カウント6◆未来からの手紙


◇ ◆ ◇


「タイムリープ?」


 翌日、昼休み。いつもの場所にて。

 目の前の逸可の口から出た単語を僕は改めて復唱する。アニメ映画のヒロインが高台から勢いよく飛び込んでいく映像が脳裏をぎった。


「昨日の推測の呼称だ。あくまでまだ憶測の域を出ないけどな」


 すっかり指定位置となったソファーで長い手足を投げ出した逸可は相変わらず不機嫌そうだ。もはやその顔がデフォルトとしか思えない。

 逸可自身その推測にまだ納得してないのだろう。でもそれは僕も同じだった。


 昨日はあの後砂月が白瀬さんに呼び出されて帰ったので、いったんその場は解散したものの、あの後ずっと考えていた。考えざるを得なかった。

 〝時空ときを跳び越える〟ということの意味を。


「だけどあいつも言ってた通り、〝非現実〟ではない。〝不可能〟でもない。俺たちが一番よく知ってる」


 確かに、そうだろう。未来を視、過去を視、そして時を止める。ある意味それだって十分禁忌の領域ではないか。


「今日あいつは?」

「砂月? 今日もまだ来てないんだよね」


 砂月は今日も朝から教室には来なかった。もしかしたらまたここに居るのかもしれないと思ったけれど、お昼休みになってここに来た時に居たのは逸可ひとりだけだった。

 昼休みはもう半分終わる。今日も休みなのだろうか。もしくは事件が何か進展したのか。


「じゃあいつは抜きでいーや。もとより俺自身で試す気だったし」

「? なにが?」

「ぐだぐだ考えるより、確かめてみた方がはやい」

「え?」

「試してみるんだよ。お前が本当に、跳べるのかどうか」


 唸るように言った逸可の目は本気だった。僕の意見も戸惑いもまるで受け付けない。


「俺はあいつと違ってある程度の精度で未来の地点を絞り込める。座標は大きい方がいいし固定した場所がいい。この場所を使う」

「ちょ、逸可」

「時間は一週間後ぐらいを想定。明日でもいいけど近すぎる未来ほど変化しやすいからある程度時間を空ける」

「僕まだなんの準備も覚悟もできてないんだけど」

「一週間後、お前も俺もおそらくここに居るはずだ。少なくとも俺は居るようにする。お前は一週間後のこの場所に跳んで、証拠となる〝物〟を持って帰ってくる。ただし、昨日も言ってた通り〝予定外の干渉〟ってのも十分にあり得る。気をつけろよ」


 僕の言葉は全く聞く耳ないらしい。逸可は僕の方を見ようとすらせず、段取りを確かめるよう為だけに口にしていようにに思えた。

 だけど流石に今聞き捨てならない内容があった気がする。


「まってそれって僕どうなるわけ、その予定外の干渉ってのが起こった場合」

「さぁな。それが〝タイムリープ〟っていう産物かもしんねーし、もしかしたら全く違うことが起こるかもしれない。ヘタしたらもうここへは戻ってこれないかもな」

「…えぇっ?!」

「俺たちみたいに〝視るだけ〟ではなく身体そのものが時空ときを越えるっていうことは、その瞬間その時空ときに同じ人間がふたり存在することになる。そんなことが、あり得るのか。もうそこから先は俺には想定できねぇ未知の領域だ。時間に干渉するっていうのは、そういうことだ。成功すればお前は未来のお前と対面することになる。なかなか出来ない体験だ、良かったな」


 …もはや頭がついていかない。

 時空ときを越えて…未来の僕に会う?

 もしそんなことができたとしたら。


「…でも、この前のが仮にその、タイムリープだったとしても…僕が見たのはほんの一瞬だったよ?」

「そのへんも含めて確認するんだよ。面白いことにお前の場合、リミットがある。6秒間だ。もしかしたら跳べるのはその範囲内じゃないかと俺は想定してる。だから6秒が過ぎればお前はここに引き戻されるし、そこまで大きな干渉でもないんじゃねーか」


 ――6秒間。

 今までなんの役にも立たなかった、止まった世界が…動き出すのだとしたら。


「…わかった、やる」


 僕の返答に逸可は何も答えない。もとよりそれ以外の返事を許していないのだ。

 逸可自身もはっきりさせたいのだろう、この一見バカげた推論の終着点を。

 逸可が静かにメガネを外す。最初に会った時の逸可の顔がそこにあった。


「たぶんトリガーは〝接触〟だ。この前の階段から落ちた時みたいな。視るのにも未来の地点を固定するのにも少し調整が居る。俺が、お前の手を掴んだら合図だ。カウントしろ」


