第8話 近付く気配

 マンションの部屋は特に変わりなく、一晩留守にした二人を迎えてくれる。

 ただ、カーテンは閉められていない。ついでに言うと洗濯物も出しっぱなし。夜の空気で冷え切った衣類は、実家に浮気した桜斗達への当てつけにも感じられた。

 時間に余裕はないので、家事は必然的に分担となる。弁当の準備はエレニアが。出しっぱなしの洗濯物については、こちらが単独で回収することになった。単独で。


「……」


 無心であれと呪文を唱えながら、女物の下着も含めて回収する。

 そう、これが正直な問題だった。幼馴染の成長がよく分かって役得なのかもしれないが、雑念に支配されるのは耐え難い。というか申し訳ない気分。

 ちなみに色は黒で、凛々しい彼女の顔立ちにしては大人っぽかった。これもまた、少女が大人になる過程なのだろうか。


「って、いやいや」


 今は片付けるのが目的だ。吟味する必要なんてない。せめて後回し。

 適当な場所に衣類の小山を置くと、台所から感謝の声が。昨日と違って、慌しい印象の感謝である。

 半ば習慣になっているのか、居間の奥にあるテレビは報道番組を映していた。が、仕掛け人であろうエレニアは、台所の奥にいる所為で画面を見れていない。音についても、炒め物を作っているため聞き取り難い筈だ。

 代わりにしっかり見ておこうと、桜斗はのんびり椅子に座る。

 直後には、急須と茶碗を手にエレニアがやってきた。忙しない様子でお茶を入れる。


「済みません、慌しくて」


「大丈夫、大丈夫。それより他、何か手伝おうか? 俺が少し寝坊した所為で、向こうを出るのが遅れたわけだし……」


「いえ、桜斗様はゆっくりしていてください。洗濯物を取り込んで頂いただけでも、私は大助かりですから」


 そう? と小首を捻ると、少女は明るい頷きを返した。

 足早に去っていく彼女は、可愛らしいエプロン姿。……確か数年前、誕生日プレゼントにと桜斗が買った品である。大切に使ってくれているのが嬉しい反面、似たような感情が顔を火照らせた。


「もう少し待ってて下さいね。直ぐに仕上げますから」


 香ばしい匂いが漂う中、桜斗は大きめの声で返答する。

 本当、彼女は良いお嫁さんになりそうだ。自分には勿体ないぐらい出来ている。それが婚約者だなんて、頬を抓りたい気分で――うん、痛い。夢じゃない。

 必然的に意識するのは、きちんと報いられているかどうか。

 自分がやりたいこと、彼女がやって欲しいこと。つり合いは、きちんと取れているのだろうか?

 ふと、父の立場が脳裏を過る。

 千浄の件に関して言えば、彼は自由な行動が出来ていない。最優先にやりたいことを、様々な環境が阻害している。

 本心と義務の対立。それは近い将来、桜斗にも付き纏う問題だろう。他人を統べる立場にいけば大抵は引っ掛かる。

 もしそこに、エレニアが関わっていたら。

彼女に与えたい報酬と相反する形で、義務を求められたらどうなるか。

 恩を仇で返す真似はしたくない。だったらその時は、意地を通すしかなくなるのだろう。彼女に対する感謝を、率先して果たすために。

 だがもし、エレニアと――


「って、止めよう」


 底なし沼のような葛藤から、慌てて自分を引き上げる。

 仮定よりも今の感謝。気持ちを新たに、桜斗は再び台所へと向かう。手伝うことがないかどうか、目で確認するためだ。呼び掛けだけでは気を使わせるだろうし。

 我儘だなあ、と自身の主義に反する行動を心で笑う。楽しそうに、嬉しそうに。


「ん?」


 と、台所に入る直前で足が止まった。

 興味を反らした原因はテレビの報道番組にある。昨日見たばかりの、少し映りの荒い顔があったからだ。


「ツェニアさん……!?」


「へ? 姉がどうかしたんですか?」


「いやほら、テレビ!」


 横にやってくるエレニアは、お玉とフライ返しの二刀流。火の管理、放っておいていいんだろうか?

