第5話 呪いの炎

 放課後になっても、エレニアの姿は見えなかった。

 三組の生徒へ尋ねたところ、どうも早退してしまったらしい。急用が出来た、との説明してもらえず、彼女の真意についてはサッパリだ。


「……駄目だ、出ない」


 これで三度目。不通音が響く携帯を閉じ、胸に溜まった心配をどうにか吐き出そうと努めてみる。――が、次の瞬間には補充されるのが精々だった。

 周りの同級生は、既に下校の準備を終えている。

 普段だったら桜斗も彼らの中に混じっているが、今日に限っては難しい。エレニアのマンションへは、彼女が同伴していなければ入れないからだ。合鍵だって渡されてないし。


「とりあえず、実家の方に帰ったらどうなんだよ?」


 バックを背負い、窓に寄り掛かっている雄桐の言葉だった。

 まあ連絡が取れない以上は仕方ない。不本意ながらも用意を整え、教室から出ていく流れに加わろうとする。

 しかしふと、背後の校門へ目を送った。


「……なんか、下校してる人数多くない? 校庭の端で練習してる野球部もいないし」


「先生が話してたろ。しばらく部活は休止だって」


「いつ?」


「五時間目だな」


 睡眠時間のことか。

 しかし何故だろう? 桜斗が記憶する限り、期末試験も含めて学校行事は無かった筈だが。

 思案が表情に出ていたようで、えっとだな、と雄桐は一言。


「朝も話したろ? 誘拐事件。うちの生徒も被害にあったもんだから、全員早く帰れってさ。どうもあのジジイが熱心に説得したらしいぜ」


「……つい裏を疑っちゃうのは、悪い癖かな?」


「理事長様が相手じゃ、無理もねえだろ。先生達も何だか不満っぽいしな。他の対策を取るべきだ、生徒の学校生活に水を差すべきじゃない、って」


「だったらテストも消してくれないかな……」


 それも学校生活の一部だ、と言われたら反論できないが。

 理事長の働きについては多くの生徒が知っているようで、室内でも話題に出しているグループが幾つかある。良い印象が少ないためか、あらぬ憶測も飛び交ってもいた。

 本当、千浄が理事長を務めていることを疑問に思う。確か父親から継いだという話だが、他に適材はいなかったんだろうか? 

 金の亡者。金霧家に属する竜人達は、千浄をそう比喩している。

 彼を追放する流れは何度もあったらしい。が、利害の一致を踏まえた時、最適な協力者であることも事実だった。何よりも付き合いが古いため、縁を切ろうにも反対論が根強いとか。