 それは時を止めろの合図。いつもの無意識のカウントダウン。

 逸可は自分勝手に突っ走っているようにみえて、いろんなものをしっかり見たり聞いたりしてきちんと自分の中に呑み込んでいる。

 だからきっと。砂月をほっとけなくなったんだろう。本人はきっと認めないだろうけど。


「わかった」


 どくりと小さく鼓動が鳴る。こんな気持ちは初めてだ。心の準備さえも許されない。だけどいっそその方が良いのかも。決断の時はいつも、突然なんの前触れもなく残酷に、目の前に突き付けられるものだから。

 

「…先に言っとくけど…想定外のところに落ちても、責めるなよ」

「へ…」


 言った逸可はぱちりと目を瞑った。そうしたらもう僕には話しかけることは憚られ、ひとり戸惑うことしかできない。

 ちょっと待ってそれってどうなるの僕。

 僕を置いて逸可は未来を手繰り寄せている。

 数秒か数十秒かもわからない、その時だった。逸可の伸ばした手が僕の手首を掴んだ、その瞬間。無意識の内にそれは、僕と僕のすべてを呑み込んでいた。


――6


 視界が激しく揺れ、鼻先で赤い火花が弾け散る。あの時と同じだ。砂月を助けようとして飛び込んだあの時と。

 僅かな耳鳴りと視界のノイズ。落ちる感覚に足を地面に必死に踏ん張る。だけどその感覚すらどこか曖昧で。


 はっと目を開けるとそこは馴染んだ史学準備室だった。さっきまでの光景とさほど変わらない。

 あがる息を整える。成功、したのだろうか。まだ分からない。とにかく落ち着いて状況を確かめなければ。

 きょろきょろと視線を彷徨わせる。棚で埋もれた壁、本や書類が乱雑に積まれた床、空っぽの金魚鉢。

 それから視線の行き着いた先に思わずぎくりとする。

 いつのものソファーの指定席に逸可が居た。ソファーに体を沈めクッションに肘をつき、こちらを見つめている。


「逸可…?」


 だけど違和感。なんだろう。ソファーに座る逸可はいつもの光景だ。

 成功したのであれば、ここは1週間後の史学準備室で、昼休みのはず。でもそこに僕の姿は見当たらない。僕なら一緒に実験の結果を見届けそうなのに。


――5


「逸可、えっと…」


 なんと説明したら良いんだろう。説明している時間はない。でも未来の逸可なら、この実験のことを既に知っているはずだ。僕がここに来ることも、その経緯や理由や結論さえも。


「証拠、だろ?」


 逸可が笑う。なんだか随分逸可らしくない、大人びた笑いだった。心なしか雰囲気も違う気がする。


「ここがその、未来なら…」


――4


 無意識に刻むカウントダウンが、今僕が自分の力の中に居ることの証のように思えた。カウントダウンは決して止まらない。僕だけに響いている。


「ここはお前らが想定した未来より、ずっと先の未来だ。つっても、何年も何十年も先とかじゃねぇけど」

「え…っ、そうなの?」


 確かに逸可は予定外の所に落ちる可能性も示唆していた。でも逸可は制服だしそう何十年もずれているようには見えない。見た目も〝今〟の逸可となんら変わらないように見える。少なくとも誤差は在学中だろう。


「でも、じゃあ僕はやっぱり…時間を跳び越えてるってこと…?」


 未だ半信半疑だった。

 だけど僕は今、未来に居る。

 目の前の逸可がそう言うのだ。きっとそれは間違いない。嘘をつく理由など逸可には無い。


――3


逸可が少し笑う。やっぱり〝今〟の逸可とは少し違う印象だ。未来の逸可はこんな風になるのだろうか。たった1年か2年で。


「これ、持っていけ」


 そう言って差し出されたのは、水色の封筒。思わず食い入るように見つめてしまう。


「…手紙…?」

「そこに居る、藤島逸可に。だけど渡すのは〝その事件〟が解決してからだ」


 未来の逸可から、過去の…〝今〟の逸可への、手紙。

 僕は反射的に手を伸ばしながら、その手が震えていることに気付いた。

 なんだろうこの感覚は。

 触れた指先には確かな紙の感触と現実味があった。痺れるくらいにそれを感じて余計に戦慄する。

 だけど意識は目の前の逸可の言葉へと吸い寄せられた。


――2


「解決、するの…? 砂月は、今…」


 今この未来に砂月は居るのだろうか。それを聞いて、いいのだろうか。一番肝心なことが、いつも訊けない。僕はいつも。


「お前次第だ」


 逸可が笑う。随分柔らかくなった気がするその目元。

 そうか、違和感の正体。ここに来る前にも見ていたせいで気付くのが遅れた。メガネが――


「じゃあな、篤人」


――1


「――――!」


 ぐんと身体がひっぱられる感覚。手の中の手紙を慌てて制服のポケットに捻じ込んだ。目の前の光景が、逸可の顔が、視界が遮断される。抗いようのない力に身体からだごとぜんぶ持っていかれる――

