第12話これが一般人のやり方


 ――会場からは喧噪が溢れ、オーケストラの演奏が廊下にも響いている。秤は思った以上に落ち着いている自分に気づく。どうやら自分は土壇場に冷静になれる性格のようだ、と自己を評価した。

 隣を見ると、玲李は二の足を踏んでおり、部屋に入りたくないという気持ちが如実に表れていた。だが、いつまでも廊下に佇んではいられない。秤は声をかけようか悩んだが、無言で彼女を待つことにした。会話をする時もそうやって彼女の言葉を待つことが習慣になっている。それでいい。焦る必要はないのだ。玲李には玲李のペースがある。無理矢理に他人に合わせる必要はない。


「行きましょう」

「わかった。行こう」


 玲李が意を決して顔を上げる。それに従い、秤は彼女の腕を伴い会場に足を踏み入れた。扉はメイド達が開けてくれる。中に入ると一斉に視線が集まる。最初は玲李を見て、次に秤を見る。前者は賞賛と期待、後者は怪訝と評価の視線。通常、場違いな状況で物怖じするのが当然だが、秤は堂々と玲李をエスコートし、会場に入った。

 好奇な目の中、歩き部屋の前方に移動する。オーケストラは一旦沈黙し、拍手と共に玲李が一礼する。秤は少し離れ、玲李を見守った。

 簡易的、機械的な挨拶を終えると拍手が玲李に注がれる。しかし、彼女の表情は暗い。それもそのはず。外部の人間である秤でもわかるほどに、彼等は玲李の誕生日を心から祝っているようには見えなかった。同年齢の人間はほとんどおらず、いても嫉妬の視線を送るだけで好意的な反応を見せてはいなかったからだ。

 表面上だけは繕い、腹の中では悪意と下心しかない。そんな印象が強かった。変わってない。以前と同じだ。

 戻ってきた玲李を迎えると小声で囁かれた。


「これから参加者が挨拶に来ます。あなたは私の友人ということで紹介します。会話には参加しなくていいので」


 知り合いじゃなかったのか、と思ったが、せめて友人以上の関係でないとエスコートするのは違和感があるから、妥当だろう。しかし、ならばなぜ知り合いと言ったんだろうか。彼女ならばこんな状況になることくらいわかるだろうに。そんな疑問が鎌首をもたげたが、些末なことだと思い、忘れた。


「わかった」

「すみません」

「謝らないで欲しいな。僕が望んだことなんだから」

「はい。ありがとう、時任君」


 長い睫毛を揺らし、目を伏せながら感謝を述べた。あまりに完璧な所作だった。

 玲李の言葉通り、参加者が挨拶に来た。整えた髭と恰幅のいい中年の男性に、化粧の濃い中年の女性。成金、という言葉を人間にしたかのような見目で、衣服やアクセサリーは高価だが、いかんせん中身に品性がない。妻は香水がきつく、夫はタバコの臭いが強い。顔を顰めたくなる欲求をぐっと堪えた。


「玲李御嬢様。本日はお招きいただきありがとうございます」

馬淵まぶちさん。こちらこそ、わざわざご参加いただきありがとうございます」

「いやいや、大したことではございません。玲李お嬢様の誕生日とあればどこへでも行きますぞ。なあ、おまえ」

「ええ。もちろんですわ。お父様には随分、お世話になっておりますもの」


 おほほ、と絵に描いたようなセレブ婦人の一挙手一投足を見せてくる。辟易としそうになるが、秤は柔和な笑みを浮かべているだけだ。


「こちらもお世話になっております。今後ともよろしくお願いします」

「ところでそちらの方は、どちらの御子息でしょうか? 初めてお目にかかるかと思いますが」


 馬淵夫は色眼鏡で秤を見ている。目の奥が笑っていない。足元から頭の先まで評価し、最低限の身なりは整っているとわかったのか、今度は秤の家柄が気になったようだ。


「彼は学校の友人の、時任秤さんです」

「学校の、となると私立明楼鏡高等学校の生徒さんですか。なるほど、あそこは比較的裕福な家柄のお子さんが多いと聞きます。彼もその一人ということですかな」


 玲李は敢えて曖昧な言葉で返したのに、わざわざ踏み込んでくるとは中々に空気が読めない。いや、読む気さえないらしい。それくらいでは玲李の機嫌を損なわないという判断か。たぬき親父、という形容が適当だ。腹の中には一物抱えている厄介なタイプであることを秤は経験から理解していた。