 金霧家を維持し続けるためなのだが――やはり、理不尽は理不尽だ。


「さ、ともかく帰ろうぜ。居残りしたって、先生に迷惑をかけるだけだ。あ、久々にうちでも来るか?」


「あー、ちょっと遠慮するよ。エレニアのことが気になるから、マンションの方には行ってみる」


 彼女の用事自体はともかく、行方が分からない点だけは解決したい。

 雄桐は否定するような素振りを見せたが、次の瞬間にはかぶりを振って追い払った。


「気をつけてな、とぐらいは言っとくかね」


「本音では止めたかったり?」


「そこまでせんでも、とは思うわな。でも俺らの善意なんて、自分が施したいって認識が第一だからなあ。お前の友人として振る舞うなら、一言だけで十分だろ」


「信頼してくれてどうも」


 いやいや、と手を振る雄桐に合わせ、二人はようやく教室を出る。

 一階の昇降口には、多数の生徒が群がっていた。一斉に下校を開始した余波だろう。終業式もかくやという人だかりで、昇降口の狭さを痛感する。


「……この辺り、ホントどうにかして欲しいな」


「例外的な話になるから、なかなか難しいんじゃない? 外に出るタイミングをズラしてくれるだけで十分だけど」


「先方の自己満足を信じたいもんだ……」


 と愚痴りながら、二人は流れに任せて前進する。二年生の下駄箱前は少し人が少ないような、でも大差ないような。

 厄介を五感で感じながら、手持ち無沙汰に視線を動かす。


「――あれ?」


 二年、三組の下駄箱。

 早退したエレニアの外靴が、綺麗に収められていた。


「学校に戻ってきてる……?」


「は? 誰が?」


「いや、エレニアがさ。ほら」


 顎で指し示す中、桜斗は改めて記憶を探る。よく似た別人の靴が、たまたま彼女のスペースに入っているだけではないかと。

 しかしどれだけ凝視しても、エレニアの靴と完全に一致する。

 かと言って、この群衆の中に当人はいない。少なくとも視界に入る範囲では。


「俺、探してくるよ。どうせ帰るなら一緒の方がいいし」


「んじゃここでお別れだな。……まああの子も一人になりてえ時間はあるだろうし、あんま付き纏うなよ? ストーカーの友人なんて御免だからな」


「そりゃやらないって。一旦気になると、なかなか頭から離れなかったりはするけど」


「……素養でありそうで怖いんだが?」


「ま、まさかあ」


 ストーカー。一方的に関心を抱いた人物に対し、執拗な接触を試みること。

 なんだ、やっぱり違うじゃないか。――でも子供の頃に一度、連絡が取れず数分の置きの電話を繰り返したような。

 それ以上考えると駄目な結果になりそうで、桜斗は即座に踵を返す。


「と、とにかく、俺はエレニアのこと探してくる! また明日!」


「おう、またなー」


 呆れ気味の抑揚が怖い。

 人波を掻き分けて、桜斗は二階へ続く階段に脱出する。同学年の生徒は殆ど出たのか、背後に比べて随分と冷たい空気が広がっていた。

 教師の姿もなく、足軽に段差を踏んでいく。

 真っ先に向かったのは三組の教室だった。エレニアの学校生活にて、活動拠点といっても過言ではないのだから。

 しかし、手応えはない。

 机の方も調べてみるが、手掛かりらしい物は何もなかった。綺麗に片付けられており、戻っている気配すら感じさせない。


「……というか、まずは職員室か」


 いくら何でも帰ってはいまい。生徒達だって学校に残ってるわけだし。

 階段を介さず、東側にあるホールへと急ぐ。職員室はその向こうだ。

 徐々に遠ざかる一階の喧騒。帰る時には静まり返っているだろうな、と益体の無い感想が脳を過る。

 だが静寂に満ちているのは、これから向かう場所も同じだった。


「――うん?」


 違和を実感し始めても、時すでに遅し。

 職員室の鍵は、閉まっている後だった。


「な、何で……?」


 これも千浄の指示だろうか? あるいは単に、運悪く擦れ違ってしまったか。

 急いで校庭の様子を確認すると、案の定探していた人達がいる。……そこにエレニアもいれば良かったが、そこまで好都合な展開は空想だった。

 こうなったら、自分も急いで外に出ねばなるまい。生徒が校舎に一人で残るなど、好ましい話でもないだろう。


「でもな……」


 エレニアが残っているなら、放置するのも後ろめたい。

 と、直後。

 辛うじて映った三階の廊下に、女性と思われる人影がある。しかも銀髪の。

 女性は職員室の反対側、階段の方へと消えていった。が、いつまで経っても二階へ姿を現さない。三階の方も同様で、西校舎と繋がる渡り廊下にもいなかった。


「……屋上にいったのかな?」


 除去法から他には導けず、駆け足で校舎を横断する。

 屋上へ通じる階段は一ヶ所しかない。目指していれば最悪、擦れ違うことも出来るだろう。

 普段から生徒に解放されている場所。弁当組の一番人気へ、錆びついた扉を押し開ける。

 一面はフェンスに囲まれた安全地帯だった。鉄とコンクリートの町並み、緑に覆われた金霧家の土地までよく見渡せる。

