第7話 二人の夜

「え」


 知っている筈の事実を知らず、桜斗はただ絶句していた。

 居間に父の姿はない。残っているのは桜斗、エレニア、義母の三人だけだ。

 点けていたテレビは、食事の最中に消えたまま。食後のお茶をしている現在も、それは変わらないのだが――


「え、エレニアが俺の従妹!?」


 はい、と驚愕の種は首肯する。事実を知る筈のもう一人は、台所で茶碗洗いの真っ最中。エレニアは協力を申し出たそうだが、やんわり断られてしまったらしい。


「で、でも、明らかに外人のルックスと名前だよね、エレニアは」


「ええ、父はそちらの出身ですから。……以前、きちんと説明した筈ですけど?」


「ご、ごめん、忘れてた」


「……」


 不貞腐れた顔のエレニアだが、しばらくした後で緊張を解く。仕方ない、と諦観するように。

 理解を示して貰えたのは何よりだが、桜斗の驚きはまだ収まらない。まさか彼女が従妹だったなんて。物凄い偶然というか、都合が良過ぎるというか。

 無論、二人の関係に変化が起こるわけではない。なのでいい加減、気持ちを平常に戻したいぐらいだ。

 ――ぐらいなのだが、妙にドギマギしている自分がいる。だってこんな関係、現実にあるとは思わなかった。従妹が婚約者だなんて、ゲームか何かの世界ではないかと。

 ともあれ、桜斗は深呼吸に努める。エレニアとはこの後、大事な話が待ち受けているのだ。

 食器洗いを終えたのか、母は台所から二杯目のお茶を運んでくる。普段のほうじ茶に変わって緑茶なのは、大切な客人が来ている所為だろうか。

 それぞれの前に茶碗を置く彼女。エレニアは無言で会釈し、桜斗は直に感謝を語る。


「――私が、お昼に姿を消した理由ですが」


 噛み締めるように、ゆっくりと。

 未来をより有意義にするため、少女は過去を語り始める。


「母が人質にされていまして。その交渉へ赴くためでした」


「お、お母さんが?」


「はい。つまるところ、桜斗様の叔母になります。……母は数年前から行方不明でして。私は関係者から連絡だけ受けており、行動に移ったわけです」


「じゃあ、昼のメールも?」


 分かる範囲では、あの辺りがターニングポイントだ。

 母が椅子を引く音の中で、エレニアは重苦しそうに肯定する。桜斗とは勿論、目を合わせない。罪悪感に押し潰されている意気消沈ぶりだ。


「……一人にして、本当に申し訳ありません。護衛失格です」


「もう謝る必要はないって。行動を起こさなきゃいけない、ってエレニアが考えたのは事実なんだしさ。もっと前向きに話そうよ。君さえ良ければ、俺も力になるから」


「そ、それは、助かりますが……宜しいんですか?」


「勿論。助け出さなきゃ、向こうの良いようにされるだけだし」


 至極当然の、あっさりとした是認。

 しかし当の彼女には、面食らってしまうような解答だったらしい。桜斗にその原因はサッパリだ。横で微笑している母も気になる。

 ですが、と。エレニアは姿勢を変えず、短い前口上を述べた。


「私が義務を全うしなかったのは事実です。――本当に、御免なさい」


 額をテーブルに擦り付ける勢いで、彼女は深々と謝意を示す。

 どう切り返せばいいか分からず、桜斗は困惑気味に頭を掻き始めた。幸せそうな外野は相変らず。助けを求めたいのだが、手を出すつもりはないらしい。

 逡巡した後、桜斗は動かないエレニアに声を掛ける。放っておいたらずっとこのままだろうな、と彼女の真面目さを善しとしながら。


「ありがとう。――何か、変な返事だけど」


「まあ普通、気にしていない、ですよね」


 少女は釣られて首を上げる。失笑に近い顔付きだが、持ち前の愛らしさが戻っていた。


「そっちの方は、さっき近いものを言ったからね。俺としてはとにかく、またエレニアと行動できることを感謝したい」


「……桜斗様、今日は攻めの方針ですか」


「へ?」


 何でもありません、と彼女は赤い頬で話を切った。