 玲李は答えに窮してる。だが、秤が一般家庭の人間であることは彼女も知っている。その程度の会話は『わざと』しているのだから。今日、パーティーがあることはわかっていたし、参加する可能性も考えていた。その際、間違いなく秤のことを聞かれるからだ。隠してもしょうがないし、覚悟なんてとうの昔にしている。


「いえ、僕は一般家庭の人間です。家は酒屋をしてますね」

「ほう?」


 玲李は驚くでもなく、諌めるでもなく秤を横目で見る。その瞳には窺うような色が滲んでいる。大丈夫。これくらいで傷ついたりはしないし、これくらいの状況は想定済みだ。

 馬淵夫妻は明らかに侮蔑の視線を投げかけてくる。目が言っている。おまえのような一般人がなぜこんな場所いるのかと。だが、玲李の手前、口には出さない。しかし間違いなく、秤のことは覚えただろう。玲李に取り入る際にでも使えるかもしれない、という狡猾さが見え隠れしている。


「なるほどなるほど一般の方でしたか。それはそれは。玲李お嬢様のクラスメイト、ということで参加なさったのですな。あなたは運がいい、食事は普段食べられないような高級品ばかりですからな。こんな機会は滅多にないでしょう。味わって食べるといいですぞ。それに財界人『しか』おりませんから、今後のためにも伝手を作ることもできますな。なんなら卒業後、弊社のグループ会社で採用してさしあげても構いませんし。下請け会社ならば引く手あまたでしょうからな」


 がははと笑う馬淵夫妻だったが、言葉の端々に蔑みの感情があった。隣では玲李が不快そうにしている。確実に、彼女の怒りを買っている。だが、玲李も立場がある。ここで憤れば両親の顔に泥を塗ることにもなるのだ。必然、彼女は必死で堪えるしかない。だが、傷つけられたのは秤だ。だからか玲李は複雑そうな顔をしていた。

 普段はただの無表情なのに、こういう時はわかりやすい。秤には痛い程、彼女の気持ちが理解できた。他人で、彼女に興味がない連中にはわからないだろうが、秤にはわかる。


「ははは、そうですね。食事もすごくおいしそうです。ぜひ頂くことにしますよ」


 御社で働くのだけは勘弁願います、とは言わなかった。


「がはは、でしょうな。一般家庭の方は生涯食べられない代物ですからな」

「それは楽しみですね」


 淀みなく笑う秤。馬淵夫妻は明らかに嘲笑していたが、秤は気にしない。この程度の屈辱は気にもならない。むしろ目の前で笑う夫婦がたぬきにしか見えなくて本当に噴き出しそうだったので助かった。

 更に人が集まる。一人挨拶すれば離れるかと思ったら、案外しつこい。というか玲李に顔を覚えて貰おうとしているのか、しつこく会話を続ける人が多い。

 しかし同年代の女の子は決して近づいてこない。嫉妬の感情が凄まじかった。多分、隣り合って比べられるのが我慢ならないのだろう。馬淵夫婦を含めた数人に囲まれていた中、奥から一際目立つ青年が近寄ってきた。

 頭、頭が目立つ。金髪碧眼。男だから残念感が強い。しかしそれはどうでもいい。問題は髪型だった。なぜかリーゼントだったのだ。もっさりとしており、見事に固められている。正に芸術。秤はあんぐりと口を開け、玲李を見た。彼女は渋面を浮かべている。彼を知っているようだ。

 馬淵夫妻や他の参加者は彼のために隙間を空けた。どうやら彼の方が立場は上らしい。


「やぁ、玲李さん。今日もお美しい」

「……お久しぶりです」

「久しぶりなんて、ほんの一ヶ月前に会ったじゃないかぁ」


 リーゼント男は先端部分の髪をファサッと掻き上げる。なんというか、すごい。すごいとしか言いようがない。インパクトが強すぎてすごいとしか形容できない。

 見事に金持ちでお坊ちゃんという風貌だった。中身も、まず間違いなくセレブ的だろう。彼の髪形は別として、なんとなく某アニメの小学生の金持ちを連想した。いや、そっちの彼は結構いい奴だ。ならば同一視するのは失礼だろう。でも、やぁベイビーとか言わないかな……。

