52.演劇

「んー……」

 馬車から降りたディーは、両手を上げて大きく伸びをした。三日間ほとんどずっと馬車に乗っていたものだから(さすがに夜は宿屋だが)、すっかり体が固まってしまった。

 目の前には、王都一番の大通りがずっと先まで延びていた。昼過ぎの半端な時間にも関わらず、たくさんの人が行きかっている。人だけではなく、馬車や荷車もだ。

(王都なんて久しぶりね)

 ディーは目を細めて通りを眺めた。実はちょっと前に通り過ぎたことはあるのだが、その時は店に寄ったりしている時間もほとんど無かったのだ。泊りがけで来るのなんて、何年ぶりだろうか。

「手伝ってくれよ……」

 情けなさそうな声が聞こえて、ディーは振り返った。一緒に来ているグレンが、荷物を降ろそうと四苦八苦している。

 ディーはちょっと考えたあとに言った。

「それぐらい一人でできるでしょ」

「いや、正直きつい。というかディー、荷物のこと忘れてただけだろ?」

「……」

 図星を指されて、ディーはがりがりと頭をかいた。

 グレンの伝手で、個人の馬車に同乗させてもらえたおかげで、ずいぶんと楽ができた。先に荷物を詰め込めたり、道中は全く触らずに過ごせたり。これが乗り合い馬車を使うとなると、乗り換えやらで非常に面倒なのだ。

 王都に着くまでの三日間、ディーはほとんど何もせずに過ごした。いや、グレンと会話はしたのだが、内容も覚えていないようなとりとめのない雑談だった。

(だらけるの好きだったのね、あたしって)

 イリーズの家にされていた時も、少し訓練をしていた以外は何もしていなかった。それでも、特に不安になったりということもなかった。自分は仕事人間だと思っていたが、全然違ったようだ。

 荷物を全て降ろすと、上手く組み合わせて二人で分担した。改めて見るとすごい量だ。グレンの分なんて、ディーの体より大きいんじゃないかと思うほどだ。

「何が入ってるのかしらね」

「開けたら最悪違約金取られるぞ」

「分かってるわよ」

 何となく言ってみただけだ。仕事で余計なことをしたりはしない。

 馬車の持ち主に、礼を言って別れた。彼は取り引き相手と待ち合わせらしく、馬車を停めたままにしている。

 近くには、同じように停めたままの馬車がいくつかあった。本当はいけないらしいのだが、あまり守られているとは言い難い。あまりにひどい場合は、王都の兵士たちによって追い散らされたりもするらしい。

 二人は苦労して荷物を運ぶと、冒険者ギルドへ向かった。今受けている荷運びの仕事は、ギルド行きのものだけだ。個人宛ての方が報酬がいいのだが、今回は手間が少ない方を選んだ。

 エルシェードと王都の間の荷運びの依頼は、本当にたくさんある。日程の幅、サイズや重さの違い、荷物の保存条件の違い、遅延金や違約金、荷物を失くした時の賠償金の額など、バリエーションが非常に豊富だ。その中から、自分たちの目的に合わせてうまく組み合わせるのは苦労する。

 冒険者ギルドでは、荷運びの依頼を規格化しようという動きもあるようだ。だが今のところは、依頼主が全て独自に決めている。ある程度は既存の依頼を参考にしているのだが、たまによく分からない条件が付いていることもある。例えば、半日に一回水にぬらすこと、だとか。

(……重)

 大通りを進みながら、ディーは肌に食い込む肩紐の位置をずらした。歩くのが億劫おっくうになるほどの重量だ。

 重いだけならまだいいのだが、でかい。人通りの中を他人にぶつけずに進むのは、かなり神経を使う。元々人ごみは苦手なのに。

「っ!」

 不意に、ディーはぐらりと体のバランスを崩した。背負った大きな荷物に、突然横方向の力がかかったのだ。転びはしなかったが、危ないところだった。

 振り返った先には、驚いた表情の街娘が立ち尽くしていた。どうやら彼女が荷物にぶつかったようだ。ディーの荷物に両手を突いているところを見ると、よそ見していて正面衝突したらしい。ぎろりと睨み付けると、青い顔をして早足で立ち去っていった。

