第9話恋愛は勘違いが基本


 それから二週間、登校日は毎日、食堂で玲李と話した。

 時には玲李が話し始めるまで数分を要したり、会話がちぐはぐだったり、突飛な行動をとって困らされたりもした。しかし、それは秤も同じで、どうやら相性は悪くないようだった。秤だけでなく、玲李も同じように感じていたのは間違いない。しかしそんな時間も長くは続かない。

 いつものように食堂に来ていた秤は、目の前に座っている玲李に話しかけた。


「前、いいかな?」

「どうぞ」


 玲李は慣れた様子で即答した。最初に比べ、幾分か警戒心は緩和している。ほんのりと笑みを浮かべているようにさえ見えた。もちろん、幻覚だ。

 秤は玲李の正面に座ると、トレーを置いて食事始める。この二週間で彼らの間にルールができたのだ。まず、声をかける言葉は毎回一緒。正面に座り、食事を終えるまでは無言。水を一気に飲み、それを合図として会話を始める。

 残念ながら、それは自然に起こったことではない。秤がわざとそういう風に仕向けたのだ。それはつまり、小さなことでも二人だけの約束事があると親密感が増すという考えからだった。そして同じ行動をする、ミラーリングという心理効果は相手との距離を縮める効果がある。それに習慣化すれば、一定期間が空けば気になってしまう。

 打算と計算だった。それは功を奏したらしく、玲李との距離感は多少縮まっている。そして食事を終え、会話の体勢になった。いつも通りだ。


「さて、今日はゆいちゃんとどういう関係か、という話でしたね」

「うん、そうだね」


 玲李と話すにあたって、秤は一定のルールを設けた。やや堅苦しいが、枠組みがないと玲李は会話に困ってしまい、無言が始まるのだ。だから、最低限、秤が話題を振ることにしたのだ。彼女は秤とは別の意味でマニュアル人間らしい。いい意味では意思が強いが、悪い意味では融通が利かない。


「彼女は、的場グループの御令嬢です。桜ヶ丘グループとは長い付き合いがあるので、頻繁に顔を合わせていまして、その流れで仲良くなりました」

「ゆいちゃん自身は、君とかなり仲がいいと言っていたけど」

「ええ、はい。私もそう思います。彼女は私にとって妹みたいなものですから」


 人懐っこいゆいならば、玲李のような特殊な人間でも仲良くなれるかもしれない。それに子供相手ならば、玲李の貧困な会話技術でもなんとかなるのかもしれない。むしろ、だからこそ上手くいくのだろう。

 ゆいの話をしている最中、玲李の表情は柔らかい。彼女も完全な人嫌いではなく、一部の信頼している人間には心を許しているということがわかる。

 玲李の人間関係は、屋内で構築されたらしく、秤は知らない事実だった。長らく観察してはいたが、それは外部からの監視で、それ以上、踏み込みはしなかった。


「それであなたはどこで出会ったのですか?」

「僕は、彼女が迷子になっていたところに遭遇してね」


 秤はゆいとの出会いを話した。特に隠す必要はない。ただ、玲李とお近づきになりたいがために庭師の仕事を紹介して貰ったという事実だけは隠さなくてはいけない。


「なるほど、そんなことが」


 玲李の長所は、人の話を真剣に聞くことだ。彼女はどんな相手でも無視はしない。話す方も話しやすい。ただ、表情の変化が一切ないので、人によっては居心地が悪く感じるかもしれない。秤は玲李の真面目な性格が感じとれているが。

 玲李は何度も頷き、言葉の一つ一つを飲み込んで理解しようとしている。


「桜ヶ丘さんは、迷子を見たことはある?」

「あります。警察に連れて行ってあげようとしたことも。ただ無理でした」

「無理、というのは?」

「泣き叫ばれまして。どうやら怖がらせてしまったようで」


 ほんの僅か、しゅんとしてしまった。彼女は彼女なりに親切にしようとしたが、裏目に出てしまったようだ。

 話す度に思う。やはり彼女との結婚しか考えられない。長らく彼女を身勝手に見初め、一方的に伴侶となる未来を思い描き、行動をしてきた。しかし、接する機会が増えていくごとに実感するのだ。桜ヶ丘玲李という人間の純粋さと真面目さを。