 切り替わった画面には警察の関係者が映っている。先の映像は監視カメラが捉えたものらしく、キャスターが解説を続けていた。


『この人物が誘拐事件の犯人であると見て、警察は捜査を進めています。同時に、関係者への聞き込みも――』


「……これ、本当?」


 報道を見つめたまま、独り言のような疑問。

 当然ながらエレニアは答えない。桜斗と同じような心情を、胸のうちに抱いている。


「分かりません……姉さんが無差別に人間を襲うとは考え難いです。当主様のこともありますし」


「昨日戦った後、ツェニアさんから連絡は?」


「まったく。私の方からも携帯に連絡しましたが、応答がなくて。完全に行方を暗ましていますね」


「せめて話だけでも聞ければな……」


 有り得ない、と信じる心はある。だが証拠に近いものを突き付けられたら、こちらとしては問うしかない。

 日頃から彼女は、父への恩を口にしていたのだ。妹同様に真面目な性格だし、余程のことがない限りは貫く筈。――つまりその余程が、今回は起こったのだ。

 一体何なのか。推測を繋げる材料は手元になく、頼りになるのは肉親だけ。


「そういえばエレニア、姉妹喧嘩って……」


「――」


 校舎の一軒で聞いた言葉。桜斗が知らない詳細となると、後はそれしか残っていない。

 しかし、エレニアは言い淀んで答えなかった。視線の定まらないところが、より一層の葛藤を窺わせる。


「済みません、少し頭の中を整理させてください。後で、必ず話しますから」


「うん、分かった」


 彼女が決断したなら、信じて待つ。

 ニュースが別のテロップを映したところで、エレニアは台所に戻っていった。桜斗は変わらずテレビへ釘付けに。何か手掛かりが混じっていないか、諦め半分で耳を欹てる。

 しかし残りは、平穏な日々を示唆するものばかり。良いことには違いないのだが、どこかで落胆する自分がいる。

 悪あがきだと自覚しながら、桜斗はテレビのリモコンを握った。





 通学路の様子は、いつもと大差ないように思える。

 だが耳を澄ますと、噂話の気配は絶えない。当然、内容はツェニアについて。彼女と接した生徒は多いため、これは必然的な結果とも言えた。

 波紋はエレニアの方にも及ぶ。実の妹である少女へ、同情する視線が強くなっているのだ。


「さすがにこれは、意識しますね……」


 桜斗に寄り添って、彼女は通学路を歩いていく。

 原因の中に、二人の関係に対する興味――があるほど優しくはない。少々混じってはいるようだが、もっと大きな動きに潰されるのが精々だ。

 今日一日は恐らくこの調子だろう。直に手を出してこないのが、不幸中の幸かもしれない。

 それでも校門前、彼らの興味は分散される。


「あれは……」


「金霧家の方々、でしょうか?」


 校門前。厳めしい顔付きの男達が、生徒を睨むように立っている。

 間違いなく身内、桜花の部下だ。覚えのある姿も幾つかある。学校へ来ることにさぞご不満といった様子で、愛想は期待できそうにない。

 だが、さすがに桜斗は例外だったようだ。こちらの姿を確認するなり、深い会釈を送ってくる。

 地位に甘んじることなく、桜斗も同程度の礼儀を返した。そのまま学校に敷地に入らず、エレニアと一緒に彼らの元へ。

 途端、恭しい態度も渋く変わる。うちの数名に至っては、意見を発するべきかどうかを相談してさえいた。


「……学校に来るなんて、珍しいですね。どうかなさったんですか?」


 些細な事情を呑み込んで、堂々と疑問を尋ねる。

 一瞬だけ間を作るものの、リーダー各らしき中年男性が前に出た。


「ご当主が千浄殿に呼び出されまして、我々も同行した次第です。本来なら校舎にまで入る予定だったのですが……」


「止められたんですか?」


「ええ。生徒達に不安を与えるといけない、と」


「な、成程」


 既に手遅れな気がする。まあ千浄のことだから、本当に生徒を気遣ったものではないだろうけど。


「――若様は今朝のニュース、ご覧になりましたか?」


「えっと、ツェニアさんの、ですか?」


「はい。ご当主が呼び出されたのは……恐らく、その辺りについての要求かと思われます。詳しくは我らも存じませんが、千浄殿は確定的な証拠を握っているようで」


「……」


 思わず頭を押さえたくなる。本当、面倒な輩が混じってくれたものだ。


「父さんは何を要求されたんですか?」


「金霧の森、その深部にある土地を。何やら実験に使うとの噂ですが……」