身体ごと乱暴に振り回されているみたいだ。平衡感覚を奪われて思わずきつく目を瞑った。


「――…っ!」


 がくんと膝が折れ、地面に手の平をつく。冷たい床の感触がした。必死に肺に空気を取り込む。

 先ほどとはどこか違うようで、でも確かに感じる現実の感触だった。


「…っ、篤人…!」


 すぐ傍で僕の腕を掴んでいた逸可も膝を折る。その姿を横目に見るも、自分の呼吸だけで手いっぱいだった。


「げほ、くそ、反動のがでけぇじゃねぇかよ…!」

「逸可、も…?」


 よく見ると逸可の方も呼吸が荒い。いつもの余裕ぶった表情も歪んでいた。

 時空を跳んだ僕自身だけじゃなく、跳ばした逸可の方にまで影響が出るのか。それは確かに想定外だ。

 互いがソファを背もたれに地面に座り込む。仰いだ蛍光灯の明かりが眩しくてハンカチをポケットから取り出し目元を隠すと少しだけ気持ちが楽になった。

 頭がくらくらして目を開けていられない。瞼の裏の残像が、心臓に痛い。

 沈黙を互いの呼吸が埋める。


「…で…?」


 いくらか落ち着いた声音で逸可が先に口を開いた。


「…行けたよ、未来…でも1週間後じゃなくて、もっと先の未来だった」

「…ちっ、マジかよ…つーか本当に跳べたのかよ……証拠は?」


 言われて無意識にポケットに手をやり、布越しにその存在を確かめほっとした。

 証拠は確かにここにある。だけどこれは今はまだ渡せない。未来の逸可にそう頼まれたのだから。きっと大事なものなのだ。〝未来〟の逸可にとっても、〝今〟の逸可にとっても。

 だけど逸可は鋭いし賢い。どうやって誤魔化そうか。


「それが、想定外の未来だったし、状況についていくのが必至でそんな余裕も時間もなくて…あ、でもそうだ、逸可の予想通りだったよ。僕が跳んだ先の時間に居られるのは、6秒間だけみたい」

「マジか…じゃあそのせいで俺にまで負荷がかかってんのかもな、その6秒分の。最初の時は想定外での一瞬だったし…それも影響して座標がずれたのか?」

「そういう意味では成功したことになるのかな、今回の実験は…まるまる6秒間、確かに僕は未来に居たんだから」


 意外と上手く気を逸らせたらしい。ほっと胸を撫で下ろしたその時だった。

 制服のポケットでバイブ振動がしている。携帯電話にメールか着信が入ったらしい。


「ちょっと待って」


 もしかしたら砂月かもしれない。一応メールを入れておいたのだ、いろいろと心配だったし。

 逸可は返事の代わりに立ち上がって、いつものようにどかりとソファに身を沈めた。


「はーーにしても俺にまで負荷があるのは想定外だなマジで。慣らせばそれなりに減らせるのか精度は上がるのかもしれねぇけど、現状だと俺の制御まで外されるってのも気に喰わねぇし。これじゃああいつの力でなんて試せねぇな」