「ちっ」

 舌打ちとともに前に向き直ると、呆れた表情のグレンと目が合った。

「お前、いらいらしてるからって一般人に八つ当たりするなよ」

「……八つ当たりじゃないわよ」

 ディーはきまり悪そうに言った。ぶつかられたのだから、単なる八つ当たりというわけではない。だがいらいらしていたのは確かだ。

 やがて、大通りの中でも一際大きな建物が見えてきた。大きさに反比例するかのように外見は地味で、看板すらない。グレンから聞いていなければ、あれが冒険者ギルドだとは分からなかっただろう(昔行ったことがあるはずなのだが、全く覚えていなかった)。

 建物に足を踏み入れた二人は、揃って立ち尽くすことになった。あまりにも多くの人でごった返していたからだ。昔大会に出た闘技場の立見席が、ちょうどこんな感じだっただろうか。

「さすが王都のギルドね」

「いや……」

 うんざりするように言うディーに、グレンは考え込むように返した。

「普通はここまで多くはないぞ」

「ふうん?」

 何か大人数を動員する依頼でも出ているのだろうか。だが今は、そんなことを考える心の余裕もなかった。とにかく早く荷物を下ろして、人の少ないところに行きたい。

「悪い、通してくれ」

 どう考えても人を避けつつ進むのは無理なので、道を開けてもらって(場合によっては押しのけて)受付に向かう。どれだけ長い列ができているのかとディーは辿り着く前から憂鬱になったが、意外にもそれほどでもなかった。職員が何人も受付に立って、高速で捌いていたからだろう。

 ようやく荷物を全部下ろして、ディーは深くため息をついた。枷は外せたが、相変わらず周囲は人、人、人だらけだ。そろそろ人酔いしてきた気がする。

「行こうか」

 グレンが妙に思いつめたような口調で言った。どうしたのかと聞く間も無く、彼はディーの手を掴んで歩き出した。人ごみをかき分け、ずんずんと進む。

「……」

 何故手を引かれているんだろう。ディーは繋がれた手を不思議そうに見る。べつに嫌でも無かったので、特に何も言わなかった。

 グレンは街の中心、つまり遠くに見える城の方向へと向かっていった。途中でちらりと目を向けられたので、小さく首を傾げる。そこには何故か、緊張した表情が浮かんでいた。

 次の目的地は、冒険者ギルドよりもさらに大きな建物だった。巨大な柱が建ち並ぶ、白亜の宮殿。階段を上った先にある入り口は、物々しい装いの衛兵に守られている。妙に愛想のいい青年が、中に入ろうとする人たちに頭を下げていた。

 青年に入場料を払い、二人は指定された席へと向かった。通路を抜けた先は、すり鉢状になった広大な空間だった。奥の最も低い位置には幕が下ろされた大きな舞台があり、手前側の斜面には多数の客席が設置されている。

「劇場って広いのね」

 後ろの方の席に座りながら、ディーはぽつりと言った。席が全部でいくつあるのか、数える気も起きない。前にいる人が小さく見える。

 多分エルシェードの闘技場の方が広いだろうが、あそこはあくまで屋外だ。屋内でこれほど広いスペースは、国中を探してもなかなか無いだろう。もちろん、街の外……つまりダンジョンなんかを入れなければの話だが。

