第14話非常識な日常は彼女の日常

 いつからだろう。

 玲李は自室のベッドの上、制服のまま寝転がっていた。普段は、帰宅したらすぐに私服に着替え、勉強し、習い事の稽古のために出かけたり、絵を描いたりしている。こんなにだらしない時間を過ごすのは初めてと言っていい。

 玲李は戸惑っていた、今、自分を支配している感情に。

 幼稚園から誰彼構わず玲李を褒めてきた。認めてきた。でもそれは一方的で、外面しか見ていない言葉だった。可愛い、綺麗、頭が良い、品性がある、家がお金持ち。それに何の意味があるのだろう。そう思っていた。自分の性格が悪いのはわかっている。もっと愛想をよくすればいいのだろうが、それができない。けれどその上で受け入れてくれる人を欲していたという自覚はあった。身勝手だ。でも改善しようとは思わなかった。

 玲李は数え切れないほど告白されてきた。そしてすべてを断った。理由は簡単。親のお金か権力、あるいは容姿に惹かれただけの人間だったからだ。彼らは間違いなく、自分を本当の意味で好きではない。仮に両親の恩恵を得られないとなれば離縁するだろうし、歳をとったり何かの理由で今の容姿じゃなくなれば離れるような人達だ。

 綺麗事でわがままだということはわかっている。けれど、恋愛となれば無理に受け入れたりはできない。どうしても自分の表面上だけを見て好きという人間を信じられない。そしてそんな人を好きになれるとは思わないのだ。

 彼女は恋をしたことがない。正確にはしたことがなかった。

 胸に手を当ててみる。普段ならばトクンと小さな鼓動が聞こえるだけ。それが変わることは運動後と入浴後だけだったと思う。けれど今は、何もしていないのにうるさいくらいに主張している。ドクンドクンと何度も何度も内側から叩いている。まるで、自らの感情に気づいて欲しいと言っているようだった。身体が言っている。自覚するように叫んでる。


 時任秤の顔を思い浮かべてしまう。

 比較的整った顔立ちだが、彼以上に容姿が良い人間はいくらでも知っている。身長も体格も平均よりは多少上程度。成績は玲李に次ぎ学年で二位。悪くはないが著しく突出しているわけではないだろう。運動神経は中々いいようだ。運動部の助っ人で参加したことがあると聞いたことがある。色々と彼のことを考えると確かに優秀な男性だとわかる。だが、社長令嬢である玲李からすれば、彼自身特別優秀であるとは思えなかった。その上、家業は酒屋という一般的な業種だ。それが悪いとは思わない。ただ、客観的に見て、ヒエラルキーの上位にいるような人間ではないというだけだ。

 玲李は人を見下す傾向がある。だが、それは金持ちだったり優秀だったりという一面性で評価するわけではない。内面だ。言動、所作、人となりによって、どんな価値観を持っているのかはある程度わかるものだ。上下を勝手に作り、誰かを見下す連中を見下しているのだ。結局は同じ穴のムジナであることはわかっているが、どうしてもそう考えてしまう。

 だが、秤はそんな様子を見せない。彼は、恐らく上や下などと考えていないのだ。庭師の仕事も真剣にやっている姿を見たし、勤勉だ。努力家で秀才であると言えるだろう。恐らく、彼が培ったものの殆どが彼の努力の結晶なのだろう。そして彼には人が自然に集まる。優しく勇ましく強く寛大。どこまでも続くような包容力を感じる。

 玲李はコミュニケーションが苦手だ。特に会話はなにを話すべきが悩んでしまう。その癖は昔から変わらない。事務的な内容であれば円滑に話せるのだが、日常的な会話となると難しい。どうしても思案してしまう。だから相手は無言でいられると嫌がられていると勘違いし離れてしまうのだ。事前に返答が遅くなると言っても、普段も鉄面皮で愛想がない人間と親しくしたいという人間は下心がある。そういう人間は玲李自身が拒絶してしまうのだ。そして孤立してしまった。

 けれど秤は違う。何を言わずとも黙って待ってくれ、話をきちんとしてくれる。彼は誰のペースにも合わせ、それを苦としていない。彼はそれほどに視野が広く、相手の心情を慮ることができる。今まで出会った人とは全く違う。だから惹かれる。


「好き……なのかな」


 普段の機械的な声音ではなかった。感情が存分に溢れ、年相応の口調になっている。ただその姿を決して誰にも見せない。両親にもメイドにも、ゆいにも。心を許す許さない以前に、見せ方がわからないのだろう。もう癖になっている。敢えて見せる必要もないと諦めてさえいるのだ。

 顔が火照ってきた。今、自分はどんな顔をしているんだろう。そう考えるだけで更に体温が上がってしまう。玲李は枕に顔をうずめて足をバタバタと動かした。衝動的な行動に、自分自身で驚き、恥じた。けれど内から溢れる感情に翻弄されて、ゴロゴロ転がったり小さく唸ったりしてしまう。

