第1話

モルヴィッツにおいて、主将たるエリーゼ・ユニマール将軍は天を仰ぎ、一言、胸中で恨み言をこぼして溜息。濡れ羽色の髪を苛立たし気にで、逡巡しゅんじゅんを払うように一瞬だけ目をつむり、小さく口を開く。

「……ここまでね」

後世に曰く、モルヴィッツ会戦と称されるに至る戦い。

それは、ユニマール朝滅亡に至るまでにおいてシュヴァーベン革命軍が直面したただ一度の大きな戦いとして知られるに至る。

歴史書ならば、そこでページを閉じれば終わるだろう。

しかし、未来を知ることなど叶わぬものだ。当時の指揮官であるエリーゼ・ユニマール将軍もまたしかり。

その当時、敗北を知るや否や、彼女は『敗北のあと』に『起こるであろう』惨事を予見し、諦観ていかんのうちに覚悟を定めざるを得なくなっていた。

「撤退します。少しでも、兵を逃さなければ」

「エリーゼ将軍!?」

まだ、我が軍は、と反駁はんばくしてくる貴族将校ら。

「我が軍はまだやれます!」

「光輝溢れる王軍が、退くなどと!」

「王家のご威光に泥を塗るが如き所業など!」

なんと、おめでたいことかしら。眼前の光景は、とても『まだ』踏ん張れるなどという有様ではないというのに。

「我が軍の組織戦闘能力はもはや瓦解しています。これ以上は、無駄な犠牲でしょう。軍曹、将校諸君。撤退戦の支度を」

「なりませんぞ! エリーゼ将軍!」

こちらをとがめようと叫び声を上げてくる連中には、もうウンザリ。

「……心のままに振舞うことが許されるのが、こんなときになるとは」

「何ですと?」

「衛兵! 諸卿をお連れ出ししなさい! 多少手荒でも許します!」

「馬鹿な!? 衛士ごときが、貴族を!?」

モガモガと叫ぶ連中は、しかし、本営の選抜衛士らに取り囲まれ、抵抗というほどの抵抗もなせずにつまみ出されていく。

「初めから、こうするべきだったわね……。せめて、こうなる前に」

彼らに足を引っ張られ、揚句、望まぬ場所で会戦を余儀なくされたとは繰言だろう。

敗軍の定め。

それは、弱者の定めだ。いつだって、勝者からの報復におびえながら逃げ出のびる夜逃げのようなものだろう。まして、とエリーゼは暗澹たる思いで『叛乱軍』、今はシュヴァーベン革命軍と称している敵軍へ視線を向けるなり嘆息を零す。

自分達は、『討伐軍』として出兵していた。激発するほどに追い詰められていた人々を鎮撫する意図だったとはいえ、叛乱軍からしてみれば……『抑圧者』だ。

叛乱軍は、自分達ら討伐軍の将兵にどのような感情を抱いているか……想像は容易だろう。甘い見通しなど、抱きようもない。

「斥候を送り出す余力すらなかったとはいえ、王政府からの情報を盲信したツケね」

暴動だと聞いていた。

だからこそ、少しでも状況をマシにするために自分で兵を率いた。エリーゼ自身の主観としては、他の貴族が暴威を振るうよりはと願ったのだ。

だが、革命軍と称している叛乱者たちは規律訓練ともに行き届いた精鋭ら。政治に足を引っ張られ、足並みもそろわぬ自軍でとても戦える相手ではなし。戦うべきでない相手を前に、将兵が狩られていく光景はエリーゼをして愕然がくぜんとせざるを得ないものだ。

「……撤退します。間に合うかはわからないけれども……これ以上、無益な犠牲を出すわけには。殿軍は、私が指揮します」

「殿下、どうかお先におさがりを」

頭を垂れ、どうか、と懇願してくれる部下の心意気は在り難い。けれども、私が逃げるわけにはいかないのだ。

「指揮官の義務とは、そういうものではないわ。さ、貴方達こそお先にお行きなさいな。そうしてくれると、私も逃げられるから」

撤兵の指示を下しつつも、エリーゼは悔悟かいごの念と共に馬上で苦悩する。

銃兵に何ができると……私は、侮った、と。それ以上に……『士気』を読み違えていたのも致命的であった。

「破れかぶれの暴動とばかり思っていた。……私も、間違えていたというの?」

いや、とエリーゼはそこで嘲笑ちょうしょうする。

「朱に交われば赤くなる。私も、知らぬ間に立派なユニマール朝の愚かな貴族と化していたわけね……」

暴動だと聞いたとき、それ以上に思考が進まなかった。虐げられてきた人々の怒り、不満、嘆きを知っているはずだったのに。

……何が起きているかすら、気づきもせずに烏合の衆で討伐軍を起こす始末。

私は、間違えたのだろう。

「討伐戦、鎮定軍として出兵し……挙句、敗北」

悲しいかな、ユニマール朝に泥を塗ったのだ。……勝てる戦いでなかった、という弁解は意味をなさない。貴族らにしてみれば。『無能者』と見下す魔法も使えぬ暴徒に正規軍でもって挑み、挙句、多数の貴族を討ちとられた私は、『敗戦の戦犯』だ。