 背後にはもう一つの校舎が。現在地の東館と渡り廊下で繋がる西館だ。一部の三年生、特別教室などが主に入っている。生徒会室も確か西館だ。

 窓の向こうに、やはり人の姿はない。温かい陽光は誰の役に立つこともせず、悠々とその力を注いでいる。


「あら、来ちゃったの?」


 声は、視線を振った先に立っていた。

 数メートルの乖離から視認できる女性は、確かに銀髪の持ち主だった。類稀な美貌も、未来の彼女を連想させる。

 しかし、エレニアではない。


「ツェニアさん……!」


「せっかく用意された舞台だから、ちょっと来てみたけど……まさか当たりを引くとはね。護衛がいないんだから、自分で警戒しないと駄目よ? 桜斗」


「――」


 下がる桜斗に、笑いながら向けられる視線。

 妙な力強さがある所為か、逸らせない説得力があった。背中を向ければ、その瞬間にすべてが終わると。

 圧倒的不利な状況を、第六感はそんな風に受け止めている。

 ふと、彼女の辺りを霧が覆った。

 桜斗は半身をさり気なく後ろへ逸らす。ここから先は、一瞬の隙が命取り。助命を乞うなら今のうちに済ませるしかない。


「昨日、契りを交したばかりで申し訳ないけど……」


 霧はもはや厚手のカーテン。今から衣装を、肉体を変えるツェニアを隠すように覆っていく。


「お終いね」


 瞬間。

 桜斗は反射的に右へ、出入り口の方へ飛び退いた。

 突き抜ける突風。フェンスのへし折れた音が、直撃していれば、の未来を如実に語っている。

 視界の隅には白銀の巨躯。

 荒々しい獣の息を吐き出す、狩人の姿があるだけだ。


「っ……!」


 二撃目が来るより早く、桜斗は校舎の中へ飛び込む。

 階段を降りるというより落ちるように。抵抗する選択は最初から選べない。仮に選んでも昨晩と同じく、無様に腕を砕かれる。

 逃げの一手だ。校舎には鍵が掛かっているだけで、外に出られないわけじゃない。さすがに、衆目の前で攻撃はしない筈――


「ぐおっ!?」


 二階の階段へ差し掛かった時だった。

 有り得ない筈の痛みと衝撃。階段の入口に、見えない壁が敷かれている。


『上手く出来てるでしょ? その結界』


 以前と同じ、頭に直接語る声。

 人狼は回りくどい方法を取らず、直に天井をぶち抜いてきた。


『人狼が持つ能力の一つでね。竜の属性を持っているわけじゃないから、桜斗が突破するのは不可能よ?』


「く……っ」


『あ、あんまり叩いたりしないでね? 結界と発動者の感覚、能力ってリンクしてるのよ。刺激を与えられると、ゾワゾワして困る困る』


 背後には渡り廊下。西館と東館を繋ぐ橋が、文字通り命の懸け橋だった。

もっとも、直線の上。

 人狼ツェニアにとっては、またとない攻撃の領域。防御へ移ろうにも、斬竜皇子の命による地形操作は使えない。あれは森限定の能力だ。

 狼の四肢が爆ぜる。

 大気を裂く巨体へは、一瞥を送る猶予すらない。殺意という感覚で意識するだけだ。

 避けられない。

 なので飛ぶ。渡り廊下の欄干に足を掛け、猫にでもなった気分で駆け上がる。

 三階からの落下。一般常識から言えば危険極まりない行為を、顔色も変えずに遂行する。

 再生能力同様、自身が持つ肉体の強化は能動的なものだ。人間であれば骨折する高さでも、自信を持って移動できる。――もちろん人狼からは逃れられないし、一般の超種にすればオマケ同然の能力だが。

 見える地表。ツェニアが追撃の手を緩めないにしろ、建物の中よりは希望がある。

 しかし。


「っ!?」


 着地のタイミングは、完全に意表を突いてきた。

 またもや見えない壁――もとい足場。予期せぬ反動に姿勢が崩れる。

 ついでに足首を捻ったような感触があった。数分で完治するだろうが、逃げ切るまでの足枷には違いない。

 歯を食い縛って桜斗は動く。目指すのは校舎の中だ。足場が現在地は空中であり、開けた空間。彼女と鉢合わせになったら逃げも隠れも出来やしない。

 幸運にも、結界が敷かれているのは二階とほぼ同じ高さ。中への経路も制限されていないし、遠回りだが逃げられる。

 しかし再び、頭上を轟音が駆け抜ける。エレニアはコンクリートへ穴を開けたのだ。

 西館へ入る手前。巡り巡って、直前の構図が再構成される。

 縮まる彼女の手足。爆発の合図なのは言うまでもない。

 痛みを堪え、桜斗は全力で西館を目指した。使う機会の少ない、特別教室の並びへと。

 廊下へ入った時には、走るのではなく飛び込みだった。

 爆砕される背後の教室。ツェニアにも相応の傷を負って欲しいが、人狼の姿では冗談にもなるまい。木材だろうと鉄だろうと、向こうの方から砕けるだろう。

 桜斗はその横、調理室へと移動する。

 狙いは窓だ。先ほどの逃走経緯から、結界が隙間なく張られている可能性は低い。仮にそうだとしたら、渡り廊下から飛び降りることも許されなかったろう。

 推測通り、窓が開く。


「よし……!」


 窓の先に壁が巡らされている感触もない。これで外に抜けられる……!

