第2話(1)
結論から言うならば、間に合った。
ヤーナ・ソブェスキ指揮下で進発した救援部隊は、ボージュにて包囲されていた友軍の残存部隊との合流に成功。
追撃戦だ、とばかりに散開していた革命軍を最高のタイミングで横合いから殴り飛ばし、孤立していた部隊を収容しておきながら損害は微々たるもの。
壊滅的であったロスバッハ会戦の後始末としては、望みうる限りおいて最高の成功であった。
なればこそ、否応なく注目をも集めてしまう。
統制された暴力を、合理的に行使しえる集団。組織的に戦闘可能な有翼魔法重騎兵とは、ロスバッハで一敗地に塗れたるとはいえ……脅威そのものが消滅したわけでもない。
そんな有翼魔法重騎兵が、依然として組織的に展開しているという事実は大勝利に酔っていた革命軍をして夢から目覚めさせるに十二分すぎたのだろう。
ヤーナ率いる救援部隊を追う革命軍の追跡もまた執拗かつ迅速であった。
いくら機動力に優れるペガサスとて、負傷者と敗残兵を収容して後退するとなれば、離脱中に足の速い敵騎兵に捕捉されるのは時間の問題でしかなかった。
故に、ヤーナとて警戒はしていた。
組織的な追手が、こちらを追いかけてくるであろう、と。
なればこそ、アウグスト指揮下のペガサスを、あえて偵察任務に投じることまでやってのけた。一戦して疲弊していたであろう騎士らは、それでもよくやってくれる。
長距離索敵飛行中だった幾班が、追手の詳細を的確につかんだのだ。
その報は、ほどなくして殿軍という形で、負傷者と追手の間に位置することになっていたヤーナの下へと届けられることになる。
「殿下、偵察がもどってまいりました。敵の増援です。詳細な報告は、こちらに」
己の騎士から報告を受け取るなり、ヤーナ・ソブェスキは気に入らないとばかりにため息をこぼす。
「……大規模な敵騎兵や歩兵の増強、か。これを相手にするとなれば、ずいぶんと骨が折れる仕事になりそうね」
ぼやきつつ、勝算を求めれば見込みがないでもなし。
追撃部隊を相手取り、正面からぶつかっても勝てないというわけではない。
ヤーナの指揮下にいるのは、爺とアウグスト。どちらも、優秀な指揮官だ。率いる部隊にも指揮系統に乱れはない。そして、自分自身の近習らを投入すれば。
アウグストの言うように、叩けば勝てるだろう。こういっては何だが、自分の鍛え上げた騎士団であれば、できだろうとは信じている。
だから、というべきだろうか。
ヤーナは口にする。
「国境線は固めなおしたし、停戦よ、停戦。これ以上は殴り合うだけ不毛じゃない。私の役目は、臨時の摂政。国境線を固めなおした時点で、私の担当は終わり」
さっさと纏めて、帰路に就くわよとアウグストと爺に命じる。
色々と二人が言ってくるものの、結局のところ、ヤーナは聞く耳を持つわけにはいかないのだ。
はっきりと言えば、理由はいくらでもあるが主として二点に
第一は、気分の問題だ。
目先の勝利という名声に対してヤーナは全く興味をそそられていない。つまり、会戦に突入する意欲そのものが欠乏しているのだ。
これで野心なり名声への渇望なりでもあれば、意欲もわくのだろうが……そもそも、名が売れることで否応なく付きまとう義務は糞面倒だと投げ捨てるタイプである。
生まれながらの王族という立場があるのだ。
戦果を求めて会戦に臨むというリスクを侵さずとも、国境を固めなおすだけで十二分にセイムへの恩ならば売ることができる。
セイムの混乱を収め、挙句、私兵でもって危機を救う。まともに考えれば、これ以上を望まずとも以後はセイムから相当な配慮を引き出すことができるに違いない。
つまり、ここで頑張るべき理由があまりない。
義務でもない限り、積極的に勤労精神を発揮しようという酔狂さをヤーナは持ち合わせてはいない。
第二に、より重要にして死活的な要素はパワーの問題だ。というよりは、こちらが全てだろう。
物を言うためには、一定の力が必要となる。どこの世界でも変わらない真理だが、こと権力の世界では指図されない為にも、侮られずに尊重される程度には力が必要なのだ。
コモンウェルスのように、高度に発達した文明でも例外ではない。
魔法を使用することができるすべての人間に対して市民権を付与する政体においてすら、貴族という階級ははっきりと存在しているのである。
