第11話別世界に足を踏み入れただけのこと


「――準備よし!」


 今日は玲李の誕生日パーティーだ。この二日間、休日に際して、秤は準備を怠らなかった。考えうることにすべて対応済みだ。これ以上、どうにかできるとは思わない。ここまで準備したのだから、後は野となれ山となれ。

 時刻は夕刻前。開催時間は六時かららしいから、そろそろ迎えが来るだろう。さすがに会合用のスーツは用意していないため、玲李が持って来てくれるらしい。ただ主賓だから、迎えには来られないらしく、謝られた。真面目な彼女らしい。借りられるだけでありがたいものだ。

 秤は自室で今か今かと迎えを待っていた。車のエンジン音が聞こえた。商店街だが、徐行であれば通れる。そのため、玄関前に車が停まったようだ。一階に降りると、店の前にメイド姿の女性が立っていた。


 知っている。桜ヶ丘家では男性がほとんどいない。すべて女性なのだ。それは父親の趣味なのか、それとも娘に対する配慮なのかまでは知らない。しかし、メイド服である必要はないように思える。むしろ現実に存在していたという事実に、当初は驚いたものだ。グッジョブ、桜ヶ丘父。

 見目にサブカル色は皆無。厳かで、一種の品格さえ漂わせている。玲李とはまた別の静かな佇まいで、無感情というよりは完璧さゆえの静謐を漂わせている。

 所作に無駄はなく、メイド服よりも彼女自身の存在感の方が強く、衣服の印象が薄い。そのため、秤の父、貞夫は彼女の姿を見て、おろおろとしていた。事前に迎えが来ると話していたのだが、まさかメイドが来るとは思わなかったのだろう。


「突然、失礼いたします。私、桜ヶ丘玲李の使いの者でございます。時任秤様は御在宅でしょうか?」

「僕です」


 物怖じしない秤は、スタスタとメイドの前に行き、堂々と答えた。瞬間、メイドの視線が秤を射抜く。それは一瞬だけ、品定めするような動きをした。だがそれも即座に消える。勘違いかと思わせる程の僅かな変化だった。秤は見逃さなかったが、敢えて言葉には出さない。完璧な所作をするメイドでもそういう行動をとってしまうのはしょうがない。今まで玲李が男と親しくしてきた過去はないし、友人さえいないのだ。それが突然誕生日パーティーに誘った相手がいると聞けば、気になるのは当然だ。玲李がそういう性格だからこそ、ある程度の年齢になると車での出迎えがなくなったのだ。それは父親が悪い虫を払うまでもなく彼女自身が近寄らせないからであった。

 大企業の令嬢となれば、交際相手、結婚相手の条件は厳しくなるのは当然だ。秤は一般人、家柄はむしろちょっと貧乏の部類に入る。色眼鏡で見られない方が無理がある、と秤自身も理解している。


「私、玲李様のお世話をさせて頂いております、歌湖かこと申します」


 中々珍しい名前だが、秤は彼女の存在も知っている。確か、彼女は玲李のお付きになって五年目のはずだ。二十代前半の割に、すでに完璧な身のこなしで、玲李の信頼も厚いらしい。あまり一緒に居る姿を見られないので、彼女の情報は多くないのだ。

 一礼する歌湖に、秤も返した。


「少々お待ちください」


 歌湖は車まで戻ると、スーツを持って来た。スーツカバーに入っているらしい。


「こちらにお着替えください。お手伝いは必要でしょうか」

「いえ、大丈夫です」

「かしこまりました。それではこちらでお待ちしております。時間はまだございますので、ごゆっくりお着替えください」

「わかりました」


 受けとると、自室に戻り、早速着替える。中には略礼装のスーツが入っている。フォーマルを嫌った玲李がドレスコードを比較的カジュアルに変えたらしい。もう少し、柔らかい印象のスーツでもいいらしいが、一応は主賓である玲李の招待客だからか、多少品格を重視したのだろう。ただ、普段着なれていないため馬子にも衣装なのは変わらない。こんなこともあろうかと、最低限のマナーや着方はマスターしている。玲李の家柄を見れば、当然の下準備である。