 ディーは横に顔を向けた。さっきから反応の無いグレンは、硬い表情で舞台の方を凝視している。視線を追ってみたが、特に見るべきものも無い。

「いつまで繋いでるのよ?」

「あ、悪い」

 ディーが言うと、グレンはぱっと手を離した。

「……酒でも買ってくる」

「ええ」

 とぼとぼと去っていく後ろ姿を、首を傾げながら見送った。さっきから様子が変だが、どうしたのだろうか。

 グレンが帰ってくる頃には、ちょうど演劇が始まろうとしていた。彼の手には、ジョッキが二つと、それからつまみの入った皿があった。

 舞台以外の明かりが落とされ、幕が左右に割れる。少しざわざわとしていたのが、波が引くように静まる。ディーは何となく姿勢を正すと、エールを少し口に入れた。

「……『名も無きドラゴン』を仲間に加えた勇者シオンは、魔王に唯一通用する伝説の武器、竜爪剣りゅうそうけんを鍛えることのできる人物を探していた……」

 劇は、語り部ナレーションから始まった。静かな音楽が、後ろで流れている。なるほどこういうものなのかと、ディーは興味深く観察していた。

 勇者シオンのパーティは、竜爪剣の情報を求めて聞き込みを始める。だが、成果はなかなか上がらない。一流の鍛冶師を訪ねて回るが、ドラゴンの爪を加工することなどとてもできないと言われてしまう。

 そんな時、街の酒場でとある寡黙な青年と出会う。彼は、自分なら竜爪剣を作れる人物を知っていると言う。青年の名は、ステフと言うらしい。

(ステフ?)

 どこかで聞いたような、いや毎日のように耳にする名前が出てきて、ディーは眉を寄せた。単に名前が同じというだけなのだろうが、妙に気になる。

(いつ頃の話なのかしらね)

 現国王のシオンがまだ青年の頃だから、数十年前か。どう考えても年齢が合わないが……いや、ステフが実は五十歳を超えていると言われても、信じてしまいそうな自分がいる。あの男は(ついでにイリーズも)それくらい謎に満ちている。

 そんなことを考えている間に、舞台では話が急展開していた。劇中の『ステフ』の正体が、人の姿に身をやつした魔王だということが判明する。まだ準備の整っていない勇者たちは、魔王に襲われピンチに陥る。

(やっぱり名前が同じだけか)

 酒が回ってきた頭で、ディーはぼんやりと考えた。魔王は既に退治されているはずだし、それにいくらなんでも、ステフが実は魔王だったとまでは思わない。実はドラゴンだった、ぐらいならちょっと考えてしまうが。

 劇はさらに進む。魔王の襲撃を受けるシーンでは、舞台上で戦闘が繰り広げられていた。魔法や魔道具で派手に演出され、なかなかの臨場感だ。ディーは思わず拳を握る。

 やがて辛くも逃げ出した勇者たちは、紆余曲折の末、伝説の鍛冶師の居場所を突き止めた。偏屈な老人の出す課題をクリアし、ようやく竜爪剣を手に入れる。

 戦闘以外は退屈だなと、ディーはエールを飲みながら思っていた。ふと、子供の頃に小さな劇を見たことがあるのを思い出す。その時も、戦いのシーン以外はほとんど真面目に見ていなかったような気がする。おぼろげな記憶だが。

