第8話重い、重いよ!?


 翌日、秤は昼食時に学食にいた。

 トレーを手に持った秤の目の前には玲李が座っている。相変わらず不味いと言っていたカレーを黙々と食しているようだ。一体何を考えているのか、さすがの秤にもわからなかった。


「前、いいかな?」

「………………どうぞ」


 そんなに迷わなくてもいいものを。嫌われているんだろうか。

 秤は苦笑し、玲李の正面に座る。昨日から引き続いた情景だが、やはり目立つのか周囲の生徒達の視線を集めてしまっていた。だが、秤も玲李も気にした風はなく、自然に振る舞っている。

「考えたのですが」

 秤が何を言うでもなく、玲李から口を開いた。

 これには秤も少しばかり驚いてしまう。会話が苦手な彼女が、まさか、最初に話すとは思っていなかったのだ。だがそんな感情を表に出すことはなく、秤は小さく頷く。


「なにかな?」

「あなたは私に対して、貸しを返してもらうにも私が何をできるのかわからないから会話をすると言っていましたね? ですが、やはり別に会話をする必要はないように思えます」

「それは確かに、的確な手段だとは思わないけれど。別に会話という方法を用いてもおかしくはないと思うけれど?」


 それに昨日は、玲李も会話を楽しんでいたように思えた。というよりは自分から話したことで達成感を抱いていたように思えたのだ。イヤではなかったのだろう。それなのに、今日は不必要だと言っている。さすがの秤でもこの心境の変化には少しばかり理解が追い付かない。ただ、別に問題もないが。


「それは、はい、そうですね。ただ、非効率的ではないかと。それならば通常の会話をするよりは、願いを言い並べ、その中で実現可能なものを私が伝える、という手法でいいのでは」

「うん、じゃあ、それでいいよ」


 秤が即座に首肯をしたことで、玲李は訝しげに首を傾げる。


「いいのですか?」

「構わないよ。君の言うことはもっともだしね」


 会話が目的ではない。玲李と近しい関係性になるのが目的だ。会話はコミュニケーションの基本だが、だからといって内容をフランクなものにする必要もない。建設的な議論であってもそれはそれで互いの考えはわかるし、互いの距離感も近づくものだ。

 玲李は秤の真意がわからないようだった。その証拠に、戸惑いが目に浮かんでいる。


「あなたは何が目的なのですか?」

「突然、どうしたんだい?」

「突然ではありません。あなたは、私に何を望んでいるのです? 貸しを作ったり、会話をしようとしたり、目的がわかりません。もしも私の家柄を見て近づいてきたのであれば、こんな回りくどいことはしないでしょう?」


 知っている。彼女に近づく人間の中には、彼女の両親の権力や地位、金などの権益を求めているような輩もいる。会合で彼女の置かれた状況を目の当たりにしたことがある上に、十三年間見守ってきた、いや、監視してきた秤が知らないはずがない。

 あるいは容姿目的で恋慕する思春期真っ盛りの男子もいるだろう。しかし秤はそのどれもに当てはまらない、と玲李は判断したようだった。恐らく、玲李は秤の真意がわからず戸惑っているのだ。

 だが、昔からあなたのことを知っていた。結婚したいと思っているから近づいているのだ、とは言えない。秤はそんな愚直な人間ではないのだ。

 秤は肩を竦めて答える。


「心外だな。僕はそんなことが目的で近づいているわけじゃないよ」

「では、何を?」

「さて、なんだろうね」


 はぐらかす秤を見て、玲李は僅かに苛立っている様子だった。その心境が秤には手にとるようにわかった。理解出来ないから苛立っているのだ。彼女の周囲に集まる人間はわかりやすい。彼女に恋愛感情を抱いていたり、彼女の両親にすり寄るためだったり、表面上は取り繕っても誰でも目的はわかってしまうような人間ばかりだ。

 だが秤の言動も行動も玲李には目的がくみ取れない。そも、秤は庭師のバイトをしていたし、偶然を装い、顔見知りになっただけだ。ゆいが玲李に話している可能性はあるが、反応からしてどうやら口を閉ざしてくれているようだ。さすがロリ天使である。