「刑死は避けがたし。ならば、せめて……部下だけでも。ここまで付き従ってくれた将兵だけでも、逃げ落とさせないと」

それは、ノブレス・オブリージュを謳う最後の矜持。士官として、将軍として、そして、ユニマール朝の連枝として。誰か一人くらいは、責任を取るべきなのだろう。

ならば、それは、私でなければならない。

覚悟を決めたエリーゼは、だからこそ、別の道をついぞ予期し得なかった。彼女は、思わぬ来客によって己に訪れる未来を、まだ、知らない。


そして、知らぬという点ではヴァヴェルの私室で、モルヴィッツ会戦の顛末てんまつについて報告を受けている一人の男もまた同じだった。

彼、モーリス・オトラント辺境伯は珍しく心の底から驚嘆する。

「は? ……エリーゼ殿下が投降された、と?」

「はい、叛乱軍はユニマール朝の討伐軍第一陣を打ち破りました」

コモンウェルスにおいて、いち早くエリーゼ将軍の運命を聞きつけたモーリス。それは、入念に情報を得るべく手筈を整えた成果だ。

先見の明、と誇っていいだろう。

だが、結果的にせよ入手できた情報は、心底、予想外であった。

「よもや、そんなことが起こりうるとは……」

感情を人に読ませぬべく老獪さを涵養してきたつもりでも、ぽろり、と本心はこぼれ落ちるものだ。とりわけ、本心から驚愕した場合は。

「双方ともに激戦で疲労したのですか?」

「いえ、討伐軍は一瞬で瓦解したとのことです」

ほう、と小さく何気さを装って頷きつつも、心中では大いに興味を惹かれてしまう。

瓦解がかい』の二文字で、十分だ。その言葉を耳にした瞬間、モーリスの脳裏では事態が急変したことが確定事項として理解される。

ユニマール朝の討伐軍について、内訳を聞いたときは『鎮圧しうる』と踏んだのだ。なにしろ、『エリーゼ将軍』というユニマール朝が持ちうる最高の切り札を切ったのである。

オルハンの陰謀も潰れるものとばかり解釈したのだけれども。

……その討伐軍が瓦解とは?

「辺境伯閣下、それと、叛乱軍ですが……非常に不遜ながら……」

「叛乱軍が何か? そこまで言われると、気になってしまいます。言い出しにくいとしても、続けてもらえればありがたいのですが」

興味を押し殺し、単なる会話の弾みであるかのように問う。促された密偵頭はためらいつつも口を開く。

「いえ、どうにも無能者の集団らしいのですが……自分たちをシュヴァーベン革命軍と称して『無能者』の為の革命を為すと」

「革命軍に革命……? ふむ、ああ、ご苦労様です。下がってください」

「は、失礼いたします」

恭しく一礼し、去っていく密偵を見送るなり、モーリスはうすら笑いを引っ込めて、本心から笑い出していた。

「ははははは! 驚きました、驚きましたよ! 無能者の為の、革命? ……これは、想像以上に『やる』ようですね」

シュヴァーベン革命軍と命名した人間が誰かは、調査させねばならないだろう。だが、『無能者』の為の革命というフレーズは、実に蠱惑こわく的だ。

魔法使いは、眉をひそめることだろう。つまるところ、我々コモンウェルスのおバカどもを刺激するには最適だ。それでいて、人口の大多数を占める『無能者』への訴求力も抜群である。きっと、『無能者』の大多数は感涙すら零して革命の大義を奉じるのではないか?

