこで終わってまた意識を飛ばしては、今までと何も変わらない。それこそ無能もいいところだ。

 情報を伝えること。それがあたしの役割だ。

 大丈夫。練習した。アドバイスをもらう前と今とでは、違うはず。できるはずだ。

 意を決してあたしは、目を瞑った。胸の内でカウントを刻んで。


 ――ipodの本当の持ち主は、岩本ゆりだった。

 そこには彼女の好きな音楽の他に、たくさんの動画が入っていた。

 それは岩本ゆりに宛てた恋人からのビデオレターのようなもので、彼女の誕生日やクリスマスやふたりの思い出の日を、サプライズのようにしたためられたものだった。

 彼女と恋人は幼少の頃からの付合いらしい。一番古い映像にはまだ小学生ぐらいのあどけない少年の姿がそこにあった。

 彼はその頃に海外に移り住んだらしく、それ以降も岩本ゆりとの関係をインターネットを通じて継続させてきた。

 メールだけでなくライブチャットを通じふたりは遠く離れていながらも幼なじみの関係を深め、そしてその先にまで進展させた。

 パソコンに送られてきたその動画をipodに入れ、彼女はそれを持ち歩いていた。そこに映る大切な幼なじみであり恋人の顔と声に何度も励まされながら、最後の最後まで。

 岩本ゆりが最期に見た映像は、画面下の日付から今から約2年ほど前の映像だった。

 希望に溢れる恋人の笑顔をみながら岩本ゆりが最期に何を思ったのかは、そこに残っていない。だけど少なくとも同じような希望を抱けなかったことだけは確かだった。

 そして岩本ゆりのipodは、持ち主を変えた。岩本ゆりの親族の手を経て、岩本ゆりの恋人――川津雄二の手に渡ったのだ。

 その頃ipodは自身の機能を果たしていなかった。だけど川津は肌身離さずそれを持ち歩いていたお陰で周囲の情報も視ることができた。

 ipodの傍に置かれたPCに映し出される内容。岩本ゆりの通っていた中学の情報、セキュリティ、見取り図…当時の新聞記事、教員名簿、爆弾の設計図、設定される日時――

 それは途切れ途切れではあったけれど川津雄二の画策する計画を象るものだった。


◇ ◆ ◇


 月明かりで目を覚ますなんて初めての経験だった。それくらいに月の明るい夜だった。

 痛むのは胸か頭か。

 ただ後悔だけが胸を占めていた。


「――やぁ、起きた?」


 すぐ傍からやけに明るい声が聞こえる。

 あたしは自分の状況が呑み込めず、ぼうっとする頭であたりを見渡す。

 パソコンの人工的な明かりとキーボードを打つ音。そこに先ほどの声の主が居た。


「やっぱりキミ、警察の差し金だったんだね。計画が少し狂いそうだ。参ったなぁ」


 ちっとも参ってないような声音で彼は言う。

 キーボードを打つ手を止め体ごとこちらに振り返るその姿は、初対面に違いないけれど見覚えのあるものだった。


「あ、んたが…川津、雄二…?」

「そうだよ、よく辿り着いたね。ユリのパソコンやネットワーク上の痕跡は消しておいたし、おばさん達も快く口止めされてくれたのに」


 そこに居たのは、ipodで視た川津の最後の映像より少しだけ成長した少年だった。岩本ゆりはipodに2年前のあの映像以降の映像を入れてなかったので、この顔は初めてになる。

 岸田篤人や藤島逸可と同じくらいの年ごろに見えるけれど、実際そうなのだ。あたしとほとんど年の変わらない、ただの高校生。3人も殺した殺人犯には見えなかった。


「予定外だけどしょうがない。キミに恨みはないけど、ここで一緒に死んでもらおう」


 彼の指す〝一緒に〟が、彼自身では無いことが容易に見てとれた。あたしは今教室の中央に居て、椅子に縛り付けられている。

 川津はそのすぐ傍の机と椅子に腰かけていた。その他の机も椅子もすべて乱暴に壁際に寄せられていて、教室内には異様な空気が満ちていた。

 ぽっかりと空いた中央のスペースに川津は居る。まるで何かの儀式みたいだ。

 そして漸く気付く、自分の後ろに人が居ることを。自分と同じように、椅子に縛り上げられていることを。

 違うのは彼らが猿轡をされ一言もしゃべれない状態ということだけだった。あたしの口にそれをしないのは、情報を引き出す為だったのろう。

 意識のある人と無い人が居る。4、5人ぐらいだろうか。暗闇に紛れて正確には分からない。皆あたしよりは確実に影が大きく大人であることは想定できた。


「本当は0時を待ちたかったけれど、ユリも少しせっかちだったし、きっと許してくれる」


 パソコンの画面の中にはいくつものウインドウが連なっていて、何等かの命令を忙しなく遂行している。ウインドウには校内の様子が監視カメラと暗視カメラの映像が映し出されていた。