 無論。


『少し待ってちょうだいね?』


 三度目になる破壊の音色が、人狼の瞳を招いていた。

 即座に飛び降りようとするものの、脇腹へ鋭利な感触が突き刺さる。

 包丁。どうも偶然、彼女の手が伸びる範囲にあったらしい。

 異常を感知した竜殺しの力が、その最低限を励起させる。抑え込まれる痛覚、制御される出血。人間の医者が目を見張るような真似を、超種の特性が断行した。

 もっとも、肉体への負荷が完全に消えるわけではない。

 一瞬の怯み。――ツェニアが再び襲い掛かるには、十分過ぎる隙だった。

 桜斗の頭ほどもある拳が、容易く身体を打ち上げる。

 後は部屋の端、食器棚へと吸い込まれるだけだ。学校の予算で購入されたであろう食器が、音を立てて次々に割れていく。

 身体はしつこく立ち上がろうとするものの、人狼の動きが先行した。

目の前。星よりも眩しい白銀の瞳を、真っ直ぐこちらに向けながら。

 荒い呼吸を繰り返すのは、餌となる桜斗だけ。

 無言で凝視する女性だった存在は、どこか神妙そうな雰囲気で見つめてくる。


『聞きたいこととか、ある?』


 せめて、理由ぐらいは説明しようと思ったのか。勝利が確定した直後に、彼女は時間を託してくれた。

 桜斗は無論、考えるまでもない。


「いいですよ、言わなくて」


『……どうして? 自分が死ぬ理由ぐらい、知ろうとは思わないの?』


「ええ」


 迷いのない即答。桜斗にとって当り前の事実を、淡々と口にする。

 ツェニアは一瞬、歯を食い縛るような仕草を見せた。


『分かったわ。それが真実だと思うなら、これきりよ』


 彼女は半身を起こし、ゆっくりと右手を掲げる。――磨き抜かれた爪を、断頭台の刃と連想するには美しすぎた。

 勿体ないと残念ですらあるが、これも結末。現在が作り出した、決断の行き先だ。

 それに。例え彼女にどんな悪意があろうと、自分ばかり棚に上げることは出来ない。

 戦う力さえあれば、この瞬間。

 自分だって、刃を向けていただろうから。


「――」


 瞳が僅かな諦めに陰る。

 途端。


「止めて!」


 雄弁の二文字と共に、何者かが二人の間へ割って入った。

 流れの中で人狼の爪が止まる。金属音が響いた辺り、何か武具を使って止めたらしい。

 顔を上げた桜斗の第一印象は、人狼と同じ色。

 姉妹として、同じ銀髪を靡かせる少女がいた。


『エレニア!?』


「姉さん、止めて! 桜斗様は関係ないでしょう!?」


『――答える義理はないわね!』


 再び叩き付けられる人狼の拳。

 しかし一瞬早く、エレニアは桜斗を攫って脱していた。直後に響く聞き慣れない打撃音。どうも窓に結界が張られ、ツェニアの追撃を防いだらしい。

 感覚が繋がっていると言った通り。強烈な衝撃へ、彼女は苦悶を浮かべている。

 地上へ降りるまでの間にも、同じ打撃音が繰り返される。忌々しげに校舎を見上げるエレニアだが、痛みについては堪えるしかないらしい。


「……さて桜斗様」


「? ――いっ!?」


 薄っすらと汗を浮かべた命の恩人は、一言告げた直後に包丁を抜いた。


「こら、我慢してください。普通の人よりは痛みを感じないで済んでるんですから」


「い、いやでも、痛いものは痛いって」


 弱気の反論に、私服姿のエレニアは肩を落とす。

 だが時間の猶予はないようで、直ぐに出てきた窓へと視線を戻した。


「姉は私が抑えますから、早く逃げてください。ここから先は、つまらない喧嘩を見るだけでしょうし」


「け、喧嘩って……それより大丈夫なの? さっきから……」


「結界ですか? 私が獣化してしまえば問題ありません。今は人間の格好なので、負担が大きくなってるだけです」


「ああ、そうなんだ。……でもエレニア、今までどこに――」


 問いを口にするより、彼女が屋上へと跳躍する方が早い。その最中にも身体は獣化の霧で覆われ、輪郭を変えていく。

 視界から消えた辺りで、人狼の気配が明確になった。ツェニアの方向からは竜の気配も。エレニアの説明通り、二つの姿を切り替えられるらしい。

 ここからは全容こそ見えないが、威圧的な気配が桜斗の心を沸き立たせる。


「――って、傍観してる場合じゃない……!」


 竜は人狼にとっては格上の相手だ。防戦一方にすれば耐えられるだろうが、勝ち目は皆無と評してもいい。子供が大人と本気の腕相撲をするようなものだ。

 考えを巡らせると同時に、籠った感じの音が聞こえてくる。

 恐らく結界の効果だろう。中で炎も撒き散らされているようだが、詳細は掴み難い。異常を感知した第三者がやってくるかどうかも不安だ。

 望みを託せそうな携帯電話は、例のごとく圏外。電話ボックスまで走る選択はあるが、そもそも近隣にあったかどうか。

 助けを呼ぶまで、彼女が耐えるかどうかも気掛かりではある。


「……壊して入るしかないか」


 無謀は承知の上。斬竜皇子で突破できるかも分からないが、試す前から諦めるなんてしたくない。

 適度に肩の力を抜く。

 一か八か、地味な挑戦が始まった。





 歪んだ空間は、外部との比例を成していない。

 巨体が暴れるのに十分なサイズへと、校舎の中は拡大している。廊下だけでも三倍以上の幅。……これも結界が成す能力だとすれば、姉妹の実力差は決定的だ。


『っ――』


 追う者と逃げる者の戦場は、既に炎の海へ沈んでいた。

 人狼、エレニアの身体も所々が燃えている。広がるほどの勢いはないが、消火することも出来ずにいた。

 対し銀色の竜、ツェニアはまったくの無傷。数度爪と拳を叩き込んだが、逆に負傷する始末だった。勝機はまったく見えてこない。


『まだ戦うつもり?』


 余裕の籠った調子で、正面の銀竜が語り掛ける。

 当然、と切り返したいエレニアだったが、心には相当するだけの気迫がない。次に攻撃を受ければ、敗北する予感さえあるからだ。


『――』


 戦闘が開始されて、僅か数分でこの有様。誰が見たって、エレニアの敗北は確実だ。

 しかし退くことは出来ない。外の桜斗が安全地帯まで逃げ切るには、もう少し時間が必要な筈だ。そのためならどんな傷だって惜しくはない。

 意思は肉体に先行し、戦いの構えを解かなかった。


『そう』


 告げた瞬間。

 廊下の幅を埋める火球が、一直線に突っ走る。

 逃げ場なし、退路なし。取るべき手段は一つ限り。

 四肢を全力で撃ち込み、エレニアは銀の閃光と化していた。

 真っ向から撃ち砕く。力の差なんて百も承知だ。しかしそうしなければ、壁を超える根拠はない……!