「一石二鳥とはこのことですね。いやはや、何とも欲張りな方たちだ」

この計画を考えた人間は、きっと、自分の同類に違いない。

楽しそうに遊んでいることだろう。なんとも、羨ましい。妬ましさすら、感じてしまう。そろそろ、自分も混じることを考えてしまうほどに、楽しそうで仕方がない。

とはいえ、楽しそうだと憧憬の眼差しを無邪気に向け続けることもできはしない。

コモンウェルスは、ユニマール朝の隣国なのだ。対岸の火事は見ていて楽しいが、こちらに延焼する恐れがあれば、話も違ってくるのは道理だろう。

辺境伯でもあるモーリスとしては、革命騒動が予想以上に強力な軍事力をこれほど急激に兼ね備えたという事実にも注目せざるを得ない。

……まぁ、黒幕は単純だろうけれども。

「エリーゼ将軍の部隊だけは、少なくとも『まともな軍隊』。となると……ふむ、困りましたね。思った以上に、厄介な状況過ぎる。オルハンの肝いりが、我々の隣国ですか」

オルハン神権帝国の旧式マスケット銃が、こんな結果をもたらすとは。随分と、費用対効果の高い投資を彼らは、『オルハンの同業者諸君』は行ったということだろう。

賞賛に値する賢明さだ。

ユニマール朝が国内で動かしうる最大にして唯一の『まとも』な軍事力を『瓦解』させしめる実力。土地の名前ではなく、『ユニマール朝』の支配領域すべてに対して挑戦する気概。ここまで揃えば、ユニマール朝の滅亡は必然だ。

世人というのは、奇妙なことにこんな単純な帰結にも疑義を挟むがモーリスにとっては、結論はもはや揺るがない。

「……さて、この状況、私ならばどう遊びますかね?」

玩具は、大事に使う。

子供のころから、誰でも教わったちょっとしたルールだ。一度使って、それっきりなどとはマナー違反。玩具は、壊れるまで大切に使うものである。

ユニマール朝という玩具で、オルハンの指し手が遊んでいると仮定しよう。

自分が、遊び手であれば次の一手は決まっている。まだ、残っている貴族らを焚き付けて弄ぶまで。例えば、コモンウェルスに亡命させて『討伐軍』を出すように請願させるのも面白いだろう。

亡命貴族どもは、口先だけにせよ盛大な利権を約束してくれるのだ。暇を持て余しているセイムの貧乏騎士は、こぞって参戦を叫ぶことだろう。セイムに影響力を及ぼしたいと考えられているジョナス陛下も釣れるに違いない。

さて、とモーリスはそこで苦笑交じりにボヤいてしまう。

「……相手が待ち構えていると考えれば、そうそう簡単に勝利もできますまいに」

となれば、苦戦を前提に遊びへ混ぜてもらうべきだろうか。

仲間はずれにされるのは寂しいのだ。ちょっと強引にでも、割って入って新しい遊び友達と出会うのも悪くはない。

「ううむ、迷いどころですね」

とはいえ、感情のままに動けないのもまた世の常。

率直に言おう。

『国境防衛』を担う貴族としてみれば、泥沼化する戦争にコモンウェルスの遠征軍が引きずられるなど『とんでもなく良い迷惑』だ。これで、コモンウェルスは対岸の火事に自分から首を突っ込み……火傷を負うことになるわけだ。

百害あって一利なしの典型例である。南方を考えてほしいものだ、とモーリスは嘆息すら零してしまう。確かに、現状、オルハン神権帝国との小競り合いは絶えている。とはいえ、少し探りを入れれば眉を顰めたくなる兆候は山ほどにあるのだ。

第一に、オルハンの奇妙な対外政策。連中はユニマール朝で起きている叛乱を煽っているが、どうにも意図が読めないのだ。

モーリスの知るトリル・オルハン皇帝の性格は息苦しいほどの堅実な戦略家。

よく言えば、手堅く、悪く言えば『遊びを全く解さない』。付け火をして楽しむよりは、目的があるために付け火を行うタイプだろう

第二に、増強されているオルハン軍の動向。

タダでさえ、オルハンのイェニチェリ軍団は精強だ。精強さでは群を抜く近衛なれば、我が方の有翼魔法重騎兵にすら匹敵するとみていい。

「それが、倍に増強されているとなれば……トリル帝を単なる『内治』の人と片付けるわけにはいかないでしょうに」

度々警告を発してはいるのだが……どうにも、コモンウェルス内部に危機感は乏しい。

オルハンとの長い平和。

『小競り合い』が続くだけで、『本格的な武力衝突にはいたっていない』というだけの理由で。誰もが、明日もまた今日と同じだろうと高を括っている。

ヴァヴェルの連中、南方と西方の重大な変化にも気が付けないらしい。

実に、馬鹿げたことだ。とはいえ、気付いているからと言って身動きできないのもまたつらいことだ。

「ままなりませんか……。やれやれ、お預けを食らうのは楽しくありませんね」


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