 会話に余白が生れ、ふと桜斗は時計を見上げる。短針はⅧの数字を指したばかり。これ以上実家に留まると、帰りが遅くなってしまいそうだ。


「お茶を飲み終わったら帰ろう。あんまり遅いと危ないし――」


「あら、何を言っているんですの?」


 観客に徹していた母が、妙なタイミングで割り込んできた。

 彼女はお茶で喉を潤した後、二人の方針を一刀両断するように。


「今日はうちに泊まりなさい。勿論、エレニアさんもです」


「わ、私もですか? 構いませんが――」


「あ、ベッドは桜斗さんのを使うように」


 凍る二人。

 昨日の出来事を覗き見してもおかしくない、他意満載の決定だった。





 幾ら緊張していても、時間は勝手に過ぎていく。

 風呂も終わった二人は、大人しく床についていた。時間にすると少し早め。学校関係の荷物を取るため、一度マンションに戻らねばならないからだ。エレニアについては弁当の準備もある。


「……」


 とはいえ、成果が結び付く期待は薄い。

 真後ろには人肌の温もり。互いに背中を合わせた状態で、二人は布団を被っていた。

 ベッドのサイズ上、密着するしか方法はない。距離を作ろうとすれば片方が床に落ちるか、布団をはぎ取られることになってしまう。

 もっとも。部屋の温度は別に寒くもないので、桜斗は端に寄って構わなかった。

 提案したところ、彼女は当然拒否。一緒に温まるのが添い寝の義務です、といつもの調子で言ってきた。

 その肝心な本人は、今、


「いやあ、行動しちゃえばどうにかなりますね、これ。寧ろテンション上がってきましたよ! キスと一緒ですね!?」


 冷静なのか興奮しているのか、身を一方的に擦り寄せてくる。

 緊張気味に応える桜斗の前には、壁が徐々に迫っていた。いっそ逃げたい気持ちだが、入り混じった雑念と煩悩が拒否してくる。

 何せエレニアは、同年代の平均以上に女性の身体をしていて。ちょっとした身動きにも警戒せねばならなかった。

 いやまあ、警戒は言い過ぎかもしれない。半分ぐらいは、昨日と同じ期待も混ざっているし。


「桜斗様っ、顔を合わせて寝ましょうよ。その方が恋人らしいですよ?」


「正面から抱き合うことになるんですけどね……」


「素敵じゃないですか! いずれやってみたいと思ってましたし!」


 絶対に寝れないので却下したい。

 だが、エレニアとしては譲れない一線のようだ。言葉巧みに誘惑を重ね、文字通り振り向かせようと企んでいる。

 動いたら終わり、と本能から自覚する桜斗は、布団の中へ顔を埋めた。が、緊張に関して言えば逆効果。自分のものではない香りが、密閉された空間に浸透しつつある。

 どこか記憶にある匂いなのは、母の洗髪材をエレニアが使ったからだろうか? あるいは、子供の頃から親しんだ彼女自身の匂いか。


「えい」


「!?」


 感触の変化が、パニックを深刻化させた。

 背中へ押し付けられる柔らかい何か。少女の息遣いは完全に密着し、耳元で聞こえるまでになっている。


「ちょ、ちょっと、エレニア何して……!」


「桜斗様が優柔不断ですから、文字通り背中を押して差し上げたんです。さすがにこれ以上のコトは出来ませんけど」


「し、しなくても結構です……」


 心拍数は上がる一方。顔から火が出るとはまさにこれで、余計に彼女と目を合わせられない。

 仕掛けた当人は何のその。子猫のように頭を擦りつけてくる。いや、狼なので子犬と言うべきか。

 ちなみにこちらの逃げ場はない。ベットを半分近く移動し、冷たい壁と口付けしそうな勢いだ。


「ほら、早く諦めてください。私の顔を見るだけでいいんですから」


「そ、そんなことしたら脳が爆発する……!」


「爆発だなんて、失礼ですねー」


 抗議とばかりに、抱き付く力が強くなった。

 ここまで来ると、仮にエレニアが寝たところで落ち着かない気がする。というか関係の進展が早過ぎないだろうか? 昔から恋心があったとは言え、正式な関係になって二十四時間程度しか経っていない。