権力の原理は不変ですらあった。
力なき貴族、力なき王族など、態のいい駒だ。駒でなく、生きている人間として自由に呼吸することを欲するのであれば、軍事力を手にするしかない。
むしろ、軍事力があって位があるというほどに力というものをコモンウェルスは暗黙裡にせよ『高貴なるものども』に求めてやまない。
コモンウェルス軍の構成をみれば、一目瞭然だろう。
封建諸侯軍という私兵の寄せ集めと、常備軍という国王直属の混成軍である。この点で、コモンウェルス貴族であるならば、有事に備え兵を養うのもまた権利であり義務でもあるとみなされるのである。
『田舎に引きこもる』という選択肢をとっていたヤーナですら、自前の騎士団をもつことが当然の権利として認められたのもその延長だ。
というよりは、ある種の義務と認識されていたというのが正しい。
故に、コモンウェルス広しといえども、臨時摂政であるヤーナ・ソブェスキが公的な権限によって動員できる兵力は『父王ジョナスが失ってくれやがった常備軍の残骸』と、『心服定かでない封建貴族らからなる諸侯軍』の混成部隊となる。
子飼いというには余りにも程遠い。
なればこそ、ヤーナが『唯一信用できる兵力』である手勢は『こんな辺境部での小競り合い』で消耗するには貴重すぎた。
脳裏によぎるのは、ピュロスの勝利。
議会対策に、忠誠定かならぬ貴族らへの牽制には兵が欠かせない。裸の王様というのは、生殺与奪の権をよそ様に握られた王様なのだ。
フランツと自分の安全のためにも、ソブェスキ封建騎士団を摩耗させることはできない、というのがよりヤーナが消極的となる現実的な理由だった。
勝てようが、活用できない勝利のためにリソースを投入するなどヤーナに許されるはずもないのだ。
そして、戦闘を選ぶべき理由がない以上は、為すべき方針も決まっている。
かくして、というべきだろう。
彼女より持ち掛けたるは外交交渉。シュヴァーベン革命軍の現場指揮官もまたリスクを厭った結果として、停戦は、現地の判断という形をとりつつも
もっとも、というべきだろう。
『コモンウェルス』が『外交』によって活路を切り開くというアプローチは、古今にほとんど例を見ないのだ。
観察者にとってみれば、大変に興味深い一手であった。
「ほう、停戦ですか」
「はい閣下、どうやら、現地協定という形式のようでありますが……」
「交渉で撤兵に持ち込める、と」
報告書を受け取ったモーリス・オトラント辺境伯は実に興味深いとばかりに我知らず声を上げていた。
「……孤立していた友軍を救出し、二辺境伯の身柄を確保。挙句、追撃してきたシュヴァーベン革命軍と暫定的とはいえ停戦協定を成立させる?」
「まことに僭越ながら、お見事であらせられました」
「いや、全くですよ」
いやはや、とモーリスは部下の言葉に苦笑しつつ頷いていた。
羽檄に応じ戦地へ駆けて行かれたヤーナ殿下の才覚といい、指揮下の有翼魔法重騎兵といい、羽は腐っていないらしい。
やれやれ、鳶が鷹どころかペガサスを産み落としたということですかねと苦笑するほかにない成果だ。
世間も大いに感心することだろう。
だが、本当に注目すべきは戦闘を回避しようと交渉を選べるということに他ならない。勝っているときに、交渉という選択肢を考慮できる人間というのは稀なのだ。
程よいところで手打ちにできるというだけで、それは恐るべきバランス感覚を証明してくれるだろう。
誰も否定できない武勲、暫定的とはいえ協定の成立により時間を確保。
挙句が、手ごまの消耗を極力回避する姿勢。いずれにしても、ヤーナ殿下は非常な傑物としての片鱗をみせつけてくれた。
全く、ジョナス陛下という愚物の娘とは思えないものだと、モーリスとしても実にワクワクさせられる人物であった。
「やれやれ、では、当分はヤーナ殿下のおかげをもちましてコモンウェルスも安泰というわけですね」
「はい、偵察に宛がっている手のものからは、シュヴァーベン革命軍が停戦協定を遵守するようだ、とも」
「念のため、ハイマット方面に間者を増やしておくように。軍部隊、特に砲兵の動向に注目するようにだけ伝えておいてください」
「かしこまりました。では、私はこれにて」
「ええ、ご苦労様です」
