第13話望まぬ変化と、望む変化


 学校では相変わらず、玲李とは学食だけで話す日々が続いていた。あまり短期間に彼女との距離をつめれば拒絶されてしまうかもしれないと考えたからだ。

 但し、放課後に一緒に帰ることは習慣となった。八重樫との一件があってから、玲李から積極的に誘うようになったのだ。彼女の心理は明確にはわからなかったが、もしかしたら、八重樫に近づかせないようにするためなのかもしれない。昼休みと放課後以外の休憩時間だと、十分程度しかないため、八重樫が秤に積極的にアプローチする機会はなかった。

 もしそうなら意外に玲李は計算高いのかもしれない。ただ、彼女の好意を感じてはいるが、そこまで気を回すかどうかまでは判然としなかった。

 さて、今はその休憩時間。秤はいつも、次の授業の準備をし、ぼーっとしたり、クラスメイトの男子や別のクラスの友人達と話したりする。誰とは限定していないので、顔ぶれは様々だ。今日は金田君と小林さん、そして彼等の友人達と話していた。告白の一件以来、なぜか秤に積極的に接するようになっているのだ。秤は、特にイヤではないが、面倒なことにならなければいいんだけど、と胸中で思っている。

 テレビやネット、趣味、一般的な日常会話に花を咲かせていたが、金田君が突然話題を変えた。


「――ところで、時任君、噂は本当なの?」


 噂。

 内容は秤も知っている。学内で有名な玲李と、学年二位の成績を誇り、数々の恋愛仲人をしている秤。共に学内で有名だ。その二人が親しくしているというだけで、学内には一気に噂が広まった。それが一週間前。もちろん、秤もそれを知っている。

 しかし噂には尾ひれがつくもの。付き合っているだの、両親公認だの、実は秤は玲李の両親に取り入ろうとしているだの、言われたい放題だ。しかし秤は敢えてそのままにしている。なぜなら玲李も秤も噂によって被害を被るような立ち位置にいないからだ。玲李は孤高だし、秤は悪意のある噂を覆すほどの信頼と力がある。それに噂が広がれば広がるほど周知の事実となり、後押ししてくれる可能性もある。秤にとって事実関係は問題ではない。『秤と玲李が交際している』という噂が広まるだけで効果がある。玲李は噂を気にしたりはしないだろうが、言葉で聞くだけで秤のことを考えてしまうのは間違いない。そうなれば秤を意識するだろう。絶対ではないが、可能性はできるだけ高くしておくに越したことはない。だが、そろそろ答えた方がいいだろう。人の噂は長く持たないものだからだ。


「桜ヶ丘さんと付き合ってるわけじゃないよ。仲良くしたいとは思ってる」

「ってことは好きじゃないの?」


 小林さんが突っ込んだ質問をしてきた。この娘、金田君と付き合い始めて、どうやら秤のことを知ったらしく、内心で恩人だと思っているきらいがある。お節介なタイプに違いなく、注意が必要だろう。

 秤は少し困ったように相好を崩した。


「どうかな。けれど、特別でありたいとは思うよ」


 女性陣はキャーと騒ぎ、男性陣はやるじゃんみたいに笑って、秤の肩を叩いた。やり過ぎるのは危険なので、これ以上は話さない方がいいだろう。

 何となく、玲李の反応が気になり、ちらっと横目で確認した。すると彼女も秤を見ており、視線が交錯してしまう。次の瞬間、玲李はバッと視線を正面に戻し、平静を装っていたが、横から覗く耳元がほんのりと赤かった。どうやら聞こえてしまっていたらしい。

 教室の端では八重樫が秤と玲李を見つめている。きゅっと唇を引き絞り、友人達に励まされているようだ。会話は秤には聞こえない。だが恐らくは玲李の悪口と、彼女の応援という内容だろう。

 廊下から覗いているイケメンの金田君は血涙を流し、壁の縁を力の限り握りしめていた。修羅の如き形相に近場にいた女生徒が小さく「ヒッ」と悲鳴を上げた。


 ――放課後になると、玲李はそそくさと教室を出る。別れの挨拶を友人達にした秤が廊下に出ると、玲李が待っている姿が目に入る。


「帰ろうか」

「ええ」


 そして共に下駄箱まで行き、靴に履き替えて帰路につく。ここまでの流れはいつものこと。慣習となっている。全く同じで、どちらともなく始めた。互いに無意識に理解し、敢えて同じ道を進んでいる。それがどこか心地いい。