 まあ一方、楽しめ、と肯定する自分がいるのも明らかで。

 真面目な話、無言を貫くのが一番だった。


「ほら桜斗様、早くこっちを向いてください。一度その恥かしがってる顔を見せてもらえれば、少しは加減しますから」


「……わ、分かった。じゃあ――」


 振り向いた、途端。

 エレニアが顔を前に出したことで、唇と唇が触れていた。


「――」


「ん……」


 茫然とする桜斗と、ご満悦なエレニア。

 カーテンから漏れた月明かりが、赤い頬を濡らしている。


「ふふ、二回目ですね」


「く、加えてどっちも不意打ちじゃないか!」


「ムードが出来過ぎると、返って動き辛くなりますから。こうやって勢い任せの方が、やりやすいですよ? ……まあ、いずれじっくりと愛し合いたいものですけど」


「弄ばれる未来しか見えない……」


 しかし考えてみれば、父も母の尻に敷かれている気がする。金霧家では、女性の方が権力者であるらしい。

 一周回った緊張は清々しささえあった。鼓動の方は相変らず早いが、視線を重ねるぐらいはどうにか勤めよう。


「……」


 むず痒い沈黙。

 子供の頃は平然と寝ていたものだが、成長した美貌が習慣を撥ね退ける。

好きな少女から、愛すべき女性へ。異性を引き込む繊細な美しさが、思春期の視線を釘付けにしていた。

 しかし、これ以上の静謐は毒になりかねない。もっと彼女を身近に感じたくなってくる。


「――え、エレニアのお母さんのことだけど」


 限界を告白するため、雰囲気を変える石を投じる。

 芝居がかった唐突さ。彼女の反応は数秒遅れで、一瞬疑うような仕草を見せる。


「……本当に、力を課して頂けると?」


「エレニアが良い、って思うならね。一緒に動いた方が、色々と手も広げやすいだろうし」


 ま、駄目だったら勝手に動くだけだが。

 有無のない結論を出している桜斗の前で、エレニアは思案に喉を唸らせた。こちらを危険に巻き込むなんて、義務に反する――と口にする数秒前の雰囲気である。

 だが。


「分かりました。無理のない程度で、協力してください」


 憂うことなく、信頼を込めて承諾した。

 桜斗はもちろん二つ返事。父が二人のやり取りを見ていれば、異論を挟んでくるぐらいの快諾だった。


「でも、どうしてお母さん……というか叔母さんは攫われたの?」


「それについてはまったく。ただ、犯人については心当たりがあります。分かったところで、手の出せる相手ではありませんが」


「どういうこと?」


「単純に、向こうが権力者というだけです。ほら、千浄さんですよ」


「ああ、あの人か……」


 府に落ちてしまうのがどうしようもない。


「だとすると、父さんでも手は出しにくいかな。金霧家にとっては基盤を支えてる人物だし……ちなみに犯人のこと、エレニア以外には?」


「恐らく、当主様はご存じかとは思います。ただ、母を人質に取られているような状況ですし……強引な手段を取れば、内紛に繋がる可能性もあります」


「困ったな……」


 だったら尚更、自分達の活動は重要性を増す。

 一番気になるのは、千浄がどんな反応を寄越すかだ。こちらの動きを知れば、人質を出汁にした干渉は避けられないだろう。父にだって悪影響はあるかもしれない。

 とにかく気付かれないように。叔母が人質に使われるなら最低限の保障はあるだろうが、あくまでも最低限。助け出したら瀕死の状態だった、なんて時には目覚めが悪すぎる。