『っ!』


 鉄板を殴打したような異音が轟く。

 抜けた。

 火球の芯が砕け、エレニアの前に敵が映る。

 予想を掻い潜って、手が届くほどの至近距離で。

 急いで格闘戦に移行しようとするが、先制するツェニアへ追い付ける道理はなかった。彼女は掌に先の火球を宿し、エレニアの胸元へと滑り込ませる。

 爆発としか称せない、会心の一撃。


『がっ!』


 廊下の突き当たりにぶち込まれるまで、一瞬だった。

 起き上がろうとするものの、手足は満足に動かない。オマケに視界も霞んでおり、最後の意地を姉に向けるだけで精一杯だ。

 嬉しい知らせがあるとすれば、肝心の炎を右手で防げたこと。とはいえ轟々と燃えており、更に利き腕であるため困難は尽きない。


『……さて、反省なさい。貴女一人では、守りたいものも守れない』


 矜持を砕こうとする諫言。

 最後の最後には憎悪と化した眼差しで、迫る竜の吐息を見つめる。

 だが。

 黒炎は一閃の元、二つに裂けて塵となった。


『な……』


 喫驚はどちらから漏れたのか。

 理不尽を訴える姉妹の間で、金霧桜斗は銀の竜人に敵意を向ける。右手には彼固有の力。ツェニアでは、どうやっても対処できない天敵の剣。

 しかし彼女は、人狼にすら変化する。そうなったらお終いだ。昨夜と同じように、逃げ惑うしか術がなくなる。

 当然。

 一番理解しているのは、桜斗自身であるのだが。


「ふ――!」


 踏み出す神速。

 人間の姿に戻ることすら許さず、斬竜皇子が突っ走った。

 ――が。

 軌跡は、触れた瞬間に砕け散る。

 一瞬早く、ツェニアが人狼へと変化したのだ。

 間一髪で桜斗は距離を取るが、見ているエレニアには驚きがあった。通常、超種の獣化には若干の時間を要する。個体差はあるが、早くても二、三秒は掛かる筈だ。

 しかし姉にはそれがなかった。何の前触れもなく、唐突に肉体が変化する。

 二種類の獣化を使われても、その隙を突けば――一縷の望みは泡と散った。一瞬の間で切り替わるなら、同時に攻撃したところで通用するかどうか。


『桜斗様……!』


 思案の時間が終わる。

 人狼に切り替わったツェニアは、赤子の手を捻るも同然に。桜斗を足元へ捩じ伏せた。

 そして竜へと再び変わる。二人を纏めて消すために。

 動けない桜斗とエレニア。竜に集う莫大なエネルギー。

 詰みだ。


「っ、この……!」


 力尽くで少年が動く。

 行ったのは、近くにある窓へ刃の投擲だった。いくら竜以外の敵を想定していないとは言え、ガラスぐらいは粉砕できる。

 当然、その先にあるのはツェニアが施した結界。


『っ!?』


 感覚がリンクしているためか、怯む姉。

 火球は天井へとぶち撒けられ、穴を穿つ。反動でよろめくツェニア。足元の桜斗は脱出に成功し、一閃を叩き込もうと両手を翳す。

 一瞬の獣化だろうと間に合わない。額の甲殻を割るため、稀代の能力が発動する。

 しかし、力を十全に振るっているのは彼女も同じ。


「な……!?」


 白羽取りだった。

 竜殺しの証が折れる。補填しようと次の刃を出現させるが、ツェニアの反撃が一歩早い。


『――!』


 爪は空を切る。

 倒れていたエレニアが身体機能を回復、桜斗を攫ったからこそだった。





 燃える身体を引き摺って、人狼は東館の廊下を駆け抜ける。

 限界が来たのはそれから間もなくのことだった。彼女は徐々に速度を落とし、桜斗を投げ出す形で倒れ込む。


「エレニア……!」


 起き上がって近付けば、乱暴な動きで突き放された。

 断固として桜斗の力を借りないつもりらしい。身体の自由が満足に効かない中でも、賢明に身体を起こそうとしている。

