カウント8◆最後の学園(2)
『――触らないで…!』
その言葉の意味を、〝俺たち〟は誰よりもよく知っている。分かっている。
拒絶されて生きてきた人間は、けっきょく他人を拒絶して生きていくしかない。
差し出された手をカンタンにとることなんか、ゆるされない。
それが生まれ持った業なのだ。
たとえ望んでいなくとも。
不規則で不揃いで膨大なその
いちばん最初に〝視た〟のは母親。触れ合う機会が多かったのだから仕方ない。
お世辞にも俺の両親は、子どもに愛情がある親ではなかった。互いに情もない。お見合い、しかも政略結婚だったらしいから仕方ないのかもれないけれど。
だけど子どもながらに自分が生まれ持ったこの力をおそれ、戸惑い、持て余し。助けを求める気持ちがなかったと言えば嘘になる。
だけどそれはできなかった。
未来の俺はどうやったって、親に売られる。この力と俺という存在は、実の親の手にすら余るものだったのだ。
だからそうなる前に俺が親を捨てることにした。
そうして俺は自ら生きる場所を選んだ。
この力を上手く利用して、自分を守り、生かし、そして相手を利用する。
そうして俺は生きてきた。生きていく。
生きなきゃいけない。
あいつらにこの手で復讐するまでは。
◇ ◆ ◇
ただ静寂と暗闇に身を沈めていた校舎が、突如鮮烈な色を放った。
赤。人工的な赤い光。一瞬でそれは消えたかと思ったら、また灯る。
規則的に点滅するその赤の色の正体を知ったのは、もう引き返せない所まで来た時だった。
「……くそ、これ全部かよ…!」
赤は警告。
廊下に、階段に、行く手を示すように連なるその赤い光はまるで誘導灯のようだと思った。
赤い道ができている。
おそらく目的地、川津雄二の所まで。いやもしかしたらこの校舎全体に仕掛けられているのかもしれない。その可能性の方が高い。そう思えるくらいに校舎全体が内側から赤い警告を放っていた。
規則的に、等間隔に、壁に仕掛けられた時限爆弾。おびただしいほどの赤。
それは校舎内に足を踏み入れるのと同時に起動されたもの。
つまり分かってはいたけれど、こちらの行動はすべて見えているということ、そして同時に川津雄二にこちらを生かす気などないということだ。
すぐ後ろに居た篤人の息を呑む気配に、俺は舌打ちしそうになるのをなんとか堪える。俺まで呑まれたら終わりだ。
「……逸可」
「黙ってろ、今の俺が未来を視れる回数は限られてくる。最短ルートを絞る為にももう少し距離を縮めたかったが…相手に居場所がバレてる上に、〝これ〟は避ける避けられない以前の問題だ。どこに回避したって相手のボタンひとつでこの校舎ごと吹っ飛ぶ可能性もある」
もっと局所的なトラップならまだ楽だった。回避という道だけを探せば良い。
だけどこれは流石に想定外だ。回避用の道が、塞がれてしまった。まるでこっちの裏を読まれたみたいに。
いや、おそらくもっとシンプルなだけだろう。
逃す気などないのだ。誰ひとり。
壊したいだけなのだ、すべてを。
「…なんとかつっきれないかな。川津雄二の居る場所は3階の教室でほぼ間違いないんだし、相手の所まで辿り着いてしまえばそう簡単には爆破もできないんじゃ…」
「さすがにここから3階までの間にどこかでは捕まる。例えば二手に分かれたとしても相手には全部見えてる。双方爆破して足止めして終わりだ」
「…でも」
ふと篤人が声音を落とす。
相手に会話まで聞こえているとは考えにくい。だけどおそらく本能的に、反射的に潜められる声音。
「僕は、相手の視界から消えられる。それは監視カメラでも同じことだよ」
「……!」
そうだ、確かに。
6秒間。篤人だけは他人の干渉の一切及ばない世界に居る。
その6秒で3階の川津の居る教室まで辿り着くのは無理かもしれない。
だけど相手の監視下から突然その存在が消えれば、相手の意表を突くことができれば。
隙はできる。
チャンスが生まれる。
「……まて、くそ。それって俺の想定するルートが増えるだけじゃねぇか…!」
思わず頭を抱えながらも、俺はほとんど無意識にポケットから携帯電話を取り出していた。篤人も俺の意図を正しく読み取り自らの携帯電話を取り出す。
時間はあとどれくらいある?
