第10話ひょっとしてこれが青春というやつなのだろうか
授業が終わり放課後になった。秤は教科書やノートを片付けている最中だ。教室内には玲李も告白が成功した金田君も小林さんも八重樫さんもいる。残念ながらイケダ君は別のクラスだ。たまに廊下から教室内を覗いて悔しそうに秤を睨むことはあったが、それだけだった。いつか何かされそうでちょっと怖いが、多分性格がいい彼のことだから大丈夫だろう。
玲李と接するのは昼食時、学食の中だけだ。恐らく、教室内でも会話をするのは容易だろう。二人とも、別に周囲を気にするような性格ではないからだ。だが、秤は特別性を演出するため敢えてこの二週間、教室の中では話しかけなかった。玲李も自分から話すような性格ではないため、教室で話をするということは今までなかったのだ。
しかし、明日明後日は休みで、誕生日パーティーの日までは登校しない。そのため一応一声かけようと思った。連絡先は知らない。まだ聞いていないのは、聞けば彼女の中での秤に対する異性としての印象が強くなる可能性があるからだ。今は友人と異性という間で上手くバランスをとらないといけない。彼女にはどちらもおらず、美味く舵取りをしないと拒絶される可能性があるからだ。
人に対しての印象なんてものはちょっとしたことで変わる。特に女性は繊細で共感を重要視する。男にとっては大したことじゃないと思っても、女性にとっては大事なことというものは無数にある。慎重になるに越したことはないのだ。
秤は帰りの準備をして、席から立ち上がると玲李の下へ行こうとした。
「あ、あの」
途中で声をかけられたので振り向くと、そこには八重樫が立っていた。秤は瞬時に相手の表情や仕草を読み取る。彼女はもじもじとして、頬を朱色に染め、俯き加減で目線をきょろきょろと動かしていた。彼女の後ろには友人Aと友人Bがわくわくしたような顔をして応援するような仕草をしている。
秤は直感する。まずい、これは間違いない。『○○って、●●のこと好きなんでしょ? ウチら応援するからさ、告白しなよ。じゃないと違う女子にとられちゃうよ!』現象である。無責任な第三者の甘言によってその気になってしまうのだ。恋は盲目なのである。
八重樫が自分に好意を持っているという噂はあった。こんな事態を想定していなかったわけではない。だがこのタイミングとは。完全に玲李に対してのあてつけだ。つまり水面下で秤の争奪戦が始まりつつあるということであった。秤はそれが勘違いであることを願う。
普段、玲李は周囲に対して興味を持つことは少ない。だが、間違いなく聞き耳を立てている。視線は正面、黒板と鞄に注がれているが、明らかに手の動きを止め、別のことに集中している様子だった。これは玲李が秤に興味を示しかけているということでもあったが、下手をすれば元の木阿弥だ。慎重に事を運ばなければならない。
大丈夫、こうなることは想定済みだ。ただ、思ったより時期が早かったのと、こんな衆目の中で行動を起こされるとは思っていなかっただけだ。落ち着け。問題ない。さすがにこんな場所で告白したりはしないはずだ。どこかに移動するはずだからそこで相手をできるだけ傷つけないように断ればいい。
秤は冷静を装い、やんわりと笑うと答える。
「何かな?」
八重樫はもじもじとしたままだった。ちらちらと秤を上目づかいで見る姿は、なるほど中々に女の子らしく可愛い。彼女は男子生徒の仲でもそれなりに人気があるらしいが、それも頷ける。だが、秤が興味があるのは玲李だけだった。
勇気を出して行動してくれているのだ。無碍にはできず、また急かしたりもできない。結局、秤は次の言葉を待つことしかできない。そんな中、クラス中は時が止まったように、誰も動こうとしない。喧噪さえなく、八重樫の言葉を待っているようだ。こういう時のクラスメイト達の結束の強さは何なのか。金田君に至ってはハラハラしながら彼女の小林さんと寄り添い、秤を見守っていた。恐らく、彼等は秤が玲李と恋人関係になることを願っているのだろう。対してイケダ君は八重樫を応援するべく、ガッツポーズを何度もしている。いけ、いけ! みたいな口の動きをしている。