「……わかりました。話すつもりはないのですね」

「まあね。ただ別に君が警戒しているような理由じゃないとは思うよ」

「まるでわかったような口ぶりですね」 


 わかってるからね。そう、胸中で答えて、秤は苦笑する。

 玲李は不満そうだったが、追求するつもりはないらしい。口を閉ざし、再び食事を始めると食べ終えたようだ。そのまま食器を戻しに行かず、椅子に座ったままなのが彼女らしい。気が向かないなら断り、教室に戻ればいいものを、律儀に応えてしまう。それが玲李の美点でもある。

 ちなみに彼女はカレーを食べたが、秤はうどんだ。もうカレーはこりごりだった。

 玲李が食事を終えると同時に秤も食べきる。水を一緒のタイミングで飲み干すと互いに正面に向き直った。


「それでは、議題は『どんな頼みごとをするか』です」

「……形式ばってるなぁ」

「話し合いで何かを決めるには大事なことです」


 彼女は仮に友人とどこかへ行こうという話になれば、完璧な理由を求めてしまうのではないだろうか。しかしそれでいいのかもしれない。なぜなら、昨日は会話に困っている様子だったが、なぜか今は少しだけ表情が明るい。使命感のようなものさえ滲ませているのだ。これはもしかして、昨日の会話のやりとりで味を占め、その上で自分の土俵に引き込んだということだろうか。

 彼女なりの会話の仕方なのだろう。それはそれで一般的ではないが悪くはない気がした。秤はとりあえず、玲李のやり方に従うことにする。


「それじゃ、どういう方法で決めるんだい?」

「そうですね。まずは、あなたが何を望んでいるのか。適当でいいです。思い付きでいいので口にしてもらえますか」

「うーん、と言われてもなぁ」


 秤自身、まだ何を頼むかは決めていない。普通、貸しがあるから、じゃあすぐに何か頼んでくれとはならないものだ。何かあった時に、よし、おまえには貸しがあるから手伝ってやろう、みたいな流れが自然だからだ。しかし玲李はそういう関係は好ましくないらしい。当初、この貸しを持ったまま会話をして少しずつ仲良くなろうと考えていたが、彼女の性格上、それも中々難しいかもしれない。


「では効率的に私の情報をお伝えします」


 玲李は足元の鞄をごそごそと探っている。昼食の時間にわざわざ鞄を持ってきていたらしい。何か取り出す気らしいが、秤には見当もつかない。いや、なんとなくイヤな予感がする。

 さっと玲李が差し出したものは見慣れたもの。ファイルだった。表面には『桜ヶ丘玲李の人生』と書いてある。何この文言。めっちゃ重いんですけど。

 秤は何となく予想していた通りの現象が起きたことで、表情を引きつらせながら言葉を紡ぐ。


「こ、これは?」

「そのままです。私を知って貰おうかと思いまして。そうすれば自ずとあなたの願いも決まるでしょう」


 何これ、何これ? なぁーにぃーこぉーれぇー?

 秤は混乱した。意識が混濁した。むしろパニックだった。桜ヶ丘玲李という女性を長年見て来たが、それは外面部分だけだ。踏み込んだ部分までは知らないのだ。それは例えば恋をした時、例えば突発的で異常な状況に陥った場合、その人がどういう行動をとるのか、まではさすがにわからないということだ。

 しかし、これは。まるで見合いではないか。いやそれよりも酷い。ここまで自己アピールをする人間がいたら誰でもドン引きである。しかも相手は別に自分のことを好きでもないし、ここは見合いの席でもないし、今から恋人関係を構築しようともしていない。単純に、貸しをどうやって返してもらおうかなという軽い感じで話そうとしていただけだ。むしろただの会話。議論でも会議でもない。なのに、婚活パーティーみたいな様相を呈し始めている。異様だ。周囲にもどよめきが広がっている。隣には金田君がいつの間にか座っていた。彼女とラブラブだ。よかったね。