ここから二手に分かれて、6秒間先をゆく篤人を、上手く利用して。
どちらでも良い。先に川津雄二の居る教室に着き砂月の無事と場所を確認する。それが俺たちの役割だ。その後はぜんぶあいつらに、白瀬たちが何とかするという、そういう算段だ。
辿り着けさえすればいい。
誰も死なずに。
「迷ってる暇もねぇ、行くぞ。お前は階段からまわれ、その中での最短ルートだ!」
「逸可は?」
「いきなりお前の存在が消えれば、ひとまず相手は俺を先に始末しようとするはずだ。ここまで自分のプランにこだわりのある相手だ、
「…わかった」
やりたくない。自分が想像するよりずっと複雑で負担がかかる。断続的な時間限定での先視と、そして自分自身のルートの先視。おそらく今まで力を使ってきた中で1,2を争うレベルだ。
この校舎すべてを対象に、ふたり分の未来を視る。
だけど今はこれしか方法がなかった。
かけるしかない。
不確かな篤人の6秒間に。
「――行け!」
叫ぶのと同時に壁に手をついて、固く目を瞑る。
確実に、望む未来を手繰り寄せる為に。
◇ ◆ ◇
シラセの捜査協力を始めて3年ほど。いろんな現場で、いろんな人をみてきた。その経験上わかることがある。
一番こわい人間は、自分を顧みない人間だ。保身を考える人間ほど必ずどこかに隙ができる。
だけど川津は違う。今ならはっきりとわかる。
彼の最終目的は、自分を殺すことだ。
その為に周りの人間なんてどうでもいい。最終的に自分の目的が達成できれば、それで。
「動き出したみたいだね、さて何分でここまで辿り着けるかな」
川津の言葉に顔を上げると、わずかにモニターの中の映像が見えた。そこには暗闇の中動く人影。そしてそれは驚くべきことに、見知った顔だった。
くらりとした眩暈と共に涙腺が緩むのを感じて、それをなんとかきつく押し込める。
可能性がなかったわけじゃない。想定できなかったわけじゃない。シラセがふたりに連絡することを、そしてふたりの力を利用すること。自分の力が、ここまで無謀で無力だったということを。
だけど時間がなかった。これ以上誰も、傷つけたくなかった。なのに。
「リミットは…5分てとこかな」
その言葉と同時に機械音が高く鳴り、それが規則的なのもへと変わる。そして校舎全体が赤い光を規則的に放ち始める。それが何を示しているのかはすぐに分かった。目の前で見ているものと同じものだろう。爆弾だ。スイッチは川津の手の中。
爆弾に付属するデジタル数値がカウントダウンを始めた。死の未来へのカウントダウンを。
後ろ手に縛られた拳を、きつく握る。
まだ諦めるわけにはいかない。自分にできることをやらなくてはいけない。
巻き込んだのは、あたしだ。考えるんだ。
だってここには――
「……なんだ? ひとり、消えた」
「…!」
モニターを見ていた川津の空気が僅かに変わる。それからキーボードをせわしなく叩く音。彼のすべての神経が、徐々に画面に集中する。画面の中の映像が細かに切り替わり、何かを探している様子が伝わってきた。
「……何をした?」
その声音に、今想定外のことが起こっているのだと悟る。この場において、そうとなりえる存在を、あたしは知っていた。
ここには、あたしだけじゃない。ふたりが居る。一緒にって、言ってくれた。
あたしにもまだ、できることがある。川津にとって〝想定外〟が今起きているのだとしたら、起こしているその存在はひとりだ。
篤人が今ここに向かっている。彼だけの世界を介して。
「…だったら、エリア限定でこいつだけでも…!」
メイン画面に映し出されたその中央には、藤島逸可の姿。きっと彼が、囮役だ。篤人を川津雄二の視界から逃がす為の。
今必要なのは時間だ。彼の意識を奪わなければ。
あたしにはムダに呑み込んだ情報が膨大にある。そう、彼が本当に知りたかったことも。あたしは知っている。
「――ユウ…あんた、そう呼ばれていたのね」