 恐らくは、まだまだ知らない部分はあるだろう。だが、きっと秤は彼女の全てを受け入れられると自負していた。十三年間は伊達じゃない。それだけ彼女のことしか見てこなかったのだ。


 そんなことを誰にも言えないが、その過去があったからこそ秤は、玲李と共に人生を歩める自信があるのだ。良し悪しは別として。

 このままの関係を維持し、少しずつ仲良くなれば、もしかしたらそんな未来が待っているかもしれない。だが、秤はある考えからその手段はとれないと判断していた。そのための事前準備は長い時間をかけ、懇切丁寧に行っている。完璧だ。ここまで来たら、もう迷う必要は何もない。後は、秤の計画通りにすべてが進むことを願うだけ。都度調整、都度方向を変えれば問題ない。何が起こっても、結末は一つしかない。そのために十三年間を費やしたのだから。

 秤は、ほんの少し自分が緊張していることに気づいていた。ゆっくりと呼吸を整え、ぽつぽつと喋る玲李に相槌を打ち、会話を終えた瞬間、話題を変える。


「ところで、決まったよ。頼みが」


 玲李は無表情のまま沈黙を守り、数秒間、姿勢をそのままにしていた。そして口元だけを動かし、声を出す。


「そう、ですか」


 明らかに彼女は戸惑っている。それはきっと、この二週間で少しは秤との時間を楽しんでいたという証であった。彼女はこの時間が終わるのを惜しんでいる、そう確信した。

 罪悪感はない。なんせ、そういう心情になるように計画してここまで来たのだ。どんな人間でも二週間、ほぼ毎日話す相手には親近感を持つものだ。しかも一対一で普通の会話をしている相手だ。親しくならないはずがない。その状態で、この関係が終わるかもしれない、つまり頼みごとを言われることで、今後どうなるかを想像してしまう。

 次の段階に移るには丁度いい。

 時間は限られている。むしろあまりない。その期限内でどう動くが重要だ。出すべき言葉は決まっている。ならば迷う必要はもうないのだ。

 秤は、ゆっくりと口腔を開く。


「僕の頼みは、君が僕に頼みごとをすること」

「………………どういう意味です?」


 長い沈黙の後、玲李は怪訝そうに言った。それもそうだ。秤の頼みはかなり荒唐無稽だからだ。


「君が僕に頼みをすることが、僕の頼みってこと。もちろん、何でもいいよ」

「何でもって……それじゃ、あなたにメリットがないでしょう?」

「そうでもないさ」

「何が目的なのか聞いても答えないのでしょうね」

「その通りだね」


 玲李は思案顔だった。秤の言っていることは違和感しかないだろう。貸しとは本来、返す場合は当人に利益があるものだ。もちろん、貸し借りを一々口にしたりすることはあまり多くはない。だが、玲李と秤の間では明確に約束を交わされている。秤自身が貸しを作るように動いたのだ。なのに、その頼みが相手のメリットになるように、むしろこっちが頼みを聞くと言う内容だった。

 警戒して当然だ。普通ならば。

 この二週間で、玲李の中で秤という人物をどう評価したのかにもよる。明らかに利益目的でもなく、恋愛感情があるわけでもない。目的が、彼女の中で不明瞭なのだ。そんな宙ぶらりんのままで接する中で、彼女の中でこういう言葉が出来上がる。『この人はそういう性格なのだ』と。つまり、天の邪鬼で掴みどころがない。だから自分の想定の範囲外の行動をしてもおかしくない、と。


 実際、玲李は秤の提案に驚きはしても、その後、訝しがる様子は薄い。それだけ、二人の親密度は上り、ある程度の関係性は築けているのだ。もしこれが通常の出会いであったり、運命的な出会いであればこうはならなかった。マイナススタートだからこそ、成し得た結果だった。もちろん、別の始まりがあれば別の道を辿ってはいたが。

 秤はじっと玲李を見つめる。彼女も真っ直ぐ秤を見つめていた。探るような視線だが、微かに別の感情が籠っているのを秤は見逃さない。間違いない。彼女は、秤に惹かれはじめている。

 共に過ごした時間、苦手な会話に付き合い、むしろ優しく教え、自分の知らない世界を教えた。そして、彼女が人間を嫌いになった、見下した理由さえも秤は知っている。つまりどうすれば嫌いにならないかも知っているのだ。


