カウント4◆彼女は誰も救えない(2)
「…っ、…き…砂月!」
「……!」
瞼をむりやりこじ開けるのと同時に、はっと呼吸を取り戻す。
心臓がどくどくとうるさい。汗が噴き出す。体に上手く力がはいらない。
「砂月、大丈夫…?!」
ソファのすぐ脇に岸田篤人が居た。本物だろうか。まるで残像のようにも思える。だけどその手があたしの額にゆっくりと伸ばされる。
「すごい汗だよ、具合悪いなら保健室に…」
瞬後、条件反射のようにその手を振り払う。部屋の中に冷たい音が響いた気がした。
「あたし、に…触らないで…!」
今触れられたら。きっと視てしまう。無意識に、無遠慮に。彼の過去を、ぜんぶ。
「…っとに、かわいくねー女」
あからさまなくらいの大声で突き刺さる言葉に視線を向ければ、岸田篤人の向こうに藤島逸可が居た。その姿に思わず、唇を噛み締めた。
会いたくない相手。話したくない。今は、誰とも。
一体今がいつの何時なのだろう。重たい頭をおさえながら壁にかけられた時計に目をやる。ちょうど昼休みの時間帯だった。
反応を返さないあたしに藤島逸可は不機嫌そうに鼻を鳴らし、テーブル脇の椅子に乱暴に腰かけた。すぐ目の前で膝を折った岸田篤人が、あたしの顔を覗き込む。
「…大丈夫…?」
このひとは馬鹿なんだろうか。こんな態度をとられて、イヤな思いさせられて。それでも笑っているなんて。
だけど今までの経験から彼は、ひとの態度や意志に左右されないのを知っている。あたしがどんな態度をとろうとも、空気を読まないどころではなくわざと無視して推し進める。ぜんぜん思い通りになんていかない。
「…平気」
一言だけ吐き出して、体勢を整える。呼吸も心臓も大分平静を取り戻していた。
あたしの言葉に岸田篤人がようやく腰を上げる。
「今日も休みかと思った。朝から居なかったから」
「……」
少しまだ体が重たくて、会話をするのも億劫だった。まさか休みに来たこの場所でまで、力を使うことになるなんて。
昨日の後遺症みたいだ。栓が緩んでしまっている感覚。
「どうせ後遺症みたいなもんだろ」
小馬鹿にするような藤島逸可の口ぶりよりも、その言葉に驚いて視線を上げる。
心でも読まれたのか。でも彼にそんなことできるはずない。
あたしの驚いた表情に、藤島逸可はパイプ椅子の上でやはりふんぞり返るようにして笑った。
「だいたい察しはつくさ。これだけデカい事件の捜査協力依頼の内容なんて、報道されている情報だけで俺にもだいたい想像がつく。お前ができるのは過去を〝視ることだけ〟だもんな。事件現場、被害者の遺品、犯行に使われた凶器もしくは犯人の遺留物…まぁこれがあったらもっと話ははやかっただろーからそれはまだ出てない。事件から日も経ってるのに捜査は進展しない。時間が経つと過去視の精度は落ちる。ってことは一番確実なのは、被害者の記憶だ。今やっとお前に協力要請がくるってことは、最終手段の段階ってことだろーよ。特にお前みたいな不安定な力に頼わざるをえないくらいには。死体の過去をお前は視てたんだろ? ずっと。下手したら被害者全員分。死体とはいえ生き物の未来や過去を視るのは、場所や物を視るよりずっと複雑で消耗する。情報量が違い過ぎるからだ。だけどお前はソレを、制御できてない。あいつも言ってたしな、意識を失うことがあるって。大方昨日はそれで学校にも来られなかったんだろ、身体にもその負担が残って」
――どうして。
反論しなければ、否定しなければと思うのに、言葉が出てこない。
だって、その通りだった。
握った拳が僅かに震える。
あたしの能力には、限界がある。たくさんの情報を一度に処理できない。不必要な情報ばかりが溢れてしまう。だから視るものやタイミングはシラセが判断する。
ひとの命がかかっている。時間も情報もムダにできない。もっとあたしが、上手くこの力を扱えれば。制御できていれば、どんなに良かっただろう。こいつみたいに。