誰一人部屋を出ない。そんな中、意を決したのか、八重樫が小さく「よしっ」と言ったのが聞こえた。顔を上げた瞬間、目が合い、顔を沸騰させると即座に俯いてしまう。ちょっと目が潤んでいた。心境が目に見えてわかるから、秤も余計に何も言えなくなってしまう。彼女の勇気に応えるべく、気長に待つしかないらしい。
そんな中、ギギッと椅子を引きずる音が聞こえた。室内の人間の視線を一気に奪う。その先には玲李が立ち上がった姿が見えた。鞄を持ち、スタスタと歩き始めた。そして、秤の真横で止まる。
正面には八重樫、左斜め前には玲李という構図が出来上がった。その時、教室中に緊張が走る。さすがの秤もこれは想定外だった。何が起こってるのか、理解の範疇を超えていた。
玲李の性格は真面目で頑固、努力家で礼節を重んじ、やや独善的。実は優しく、人情に厚い性格というのが、ゆいとの関係性でわかった。その性格には適しない行動に思えた。だが、秤は心の底で妙に納得してしまう。彼女が、友人、或いは多少親しい人間に対してどういう行動をとるのか、までは知らないからだ。これは独占欲からくる行動なのだろうか。
秤は事を無言で見守る。表情は笑顔のままだが、背中には汗が滲んでいる。
戸惑っているのは秤だけではなかった。八重樫も玲李の行動に狼狽している。玲李と秤が親しくなり始めたことは八重樫も知っている。だが、まさか間に入るようなことをするとは思わなかったのだろう。
玲李は秤を見るでも、八重樫を見るでもなく、二人の中央付近、真っ直ぐ窓の外を見ている。まるで秤と八重樫の関わりを視線で引き裂こうとしているようであった。
そして、玲李はゆっくりと秤を見た。いつも以上に冷たい瞳が日差しを反射させているため、余計に人形の眼窩を想起させた。
「時任君」
感情がない。言葉には抑揚があるものだが、ただの文字列が言葉として出されているだけのような感覚だった。電子的信号の集まりのような、機械音声に秤は気圧される。
「な、何かな?」
「一緒に帰りましょう」
有無を言わさない口調だった。強い威圧感。常人ならば二つ返事で了承してしまうだろう。八重樫が泣きそうな顔になって、秤を凝視している。その眼には色濃く、懇願の意が含まれている。まだ何も言っていない。だから待って欲しい、そう言っているようだった。
秤は八重樫を放っておくことはできなかった。今後のことを考えれば、彼女の気持ちを無視はできない。それは秤自身の立ち位置だけでなく、八重樫も玲李もクラスの空気も考慮しての考えだった。それに後味が悪すぎる。別に彼女のことを嫌いなわけでもない。ならば敢えて傷つける方法をとりたくはない。
「うん、構わないけど、ちょっと待ってくれるかな?」
「………………わかりました。では廊下で待ってます」
玲李はほんの僅かに不服そうな顔をしていたが首肯してくれ、廊下へと出て行った。秤は小さく嘆息する。そして思った。なんでこんな間男みたいな立ち位置になっているのか、と。誰とも恋仲になっていないし、告白もされていないしアプローチもされていない。デートさえしていないのに、この状況。
間男やヒモのような連中を見下し、なんて最低な人種だと思っていた秤だったが、もしかしたら彼等には彼等なりの気苦労があるのかもしれない、なんてちょっと思ってしまう。
八重樫に視線を戻すと、先ほど以上に泣き出しそうになっていた。頬はぷっくりと膨れ、顔中が朱色に染まっている。視線は地面から動かない。目尻は小さな涙の粒が浮かんでいる。彼女が玲李の行動でどのような心境に陥ったのか、想像に難くなかった。
秤にできることは一つしかなかった。
「八重樫さん。もしよかったら日を改めて話してくれないかな? 僕の勝手で悪いんだけど」
秤はできるだけ声を抑え、相手を傷つけないように慎重に言葉を選んだ。秤には二択しかなかった。この場で八重樫の反応を待つか、自分から提案をするか。前者は玲李の行動で難しくなったのは見て取れた。なので後者を選んだのだ。
あくまで秤のせいという体でいけば、少しは八重樫のプライドは守れる。しょうがないと思って貰えれば、多少はフォローできるというものだ。ただ諸刃の剣でもあった。自分よりも玲李を優先したという風にとられてしまう危険性もあるのだ。