 なかなか難しい線引きだ。色々と引っかき回せば叔母の立場が危うくなり、先に安全を確保しようものなら千浄へ直接働きかけるしかない。

 安全と拘束を取るか、自由と危険を取るか。

 思案に耽る桜斗の聴覚は、今にも消えそうな溜め息を捉える。


「どうしたの?」


「いえ、あの……桜斗様、一ついいですか?」


「?」


 向き合っていた彼女は、少しだけ桜斗との間を詰める。

 そして両手を握りながら、これ以上なく真面目な視線を向けてきた。


「私を、強い女でいさせてください。貴方と共にいれば、きっと果たせそうな気がするんです」


「……う、うん、分かった。君がそれを望むなら、全力で手伝うよ」


「有り難うございます」


 言って、エレニアの温もりが離れていく。

 後はまた、気が動転するほどの閑静な空気が広がるだけ。羞恥の容量を先に越えたのもやはり桜斗。取り繕うように、無機質な壁の方へ目を向けた。

 面白がっているエレニアの微笑が聞こえる。余計に恥かしくて、反対の意見も挟めない。


「……? あの、桜斗様」


「うん?」


 一転して神妙な抑揚の彼女。まるで禁句に触れる慎重さで、疑問の正体を凝視する。


「首筋のこれ、傷ですか? 何か抉られたような痕跡がありますけど……」


「ああ、それ? まあ似たようなもんだよ」


「え」


 御免なさい、と続きそうな気配。本人が気にしていない傷なだけ、謝罪はさぞ苦々しくなってしまう。

 エレニアのそんな気遣いを恥じるなら、先制攻撃しかあるまい。


「竜人一派の後継者にはさ、それを示す刻印が出現するんだ。でも俺、竜殺しの力があるでしょ? だから反対する人達に、丸ごと取られちゃったわけ」


「それは、桜斗様に反対する派閥のことですか? 確か印派とか」


「そうそう。血統よりも刻印を持つ者に、って主張している人達」


 記憶すら薄れているぐらい、昔の出来事。

 最強の超種である竜人には、一対一での対抗策が竜殺しに限定される。なら、それを長に据える抵抗感はあっても不思議じゃないだろう。


「まあ別に、物理的な手段で奪われた、ってわけじゃないんだけどね。厳密には移植で、こっちの同意さえあれば成立するから」


「……桜斗様は、直ぐに承諾したんですか?」


「いや、まあ、それまでには色々されたよ?」


「――」


 予想通りの沈黙。言い過ぎたか、と後悔しても後の祭りだ。

 桜斗に過去への嫌悪がないのも、沈黙をより深くする。だって、もう終わったことだ。刻印を奪われた時の嘆きがあっても、結局は当時の話。今の自分を構成する土台である以上、否定も謝罪も必要ない。――無論、肯定したい出来事でもないが。

 久々に傷へ触れてみる。形は見えないが、火傷のような痕跡が残っている筈だ。当時は竜殺しの能力が未完だったため、再生能力が十分に機能しなかったし。


「……その、済みません。父にも同じ傷があって、誇らしげに見せていたので」


 一瞬の間に、あっさりと謝罪される。

 顔が見えていない分マシだろうか、と言い訳を作りながら、定型的な相槌を打った。


「じゃあお父さんは、人狼家系の跡継ぎだったのかな? 刻印って、一つの代に一人しか宿さないらしいし」


「捨てることは可能なんですか?」


「俺みたいな移植だったら可能だよ。ただ、成人の状態で移植するのは危険らしい。なんて言うのかな……身体に馴染み過ぎてるから、手足を切り落すようなものらしいよ。お陰で獣化も出来なくなるとか」