一礼と共に退室していく部下の足音が完全に遠ざかるのを確認し、やれやれ、とモーリスはそこで肩をすくめて見せる。
セイムに屯する愚者どもにしたところで、これだけの成果を前にしてはぐうの音も出ないことだろう。
ヤーナ殿下のお見事な手腕ということに対し、モーリスとしては絶えて久しく感じていなかった新鮮な感動すら覚えている。
何はともあれ、急場の応急手当は終了。
ロスバッハ会戦の大敗北以来、大混乱に陥っていた王都ヴァヴェルの情勢も多少は落ち着きを取り戻すに違いない。戦場の季節から、政治の次元へと舞台が転じることだろう。
「……順当に行けば、あとはフランツ殿下の即位、ということですかね」
ならば、とモーリスは算段とめどをつけてゆく。
ロスバッハで現王ジョナス陛下がお隠れ遊ばし、目下、コモンウェルスの王位は空位となっている。
まずもって、この状況を解消することから始めなければならないだろう。
「王位継承権の順序から行けば、現存する唯一の男系嫡子であるフランツ・ソブェスキ殿下が継承権第一位。それに次ぐのが、女系のヤーナ・ソブェスキ殿下ご自身。まぁ、法律からすれば間違いなくフランツ殿下でしょう」
もっとも、とモーリスはそこで少しだけ苦笑する。
「法律というのは、往々にして『守られない』わけでして。だからこそ執行者を必要とするのですよね」
ヤーナ殿下は、法律上で唯一の有力な対抗馬だろう。そういう意味で彼女自身がフランツ殿下の王位へ挑戦しない限りにおいて、法の観点からみれば『フランツ殿下の王位』は事実上約束されたようなものだ。
他の代替候補は、継承法の正統性から言って泡沫も同然。王位継承法と正統性の観点から見て、それはどう言い繕うとて揺らぎようがない。
「さてさて、オペラというには少々滑稽に過ぎるオペレッタの主演たちがそこまで頭を回せるものでしょうか」
嘲笑しかける彼の手元に届いているのは『某貴族』からの熱烈なラブレター。
王位を諦められないとある貴族が、自身を支持するように叫びまくる書状の一つ。つまらない人間であるが、先王ジョナス陛下の婿の立場に我慢ならず、婿養子を称し始めたとか。
まぁ、誤解を招く素地としてジョナス王が親し気にふるまいすぎた、という問題もあるのだろう。
「ジョナス陛下にしてみれば、特に深い考えがあったわけではないのでしょうけれどもね? 蒔いた種は、刈り取らねば無責任というものでしょうに」
モーリスの見るに、ジョナス王が可愛がっていたという時点で資質は察しが付く。
ユニマール朝のアホ、ジョナス陛下の間抜けぶり、そして自意識過剰な幻想の世界にお住まいな青い血と称する猿。
ところが驚いたことに、調べさせれば『破産寸前だった』はずの彼は資金を大量にばらまきながら、私兵まで集めているというではないか。
「錬金術でもありますまいし、金など何処から生み出したものやら」
猿回しにだって、猿を回すための人手と投資が必要なのだ。きっと、南の友人諸君が手厚く手配してくれているに違いない。となれば、彼らの期待するのは一寸した騒乱程度。
お猿さんが王位をとろうが、とれまいが、興味はないはずだ。
もし、本心から王位継承権争いへオルハン神権帝国が介入するつもりであれば、陰謀としての熟成度合いが薄すぎる。
やはり、オペレッタとなることだろう。
とはいえ、全く持って不愉快極まりないことに違いはない。南は、この、モーリス・オトラント辺境伯累代の所領があるというのに。
「やれやれ、少しは勤勉に働きつつ趣味も楽しむことにしますか」
全く、義務とは面倒なものだ。
さりとて、遊びと本業を混同するわけにもなかなかいかない。
塩梅が難しいとは、このことだろう。
ならば、と彼はそこでほほ笑んでいた。
「オペレッタを拝見するための席を抑えなければなりませんね」
劇場のチケットというのは、きちんと手配しなければならない。最高に楽しい舞台をどうして、立ち見する必要があるだろうか。
「ミッテルロージェに近しい位置を予約しなければ。やれやれ、人気の席ですからねぇ、私も手を回してみますか」
仕事と楽しみは、両立されてしかるべきなのだから。
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