 身を包む黒い炎は依然。安易に触れようものなら取り込みかねない邪悪さで、人狼の右腕を焦がしていく。

 火の名は呪炎。水をかけても意味はない。竜人にのみ許される、対象を焼き尽くすだけの炎である。

 対策は一つ。吐き出した竜人を、斬竜皇子で負傷させるしかない。

 意味するところはツェニアとの再戦。――考えるだけで頭が痛くなるが、今は目の前にいる患者本人が気掛かりだった。


「……桜斗様。一つ、聞きたいことが」


 体力の消耗を抑えるためか、エレニアは人の姿に戻っていた。呪炎の燃えている利き腕だけが、狼の陰影を残している。

 苦痛は拭いきれるものではない。額に汗を浮かべ、顔を上げるだけでも自制心に頼りっぱなしだ。


「逃げるように私は言った筈です。にも関わらず、どうして戻って来たんですか?」


「そりゃ、君を見殺しに出来なかったからだよ。相手が竜人なのは分かってたし」


「で、ですから、どうしてそのような真似を? 道理に合いません」


「いやだから、見捨てたくなかったんだって。――それに、ほ、ほら、君とは契りを交した相手なわけだしさ。浅薄な態度を取るのは、相応しくないでしょ?」


「そ、それは……」


 屁理屈は見事に決まったらしく、彼女は俯いて動かない。

 桜斗は問答を続けることなく、立って外の光景を俯瞰する。

 現在地は三階にある教室。ツェニアが飛んでくる気配はないが、そこまで時間に猶予があるとは思えない。

 早急に対策を練るべきだ。倒すか、逃げ切ってしまうか。


「とにかく、下の昇降口に行こう」


「……何故です?」


「そこの結界を破壊して入ってきたから。使用者と特性が共有されてて助かったよ」


「そういえば、さっき……」


 桜斗は一度だけ首肯する。竜と化しているツェニアを一瞬でも止めたのは、その性質があったからこそだと。もし彼女が人狼のままであれば、突破なんて叶わなかった。


「でも、問題が一つある。感覚が共有されてるなら、もしかすると――」


「姉さんが、気付いている可能性はありますね」


 そう。先回りしたいところだが、果たして間に合うかどうか。

 もう一度だけ外を確認してから、両脚は廊下へと踏み出した。相変らず空間は拡張されており、階段に行くだけでも相応の移動を強いられる。

 話し合う時間は、その間にたっぷりあるということだが。


「じゃあ行こうか。対策は歩きながら考えよう」


「ほ、本気ですか? ……私は正直、姉さんに勝てる気がしないんですが。さっきだって見事にあしらわれましたし」


「確かにね。なら、戦わずに済む方法も一緒に考えよう。校舎から脱出すれば、一安心なんだからさ」


「……」


 無言で不満を訴えた後、エレニアはしぶしぶ横に並ぶ。

 しかし、気まずい雰囲気は数十秒に渡って続いた。どちらが打破するわけでもなく、足音だけが反響する。


「――桜斗様は、何か考えがありますか?」


 痺れを切らしたのはエレニアだった。

 期待の籠った眼差しに、しかしかぶりを振って応じるしかない。


「残念ながら特には。いっそ命乞いでもしてみる?」


「みっともないので止めてください。……一番手っ取り早いのは、姉さんを竜の状態に固定することですね。桜斗様も存分に戦えるでしょうし」


「逆の戦術は? 人狼同士なら、少しは勝ち目もあるんじゃないの?」


「いえ、難しいです。人狼はそもそも個体差が殆どないので……戦闘経験の量で、少しばかり上下するぐらいでしょうか」


「戦闘経験か……」


 ツェニアがエレニアより少ない、と決め付けるのは早計だ。彼女は桜花直属の部下。金霧家管轄下でのいざこざには、幾度となく首を突っ込んでいるだろう。最悪のソレを考えた方が良さそうだ。