 秤は笑顔を維持したまま、頭の中でそんなことを考えていた。


「ところで、そちらの彼は誰なのかなぁ?」

「彼は、私の友人の、時任秤さんです」

「僕は花井良彦はないよしひこ。花井株式会社社長の息子さ」


 花井株式会社は化粧品や健康食品などの生活用品の生産、研究、販売を主とした企業だ。日本を代表する企業の一つと言えるだろう。当然、秤とは比べるまでもなく裕福な家柄である。


「君は、どこの御子息なのかなぁ?」

「一般人です。家は酒屋をやってますね」

「酒屋? 酒造会社じゃなくて?」

「いえ一般的な酒屋です。普通の。個人の販売店ですね」


 沈黙が周囲を漂い、花井はきょとんとしていた。だが、次の瞬間、大口を開けて笑う。


「あははっ! な、なに、冗談? 冗談だよねぇ? 君、そんな貧乏な人間がなんでここにいるのさ?」

「……彼は私の友人で」

「あー、はいはい、なるほど。玲李さんに近づいて、頼み込んで参加したって感じかい? やれやれ、ここは君のような貧乏人が来るような場所じゃないんだよ。酒屋? ぷっ、わ、笑わせないでくれ。君みたいな人間に参加されたら僕達の名前にも傷がつくじゃないかぁ」

「違います。彼は、私から招待したんです」


 声量が少しずつ大きくなっている。玲李は明らかに苛立っている。先ほどまで、馬淵やほかの参加者がこぞって秤を馬鹿にしていたこともあり、ストレスが溜まっているようだ。それは彼女なりに秤に対して親近感を抱いているということでもあったが、今はその感情を抑えて欲しいところだった。

 秤は何を言われても上手く返し、躱してきたのだ。それがすべて無駄になってしまう。

 自分は大丈夫、と言いたいが、周囲との距離が近すぎて耳打ちが難しい。


「ふむ、そうか。じゃあ、君は見事に取り入ったというわけだ。玲李さん、こんな人間にかどわかされてはいけないよ。彼が近づいてきたのは君の金目的だ」

「時任君にそんなつもりはないです」

「そうかな? 何を考えているかなんて誰にもわからないだろう? それに貧乏な家なのであれば余計に怪しい。彼はね、ここでは浮いているよ。どう考えても下心があるとしか思えない。君、正直に言いなよ。彼女に近づいたのはなぜだい?」


 本心で言えば現段階では『金も』目的ではある。だが、玲李と結婚したいのは彼女が持つすべてを欲しいと思っているからだ。仮に彼女が貧乏になっても、彼女が権力を失っても秤の考えは変わらない。秤は桜ヶ丘玲李という少女を取り巻くすべての要素を欲しているだけで、今現在持ち得ているものそのものが欲しいというわけではない。やや複雑だが。こんな彼でも玲李に恋愛感情を抱いていないのだ。なんともおかしな話ではある。

 秤はどう答えるか逡巡する。彼女に好意を持っている、と答えるのが一番妥当だとは思うが、それでは嘘を吐くことになる。好きではない。だが嘘も方便とも言う。とはいえ、今好意を伝えるのはやや性急な気もする。さあ、どうするか。


「僕は、彼女の両親の仕事も、裕福さも気にしてませんね」


 それは本心だった。仮に桜ヶ丘玲李が親に勘当されても構わないとさえ思っている。玲李という存在を伴侶にしたいと考えているに過ぎないからだ。ただ、いらないわけじゃない。なくてもいいというだけだ。