藤島逸可はきっと、シラセの期待以上のことをやってのけるだろう。
イヤだ。そしたら、あたしは。
「すごいね逸可。他人の力でそこまで予想できるのもだけど、本当に使い慣れてるんだ」
「お前らとは経験がちげーんだよ」
そもそもどうしてこのふたりがここに居るんだろう。岸田篤人はともかく、藤島逸可まで。こいつはこの時間帯にここに来ないって言ってたのに。
こんなことならいつも通り保健室に行けば良かった。もしくは午前中くらいサボって家に居れば。連日の捜査でシラセは夜も遅いし朝もはやい。家で会うより外で会うことの方が多いくらいだ。家に居たとしてもバレなかったかもしれない。学校なんて億劫でしかないのに。
「…どうせ…」
来なければ良かった、こんな所。こんな思いをするくらいなら。
「どうせあたしは、無能の役立たずよ…そんなこと一番あたしが、解ってるのよ…!」
悔しい。拳が震える。いつのまにか喉の奥まで震えてる。
「さ、砂月…?」
勝手に人の名前を軽々しく呼ばないでよ。
勝手に見透かして、勝手に入ってこないでよ。
見せつけないで。突き付けられる。自分の無力さを、くだらなさを。
「そりゃああんたみたいに、視たいものだけ確実に視れたらきっともっと楽で、シラセにだって余計な心配も迷惑もかけないで済んだだろうけど…! あんたみたいに自信もってエラソーで強くいられて…! あんたみたいになれたら、もっとこの力だって役に立てて、もっと…っ」
でも、できない。あたしにはできない。上手くこの力を制御することも、強い自分でいることも。
たくさんの情報の中から手さぐりで、時間ばかりかかって漸く目当ての一粒を必死に掴んで。なのにそれすら遅過ぎることもある。
シラセは決してあたしを責めない。だけどあたしの所為だって気付いてる。あたしがもっと、有能であったなら。あたしがもっとちゃんとこの力を、使いこなせていたなら――
「もっとちゃんと、誰かを救えたかもしれないのに…!」
いつもそうだ。
あたしには誰も救えない。
「…砂月」
「うるさい呼ばないでってば!」
シラセの前でだって、こんなこと言ったことない。決して言えない。なのになんでこいつらの前でこんな、醜態ばかり。
こんな…こんな涙。あるはずなかったのに。
「呼ぶよ、砂月。だって友達だから」
違うって、言ってるでしょう。触らないでって、言ってるでしょう。
どうして勝手にひとのこと、抱きしめたりしてるのよ。
どうしてあたしは――今度は、振り払えないの。
「大丈夫だよ、きっと」
「何が、よ…っ、適当なこと、言わないで…!」
「砂月がひとりじゃできないことがあるなら、僕も逸可も手を貸す。砂月がそれを願うなら、きみが救いたいもの全部、救ってみせる」
なんなんだろう。この人は馬鹿なんだろうか。頭おかしいんじゃないだろうか。
岸田篤人の肩越しに見える藤島逸可の顔が、「なに勝手なこと言ってんだ」と歪められている。不本意そうだ。そうだろう。
「…バカじゃないの…」
はじめて自分からその肩に触れてみた。落ちる滴が岸田篤人の制服に吸い込まれていく。
自分から誰かに触れるなんて、シラセ以外の人では初めてだった。今までずっと、振り払われてきたのはあたしの方だったから。
こんな風に抱きしめてもらったこと、生まれてきてから今まで一度だってなかった。
「馬鹿はお前だろ」
視線の先で藤島逸可はやはり偉そうに言った。なんでもわかっているって顔で、ひとのことを上から目線で見下して。だけどどうしてこの人も。関わることをやめないのだろう。
「言ってんだろ経験の差だって。結局最終的には気持ち次第なんだよ」
「…それが、できないから、あたしは…っ」
「できる」
「……」
どうしてそんな自信たっぷりと言えるんだろう。あたしとあんたとでは違う。
でもそれはきっと彼自身が言うように、それだけの経験をしてきたんだろう。その心と身体で。