「――やはり桜斗様は逃げるべきです。姉さんは私も狙っているでしょうから、囮ぐらいは果たせます」


「勝てない、って自分で言ったばかりじゃないか。協力するのが筋じゃない?」


「しかし私達の戦いは姉妹間の問題に近い。元々、貴方が巻き込まれる必要はありません」


「でも」


「私の意見は変わりませんよ」


 それが、少女の決意だった。

 桜斗は言葉を返すことが出来ない。だってエレニアはそう決めた。結果が自決に近いものだとしても、間違いなく決定が生じたのだ。

 同情も反感もない。彼女が彼女で有り続けるため、その背中を見送りたいと感じていた。


「……」


 自分の馬鹿馬鹿しさに嫌気が差す。間違っていると考えながら、否定を口にしないとは。

 なら何故、力尽くでも止めようとしない? 肯定する以上の利益があるなら、金霧桜斗として行うべきだ。

 直情的な願望を頭の中で復唱する。誤りだなんてとんでもない。彼女の死を回避できるなら、それが一番の道徳だ。

 それでも自身の表情は、苦虫を噛み殺したよう。

 心の底まで納得できる理由は、結局ところ見出せなかった。


「負けるって、分かってても?」


 珍しく喰い下がる。

 エレニアも意外を感じたのか、少しだけ目を見開いた。


「だとしても、です。私は姉さんの妹として、訴えなければならないことがある。――出来る出来ないの話じゃありません。そう在り続けなければならないのです」


「……理由を、聞かせて貰ってもいいかな?」


「ただ単に部品として、私の役割を遂行するためですよ。家族が喧嘩したままなんて、義務に反しますから。桜斗様だってそう思うでしょう?」


 では、と。

 名残惜しむ素振りもなく、エレニアは桜斗の隣りを抜き去っていく。

 人狼への変化を得た後は、見る見るうちに遠ざかっていった。輪郭は小さくなり、反対に桜斗の不安が膨らんでいく。

 本来なら止めるべき無謀。しかし不思議と気持ちは乗らない。彼女を説得することなど、最初から無理だと悟るように。

 彼女の主張は分からないわけじゃない。仲睦ましい家族、良いものだ。元の鞘に戻るよう努力するなら、それだけエレニアは幸せなんだろう。


「部品に義務、か……」


 我欲を排した、無機的な言葉。あるいはそれこそ、彼女の我欲でもあるのだろうか。

 否定しようとは思わない。彼女の願いはごく普通な、どこかにありそうな家庭を願ったものだ。……だから余計、止めようとする気持ちが沸かないんだろう。否定すれば、願いをも否定に含めるのでは、と。

 だが、姉妹の歯車は噛み合わない。

 昨日ツェニアは電話でこう言ったのだ。義務的な関係なんて、疲れてしまうだけだと。

 本人じゃないから、言葉の真意なんて分かりっこない。が、妹の思考と、万に一つも合致しないことは推測できる。

 そんな感情には、どう始末をつければいいのだろう? 痛みで実感させるか、理念のまま守ってやるべきか。

 ――とてもじゃないが、前者は選べそうにない。

 エレニアの願いは肯定されるべきだ。が、このまま彼女を好き勝手にさせてしまえば、そんな普通にも亀裂を入れねばならなくなる。

 確かに現実との齟齬は知るべきかもしれない。そして彼女は、そういう齟齬に毅然と立ち向かうだろう。

 だが選択は、生死を問わない。

 もしツェニアが本気だった場合、現実が夢を押し潰してしまう。

 推測を是認するように、足元からは容赦ない戦闘音。


「くそ……っ!」


 走る。

 全力で駆け抜けてしまえば、廊下を横切ってしまうまで数秒と掛からない。――お陰で音色は、急激に苛烈さを増していった。

 段を踏むのも面倒で、一気に下まで飛び越える。

 肌を炙る熱波。

 戦いは本当に一瞬で、話し合う余地もなかったのだろう。


『遅かったのね、桜斗』


 ツェニアの足元、エレニアは仰臥して動かない。獣化も解除され、辛うじて呼吸だけが確認できる。

 辺りは呪炎の猛威に晒されていた。尽きることのない業火で、世界を漆黒に染めている。

 人狼に姿を切り替えるツェニア。

 応じるこちらも、斬竜皇子を出現させた。


『私と戦うつもり? 抵抗しなければ、少しは優しくしてあげるけど?』


「どうせなら別のことを教えてください。……エレニアをどうするんですか?」


 身を低く構えるツェニア。

 最中、そうね、と前置きを呟いた。


『この子が生きていても、貴方に迷惑を掛けるだけでしょうから。殺してしまうのが一番でしょうね』


「――」


 決まった。

 退く理由は、この瞬間に潰えたと。

 剣を構える。無茶を承知で、敵わない獣に牙を剥く。

 瞬間。

 炎の中を突っ切って、一陣の疾風が隣接した。


「っ――」


 間一髪のところを爪が裂く。加減の言い訳を飲ませない、問答無用の一撃だった。

 続く連撃には防戦しか選べない。致し方なく竜砕の刃を翳すが、敢え無く粉砕されるだけだ。

 着実に進む劣勢。破壊された刃の数は二から三、四から五と重なっていく。壊れた瞬間には次の一本が出現しているが、反撃の糸口は掴めない


「この……!」


 残存数が五を切る。

 慎重に動きたいところだが、格上の相手には望めない希望だ。どうにかして機会を探るまで、剣が出せない状態は控えねばならないのに。

 しかし。

 蛇のように滑り込んだ一撃が、自ら勝敗を引きにきた。


「ぐっ!?」


 直線の軌跡を描き、壁に激突する。

 ツェニアは直ぐに近付いてこない。それどころか、薄っすらとした陰影は向きを変えていた。倒れる妹へ、その鉄槌を下すために。

 助けないと――決意を曲げない桜斗だが、対策が浮かんでいないのも事実だった。

 このままでは時間稼ぎにもなりやしない。冷静に、周囲の状況を改めて観察する。

 血気盛んな竜の炎。これを何か、攻撃の手段に使えれば――。

 桜斗の目には斬竜皇子が映る。

 人狼さえ焼く炎。竜に通ずる武器。

 発想は即座に、剣を握らない左腕を業火の中へと突っ込ませた。

 燃える。逃げ場を失った熱が、桜斗の皮膚に襲い掛かる。

 赤い壁の向こうには、勝利を確信するツェニアの姿。


「おお……!」


『っ!?』


 業火を抱いて、桜斗は戦場に飛び込んだ。

 壁となっていた炎は斬竜皇子で切り裂く。ビデオを巻き戻すように切った呪炎は再生するが、構う必要は少しもない。

 ツェニアが人狼に変化する。

 しかし、当然。

 突き出した左に、反撃しようとした彼女が飛び退いた。


『あ、貴方、何を……!?』


「時間ないんで答えませんよ!」


 単純な話だ。竜の炎なら、人狼を焼き尽くすことは出来る。が、もう片方の姿には通用すまい。

 ならそちらは、自分本来の得物が担うまで……!