「言葉ではどうとでも言えるさぁ。だったら、もし彼女と結婚しても、後継ぎにもなれず、遺産も相続できず、補助も得られないとなったらどうするんだい?」

「別に困りませんが。仮にそういう目的で不安だと言われれば、婚前契約書、結婚契約書を書いてもいいですし」


 即答すると、花井の笑顔にヒビが入った。少しは悩むと思ったのだろう。


「け、契約書だったって!? い、いやそんな馬鹿な。そんなもの法的拘束力はないだろ!」

「いやありますよ。合意の上で結婚したのなら。何もかも考慮はされませんけど」

「だ、だったら彼女の見た目が気に入ったんだろう!? 玲李さんは美しい。その容姿に惹かれたんだな?」


 秤は無意識に玲李を見た。バチッと目が合うと、玲李には珍しく動揺したように視線を逸らした。


「確かに玲李さんは可愛いですが」

「か、可愛い? 君、彼女に失礼だろう!」

「いや、可愛いでしょう? なんだか守りたくなるし、愛らしいですし」


 他にも色々と魅力的な部分はある。だが、あまり言い過ぎると、隠れて彼女を観察していたことが露呈しそうなので抑えておいた。

 玲李の表情はそのまま、だが耳は赤くなっている。その様子に秤は気づかない。


「ふん、つまり、容姿を気に入ったから近づいたと」

「いえ、違いますね。魅力的ではありますが、だから近づいたわけじゃないです」

「だったらなんだい!? 中身か!? 君は彼女の中身を気に入ったと、そう言いたいのか!?」


 秤は思案する。玲李の性格は特殊だ。はっきり言えば一般的に魅力的な中身かと問われれば頷けないかもしれない。ただ、秤はその性格さえも受け入れる覚悟があるし、問題があるとは思わない。魅力的かと言われれば、個人的にはそう思うという感想しか抱けない。

 しかしまだ付き合いは浅いという体裁を保っている。言葉に気を付けなければいけない。

 秤が悩んでいるのを見て、花井は勝ち誇ったように笑った。


「は、はは、やっぱりそうなんじゃないか! 彼女の性格なんて好きじゃないんだ。君は。彼女の性格を好きになんてなるもんか。笑わない、会話も下手、可愛げが一切ない。誰も彼女のことを好きになんてならないんだ。見た目か彼女の地位が欲しいだけなんだよ!」


 周囲がしんとする。オーケストラの演奏さえ止まった。その異常さに気づいたのか、花井は何事かと見回した。そして自らの言動を省みて、明らかにしまったという顔をする。


「い、いや違うんだ、今のは」

「あなたが私のことをどう思っているかよくわかりました。いつも、お世辞を言わせてすみませんでした。あなたは私と婚約したがっている、という話を父から聞いていましたが、あなたこそ父の地位目当てだったのですね」

「ち、違う! 今のは思わず」

「思わず本音が出た、と?」


 次々にボロが出ている。秤はまだ思案中だった。そんな中、玲李と花井だけがヒートアップしていく。


「そ、それは」

「性格が悪い私と話すのもイヤでしょう。もう結構です」

「き、君はこんな時だけ饒舌に、いつもはまともに話さない癖に!」

「話したくないだけです。あなたはいつも自慢話ばかりですからね」


 馬淵夫妻や周囲の人間は距離をとり始めていた。巻き込まれたくない、とばかりに我関せずを通すらしい。


「そんなことはない!」

「いえ、あなたほど自分のことしか話さない人はいません」


 罵り合いに発展しつつある中、秤が顔を上げた。

 そして言う。


「全部かな」


 玲李と花井が睨み合いながら言い争いをしていたが、秤の場違いな言葉に思わず振り向く。二人は首をひねり、秤を見ていた。


「時任君は何を言っているんです?」

「さっきの質問だよ。ほら、桜ヶ丘さんのどこがいいか、って」

「それは、ええ、そんな話をしていたような」

「だから全部」


 きょとんとする玲李と、完全に虚を突かれた花井がいた。玲李は言葉の意味を理解し、表情筋を動かさずに顔色だけ赤に染める。

 対して花井は玲李を見て、悔しげに歯を食いしばった。


「全部だって? なら彼女の全部が好ましいと君は思ってるのか?」

「ええ、そうですね。嫌いなところは一つもないので」


 秤の迷いない言動に、玲李の白い肌は紅潮するばかりだった。彼女は俯き、秤達から視線を逸らしていた。


「だ、だけど君は彼女の地位や名誉や見た目を気に入って近づいたのではないと」

「ええ、言いましたね。でもそれも全部含めて彼女なのではないかと。別にそれがなくなっても桜ヶ丘さんなのは変わらないわけですし、それはそれでいいと思います」

「な、ならば、彼女が桜ヶ丘家の令嬢でなくなっても構わないと?」

「構いませんね」

「く、口では何とでも」

「だから、契約書書きますって。誓ってもいい。月並みですしやや幼稚ですが命を懸けてもいいです」


 パクパクと魚のように口を動かす花井に、秤は思わず笑いそうになった。

 こんな展開はさすがに予想はしていなかったが、勢いも時には大事だ。玲李の反応を見てみようと視線を動かすと、彼女は俯いて地面とにらめっこしている。頭から湯気が出ている。どうやら印象は悪くないようだ。