 一番手前のウインドウには学校外の映像が映し出されており、そこには夜の闇の中複数台の車が停まっている。その中には見覚えのある車もあった。

 そしてパソコンのすぐ脇、ケーブルで繋がれた先にあるもの――映し視た過去の中で川津の手によって組み上げられたものが、そこに完成していた。

 時限爆弾だった。


「…こんなこと、して…何になるの…」


 吐き出す声が震えていた。

 目の前に居るのは既に3人もの人を殺してきた殺人犯だ。自分の目的の為に何の躊躇もなく、復讐という大義名分を掲げて今も尚笑っている。そして更に多くの人の命を奪おうとしている。とても同じ年頃の人間に見えない。

 だけどこうして目の前にして真っ先に浮かんだのは怒りや憎しみや嫌悪よりも、同情だった。


「キミには理解できないだろうね」

「岩本ゆりがこんなこと望んでいるとでも思ってるの…?!」


 精一杯の勇気で吐き出す。川津はその目をあたしに向ける。

 ひどく冷たい目。その口元は笑っていた。


「ユリが望む望まないは関係ない。ボクが望んでいるのだから」


 パソコンの心許ない明かりに彼の横顔が照らし出される。彼の口元から笑みは消えていた。


「ユリはね、生まれつき右足に障害を抱えていた。それでもそんなの気にせずみんなと混じって走り回っていたし、ユリは笑ってそれを受け入れていた。決して周りの子供たちに追い付けなくても、それでも笑顔で駆け回るユリを、ボクは好きになった。だからボクは親の海外赴任が決まった時、カリフォルニアで彼女の右足を自ら作り、贈ることを目標に必死に勉強してきた。日本に残る選択肢もあったけど、あちらの方が遥かに技術が進んでいる。ボクは希望を捨てたことは一度もなかった。彼女の傍を離れる時、約束したんだ。きっと彼女に希望を届けると。だけど2年前…右足の壊死の進行に、切断を余儀なくされた。ユリはその時まだ十三才だった。だけどユリもボクも未来を信じていたから…仮初の義足でユリは学校に変わらず通い続けた。陸上部にも欠かさず顔を出した。だけどユリを待っていたのはくだらない劣悪な環境だった。自分達と違う存在のつまはじき、幼稚な迫害、無能な大人たち。ボクはすべてを許さないと決めた。彼女を世界から弾きだした少女達も、責務を果たさない大人達も、こんなくだらない箱庭も、そしてボクも――…!」


 そこまで吐き出した川津は、ふと我に返りまた笑う。そこに2年前のあの希望に満ちていた彼の面影は、微塵もなかった。

 何か言葉を思うけれど、何も出てこない。彼の気持ちがあたしには、わかってしまうから。

 それから川津は1枚のカードをパソコンに差し込みキーボードを叩く。 そしてそのカードを、ポケットから取り出したライターで燃やし始めた。

 プラスチックのカードが端からじりじりと焼け焦げ歪み、その身が縮んでいく。殆ど原型を留めなくなったそれを傍にあった缶のゴミ箱にライターと共に放った。

 ガランと鳴る音が教室中にもこだました。


「起動まで少し時間が要る。校内のトラップで少しは時間も稼げるだろう。警察が校内に侵入してきたのを見計らって爆弾を起動させる」


 彼はすべてを終わらせる気だった。

 岩本ゆりを救うことのできなかったすべての存在を、ここで。


◇ ◆ ◇


「サツキの視た情報の中にこの学校のセキュリティに関する情報もあったの。警備会社に確認したところ、この学校のセキュリティは既に川津雄二によって乗っ取られている。セキュリティだけじゃなく、学校のすべてのシステムが彼の手の内にある。たぶんこちらの状況も既に川津には知れているわ。川津たちが居るのは3階。3‐4の教室。現状学校中の明かりは消えているけれど、岩本ゆりがそのクラスだったからまず間違いないでしょう。アタシ達の最優先事項は爆破の阻止、人質の安全確認、そして川津の身柄確保。そこで予測されるのは、川津による妨害行為よ。彼はここまで周到に準備を重ねている。セキュリティのトラップで爆破阻止の足止めをすることが予測できる。そこで、藤島くん。キミにお願いしたいの」