 無言の時間が多い。それは玲李の会話のペースがどうしても遅いからだ。だが、それでいいのだ。秤はその待つ時間さえも気に入っている。


「その荷物は?」


 玲李は、秤の手元を見ながら言った。秤は学生鞄以外に、紙袋を持っている。中々に大きく、持ち運びが大変そうだが、登校から放課後まで中身を出していない。玲李もそれが気になっていたようだ。


「見る?」

「いいんですか?」


 秤は首肯すると袋の中身を玲李に渡した。それはカンバスだった。表面には見事な彩色で人物が描かれている。臭いがあまりないタイプの油絵の具だ。


「これは、私……?」

「実は、誕生日に持って行こうかと思ったんだけどさ、色んな人が集まっているところでこれを出すと迷惑になるかもと思って。それで今日持って来たんだ」


 家に来てもらったりとか、玲李の家に直接持って行こうかとも考えたが、色々と障害があるという結論に至り、結局学校に持って来るという手段を用いた。

 財界連中の中で、背伸びして高級品を買っても大した価値はない。だが何も出さないのは問題がある。そのため友人の社長達に頼んで品々を贈って貰った。彼等も一応は桜ヶ丘令嬢との伝手ができるわけなので了承してくれたのだ。

 そして、本命はこっちの人物画。玲李の良さを余すことなく描ききった作品だ。才能はないだろう。もしかしたら絵描きに見せれば鼻で笑われるかもしれない。だが、秤は玲李が絵を描くと知ってから、毎日、絵の勉強を重ねてきた。これが彼の全てを込めた作品だ。魂が籠っていると言ってもいい。ずっと彼女を描き続けていた。

 カンバスに描かれた玲李は椅子に座り、ほんの少しだけ笑っている。それはよくよく見なければわからないほどであったが、確かに笑顔だった。

 玲李は隅々まで見ていた。そしてゆっくりと顔を上げた。


「ありがとうございます、とても、嬉しいです」


 言葉には感謝の念が籠っていた。だが、笑顔は見られなかったようだ。残念な思いはあったが、嬉しいと思ってくれたのであればそれでいい。

 そこまで考え、秤は自身の感情に驚いた。玲李の笑顔が見たい。いつの間にか、そう思い始めていたのだ。秤の計画の中には、結婚以外では、秤の願いは含まれていない。であるのに、間違いなく、玲李の笑顔が見たいという願望を抱いていたのだ。こんな心情は初めてだった。

 まさか恋なのか、と思ったが、俗にいうドキドキ感はなく、心臓も通常運行だ。むしろいつも以上に冷静だった。胸の高鳴りがないということはやはり恋ではないらしい。秤は苦笑する。一度も恋をしてこなかったのだ。今更、できるとは思っていないし、恋愛に憧れたことはない。そんなことは幼い頃からわかっているのだ。それでも玲李と結婚することを願い、今まで生きてきた。もしかしたらその思いは一種の執着心なのかもしれない。

 秤は玲李に向かい、小さく頷くと紙袋を渡した。玲李はその中に慎重にカンバスを入れると大事そうに抱える。ちょっとした仕草に彼女の心情が見える。秤は玲李の反応を見て安堵した。


「それで、次の休日の話なんだけど」

「ええ。私はもちろん構いません」


 目を輝かせる玲李に、秤は笑みをこぼす。ちょっと食い気味に答えられたからだ。自分の行動に、玲李は気恥ずかしさを感じたらしく、緩慢に俯いた。

 変わってきている。いや、恐らくは彼女は元々こういう人間なのだ。純粋で真面目。常に真剣だから周りに誤解されてしまう。不器用ながら器用で、前向きで後ろ向き。矛盾が彼女そのものなのだ。そんな玲李の性格さえ、秤は好ましく思っている。

 遠巻きで見ている生徒達など気にもせず、秤と玲李は二人の世界に浸った。その姿は間違いなく、相思相愛の男女に他ならなかった。

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