 ドレスシャツと濃紺のダークスーツとベスト。定番の色合いだが、生地は高級感が溢れている。高いのは間違いない。海外の高級ブランドだ。サイズもぴったり。これ、どうやって作ったんだろうか。というか、オーダーメイドなんじゃないだろうか。レンタル、じゃないよな。秤はもしかすると玲李なら、自分のためだけにスーツを作らせたりするような気がした。そして、まさか、さすがにそこまでしないか、と無理矢理に自分を納得させる。


 こういう時のために、買っておいた国産の高級ブランドの眼鏡をかける。毎日手入れはしているので問題ない。ちなみに値段は三十万。三十万である。高校生が持つには高すぎるが、秤は家業で稼ぎ、その一部を小遣いとして常々お金を貯めている。それを小さい頃からずっと続け、こういう時のためだけにお金を使っているのだ。だからか難なく買える。だが、彼のお金の使い先は、ほぼすべて玲李のためだ。秤はそれを苦にしていない。さすがにスーツはまだ成長するということと、状況によってわけないといけないため、買えていないがその内、必要になるとは思っている。

 ネクタイを結び、全てを着用し終えると鏡を見た。こんなこともあろうかと何度もスーツを試着した経験はある。貿易商社の社長繋がりで、紳士服の小売店舗を複数経営する社長との伝手が出来たおかげだった。

 多少は慣れているので、まあ、こんなものかと感想を抱くと、ハンカチを胸ポケットに入れて再び階下に降りた。

 玄関にはいつの間にか、革靴が置かれている。サイズはぴったり。ちょっと怖い。

 靴を履き、外に出ると歌湖が一礼した。顔を上げると、真っ直ぐ秤を見据える。どうやら見るともなく見て、秤の見た目を観察している様子だ。


「お待たせしました」

「……それでは参りましょう」


 どうやら合格らしい。何か言いたげな雰囲気もなく、褒められるでもない。ただ、何も言わないだけで、基準値は得られたと考えていいだろう。こんな状況、一般市民ならばおどおどするが、秤はしない。彼はすべてを、玲李に関してのあらゆる事柄を考慮し、乗り越える訓練と心構えをしているのだ。ゆえに、彼は後悔せず、すべてに堂々と取り組める。

 リムジンの後部座席に乗ると、秤はこれから起こるであろうことを、脳内でシミュレーションした。その様子を歌湖は一瞥し、そして発車させた。



「――な、なんだったんだ」


 リムジンが走り去った後、秤の父、貞夫は一人狼狽えていた。

 そして、高級外車の存在に、商店街の人達も集まり、貞夫に口々に質問を始める。「一体、あれはなんだ?」「秤はどこに行ったのか?」と。だが、その問いに貞夫自身もまともに答えられなかった。彼も息子が何を考えているのか、わからなかったのだ。


   ●●


 無言のまま車は進む。かなり居心地が悪い。さすがにリムジンに乗るのは初めてで、余計に居心地が悪い。歌湖はメイド服で運転している。イメージがあるからか、ギャップが強い。彼女一人で迎えに来たので、車内は二人きり。エンジン音だけが響いているだけだった。そして、秤は窓の外を眺めた。それくらいしかできることがなかったのだ。


「時任様は、お嬢様とクラスメイトとのことですが」


 突然、話しかけられて反応が遅れてしまうが、正面に視線を向けて答えた。


「え? あ、ええ。そうです」

「失礼ですが、それ以上の関係ではありませんよね?」

「ええ、ただのクラスメイトですよ」


 今のところは、と胸中で付け加えておいた。

 歌湖は明らかに秤を警戒している。令嬢のお付きとなれば、交友関係を気にするのは当然だろう。ここでもしも彼氏だなんて言ったら、途中で降ろされて、父親の手の者がやって来て、別れろと恫喝されたりするんだろうか。想像したら、少しだけ怖かった。