だが幸いにも、秤の狙い通り、八重樫は多少なりとも冷静を取り戻し、秤の提案に頷いた。どうやら彼女自身、かなり逼迫した状況で、玲李と自分の状況を照らし合わせるという考えには至らなかったようだ。
「わ、わかった。ごめんね、いきなり」
「いやいや、大丈夫。それじゃ、またね」
「う、うん」
秤は八重樫に手を振り、教室を出た。
なんて厄介な。これでもし八重樫がさっさと告白でもしていたら、室内は修羅場になっていただろう。ただすべては確定事項ではない。それぞれの感情や思いを口にしてはいないからだ。八重樫はもしかしたら秤に告白なんてするつもりはなく、別の意図があって声をかけてきたのかもしれない。玲李も別に邪魔をするつもりはなく、何かしらの用事があって一緒に帰ろうと言ったのかもしれない。だが、互いの反応から恐らくは秤の考えは間違っていなかっただろう。
八重樫は秤に恋心を抱いており、告白、あるいはそれに近い何かをしようとした。
そして玲李は秤と八重樫を見て、嫉妬したのだ。だから行動を阻害した。
そこまで考えて秤は苦笑する。彼はマニュアル人間だ。直感的に行動出来ない。だから二人の本能的な行動を理解出来ない。もちろん、様々な経験や知識からそういう行動に出る可能性は理解しているが、自分がそんな衝動的な行動をする姿が想像できないのだ。それに、二人の興味は自分に向いていると考えるのも、なんとなく背中がむず痒い。恥ずかしいという意味ではなく、自分がナルシストで自意識過剰な気がしてくるのだ。この心理を地でいっているような人達は、どういう精神構造をしているのか秤には理解出来ない世界だった。
恋愛というのは、本当に恥の塊のようなものだ。やはり秤には、そこまでして相手と両想いになりたいと思う気持ちが理解出来なかった。ただ、玲李にそんな感情が生まれているのか、という確信はまだ持てない。彼女はゆいに関しても強い独占欲か庇護欲を持っていた。その過剰な欲求から、衝動的に秤を叩いてしまったのだと秤は考えている。だが、それに準ずる何かの感情を秤に抱いているだけなのかもしれない。友人に抱くようなものかもしれないのだ。まだ恋愛感情かどうかはわからない。早合点はよそう。一先ずは、多少独占欲を抱いてくれたということで、今は良しとしよう。
隣を見ると玲李が窓の外を眺めている姿が見えた。彼女のそんな様子は今までに見たことがない。可憐で儚げだった。今まで、玲李が誰かと関わる様な場面を見たことがなかった。だからか、こんな場面の彼女の表情や仕草は稀有だった。物憂げにも見え、ノスタルジックな魅力さえ抱かせる。もちろん、秤にそんな経験はないが、そう思わせるほどに、既視感があり、強い誘引力を感じさせる。それは無意識下に根差している本能に近しい感覚だった。ひょっとしてこれが青春という奴なのだろうか。
玲李が秤に気づき、近づいてきた。先ほどまでの居丈高な姿勢はない。どこか柔らかく、なぜか勝ち誇ったような余裕があった。その人間として悪癖じみた意図を感じとっても、彼女の魅力は一縷も揺るがない。心臓を鷲掴みにされた、と形容する以外に言葉がない。秤は無意識の内に玲李に声をかけた。
「お待たせ」
「では行きましょう」
「そうだね」
自然な会話ができたのは、この二週間があったからだ。二人の後ろ姿は違和感がまったくなく、まるで長い間、共に過ごした幼馴染のような空気感が漂っていた。ともすれば高貴な雰囲気さえあり、独自の閉塞感を抱かせる。秤は長い間、玲李を見て来て、その上で彼女に釣り合う人間であろうと努力をしてきた。もちろん、格差を埋めるため、知識や経験を得る努力を惜しまなかった。結果、玲李に対しても気おくれしないのだ。普通の人間であれば玲李と話すのも近づくのも共に歩くのも臆してしまい、まともに接することは不可能だろう。そのためか、誰も近づけず、むしろ離れて見守ってしまう。そして情景に見惚れて、我に返るということを繰り返していた。そこには確かに憧憬と妬みがあった。
二人の姿はそれほどまでに異質で当たり前に見えたのだった。
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