第2話(2)

戦勝、国境部の暫定的な秩序回復、そして議会の開催。

史書を書き連ねるのであれば、それで十分だろう。白馬金羈とばかりに壮麗な詩文として唄うにたる成果なのだ。

歴史書の数行に要約されるであろう順当にして、誰もが納得するであろう流れ。

『ヤーナ第三王女の輔弼を受けフランツ王が登極せり』という一文に至るには、しかして歴史書が往々にして省略する煩雑な思惑が入り乱れているものだ。

そもそもとして、というべきだろう。

コモンウェルスの王政は『選挙王政』なのである。セイムこそは王を選び、誰もが服する法を定め、諸外国との条約を認める主権者の議会だ。

認められた権限は絶大であり、強大なセイムの同意なくしては王といえども課税も戦争も独自に始めることすら許されない。

無論、例外的な措置を認めることはあり得るだろう。

例えば直近の事例として国王戦死という異常事態を前に、茫然自失状態におちいっていた議会より臨時摂政位という方策でもって、ヤーナ殿下が指揮権をもぎ取っていた。

その決断はなるほど、正しい結果をもたらすことができたのだろう。

セイムは、適切に『委任』したとも言いえる。

だが、そこでヤーナ・ソブェスキは完全に誤解していたのだろう。自分が乗り込んだ瞬間のセイムは、ただ大敗北によって『混乱』していたに過ぎず……本来は有能とまでは言えないにせよマトモな統治機構なのだろう、と。

なにしろ、というべきだろうか。

セイムへの信頼、セイムの実績、セイムの伝説はコモンウェルスという国家において一つの神話とすら化して久しいのだ。

コモンウェルスにおいて、王と市民はセイムを通じての契約関係にある。

形式の上ではさておき、実質において主権者たる市民の代表たるセイムと首脳としての国王という対比が適切であると語られるほどなのだ。

故にコモンウェルスとは共和政であり、王政でもある一方でセイムという議会がすべてを輔弼してきていた。

いうなれば、国王は君臨すれども統治せず。ヤーナの知る限りにおいてすら、議会ことセイムは有能な実務者として賞賛されて久しい。



故に、ヤーナは単純に事態を楽観していた。

彼女の心境を語るならば、フランツが王様になること自体は仕方がないと納得してもいる。なにしろ(継承権下位の自分以外に)他の候補がいない以上、選択の余地はなし。

とはいえ、だ。

フランツの年齢は、わずかに9歳なのだ。どう考えても、政治を行うのは無理だろうという彼女の判断は妥当だろう。

ということは、と彼女は考えたのだ。

摂政として自分が名目上の儀礼職や形式的な権限を代行しつつ、統治ということについては議会が選ぶ宰相が仕事するであろうと。

王権の過度な発揮を望むでもなく、ただただ、議会と強調しつつの穏健な政権運営を目指す方策。

時代が時代であれば、あるいはセイムが建前通りに機能するのであれば、それでよかった。ヤーナにとって不幸なことは、彼女が中央政界との繋がりを完全に絶っていたという一事に尽きる。

ヤーナ・ソブェスキは王族であるがセイムに議席はなかった。(なにしろ、政治に興味がないと宣言し、堂々と自領にひきこもっていたのだ。議席などあるはずがない。)

故に彼女は、知らないのだ。

セイムが、コモンウェルス最大の立法府にして統治機構が、どれほど制度疲労に陥っているのか、という事実を。いうなれば、セイムという議会の実態を知らぬがゆえにヤーナ・ソブェスキは完全に誤った見通しを抱いていたのだ。

セイム議会の演説席にて『賢明なるセイム議員諸君、臨時セイム議会の開催を宣言する!』と告げた瞬間、彼女は皮肉に気が付くべきだったのだ。

賢明なセイム議員という存在が、どれほど希少なのか、ということを。

かくして、彼女の楽観とは裏腹に議論は紛糾し会議だけが躍る羽目になる。


会議は踊る。

されど、進まず。


セイムの議事進行を表するならば、まさにその一言が相応しい。

誰もが、責任を避けつつ自分の取り分を最大化しようとする究極のジレンマ。協力すれば、取り分が増えるとしても、抜け駆けされないという保証がどこにもないのだ。

故に、多少先が読める人間がいたところで、じり貧が避けがたくある。

それこそ、モーリスの知るセイムという愚か者の国際展示場の実情だ。

故に、心底から彼は驚愕したものだ。

「まさか、ヤーナ殿下がセイムの実情をあそこまでご存じないとは」

ぽつり、と震える声でつぶやかざるを得ない。

あれでは、オペラ座の内部構造も知らずに、脚本だけを書き上げるかのような無謀ことをヤーナ殿下はやられているも同然だ、と。

「地方に隠遁していたとはいえ、知ろうと思えばいくらでもセイムという愚か者たちのオペレッタを眺める術はあったはず。やれやれ、ヤーナ殿下の政治嫌いは想像以上ですね。興味すら抱かれていないというのは、まんざらの嘘でもないらしい」

それこそ、政治や権力闘争に興味があれば、政治というものを味見するぐらいは可能なだけの権威と権力が第三王女という地位にはある。

が、どうやら……ヤーナ殿下が時折隠し切れず顔面に浮かべてしまう戸惑いや苛立ちからすると、どうやら、初体験ということらしい。

モーリスにとっては新鮮極まりない発見だった。

「やれやれ、あのお方は英邁な資質をお持ちのようであるが……陰謀家や政略家としては素質に乏しいようですねぇ」

根回しや、細かい調整という部分ができないわけではないにせよ。

面倒極まりないセイムという空間へ、本能的に嫌悪や苛立ちを覚えるタイプともなれば、ある意味ではジョナス王の血を引いているといえなくもない。

だが……とモーリスはそこで苦笑するのだ。

ジョナス王の場合、『自分の手に負えない厄介な連中』とセイムを認識しているのに対し、ヤーナ摂政は『なぜこんな自明のことも理解できない愚かな連中なのか』と瞠目しているというべきだろう。