「は、はん! 仮に君がどう思おうとも、相思相愛だろうと、一般人と僕達とでは身分差があるんだ。君がどうしようとその差は覆らないのさ。それに君、手ぶらで来たね? 誕生日だというのに、何も渡さないなんて言語道断だ。安物を渡さないだけまだマシだけどねぇ?」

「その通りですね。ですが、そろそろだと思います」

「そろそろ?」


 扉が開いた。その音に全員が入口を見つめる。そこには見知った顔があった。


「レイおねえちゃん!」


 的場ゆい、ロリっ子天使の降臨である。おお、神々しい。イエス、イエス! ローリ、ローリ、ローリ! と心の中で何度もコールをした秤だったが、幼女の背後にいた人物を見つけると、心を平穏に保つ。そう、的場家の執事、神木野銀二である。なぜか汗だく、髪型は乱れ、ぜいはあぜいはあと息を荒げている。目は血走りちょっと怖い。

 銀二はそそくさと身なりを整え、ピシッと背筋を伸ばすと、ゆいと共に秤と玲李に近づいてきた。


「あれは、的場家の御令嬢……?」


 会場内がざわつき始める。しかしゆいは慣れた様子で、軽い足取りで秤の前に来ると抱きついて来た。


「お兄ちゃん、お待たせ!」

「ゆいちゃん、待ってたよ」


 親密な二人を見て、一体どういう関係なのかと周囲が勘ぐり始める。だが、秤にとってはどうでもいいことだった。あはは、うふふ、と二人だけの世界が構築されていたのだ。ああ、幸せ。このまま幼女だけの世界になればいいのに、って俺はロリコンじゃない!

 秤は心中複雑だったが抱きかかえていたゆいを降ろした。

 そして銀二がカッと目を見開く。


「超頑張りましたぞ。ってか、ハーちゃん、マジ無理言うわぁ」

「いやいや、銀ちゃん悪いね、本当に助かったよ」


 二人はゆいちゃん迷子事件と、正直この作戦無理があるわ談話によって友情を深め、今ではハーちゃん銀ちゃんの間柄になっていたのだ!

 銀二の手には幾つもの紙袋が握られている。そしてそれをテーブルに置いた。

 ゆいは玲李と手を握り、銀二の下へ。秤もそれに続き、自然全員が集まり始める。数十人が集まる中、銀二はしたり顔で中身を取り出す。


「まずはこちら。ユウヒ株式会社代表取締役社長からロマネ・コンティ三本。次にロクス貿易商社代表取締役社長からロレックス、女性用モデル、エバーローズダイアモンド。続いて――」


 幾つもの高級品が袋から出てくる。それらは総額で数百万はくだらないものばかりだ。そしてすべては玲李宛のもの。一体、どういうことなのかと疑問を持っている面々の前で、銀二は一つ一つと商品と贈呈者の名前を呼んでいく。


「――以上。すべて時任秤様のご友人です。秤様のご学友が誕生パーティーということで品を送ってくださいました。ただ多忙な方々ですから参加はできませんでしたが。何分急でしたから、私が直接取りに行っていたという次第でございます」


 ざわつきが広がる中、秤は玲李と視線を合わせる。視線でどういうことか尋ねてきている。


「ほら、僕、実家が酒屋だから」

「理由になってないだろう!? すべて本物だし、贈呈者は錚々たる人達ばかり。一介の酒屋のせがれが出会えるような方じゃない!」

「うーん、といっても本当に家業繋がりなんですよね。前に、経営が傾いてから父に代わって僕が経営を担いまして。海外の酒造との提携とかで貿易会社の社長と伝手が出来て、国内の酒造会社との繋がりで仲良くなって、あとはなんやかんやで気に入られまして」