「実験? わざわざ森の奥で?」


 悪い臭いしかしない。深部は、関係者ですら殆ど踏み込まない魔境の地。自分も子供の頃、両親と一度だけいったきりだ。

 そこで事を行うのなら、外からの干渉は最小限に抑えられる。天然の要塞と言っても過言ではない。


「しかし噂は噂。あまり鵜呑みになさらぬよう」


「勿論です。……じゃあ父さんのこと、宜しくお願いしますね」


「心得ました」


 改まった会釈を残し、桜斗は彼らへ背を向ける。

 と。


「若様」


「はい?」


「――我らの警護は、必要でしょうか?」


 言葉の中に含まれた意味は、問い返すまでもなく。

 彼らの杞憂を払うためにも、清々しく肯んじる。


「大丈夫ですよ。何度も自分自身を裏切る女性を、好きになったわけじゃないですから」


「……いらぬ気遣いでしたか」


 再びの礼。謝罪さえ籠ったそれを、彼の周りにいる者達も送ってきた。

 桜斗は別段、感謝も言わずにその場を立ち去る。彼らは、彼らにとって当り前の行為を成しただけ。

 本当に報いたければ、今後の進展で示すしかない。エレニアと一緒に。


「まったく」


 校門を潜ったところで、愛着の籠った溜め息が漏れた。


「あの人、昔から心配性なんだよね。直して欲しいもんだけど……ね、エレニア」


「え、あ、はい」


「?」


 茫然とする彼女を無言の背中で先導する。手を取ったりしないのは、まだまだ不慣れな証拠だろう。

 しかしエレニアは、直前にも増してこちらとの距離を縮めていた。傍から見れば抱き付くような密着ぶりで。意味有りげに笑っているのが可愛らしい。

 その理由を知らず、また気になる以上は問う他なかった。


「どうしたの?」


「いえ、桜斗様の言葉が嬉しくて。告白、って言い直した方がいいですかね?」


「告白……?」


 そんなこと言ったっけか? 

 顎に指を添え、記憶の穴に突入する。確か、そう。割と勢いに乗って、好きになった覚えは――と言い放ったような気がする。

 即座に後悔が沸いて出た。もう少し、誤魔化すような言い方は無かったのかと。


「ちょっと、どうして恥かしがるんです? 桜斗様が私を信頼してくれてるの、すっごく分かりましたよ。今直ぐほっぺにキスしてあげたいぐらいです!」


「後半へ行くに連れて音量が大きくなってるんですけど!?」


 恥かしいったらありゃしない。

 しかしその後も、彼女は満足気に微笑んでいた。それが示す幸せも徐々に外へ。歩き方が躍るようなものへと変化していく。

 恥かしくはあるが、別段止めようとは思わなかった。彼女が笑顔でいる理由は、自分にとっても喜ばしい。


「やっぱり、心地良いですね。愛する人に信頼されるのは」


「……あの、ですから音量を下げて欲しいんですが」


「初心なんですねえ桜斗様。でもさっき分かりました。頭のネジが外れたら、ずっと素直になってくれるんですよね?」


「ネジが外れては言い過ぎだと思うけど……まあ、経緯が示すところでは、多分」


「ふふ、成程」


 策士の一面を覗かせる少女に、桜斗は先行して昇降口へ。一度姿が見えなくなってから、二人は再度合流する。

 いつもなら会う筈の雄桐は、前後左右どこにも見当たらない。靴も入っていないし、まだ千浄に付き合わされているのだろう。


「しかし、姉さんの動向は気になりますね」


 階段に足を上げたところで、エレニアはポツリと呟いた。


「放課後、町に出て事件現場でも回りましょうか? 調査の手は入っているでしょうが、自分の目で見るのも大切でしょうし」


「それがいいだろうね。父さんも何か知ってるだろうから、千浄さんの様子と一緒に後で俺が見てくるよ」


「はい。ありがとうござい――」


 ます、と音を結ぶより先。三組の臨時担任である教師がエレニアのことを呼んでいた。

 彼は特に急ぐわけでも、狼狽したわけでもない。マイペースな足取りで近付いた後、挨拶をするように用件を告げる。


「ブリュークスさん、お母さんから電話です」





 予鈴が鳴ってからも、桜斗は職員室の前で待機していた。

 エレニアの母親から電話――どう考えてもただ事ではない。攫われて行方不明の人物が、久々に連絡を寄越してきたのだ。

 教師が狼狽えていなかったのは、誘拐自体が表沙汰になっていない所為だろう。いや、この場合はお陰というべきか。もし異常事態と認知されていたら、エレニアより千浄への連絡が先だったかもしれない。