「では桜斗様も?」


「うん。まあ刻印はどこかにあるだろうから、取り戻せば出来ると思うよ。あれ、基本的には壊せないらしいし」


「……それも兼ねて、印派は邪魔ですね」


 鳥肌が立つほど冷たい声のあと、エレニアは天井に向き直った。

 気付いた時には、もう次の話題を探している自分がいる。寝る前の会話としては物騒だったし、冷血な面持ちの彼女を最後にしたくなかったからだ。

 案の定、呟かれる小言からは危険な匂いが漂ってくる。具体的には、刻印を奪った連中への報復を口にするものだった。……お願いだから真面目な顔で言わないで欲しい。


「ま、まあエレニアも、そのうち刻印が出てくるだろうからさ。君の分だけでもあれば、後継者の身分証明にはなると思うよ」


「でしたら桜斗様に差し上げます。出来ることなら、取り戻すべきだとは思いますけど」


「取り戻すか……難しいよ? 当時の実行犯については、殆ど情報が残ってないし。俺も顔、覚えてないし」


「どうせ千浄さんの所為です、千浄さんの」


 ふんっ、と最後に鼻息を荒くして、エレニアは天井に向き直る。

 ……当初の主旨を盛大に外してしまった。どうせなら明るい話題で閉めようと思ったのに、どうしてこんな。

 何か、何か策はないだろうか。皆目見当がつかないなんて、格好悪いにも程がある。

 と。

 彼女が何故か、件の痣の匂いを嗅いでいた。


「ど、どうしたの?」


「いえ、桜斗様の匂いがするなー、って。舐めてもいいですか? いえ舐めます。狼なので」


「も、もしかして、昨日指を銜えたのも――」


 ええ、と陽気な反応が来た直後。

 謎の新感覚が、うなじを一直線に抜けていった。


「ふお……!」


「これ、本当に我が家に伝わるお呪いなんですよ? 親が子供にやるようなものですが」


「お、同い年だよね、俺とツェニア」


「ええ、確実に。まあ親愛の証だとでも思ってください」


 最後に浅く口付けして、彼女の感触が離れていった。


「さあ桜斗様、そろそろ寝ましょう。目を瞑っていれば、緊張だって解れるかもしれませんし」


「自信がない……」


「折角ですし、子守唄でも歌って上げましょうか? 耳元で」


 確定的に逆効果なので、桜斗は即座に目蓋を降ろした。

 お休みなさい、と親しい呼びかけが交差する。

 まどろむ意識を寸前まで占めていたのは、最後に見えたエレニアの顔だった。





「ご、ごめんね、俺の所為で」


「いえいえ、お構いなく。……お陰で叔母様とも、しっかりお話できましたから」


「そ、そう?」


 口調に違和感を覚えながらも、急ぐ足取りは変わらない。

 実家での生活は、容赦なく気の緩みを作ってくれた。つまるところ寝坊である。早めにマンションへ戻らなければならないのに、出鼻から挫いてしまった。

 既に十分な位置へ昇った太陽は、金霧の森を温かく染めている。差し込む木漏れ日も、幻想的な雰囲気を演出する名役者だ。

 桜斗にとっては、子供の頃から毎日通ってきた道。が、今回は時間が異なる。更に人物の組み合わせは懐かしいもので、見慣れた景色も新鮮味を増していた。


「さすがに、朝っぱらから待ち構えてたりはしないか」


 木陰を覗き込み、誰の姿もないことに安堵する。

 印派との争いは日常的な問題だ。契りの当日だって、攻撃してきたのは彼らである。竜殺しの桜斗に、正面から攻撃してくるのは稀な方だが。

 ですね、と相槌を打つのは勿論エレニア。

 返ってくる土の感触を楽しみながら、しかし淡々と二人は行く。


「彼らにも困ったものです。自分達が主張をする資格があるか分からないのに、派閥を作って反抗するなんて。更なる火種を呼びかねないと分かっているんでしょうか?」


 昨晩から、噴き出る不満の量は同じだった。

 桜斗が曖昧な反応をしようとどこ吹く風。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく、林道を驀進しながら謗り続ける。