「お前の場合は過去に遡る時と、それから帰ってくる時の強いイメージ。対象の存在をぶらさず軸にする集中力。それをしっかり保てばいい。その力だってお前の一部だ。お前に扱えないはずねぇんだよ」
声音をそのままに、だけどその目が少しだけ細められる。いつもムダに突き刺す敵意が少しだけ薄れている気がした。
「ほら砂月、逸可がアドバイスくれたよ。参考にしてみようよ」
「アドバイス…」
ぽんぽんと優しく背中を叩かれて言われた言葉に思わず目を瞬かせる。またダメ出しされたのかと思った。
でも不思議と藤島逸可の言葉はしっくりくるものがあった。それを実践できるかは別だけれど、できるなんて言われたのは初めてだ。それは多分他の誰かに言われても他人事の言葉だっただろう。今までのあたしにとっては。
「僕も何かアドバイスできたら良いんだけど、何せなんの役にも立たないからな。6秒間だけ時間を止めたって」
「…でも」
思い出す。最初にあったあの日のこと。
少しだけ体を離して見上げると、相変わらずのうさんくさい笑顔。信用はまだできないけれど。いま見えている、触れている確かなものがある。
「あたしのこと、助けてくれた。階段で」
「…僕じゃないよ。最終的にあれは、逸可に助けられたようなものだし。僕が何もしてなくたって、僕が居なくたって。たいして世界は変わらないよ」
6秒間の止まった世界。それはどんな世界だろう。
あの時咄嗟に触れてしまった彼の過去に、〝止まった世界〟は無かった。そこはあたしでも〝視られない〟世界なのだろうか。それとも。
「でも無意識にカウントしてるんだよね。時間を止めるその瞬間から」
「…カウント?」
「いーじゃんソレ。お前もやってみろよ、カウントダウン。お前みたいなタイプには有効かもな。集中力が3割は増すしスイッチが入りやすくなる」
岸田篤人の言葉に反応したのは藤島逸可で、椅子に深く座っていた体を起こして面白そうに言う。
「…カウントダウン…」
そんな考え方を今までしたこともなかったし、そんな使い方もしたことなかった。それがあたしにとって、良いことなのか悪いことなのかは分からない。でも確かにあたしは、明確な努力を今までしてこなかった気がする。
藤島逸可はあたしの顔を見たまま続けた。
「お前はべつにそのままで大丈夫だよ」
「……え?」
「能力なんて経験と環境でこれからどうとでもなる。力の制御っていうのは、器の成長と共に落ち着くようになる。お前は俺みたいにならなくていーんだよ」
生憎その気はさらさら無い。だけど。自分のようになるなというその心は少しだけ理解できた。そう思わせる何かが、彼にあったことも。
彼はきっと努力してきたのだ。生まれた時から今まで、その力と共に。多分あたしの何十倍も。
「ねぇ砂月、僕たちにも手伝えないかな。珍しく逸可も協力的だし、実際の手助けはたかが知れているけれど…今みたいに力のアドバイスくらいならできるかもしれない。少しでも砂月が傷つかないよう、良い方向に変えられるかもしれない」
「…捜査に…協力したいってこと?」
「砂月に
その提案を、いつものあたしだったらすぐに拒否していただろう。だけど拒絶の言葉はあたしの口から出なかった。今までよりもずっと冷静に、今の状況を受け止めて、そして考えている。
誰かに頼るなんてイヤだった。あたしにできる唯一のことを、人に委ねて自分の無力を思い知るだけなんて。でも現実にあたしはこんなにも無力で、できないことの方が多くて。
もう十分、みっともない所はさらしてしまった。無力だと認めざるを得ない。それでもあたしにできることが、まだあるのだとしたら。
変わるなら今なのかもしれない。
深く呼吸をし、息をつく。少なくとも守秘義務を犯す覚悟は必要だ。
心を決めてあたしは事件の詳細を、あたしが知っている限りの情報を話し出した。
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