 教師陣から奇異の目を向けられながらも、桜斗は微動だにしなかった。

 最悪、今日の授業は蹴ってしまおう。叔母が脱出したのは間違いないのだ。エレニアが放置する筈はなく、こちらも見過ごす道理を持たない。


「おお、金霧」


「雄桐?」


 昇降口から教室へ向かえば、正反対の方向になるのに。雄桐は何の用か、わざわざ職員室までやってきていた。


「……その様子だと、話し合いは無事終わったみたいだね」


「半ば脅しに近い内容だったがな。それよりもどうして職員室の前で? エレニアも教室にいねえし……ははあ、喧嘩でもしたな?」


「そうじゃないよ。ちょっと、まあ……呼び出しを受けてさ。俺にも関わりのある話だから、勝手に待ってるってわけ」


「――行方不明と噂の、エレニアの母親からか?」


「そ、そうだけど」


 話を続ける前に、周囲の人影を警戒する。超種の事情は基本、外部への拡散を許されていない。

 臆病なのか、抜け目ない性格なのか――優劣は付けられないが、盗み聞きの心配は無さそうだった。


「どうして知ってるの? 前に話したっけ?」


「どうしても何も、千浄との話がそれ関連だったからだよ。……お前さんに言うのも何だが、反旗を翻さないか? って誘われてさあ。親父の意思も確認できたから、その返事に来たんだよ」


「ど、どっちにしたの?」


「裏切るわけねえだろ、親友」


 呵々大笑しながら告げる雄桐。思いっきり叩かれる背中が痛い。


「あの野郎、近々大事を起こす予定みたいだぜ。つっても戦力が不足気味らしいし、ちょっとは先の話だろうがな」


「面倒なことするな……そのまま自然消滅してくれると有り難いけど」


「難しいだろ、そりゃ」


 雄桐も辟易とした面持ちだ。金霧の協力者同士、今後も関係が続くのだから無理もない。

 しかし、彼が途端に頼もしく思えてくる。話を持ち掛けられたということは、千浄にとっても信用できる間柄だったろうに。それを突き離して――は大袈裟かもしれないが、彼らは自分達を選んでくれた。


「……ところで、あの人はまだ学校に?」


「ああ、会議室でお前の親父さんと話してるんじゃないか? ほら、そこ」


 顎で差し示す職員室の横。確かに複数の人影が見える。

 数は二を超えており、父と千浄だけではない。外で側近たちが待機していた辺り、敵方の護衛になりそうだ。

 脅しを掛けている構図が容易に窺える。毅然とした態度で、真っ向から牙を立てる父の口調も。


「くっそ、この調子だとまだまだ掛かりそうだな。あるいは足止めってか?」


「……もしかして千浄さん、知ってる? エレニアのお母さんがどうなってるか」


「多分知ってんじゃねえの? 俺と話してた時、突然掛かった電話に怒鳴ったりしてたからな。試作がどうとかも言ってたぞ」


「試作?」


 首を傾げてみるものの、納得できる想像は一つもない。面倒な要素が投げ込まれるんじゃないか、と漠然とした不安を覚えるだけだ。

 ハッキリしているのは、残された時間が多くないこと。千浄はこちらより先に動いている。今この瞬間にだって、彼女が連れ戻されている可能性は低くない。

 噂をすれば何とやら。急ぎで挨拶を済ませたエレニアが、桜斗の元へ駆け寄ってきた。


「父さんと話すのは難しいかな。協力してくれれば心強いんだけど」


「おいおい、会議室に飛び込む気かよ? 機会があれば俺からが言っとくから、お前は先に行ってこい。……くれぐれも無理はすんな」


「出来る範囲でね」


 不安そうに首肯する雄桐は、少女と入れ違う形で会議室前に移動した。

 エレニアの焦燥ぶりについては言うまでもない。直ぐ外に出たいと、上擦った息遣いで示している。


「よ、予想通り、母は施設を脱したそうです。ただ、追手が近くまで来ているようで……」


「場所は?」


「金霧の森の近くだそうです。お屋敷がある場所から多少離れていますが、私が足になれば数分で辿り着けます」


「じゃあ急ごう。千浄さん達は先に動いてる筈だ。この機会を逃したら、次が来るかどうかも怪しい」


「あ、その――」


 彼女を待たず、桜斗は先に走り出す。多分、呼び止められると分かっていたから。

 その証拠に、エレニアの足取りは重い。時折何か言いたそうに、顔を上げもすれば沈めもする。

 なら有無を言わず先行するだけだ。意見を掘り返すこともせず、決意の貫徹を行為で示す。――まるでその強さが、待っている苦難へ必要であるかのように。

 敵を得ただけの戦場は、刻一刻と近付いていた。

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