小さく見えるかもしれないが、決定的に異なる差異。

ジョナス王が単に苦手意識を持っていたことに比較すれば、ヤーナ殿下のそれは、頭の良い人間が、往々にして陥る陥穽だろう。

賢明な人間というのは、『愚か者』が存在することを理性や理屈の上で知っていても、なかなか現実として理解していないのだ。

『幾なんでも、そんな馬鹿なことはしないだろう』というヒトの理性に対する過信。

ふと気になり、いくばくか探りを入れた時点でモーリスは確信しえていた。

調べてみれば、ヤーナ・ソブェスキという指揮官は戦略に卓越し、戦術面は部下にゆだねるタイプだった。

大きな図面は描ける一方で、細かい実務を補佐する手足を必要としている。だからこそ、というべきだろう。優秀な人材をああまでも、集めようと頑張るわけである。

そして、というべきか。

「勝利を約束してくれる上司が、自分を信頼してゆだねてくれるともなれば……まぁ、あの方の下に優秀な人材が集うわけですねぇ」

さぞかし、やりがいに富んだ職場というわけだ。

苦笑しつつも、モーリスとしてはだからこそヤーナ閥とでもいうべき政治権力の主体が存在しないことを危うく思う。

「強く、賢く、そして閥として満ち足りている、と。やれやれ、典型的な自己完結型封建領主の一派ですね」

極端なことを言うならば、ヤーナ殿下とその指揮下の人間は『自己完結』してしまう組織機構なのだ。

外部の閥と取引し、あるいは妥協するという必要性をこれまで学んできていない。

「こんなことにでもならなければ、絶対に表舞台に立とうとしない性格。強いていうならば、有能な怠け者の典型ですかね、ヤーナ殿下は。故に、傍に集う人間もまた同類か、そのありかたを良しとしてしまう」

近衛として傍に侍るアウグスト・チャルトリ騎士団長など、典型的な軍人だ。

『職分』を遵守する優秀な手駒としては抜群なタイプであるにせよ、閥の政治を担当させるにはあまりにも不向き。

一応、王領副宰相であるイグナティウス・ポトツキー老はこの辺の機微を理解してはいるのだろうが……ジョナス王に度々諫言をかまして疎まれていた経緯から、政界におけるルールこそ承知しても、好き好むタイプでもない。

結論、ヤーナ殿下の閥はそもそも論として政治を得意としていない。

「私以外の辺境伯らや軍人貴族と誼を通じるのも簡単なわけだ。政治をさほども好まれない面々にとってみれば、ある意味お仲間というわけですからねぇ」

辛うじて、というべきか。

辺境伯のように、否応なく政治に首を突っ込まざるを得ない立場の人間ともヤーナ殿下は先の出兵で縁を結んでいる。

例えばイグナス女辺境伯、アッシュ辺境伯の二人。そして、中央政界にも一定の地位を占めるポルトツキー伯爵なども軽視はできない。

けれども、というべきだろう。

どいつもこいつも、モーリスからすれば政治音痴もよいところだ。

モーリスの知る限りにおいてアッシュ辺境伯は完全な武人肌。それこそ、チャルトリ騎士団長の同類だ。ポルトツキー伯爵にしたところで、伯爵家そのものが尚武の家風と聞いている。代々の武官職で、しかも純軍事部門の合間に街道警備や巡回裁判に混じった程度。

イグナス女辺境伯だけは、多少の政治手腕がないわけでもないのだろうが……どちらかというまでもなく、彼女のそれは『理想主義者』の『正論を掲げての政治理論』だ。

老練ゆえに現実思考のポトツキー老と比するのもあれだろうが、ある意味では清濁併せ呑むことを嫌うという点で老の同類ということになる。

「うわぁ……これは、また……」

思わず、うめき声をこぼしたくなる程に面倒な事態が予想されてしまう。

モーリスとて、遊ぶのは嫌いではない。だが、混乱で楽しみたいのであって、混沌に巻き込まれたいのではないのだ。

現状、コモンウェルス政界は微妙な均衡の上に辛うじて成り立っている。機微を理解している第一人者が纏めてくれるのであれば、モーリスも遊びようがあっただろう。

けれども寝技で合意を形成するなり、対立派閥との汚い交渉を行ってきたという経験がヤーナ殿下とその周辺にはない。

なまじ、優秀なればこそ、その必要がなかったともいうべきなのかもしれないが……有能で狡い手段を必要とせず、楽しむ素質もないとなれば……浮世離れした選良共ということになる。

機微を理解するどころの話ではない。

この手の類は、個人差はあるにせよ権勢や地位に対する欲求が非常に鈍感だ。他者それを理解しえていないであろうことも、容易に察しが付く。

……根源的に地位への渇望、権勢への衝動が乏しい閥にして、有能な怠け者が頭。

下手をすれば、当人たち自身すら閥の形成を自覚していないやもしれない。

「ん?」

ふと、モーリスはそこで自分の思考を再検証する必要に気づく。

「……閥を形成しているかも、無自覚だとすれば?」

閥として、地位を確保するという発想が、未成熟なのではないだろうか?

「ふーむ、これは、案外と……私のポジションがあるかもしれませんね」

ミッテルロージェに近い席をヤーナ殿下閥の人間がとらないのであれば。

一つ、自分がお邪魔させてもらっても殿下は黙認ないし妥協することも期待できる。

「ま、大丈夫でしょう。試金石としては、悪くない。試してみますか」

仲間外れは寂しいですからねぇ。

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