 秤の返答に、歌湖は「そうですか」と返す。どこか安心したような表情だった。彼女の雇い主は玲李の両親だ。多分、色々と言われているんだろう。

 しばらく経つと、桜ヶ丘家についた。庭師の仕事で何度も通っているので見慣れたものだ。夕刻前だが、まだ誰も到着している様子はない。秤が一番乗りらしい。

 玄関前に停まると、歌湖にドアを開けられた。外に出ると先だって案内される。


「こちらへ」

「ありがとうございます」


 階段を上り玄関を通る。正面には幅広の階段が二階に伸びている。吹き抜けで、三階まで空間が広がっている。豪奢なシャンデリアに骨董品の数々で彩られている。歌湖に続き、廊下を進むと、両開きの扉前に辿り着く。入ると会場らしく、すでにパーティーのスタッフ達があくせくと働いている姿が目に入った。


「会場はこちらです。お嬢様は別室にいらっしゃいますので、そちらにご案内します」

「わかりました」


 廊下をしばらく道なりに進むと一室に到着した。歌湖がノックすると中から「どうぞ」と玲李の声が聞こえる。秤は歌湖の先導で中に入った。客間のように見るが、お色直し用の部屋にあてがっているようだ。幾つもドレスが用意されており、複数の使用人が玲李の身なりを整えていた。それも終わったのか、彼女達は玲李から距離をとる。その拍子に、玲李の姿が、視界に入り込んだ。

 ビスクドールを思わせる美しさがそこにはあった。人工物のように完璧さを求められ技巧を凝らしたような、神の渾身の創造物。それが彼女だった。

 秤は見惚れることはなかったが、感嘆と共に小さく息を漏らす。芸術品を前に言葉を失う観客のような心境だった。そして振り返る玲李を真っ直ぐに見つめ、言われるまでもなく答える。


「可愛いね、似合ってるよ」


 敢えて可愛いという言葉を選んだ。幼い頃ならば別として、現在の玲李に対し可愛いと言う人間は少ないと考えた結果だった。どうやらそれは正解だったらしく、玲李は満更でもない様子だった。その証拠に僅かに唇を尖らせ、気色ばんでいるように見せて恥ずかしさを誤魔化しているようだった。


「時任君も中々似合ってます」

「そう? ありがとう」


 謙虚な姿勢は日本人の美徳だが、一々謙遜すれば相手の負担を強いることになる。そんなことはないと言われれば、もう一度褒めなければならなくなるのだ。何事もやり過ぎはいけない。

 秤は小さく笑うと玲李に近づく。同時に、玲李は使用人達に退室を命じた。即座に彼女達は部屋を出て、二人にきりになる。


「今日は、パーティーが終わるまで私と一緒に行動して貰えますか? 父も母もいないので、色々言われることはないと思いますが」

「どうかな。財界の人達に嫌味を言われそうだ」


 秤は苦笑する。玲李は少しだけ困ったように首を傾げ、首肯した。


「そう、かもしれません。イヤならば断わって貰っても構いませんが」

「いや、僕が頼んだことだからね。だからこそ君は本当に頼みたいことを提案してくれたんだろ?」

「……あなたは本当に察しがいいですね」

「たまたまさ」


 肩を竦め、大したことじゃないという風にアピールする。あまり踏み込み過ぎては怪訝に思われる。言動には注意しなくては。まさかここまでのやり取りが、ある程度計画の内であるなんて知られたら、どうなるかわからない。すべてが水泡に帰すのだけは勘弁だ。


「さて、始まるまで時間があるけれど」


 何をするか、と聞く前に、玲李がベッドの脇に移動し、ぽふっと座った。そして自分の横をぽんぽんと叩く。座れ、ということらしい。秤は苦笑しながら彼女の隣にゆっくりと座った。