 見知った顔が並んでいる。クラスメイトや教員までいる。何を野次馬のように見ているのかと憤る気力さえなく、秤は柔らかい笑みを浮かべて、玲李を見た。真剣である。何ならちょっとしたり顔である。先読みしてここまでしてきたんだよ、みたいな得意げな顔である。間違っている。方向性が明後日の方向に行って予想できるはずもない。

 これが桜ヶ丘玲李なのだ。彼女は常識にとらわれない。予想できない行動を起こし、予想できない思考回路を持ち合わせているのだ。ゆえに天才。ゆえに孤高。だからこそ、特別な存在なのです。

 秤は震える手で桜ヶ丘の人生ファイル、略してSファイルを受け取る。中を開くと、出生から現在に至るまでの玲李の人生が書き込まれていた。生年月日、体重、などの情報と共に写真が張られている。スリーサイズはない。そこはさすがに無理だったか。写真は、なるほど、かなり可愛らしいが、秤はすでに知っている。


 どこの保育園、幼稚園に通い、何を習い、どんな賞をとり、みたいな内容が羅列されている。その度に写真が張られている。子煩悩な親が作ったアルバムそのものだが、筆跡は玲李のものだった。間違いない。これ自分で作ったんだ。しかも一日で。

 ちらっと玲李を見た。先ほどにもましてドヤ顔だった。勘違いしてはいけない。見た目は表情はそのままだ。無表情なのだ。だが、秤にはわかる。彼女は間違いなくドヤ顔をしていると。秤には見えているのだ。彼女の周囲に散りばめられた多種多様な花々と、ほんの少し頬が痙攣している姿が。

 秤は中身を速読した。しかし内容はすべて秤の知っている情報ばかりだ。もちろん、玲李はそんなことを知らない。知らない人間からすればかなり有用な情報が載っている。簡易的ではあるが両親の略歴まで載っているのだ。


「……個人情報漏洩じゃないかな、これは」

「構いません。それらはすべて公表しても問題ない情報ですので」

「そ、そう」


 いいのかな。総資産とかまで書いてるけど。まあ、おおよそとか、大体みたいな感じでぼかしてはいるけれど。この娘。予想通りにぶっ飛んだ性格をしている。秤はこれくらいは軽いもの、むしろ予想内だと考えていたのですでに平静を取り戻していた。ただ、突飛な行動に少し驚いただけだ。

 秤はSファイルを玲李に返す。と、彼女は少しだけ残念そうな空気を醸し出した。そんなに頑張って作ったんだね、すごいね、怖いね。


「もう、いいんですか?」

「うん、全部覚えたし。それにやっぱり他人が持ってちゃダメでしょ」


 嘘は言っていない。元々、覚えた内容だからだ。

 秤はそれ以上の情報を持っているが、それは独自に集めたものだ。当事者が自ら漏らすのはどうかと思うのである。


「そうですか……張り切って作ったんですが」


 張り切って作っちゃダメな奴だよ、それ! 思わず立ち上がり、ツッコミを入れそうになった。しかし寸前で堪えた。身体がプルプル震える。

 秤は思った。箱入り娘のお嬢様ってこんな娘を言うのだろうな、と。

 改めて言うまでもないが、周囲には秤達の会話は筒抜けである。隠す気はないが、聞き耳を立てられて噂でもされては気分はよくない。ただ、玲李にそういうことを気にしろというのも無理がある。彼女は常に衆目に晒されているため、周囲に気を割くという考えがない。今も、周囲の人間が聞いているということに気づいていないのだ。

 首を傾げ、Sファイルを見ながら、寂しげにしているだけだ。もしかして、もっと驚いて欲しかったんだろうか。それとも会話の種になると思ったのだろうか。努力の道を違えているのは間違いないが、それはそれで微笑ましいのかもしれない。


「では、それらの情報を踏まえて。願いをどうぞ。私にできる範囲内のことであれば何でもします。ただし常識の範囲内で。善処しましょう」


 女の子が何でもするとか言っちゃダメ! とまたしても叫びそうになったが、秤は堪えた。イケメンの金田君、イケダ君の姿が視界の端に見えた。血の涙を流している。あそこの一角だけホラーだ。