絶えず動いていた川津の指先がピタリと止まり、音が止む。それでも一瞬で
なるべくはっきりと、震えを悟られないよう努めながら、あたしは続ける。
「岩本ゆりは、あんたに何も望んでなかったわ」
「……キミ何言ってるの?」
振り返らずとも川津は不機嫌をその声に滲ませる。苛立ちがキーボードを叩く音にも反映していた。余裕のあった当初と比べて随分と乱暴な音が室内に響く。あたしは怯まず続ける。
「これは岩本ゆりの為の復讐なんかじゃない。あんたの身勝手な懺悔と自殺のひとり芝居よ」
「……」
ぴたりと、キーボードを叩く音が止み。川津が黙ってこちらを振り返る。そこからあたしの居る場所までたかが数歩だ。視線を外させない。
「キミは、他人だろう? ボクたちのことを何も知らないくせに」
「あんただって他人じゃない。岩本ゆりの恋人? そんな痕跡は、彼女はどこにも残してなかった。遺書にさえあんたの名前はなかった。あんた宛ての最期の言葉はどこにも。それが気に喰わなかったんでしょう?」
「カタチに残らなかっただけだ…彼女はボクを…受け入れてくれた」
「気付いてないのあんた、全部自分のひとりよがりだって。岩本ゆりの為に生きてきたあんたが、彼女を失って希望も目標も失って…独りになった子供が途方に暮れて挙句には逆ギレして駄々をこねているのとおんなじよ。ただの意気地なしじゃない」
パン!と冷たい音と共に左頬に痛みが走った。口の中に血の味がじわりと広がる。
ほんの一瞬。だけどそれだけで良かった。
「……そう、彼女は…そんな顔をしていたのね」
「何を言ってるんだ、さっきから…!」
ipodに彼女の姿は残っていない。残っていたのは細い指先と震える影、それから時折零す滴と言葉。
あたしは今ようやく、彼女の姿を知ることができた。彼の中で今もなおあざやかに残る彼女の残像。
彼が見つめる先に居る彼女は、永遠に輝いたまま。彼の中でまだ息をしている。
「彼女があんたの存在をどこにも残さなかったのは…あんたの未来を思っていたから。あんたの存在が彼女の紛れもない希望で…だから彼女はあんたの未来を縛り付けることをおそれていた」
「…キミが…ユリの何を知っているというんだ…!」
「あたしのポケットに、あんたが落としたipodが入ってるわ。これはもとは岩本ゆりの物でしょう?」
「…どうして…」
「彼女はあんたから送られてくる映像をipodに入れていつも持ち歩いていた。それが彼女の支えだった。あたしにもわかる、そういうの…自分に向けられる視線の温かさや、呼んでくれる名前がどれだけ心を支えてくれるか。あたしも世界からはじかれた存在だったから。人と違うところがあるだけで、受け入れてはもらえない存在だった。でも、たったひとりでも…手を差し伸べてくれる人が居れば、世界がどんなにあたしを疎んでもあたしは生きていける。あんたはそれをしなきゃいけなかったのよ…どんなに彼女を想っても彼女の為であっても、それでも…遠くに居ては、ダメだった。あんたが誰よりも彼女の近くに、傍に居て…一緒に戦ってあげなくちゃダメだったのよ…!」
「うるさいキミに何が分かる!」
「わかる、だってあたしは」
…あたしは。
あたしには過去を視ることしかできないから、せめて。未来は今からでも変えられるから、だから。
この手で触れた相手を救いたい。
あたしは伝える。あたしが視たものを、知ったこと。誰にも知られずなくなるはずだったその真実を、あたしはあたしの判断で、過去から今に還す。
それがあたしにできる唯一のことだから。
彼が再び右手を振り上げたのと同時に、教室内が白い閃光に包まれた。
キインという耳鳴り。
真っ白に包まれる世界の中で、あたしにも手を差し伸べてくれる人が居た。
それはまるで奇跡みたいだった。
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