 有利な状況を引き摺り出すには、もってこいの構成だ。

 直前と逆転した攻防。流れを得た桜斗は、怒濤の勢いで攻め立てる。

 苦悶の顔は隠せない。呪炎の痛みは抑えられる範囲を超えている。

 故に短期決戦。自身が燃え尽きる前に、この敵を退ける……!


「これで……!」


 ツェニアは限界まで後退。前にも後ろにも、鉄壁の体毛を焼却する対象がある。

 ならば、その判断は必然に。

 文字通りの鉄壁を持つ巨体へ、獣の姿が変異した。


『――!』


 直後、再び演じられる白羽取り。

 自由なままの尾が、桜斗の胴を貫きに走る。

 響く快音。

 桜斗自ら、止まった斬竜皇子をへし折った音だった。

 直ぐに替えの刃が出現する。流麗の中、刹那に生じた変化だった。

 擦過する巨大な尾。半身を反らした勢いのまま、必死の一撃を突き立てる。


『ぐ――』


 吼える苦痛。

 損傷故か、その獣化も解除された。

 後退する彼女に追撃は行わない。また向こうの方も、しつこく反撃に移る気配はなかった。

 桜斗は斬竜皇子を突き付けたまま、少しばかり呼吸のペースを落とす。理由は目で見るより明らかだ。一撃叩き込んだお陰で、辺りの呪炎は綺麗さっぱり消滅している。

 必然的に、ツェニアの表情からは余裕が消えていた。切られた額を押さえながら、一歩一歩後退する。


「やれやれ、まさかそこまで強引な策を取るなんて」


 矜持がそうさせるのか、言葉には笑みが含まれていた。

 戦闘可能な状態にあるかどうか――一目での判別は難しい。斬竜皇子の命による負傷が、人狼側にどこまで影響しているか。

 奇策はもう通用しない。だとしたら、後は――


「今回は私の負けということにしておきましょう。時間も迫ってることだし」


「時間?」


 耳を澄ませば、無数の喧騒が聞こえてくる。

 どうも外からの応援らしい。金霧家の関係者だとすれば、幾らツェニアでも分が悪かろう。


「それじゃ、また会いましょう」


「ちょ――」


 たったそれだけ。

 何も真相を語らず、人狼の姿となって彼女は去った。

 帰還する静寂。鼻腔を尽く焦げ臭さに、桜斗は自然と眉を歪める。

 直後。


「だ、大丈夫、ですか……?」


 意識が回復したらしいエレニアは、賢明に肘を立てていた。

 近付いて手を差し伸べると、少し迷った後に指を絡めてくる。その顔は罪悪感で一杯。敵を撃退して安堵している桜斗とは逆の、葛藤を窺わせる表情だった。


「それはこっちの台詞だよ。大丈夫?」


「は、はい、どうにか。ですがあの、桜斗様こそ――」


「ストップストップ。それじゃあイタチごっこになっちゃうよ」


 どちらも無事なのはもう分かった。なら、安心する方が有意義だろう。

 しかし。


『動くな!』


 二人を包囲する、無数の竜人があった。

 見回しただけで、五つの姿が確認できる。手には専用の規格で作られた得物。一触触発の危機感に煽られて、勘繰るような眼差しを向けてくる。

 すべてエレニアが標的だった。桜斗が傍にいる所為か、直ぐに実力行使へは移らないが。


『若様、こちらへ。その女はツェニア・ブリュークスと通じている可能性があります』


「そ、そんなこと言われてもですね……」


 おいそれと引き渡すことは出来ない。こんな出迎えじゃ、離れた途端に何をされるか。

 しかし、エレニアは一歩前へと出ていた。

 呼び止めようとする暇もなく、竜人達が彼女を拘束する。乱暴な扱いがないのは、契りを交した人物だからだろう。

 傍観者に徹する桜斗の横では、隊長格らしき男が人間の姿に戻っていた。


「ご安心ください。手荒な真似は致しません」


「……」


 金霧家の人員ということで、顔の方には覚えがある。

 しかし好ましい相手ではない。確か父へ反対し、血統による統治を排斥しようとする派の超種だ。本音のところでは、こちらの方にも良い感情は持っていまい。

 見れば、彼に同行してきた数名も同じ派の者。印派と名乗る、昨夜に襲撃してきた連中の同胞だ。

 エレニアを連れ去らせていい道理はなかった。が、彼らの動きは迅速。抵抗がない反逆者を、瞬く間に動かしていく。


「では若様。直ぐに車を手配致しますので、お屋敷へ向かいましょう」


「あ――は、はい」


 連れていかれる少女へ一瞥を送る。

 人間の姿に戻った彼女は、今更な謝罪を送っていた。

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