「今すぐってのは難しいな。もう少し時間をくれないかな?」 

「……そうですね。確かに早計だったと思います」

「うん、助かるよ。できるだけ早く頼むから。で、ずっと気になってたことがあるんだけどさ。それ、おいしくないんだよね?」


 秤は綺麗になった皿を指差す。そこには先ほどまでカレーが乗っていた。


「ええ、不味いですね」

「じゃ、じゃあなんで食べてるのかな?」

「なぜ? 不味いからですね」

「不味いから食べてると?」

「そうです。不味いから食べてます」


 やっべ、意味わかんね。

 秤は必死で頭を働かせたが、彼女の言動を理解できない。元々、彼女は誰かと話す機会がほとんどない。だから、彼女がどんな会話をするかという情報が著しく欠けていたのだ。だから玲李の会話傾向や好みなんてわからない。

 周囲の人間も頭の上に疑問符を浮かべていた。もう完全に隠す気なんてない。秤達の会話を聞いて、口を挟みはしないが、無言で参加している。なんというか、そういう学校なのである。平和なのである。ちょっと変でもある。一部、玲李を悪く言う人間もいるが、それだけで済んでいるのは、この学校の生徒達の素行がいいからという理由もあるだろう。

 それはさておき、秤は玲李の言葉の真意を考えた。

 不味いから食べている。不味いけど食べている。不味いにも関わらず好んで食べる。つまり美味さを求めてはおらず、別の部分に魅力がある、と?

 そうか、わかったぞ!


「不味いからこそ癖になる。不味い、でも何となく食べたくなってしまう、それがマズカレーなんだ! 人が避けるからこそ望んでみたくなる。それは好奇心から来る欲求だ。つまり、君は誰もが避ける不味いカレーに敢えて挑戦し、乗り越えたかったんだ!」


 自分でも何を言っているかわからないが、自信満々に叫んだ。

 周囲の視線が俺に刺さる。

 金田君は固唾を飲んで秤を見守る。

 金田君の彼女、小林さんは祈りをささげている。

 そしてイケダ君は悲しみのあまり嗚咽を漏らし、うおんうおん、と泣いている。

 チッチッチと時計の秒針が動く音がしばらく聞こえた。

 玲李が冷めた視線を秤に向ける。そして、小ぶりな唇が僅かに開いた。


「正解です」


 次の瞬間、全員が一斉に立ち上がり、秤に駆け寄る。

 事前に準備をしていたわけでもないのに、全員の気持ちはシンクロした。その結実した思いが、秤を持ち上げ、天井に向けて投げられた。胴上げだ。


「おめでとう!」

「おめでとう! 時任君」

「ありがとうありがとう、みんな!」


 祝いの言葉は絶え間なく続いた。そうか、これが青春なんだ。秤は泣いた。心で、目で泣いた。生まれて来てよかった。ありがとう、みんな。天国の母さん。父さん、商店街のみんな、学校のみんな、ゆいちゃん、銀二さん、出会ったみんな、そしてこの世界のすべての人達、すべての生き物達。世界を形どるすべてに感謝を言いたい。

 ありがとう。

 秤はまだ、厳しい人生の坂を昇り始めたばかりだ。

 だけど、それでも後ろを振り返らずに駆け上がると決意した。

 ありがとう、ありがとうみんな!


「わっしょい!」

「わっしょい!」


 胴上げは続く。そう、彼等は今、一致団結し、喜びを噛みしめているのだ。

 端には玲李が飛んでは落ちる秤を視線で追っていた。通常、彼女が見せたことがないような顔をしていた。呆然としつつも、観察するような。まるで動物園の動物を観察する子供のような顔だった。

 玲李は無言で、わっしょいわっしょいと叫ぶ連中を見ていた。普通は教師が止めるはずだが、なぜか一緒に参加し涙ながらに秤を胴上げし続けている。

 離れた場所でイケメンの金田君はハンカチを噛みしめ号泣している。

 彼等の冷静に見ていた玲李は一言つぶやいた。


「何これ」


 それは誰にもわからないことだった。

 ぶっちゃけノリだからだ。

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