 それは僕も同感だった。逸可でさえ上手く時間を捕えることができなかったのだ。砂月だともっと難しいだろう。

 それに身体への負荷を考えると、そう使えるものではないことが容易に想像できる。あくまで予測の域を出ないけれど、現在の時間軸から遠いほど負荷は大きい気がした。

 携帯に届いたメールは砂月からだった。


「砂月、やっぱり今日は学校休むって」

「あっそ、どーでもいーけど。俺も午後サボるわここで」


 素直じゃないな。本当は心配してたくせに。

 横目で見ながら苦笑いを漏らす。


「それから…砂月、僕たちが今日試すこと予測してたみたいだよ」

「あ?」

「タイムリープ実験。結果がわかったら教えてって」

「…まぁ、あいつが言い出したことだしな。どーすんだよ教えんのか?」

「そうだね隠す理由もないし…」

「あの刑事はいかにも利用する気満々ってカンジだけどな」

「白瀬さんかぁ…」


 逸可が不機嫌そうに吐き出す。

 確かに彼はうさんくさい。逸可の懸念も分かる。

 昨日砂月の口から聞いて知ったことだけれど、彼はもとから僕の力の方に興味を持っていたのだという。

 利用価値の検討中なのだろうか。しかしそれを僕に言わず砂月に言うあたりそこはかとない腹黒さを感じるのは僕だけだろうか。


「じゃあそこだけ白瀬さんには伏せてもらおうかな」

「どうだかな。言いなりってカンジだっただろ、あいつ。どう見ても主従関係まともじゃない」

「まぁ砂月がそれでも時を越えたいって言うなら…僕は力を貸すけど」


 要点をまとめてメールを返信し、漸く僕もひと段落する。

 とりあえず確かめたかったひとつのナゾは解けた。

 今度目を向けるべきは、砂月が関わっている事件だ。これを解決しないと手紙も逸可に渡せないし、砂月の死の可能性だってまだ否定しきれない。

 携帯を閉じポケットにしまう。

 なんにせよ今日は僕も逸可も何にもする気になれないしできなそうだ。それぐらいに身体が感じる疲弊感はひどかった。

 砂月の気持ちが今ならわかる。大きすぎる力を使う代償のように思えた。


「僕も、サボろうかなぁ」

「ソファーは譲らねぇぞ」


 そこは元は僕の場所だったんだけど。言ってもムダなので言わないけど。


「砂月、大丈夫かな」

「とりあえずはあの刑事もついてんだし、大丈夫だろ。そもそも俺らみたいな高校生が殺人事件の現場に表立って出てくことなんてそうそうねぇよ。先走った行動とるようなバカじゃなければな」

「今までの砂月を、僕は知らないけど…なんだかやけに必死というか…切羽詰まったものを感じるというか…毎回あんな思いを入れてるのかな」

「あいつ自身、シンクロしやすい体質なのかもな。自意識が薄いヤツとか弱いヤツとか…乗っ取られやすいんだ。自分に自信がないやつなんかは特に」

「…どういうこと?」

「いじめで自殺した女子中学生が絡んでるっつってたろ。似たような境遇の存在に同情ないし同調はつきものだ。事件自体をどこか、自分の事の一部のように感じてるんじゃねぇか?」

「砂月も、いじめられてたってこと?」


 逸可の顔は見えない。だけど無言の空気の向こうで呆れた笑いをしていることが、乾いた空気を伝って感じられた。


「俺が幸運だったのは、割とはやくに自分の価値と立ち位置を自覚して、それを守る環境を確立できたことだ。それまでは俺もあいつもたいして変わらなかった。他人と違う人間は、悪意を向けられるようにできてる」


 遠回しに言われた気がした。僕と逸可では、違うって。そして砂月とも。

 対局だと思っていた逸可と砂月の方が、本当はずっと近い場所に居るのかもしれない。


「今回の事件はほぼ復讐劇で間違いない。だけど多分あいつにとって大事なのは、自殺した女子中学生を想う人間が確かに居るっていうことだ。これだけの殺人を犯す存在が。俺だったら別に捕まえようとは思わないね。罪は罪だが罰も罰だ。いじめなんてくだらないことする人間なんて死んで当然だと思ってる」


 変わらないはずのその声音に、少しだけ逸可の感情が混じっているのを感じた。きっと僕には解らない、だけどきっと砂月には解るのであろう、その感情が。


「じゃあ、砂月が救いたいのは…」

「たぶん、犯人だろうな」


 昨日、この部屋で。砂月に力になりたいと…砂月が救いたいものを僕も救いたいと言ったその気持ちに嘘はなかった。だけどなんて軽い言葉だったんだろうと思う。砂月はどんな気持ちでそれを、受け止めてくれたんだろう。


「…別にお前を責めてるわけじゃねぇぞ?」


 無言になった僕に、逸可が顔を向けた。その顔に少し救われる。

 解らないと諦めるのは簡単だ。だけど自分の言葉に責任を持たなければいけない。


「逸可ってツンデレ?」

「お前のそーゆーとこマジでウザい」


 ウザいなんて言われたの初めてだ。

 気が付いたら自然と笑えていた。


「やっぱり授業行こうっと」

「げぇ、流石学年主席サマはマジメだな」

「それぐらいしかないからね、僕の取り柄」


 立ち上がり視線を向けた先で逸可は呆れたように笑っていた。


 それから再び僕にメールが届いたのは、放課後を過ぎてから。

 そのメールで事態が一変することになる。

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