「な、なんやかんや!? なんやかんやで、日本屈指の企業の社長達と仲良くなったって!?」

「ええ、そうですよ。今日のことをみなさんに話したら、だったら何か送らないと、と言ってくれまして。僕のような一般人が用意するのは難しいので替わりにと。もちろん、僕も用意しようと思ったんですが、この場だとどうしても見劣りしてしまうので」


 何かを送れば玲李は喜んでくれそうだが、まだ出会って間もない状況だ。彼女の趣味嗜好を知らない体の秤が、彼女の好みにあったものを送れば疑念を持たれてしまう。今日までに聞けばよかっただろうが、どうしてもこの場では渡せない。今日、最初に玲李とした会話、そう『互いの趣味嗜好の内容』の話を終えたという事実が秤には必要だった。だから今日、敢えてプレゼントは持って来てはいない。一応、これでただの一般人で格差がある、という先入観は少しは払拭できただろう。

 秤は玲李と結婚するためならばなんでもする。そう、周囲の評価を上げるため、国内有数企業の社長と懇意になっておくことすら、彼にとっては玲李との結婚への布石でしかない。

 なぜか銀二が得意げにニッと笑った。なので秤もニッと笑った。ついでにゆいもニッと笑った。玲李はまだ状況が掴めていない様子で、じっと秤を見つめている。瞳には戸惑いが浮かんでいる。しかし確かに熱も籠ってもいた。


「き、君は一体、誰なんだ?」

「商店街の酒屋のせがれですって。ただの一般人の時任秤です」


 返答しても花井は納得いっていない様子で、震えた指先を秤に向けるばかりだった。

 一連の流れを見ていた、メイド達の中で一人が前へ進み出た。歌湖だ。


「皆様、大変恐縮ではございますが、そろそろお開きの時間です。外に迎えの車が到着しておりますので、ご帰宅の準備をお願いいたします」


 何やら微妙な空気の中、全員が帰り支度を始めた。その中で花井だけがうわの空だった。執事らしき男性が、彼にコートを着させてゆっくりと歩かせる。こっちにお辞儀して来たので、秤も頭を垂れた。あの人、きっといつも大変なんだろうな。

 そうして残ったのはメイド達、給仕スタッフ、そして秤達だけになった。秤は銀二に向かってサムズアップすると、同じく親指を立てて返してくれた。


「サンキュ、銀ちゃん」

「ハーちゃんの頼みなら何でも聞くよ!」

「さっすが銀ちゃんだ!」

「さっすが銀ちゃん!」


 秤の言葉を真似るゆい。動きも模倣し、仁王立ちでのけ反った。銀二ものけ反った。ベキャッと小気味いい音が聞こえた。腰を痛めてしまったようだ。


「おぉふ……っ!」


 蹲る銀二の背中をゆいが優しく撫でてあげていた。なんと優しい娘だろうか。

 秤がゆい達に慈愛の目を向けていると背中から玲李に声をかけられる。


「時任君」

「なんだい?」

「……色々言いたいことがあるんですが。あなたは、その、私を」


 彼女が言わんとしていることはわかる。だが、恐らくは玲李は口にできない。聞きたいのに問えない。なぜなら彼女はいつも受け身だったからだ。能動的に相手に好意を持っているかどうか聞いたことはない。そして玲李は口を閉ざした。

 代わりに秤が口を開いた。


「よかったらなんだけど、次の休日に二人でどこかに行かない?」

「え? ……はい」


 突然の申し出に戸惑いながらも、玲李は頷く。彼女は視線を泳がせていた。いつも冷静な玲李がこんなに動揺するのか、と内心で嬉しく思い始める秤。

 秤は玲李を好きではない。恋愛感情はない。だが伴侶にしようとしている相手だ。喜んでいる姿を見ればこちらも嬉しくなるというもの。


「結局、あまり食べられなかったな。ゆいちゃん達はご飯は?」

「食べてないよぉ」

「わ、私めも食べておりません。めっちゃお腹空きました」

「……それでは食事にしましょう。私もまともに食べてないので」


 ゆいは嬉しそうに飛び跳ね、銀二は腰を抑えつつゆいを追いかけた。

 秤も二人の様子に笑みを浮かべ、三人を見て、玲李も表情を緩める。それは間違いなく、先程まで会場を包んでいた居心地の悪さがなくなったということ。互いに見知った中で、玲李も気を抜いていた。そんな中、メイド長の歌湖の鋭い視線は秤を射抜いていた。

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