「印派は金霧家のためと自称していますが、結局は権力を得たいだけの話でしょうに。本心が見え見えなんですよ、本心が! 桜斗様を何だと思っているのでしょう」


「うん、面倒な人達だよね」


「ですよね!? ああいう人達と、濫りに関わってはいけません。身を滅ぼすに決まってます。現在の代表は千浄氏だそうですし」


「――うん、うん、そうだね」


 まともに返す気がなく、桜斗は似た言葉を繰り返す。

 少女の方には気付く素振りもない。完全にスイッチが入っているらしく、達者な弁舌を繰り広げる。

 まあ同意できると言えば同意は出来るのだ。嘘の解答はこれっぽっちもしちゃいない。彼女は意見の彫り込みをしたいわけではなく、愚痴を聞いて欲しくて語っているだけだろうし。


「――桜斗様、聞いてます?」


「え、ああ、大丈夫」


 自分の世界に入っていた所為か、返答を忘れていた。

 無視に不満を覚えたエレニアは、子供染みて不貞腐れた顔。やんちゃな幼少期を連想させて、思わず気が緩んでしまう。


「えっと……印派に対して父さんがどう考えているか、でしょ?」


「本当に聞いてらしたんですね……話を続けますと、桜花様は歴代領主と同じスタンスを取っています。言うなれば中立ですね。和解が成立するよう、様々な努力を重ねていらっしゃるのですが――」


「難しいわけだ。長々と対立を繰り返してきたなら、癖みたいになっちゃうし」


「ええ……」


 父だって、十分に承知している事実だろう。

 しかし、諦める選択肢があるようにも見えない。当主である以上、必然的に目を合わせる問題になってしまう。加えてトップが千浄だ。桜花が絵に書いたような暴君なら、別の選択肢もあったろうが。