「今日のことを考えると、気が滅入ります」

「つまり、お姫様を楽しませろってことか」

「イヤでなければ」

「喜んでさせてもらうよ」


 何となく卑猥に聞こえないでもないが、単純に会話で楽しませて欲しいと言われているだけだ。その場所がベッドの上であるのは、偶然だろう。玲李にそんな考えがあるはずがない。というか、そんな風に考えていたらちょっと神経を疑ってしまう。すぐに誕生日パーティーなのに。なんて頭の片隅で考えながら、玲李と会話を楽しんだ。

 他愛無い内容だ。何が好きか、普段何をしているか、学校の授業で好きな科目は。そんな程度の中身だ。そして秤が聞くことは大概知っている。深く踏み込んだところの情報はないが、まだ聞けるような関係ではない。人間関係構築には距離感が重要だ。その目測を誤れば簡単に破綻するもの。

 会話は続いている。時々、玲李は言葉を考えるためか物思いに耽るが、秤は焦らず待っている。それはいつものことだったからだ。そして、話の内容は趣味に関してに移っていた。


「――普段、庭や家の中で油絵を描いてます。モチーフは自然か無機物が主ですが」

「へぇ、僕も結構描くよ。専ら模写ばかりだけど。デッサンか油絵が多いね」

「それは偶然ですね。是非、見せて貰いたいです」

「あはは、もちろん、いいよ。桜ヶ丘さんの絵も見てみたいな」

「……機会があれば、はい」


 少しだけ気が向かない風だった。何かあるのだろうか、と思ったが、すぐに表情は明るくなる。ほんの少しだけ。微細な変化に気づけるのは長い間彼女を見てきた秤だからこそだ。

 とにかく、これで約束ができた。彼女と写生デートしやすくなったというものだ。休日にどこかにでかけて描くのも悪くないだろう。まあ、偶然じゃなく、必然だったのだが。事前に情報を仕入れて、その内、偶然を装って絵が趣味だと言うつもりだったのだから。

 しかし彼女は知らない。そのため、無邪気に喜んでいる様子だった。

 そして、数十分話していると扉がノックされた。


「お嬢様、そろそろお時間です」

「すぐに行くわ」


 いつも以上に冷たい声音が外へ向かっていく。声からして外にいたのは歌湖だろうが、玲李はあまり彼女に気を許していないのだろうか。会話中の温かな雰囲気はなくなり、剣呑とした空気が漂い始める。そんな中、玲李が立ち上がると秤も伴った立ち上がる。

 さて、二人の間柄はかなり微妙なものだ。ただのクラスメイト。玲李は知り合い程度の認識しかしていない。となると距離を縮めるわけにはいかない。腕を組むのも、手を取るのも状況にそぐわないだろう。かといってただ隣にいるわけにもいかない。行動を共にして欲しいと言われているのだから。

 どうしたものか、と玲李を見下ろした。小柄で、いつもよりも露出が多い服装だからが一段と幼く見える。そんな彼女がいきなり秤に近づき、腕を組んだ。

 細い腕が絡まるが、体温や柔らかさは伝わらない。残念ながら、玲李のスタイルでは弾力を感じさせるには力不足だった。しかし秤は、そんなことを表情に出さない。玲李の行動はさも当然という体裁を保ち、落ち着いた声音で言った。


「じゃあ、行こうか」

「……はい」


 玲李の顔は間違いなくいつも以上に強張っている。緊張しているというよりは、これから起こることを忌避したいという感情が滲んでいる。玲李はぎゅっと秤の腕を握る。手からは彼女の心情が伝播してくる。彼女はいつもこんな心境でいたのだろうか。

 以前、一度、パーティーに参加したことを思い出す。その時も、彼女は周囲を突き離し、常に警戒し、刺々しい雰囲気を醸し出していた。それは彼女なりの自己防衛だったのかもしれない。言葉以上に玲李は取り巻く環境に辛い思いを抱いているのだろうか。

 秤は玲李を優しくエスコートするように歩く。そうすることが自分の役割だと信じて。

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