 スカートから覗く白い足が妙に艶めかしく見えている。こんな姿は外では絶対に見せない。彼女は完璧なのだ。そして人間的に多くを欠落している。それが周囲の感想。けれど内面は普通の少女でもある。確かに多少変わってはいるが、根っこの部分は恋をしたいと思っている少女だった。

 秤との出会いは運命的とは言えなかっただろう。むしろちょっとした勘違いから結構なことをしてしまった。あれではヒステリーを起こした勘違い女だ。思い出すだけで顔から火を噴きそうになるし、自戒の念を禁じ得ない。

 秤のことを考えるだけで、次々に情景が浮かんでしまう。だめだ、またこうして時間が過ぎて夜更かししてしまう。一人で悶絶して、眠気が吹き飛んでしまうのだ。そして勉強にも集中できない。結局、絵を描くことで気を紛らわそうとする。それが最近の夜の時間の過ごし方になりつつある。

 玲李は、がばっと起き上がりベッドから降りると、隣室に移動した。中には美術用具がそこかしこに並べられており、無数のカンバスが棚に並んでいる。今まで描いたものと、予備のカンバスだ。サイズは様々だが、基本的に身長を超えない程度だ。最近描いたものは、収納せず壁に立てかけている。薄布で覆われているので、傷つけないようにそっと剥いだ。現れたのは数十の絵画。描かれているのはすべて秤だった。


 笑顔の秤。

 まどろむ秤。

 苦笑する秤。

 運動する秤。

 黒板前の秤。

 教師に何か言われているが気にしてない秤。

 食事をしている秤。

 通学路の秤。

 会話をする秤。

 秤、秤、秤。


 すべて玲李が見た、秤の姿だった。秤と出会い、話すようになってから徐々に描き始め、最近では一日に何枚も描き上げてしまう。止まらないのだ。どうしても内からふつふつと沸きあがる衝動を抑えられない。手が勝手に動き、描いてしまう。

 棚の一番目立つ場所に今までで一番出来が良い秤の人物画が置かれている。薄く笑う彼らしい表情。見るだけで心が吸い込まれそうになる。その横に、彼から貰った自分の絵画を置いている。こう見ると連れ添った夫婦のように見える。それは言い過ぎか。精々が、初々しいカップルくらい、だろうか。

 自分がやっていることは一般的ではないことは理解している。けれど彼の顔が浮かんで瞼に焼き付いているのだ。どうしても拭えない。もしかしたら彼に執着しつつあるのかもしれない。

 陶酔しながら恍惚とした顔をする玲李だったが、ふと違和感に気づいた。


「……ちょっと少ないような?」


 枚数までは確認していない。無心で描いたことも少なくないからだ。勘違いだろうか。何となく描き上げた絵が減っている気がしたのだが。まあいいだろう。また描けばいいのだ。秤は一人しかいないが、絵は無限に生み出せるのだから。

 やはり自分は恋をしつつある。玲李はそう思い始めている。だが、この恋はきっと報われないだろう。なぜなら父も母も許さないだろうから。恋愛に人生をかけるつもりはないのだ。すべてを投げ打って彼の下に走るような愚行をするつもりはない。

 玲李は恋をしたいと思っているが、破滅的な恋愛を望んではいない。確かに憧れはあるが、間違いなく不幸になると確信している。状況に酔うような愚かさは持ち合わせていない。家を捨てて逃げるようなことはしない。きっと、どれだけ好きになってもそれは変わらないだろう。わかっているのだ。だからせめて、今だけでいい。この甘い感情に浸らせて欲しい。父に知られるその時まで。

 けれど気になることもある。彼は一体何者なのか、と。大企業の社長とコネがあり、欠点がなく、偶然にも自分と出会った。ゆいとも知り合いどころか、迷子になっていたところを助けたというではないか。その上、自分と趣味まで一緒。まるで物語の登場人物のような、出来過ぎな人だと思った。そう考えると自分もその類かもしれないが。彼には彼の悩みがあるのかもしれない。それを見せない強さがあるだけだったりするのだろうか。

 世の中には様々な人がいるのだ。だったら彼のような人がいてもおかしくはないだろう。彼は自分のすべてを好ましく思っていると言っていた。それを信じたい。

 けれど、もし。

 もしも、その言葉が嘘であったなら。何かしらの下心を持って近づいて来たとしたら。『出会いや今までのことがすべて、彼の目論み』であったとしたら。きっと許せないだろう。だって、今までの人間がそうだったのだから。そういう汚さを何度も見せつけられたのだから。

 玲李は自身と秤の絵画を交互に見た。共に穏やかに笑っている。今後もそうであり続けられればいいなと思った。

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