 息子の視点ではとにかく、無理をしないで欲しい、の一点に尽きる。……父にとって印派との対立は、桜斗の安全確保に因る部分が大きいと聞くし。

 同時に恐れてもいるだろう。このまま桜斗が当主になれば、彼らとの対立は決定的になる。形の上では、刻印を持っていない領主が誕生するのだから。


「――桜斗様は、やはりお父上の跡を?」


「まあ、継ぐだろうね」


 子供の頃からずっとそう言われて、期待されて育ってきた。

 反面、善悪の基準が失われているのは間違いない。内面的な資格も証明されていないまま。印派が敵に指定し易いような、血統の維持を理由にしている。

 それは自分の外にある動機だ。未熟な雛が、大空を飛ぶ夢を見ているのと変わらない。


「エレニアはさ、どう思う? 俺が次期当主になるのは」


「……率直な意見を申しても、宜しいでしょうか?」


「ああ、大丈夫だよ」


 内容も大方予想できる。

 では、と一拍置く彼女は、足を止めずに語り始めた。


「私は現状、危険だと介しています。既に分かっていることですが、桜斗様を排斥しようとする流れが印派にはある。……千浄のような人物もいますし」


「彼の家系、確か超種じゃなくて生粋の人間だっけ?」


「はい。相当な努力を詰み、数百年前の金霧当主に認められたと聞きますが……彼は何か、他の目的を抱いています。桜斗様や当主様の利にならないことを」


「……」


 話している間に、エレニアの目付きが厳しくなる。母親を人質に取られている以上、憎悪が沸き出るのは当然か。

 反対に、桜斗は冷静さを失っていない。

 問題は別だ。善悪ではなく、彼が何を行おうとしているのか。

 父ですら歯向かい難い以上、桜斗も真っ向からの対立は控えるしかない。可能なら搦め手で。利害の一致を見出せるなら、最善の解決となるだろう。

 ――まあ、所詮は他人だ。こちらの思い通りに動く筈はないが。

 最悪の時に向けて、多少は心の準備しておこう。ああいう手合いには逡巡する隙さえ見せたくない。即断即決、一太刀で切り捨てるのが効果的だ。


「でも、エレニアは最終的に継いで欲しいの?」


「……私はこの性格ですからね。貴方がその権利を捨てるなんて、考えたことがありません。ですから、ご自分の役目を果たしていただければ、幸いです」


「そっか」


 出入り口の門が見えたところで、桜斗は静かに微笑んだ。

 迷っている自分と、信頼を込めたエレニアの言葉。二人の間に差異があるとすれば、この問題は良い例だ。

 桜斗へ彼女の言い分は通用しない。基準があるとすれば資格の有無。竜の一族を切り盛りする能力が、果たして自分にあるのかどうか――

 根拠が、実績が、必要な自信を奪っていた。


「どうすればいいんだろうな……」


 自然と漏れた独り言。少し前を歩いていたエレニアには、振り向く程度の音量だった。

 何でもない、と一言入れてから横に並ぶ。境界線の門を通れば、後はマンションまで一直線だ。弁当は今日も作るそうだし、急ぎ足で向かうとしよう。

 格子の間から見える光景は、徐々に明るさを増している。森の中から見ている所為か、時代錯誤な異物のように感じなくもない。


「――ん?」


 実際、異物はあった。

 見慣れたようで見慣れない格好。本来なら一時間後に会う姿が、門の前で棒立ちしている。


「雄桐……?」


「あん?」


 向こうも二人に気付いたらしい。少し目を凝らした後、喜びのあまり両手を振る。


「どうしたんだよ、お二人。エレニアのマンションでイチャコラ同居してるって、俺は聞いていたんだけどよ? 朝帰りとか羨ましいぞ?」


「帰るどころか、出発だって。……そっちはどうしたの?」


「いやあ、金霧家のお偉いさんに呼び出し食らってな。本来なら親父が向かうんだが、行きたくないって駄々こねやがってさあ。俺が代役を務める羽目になったわけよ」


「……意外とお父さん、不真面目?」


「そりゃ特大に。教会の仕事も手抜きの常習犯だぜ?」


 早く息子が跡を継ぐことを祈ろう。

 桜斗は一先ず外に出て、雄桐との雑談に興じ始めた。話題はいつも通りアニメやらゲームやら。責任のある背景を持っている二人だが、歳相応の趣味はどうあっても外せない。

 エレニアは一人、傍観者に徹している――ようで興味津々だった。横目に映る姿が、問いを放ちたくて溜まらないと訴える。


「――じゃあ、雄桐は頑張って」


「は、って何だ、は、って! お前さんは少し、慣れない家事でも手伝えよ。あれ、結構大変なんだからな」


「あ、うん、勿論」


 そんなやり取りを最後に、二人は手を振って再会を誓う。

 直後。


「これはこれは、若様」


 年期と共に磨かれた、低く厳格な声が辺りを染める。

 同時に砕けた、友人同士にある気楽な雰囲気。桜斗やエレニアだけでなく、雄桐さえ警戒心を隠せない。


「――お早うございます、千浄さん」


「ほう、ワシの名を覚えておいでですか。それとも教わりましたかな? そこの不純な血筋に」


 嘲笑を込め、エレニアを睨む千浄。負けじと彼女も不快感を向けるが、事態が解決する糸口にはならない。返って剣呑な流れを作り出すだけだ。

 間に入ろうと前に出る桜斗だったが、先に動いたのは雄桐だった。


「千浄さん。昨夜の一件について、話をしたいって聞いたんだが」


「おお、そうだったな、雄桐君。誘拐事件のこともある、手短に意見交換といこう」


「へいへい」


 千浄は踵を返すと、余計な話をするまでもなく去っていった。挨拶を送ってきたのは雄桐だけ。心配無用を伝えるためか、サムズアップも示してくれる。

 自然と閉まっていく門の軋みは、早々に去れとこちらを拒絶するようでもあった。

 未来の持ち主に向かって何たる態度。しかもこの音、黒番に爪を立ててる感じの異音だ。


「……この門、俺が当主になったら直そう。っていうか直してやる」


「ふふ、ささやかな夢ですね。その方がロマンチックでいいですけど」


「――」


 まったく別の物事を比喩されてるようで、桜斗は足早に門前を去った。

 しかし直後、再び意識は森の向こうへ。

 雄桐が本当に安全なのか、例の如く千浄を疑っている自分がいた。

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