 彼女は他者を卑下する人間を嫌っている。本人にもその気はあるが、表には出さない。

 心理的要因や様々な手法で、秤は玲李の心理を上手く操った。その結果、彼女は秤に懸想する。恋愛なんてちょっとしたきっかけで始まるものだ。そしてその理由は単純なもので、やや洗脳じみたものである場合もある。多種多様ではある。人間の感情だから、完璧にはわからない。だが、敢えてそう仕向けることは可能だ。絶対ではないが、確率は上がる。

 結果、人と接することがなかった玲李は秤に多少の特別性を抱いたのだ。

 秤は罪悪感を抱かない。彼女と結婚するためならば、自分を貶める覚悟はできている。

 玲李は悩んでいた。今すぐ答えを出さなくてもいいのだが、真面目な彼女は問いかけられれば真剣に考える。秤は、彼女の性格もわかっているし『何を頼むかもわかっている』のだ。時期、関係性、貸しの元となった出来事の内容、玲李が何を悩み、何を忌避しているのか。それらをすべて考慮すれば自ずと答えは出る。

 彼女はこう言うだろう。

 では。


「では」


 私の誕生日パーティーに。


「私の誕生日パーティーに」


 パートナーとして参加してくれませんか?


「知り合いとして参加してくれませんか?」


 ほら、当たった! ……ん? 知り合い? んん? あっれ? あっれー? おっかしぃな。ここはパートナーとして参加して欲しいって言われると思ったんだけどなぁ。もちろん、実際にというわけでなく、パートナーの振りをして欲しいって意味で言われると思っていた。でも違った。うそだぁ……。


「実は、毎回パーティーで、男性が言い寄ってくるので……その、取引先の方々だったりして、無碍にはできないのですが、最近、前よりも酷くなっているので。一時的でいいんです。知り合いとして参加して貰えませんか?」


 いやいや、そこは恋人とかパートナーとかでしょ。なんで知り合いなの? それじゃ意味ないでしょ? なんで俺が知り合いとして参加するの? 俺何も言えないじゃん? これにはさすがに、口調が素に戻るかと思ったよ?

 秤は胸中で複雑が思いを抱いた。玲李の誕生日が近いことも、誕生日会には両親が参加しないことも、彼女が言い寄ってくる男を煙たがっているのも、親から婚約者を決められそうになっていて嫌がっていることも、そういう連中と結婚する気がないことも、そして断る口実を探していることも知っていた。だからこそ自信があったのだ。

 間違いなく、最低限の関係性は構築できていると思った。だが、玲李にはそんな考えを思いつかないのか、それともまだそこまで親しいと考えていないのか。どっちにしても予想とは違った結果になってしまった。


「あの、どうでしょうか?」

「あ、うん。いいよ、それくらい、全然いいよ」


 放心状態になりながら秤は答える。玲李の周囲にはパァッと花が咲いたようだった。もちろん、無表情である。


「日程は明後日です。家にお迎えに行きますので、待っていてください」

「あ、うん、わかったよ」

「それでは今日はこれで」

「あ、うん、またね」


 玲李は軽い足取りで去って行った。間違いない。ちょっと喜んでいる。彼女の場合、顔には出ないが、仕草に出るのだ。わかりやすい。でも、何を考えているのかわかりにくい。

 おかしいなぁ、間違いないと思ったんだけどなぁ。

 とりあえずパーティーに参加するのが目的ではあったのだ。だから最低限の目標は達成したということでもある。これでいいじゃないか。そう思い込もう。

 知り合いだけど。知り合いだけどね! 友達でもないかぁ、そうかぁ。

 玲李は嘘が上手くない。そのため、素直に話してしまうのだ。つまり彼女と秤の関係性は知り合いだ、と玲李は考えているということ。これは中々の勘違いしていたかもしれない。秤は珍しく顔が熱くなっていることに気づいた。自惚れていたのだ。彼女が、自分に恋愛感情を抱きつつあると勘違いしていたのだ。さすがにこれは恥ずかしかった。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫と根拠ないフォローを自分にしながら、秤は席を立った。その姿を見て、周囲の生徒達は蜘蛛の子を散らすように離れて行った。

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