 静かな車内に響くその声音は、あくまで淡々と事務的なものだった。

 イヤな予感が確信に変わる。俺をこの場に呼んだ最大の理由。だいたいが予測はついていた。


「トラップにかからない最短ルートを…キミに視てもらいたいの」

「そんなことだろーと思ったぜ」


 わざとらしく大げさに、溜息を吐き出す。あまりにも想像通り過ぎて苛立ちで声が震えた。白瀬は気にする様子もなく続けた。


「トラップには二重の意味があるわ。ひとつは爆破までの時間稼ぎ、そしてもうひとつは校内に突入したアタシ達警察を外に逃がさず校内に閉じ込め、確実に爆破範囲内に留めること。川津はアタシ達警察も決して許す気はない。当時親族の訴えをないがしろにした事実がある限り。もうアタシ達は、キミ達の力に頼るしかないのよ」

「だから無能だって言われんだよ…! 俺たちの命を勝手に巻き込むんじゃねぇよ!」

「わかっているわ、でも。アタシもみすみすサツキを見殺しにするわけにはいかない」


 少しは殊勝になったかと思えば、やはりコイツのコレは演出だ。切羽詰まった状況は事実だろうが、確実に俺たちの力を利用する為の。でなければ今ここであいつの名前を出すはずがない。


「逸可…」


 隣りの篤人がまんまと乗せられて俺の横顔をじっと見つめる。

 心底イヤだ。なんで俺が命をかけて他人の命を救わないといけないんだ。救える保証も無いのに。

 だけどここに来てしまった時点で、未来は決まっていた。視なくても。それを選んだのは、俺だ。


「――…くそ…!」


 もとはあいつのせいだ。ひとりで勝手に突っ走って、捕まりやがって。

 だから言ったんだ。お前は俺みたいになるなって。

 深く長く息を吸い、吐く。

 白瀬が俺の能力をどの程度の過信でみているのかは分からないが、白瀬の要求は自分にとって初めての試みだった。

 未来を視る対象がデカ過ぎる上に複雑。学校全体の未来を追うには神経も要る。それに加えトラップを避けるということは、〝トラップにかかった未来〟を視てそれを回避しながら進むといういとだ。そしてそれを、繰り返す。当たりならそのまま進む。外れなら回避しトラップの無い未来を探す。

 俺が未来を視ることで、未来はその瞬間に書き換わるのだ。

 そんなことが…できるのか俺に。

 しかし迷っている時間も無い。俺が迷っている間に死が確実に迫っている。

 本当に、ふざけてる。馬鹿げてる。

 もう一度吐いた溜息と共にメガネを外し制服の胸ポケットに突っ込んだ。

 死ぬ覚悟ならもうわりと前からできてるんだ俺は。

 だけどここで、あいつの所為で死ぬわけにはいかない。

 やるなら生きて帰る。生きる未来を選ぶ。それだけだ。


「行くぞ、どうせバレてんならコソコソ行く必要もねぇし、あっちには計画性と自信がある分仕掛けるならはやい方が良い」

「…逸可」


 隣りの篤人が声をかける。その顔に何を考えているのかは予測がついた。多分俺が来るまでの間ずっと、未来への切り口を探していたはずだ。誰ひとり死なせずに、救う方法を。その可能性を。こいつも馬鹿だから分かる。入沢と同じくらいの、お人よしだ。


「言いたいことは分かるが今の状態じゃムリだ。ちゃんとお前を送れる自信も無ぇし、何よりそれは俺がもたない。視るだけなら俺の制御下だし許容範囲だ。それにお前ひとりが犯人の所に辿り着いたとしたって間に合うかもわかんねーし、6秒で犯人止められる確証がない限りムダだ」


 きっぱり言った俺に、篤人がその顔を歪める。


「…やっぱり逸可が一番、冷静だ…」


 力なく笑った篤人は、そっと瞳を伏せた。

 しかし瞬後、その目にはっきりと自分が映る。


「僕も行く」

「ざけんな邪魔だ」

「僕も行く」

「足手まといだっつってんだよここで待ってろ」

「僕は今日、ここで誰も死なない自信がある。なぜなら砂月がそう願っているし、未来には逸可が居たし僕も死ぬ気はない。だから僕も行く。もしかしたら僕にも手助けできることがあるかもしれない。砂月や逸可が求めた時にそこに居ないのは、嫌だ」

「今の状態じゃお前に過去も未来も変えられねぇし、6秒間じゃ何もできねぇよ!」

「できる。今なら言えるよ。僕の6秒間は、過去も未来も変えられる力だ」

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