 勇者たちは、とうとう魔王城に乗り込むことになる。だがその先どうなったのか、ディーは結局見ることができなかった。何故なら、

「……つまらなかったか?」

 はっと気づいた時には、もう劇は終わっていた。どうやら眠ってしまったらしい。グレンは不安げな顔でディーを見ていたが、やがて、膝の上のジョッキに視線を移して言った。

「酒全部飲んだのか」

「ん……」

 ディーは曖昧に返事すると、眠そうに目をこすった。

「最後見逃した……」

「明日また見に来るか?」

 その言葉に、ディーはこくりと頷く。グレンは苦笑していた。

 手を引かれて劇場を出ると、既に日が落ちかかっていた。食事時なのか、さっきよりもさらに人が多い。ディーは寝ぼけながら、グレンの手だけを見て歩いていた。

 グレンは迷いなく進んでいく。どうやら、街の中心から離れる方向に進んでいるようだ。

 そう言えば、どこに向かっているんだろう。少しは眠気が薄れてきた頭で、ディーは考えた。グレンは何も言わなかったが……。

 やがて、とある建物の前で足を止めた。どうやら宿のようなのだが、

「こんなとこに泊まるの?」

「いいだろ、せっかく王都まで来たんだから。ここは飯が美味くて有名なんだ」

「ふうん」

 ディーの目の前には、ずいぶん古い、だが豪奢な建物があった。庭は無いが、貴族のお屋敷にも見える。建物の中にも、高価な調度品が並んでいた。

「払える値段なんでしょうね」

「実を言うと」

 グレンが自慢げに言った。

「ここのオーナーが知り合いなんだよ。だいぶ安くしてくれる」

「へえ」

 そんなところにまで人脈が伸びているのかと、ディーは感心した。

 だが結局のところ、金のことを気にしている場合ではなかった。何故なら、

「申し訳ございません。ただいま満室になっておりまして……」

 と、受付の女性に言われてしまったのだ。オーナーの知り合いということは告げたのだが、空いていないものは仕方ない。さすがに今いる客を追い出すわけにもいかない。

「今日は特にお客様が多いんですよ」

「うーん。演劇がそんなに人気なのか……」

「そうですね。その上、闘技大会もありますから」

 独り言のようなグレンの言葉に、女性は律儀に答える。それに反応したのはディーだった。

「闘技大会?」

「はい。王都でも最も大きな大会が、明日から開催されるんです」

「ふうん」

 意味ありげな口調でぽつりと呟くと、考え込むように口元に手をやるディー。グレンが目線を送って言った。

「見に行きたいのか?」

「いえ、出てみようかと思ってね」

 闘技大会なら、エルシェードの街で一度参加したことがある。あの時は二人に完敗して意気消沈していたが、後から考えるとあの二人が異常な実力の持ち主だっただけのような気もする。確かめる意味でも、いつかまた参加したいとは思っていた。

「やめとけよ。ここで大きな怪我でもしたら面倒だぞ」

「それもそうね」

 ディーは肩をすくめた。ここはエルシェードと比べて何もかもが高い。治療費を払うのも、余計な滞在費を払うのも避けたい。

「見にだけ行ってもいい?」

「もちろん」

 グレンは口元に笑みを浮かべた。

「おお、グレン君じゃないか」

 仕方なく帰ろうとした二人の背中に、落ち着いた低い声がかけられた。ディーが振り向くと、髪に白いものが混じり始めた壮年の男性が、驚きを顔いっぱいに浮かべて立ち尽くしていた。

 グレンは丁寧に頭を下げて言った。

「ご無沙汰しています」

「久しぶりだね。来てくれて嬉しいよ」

 男は大仰な身振りで喜びを表現した。まるで役者のようだ。どうも胡散臭いな、というのがディーが感じた第一印象だった。

 グレンの紹介によると、彼がこの宿のオーナーらしい。二人が軽い世間話を始めるのを、ディーは聞くとも無しに聞いていた。

 一通り話し終えたあとに、男は言った。

「ああ、長旅で疲れているだろうに、引き止めて悪かったね。すぐに部屋を用意しよう。どこが空いている?」

「そ、それが……」

 水を向けられた受付の女性は、若干緊張した様子で満室の旨を説明した。男はぎゅっと眉を寄せる。

「ふうむ、折角グレン君が来てくれたのに、空きが無いとは……いや、店としては有難いのだがね……」

 ぶつぶつと呟いたあと、不意に気づいたように言った。

「そうだ、例の部屋なら空いているのだろう? 最上階のあの部屋だ」

「は、はい、空室ですが……空けておかなくて、構わないのですか?」

「いい、いい。どうせ誰も使わんのだ。すぐに案内してやってくれ」

「承知いたしました。こちらです、どうぞ」

 女性に案内され、ディーとグレンは絨毯を踏みながら屋敷を進んだ。ちらりと背後に目をやると、人の好さそうな笑みを浮かべたオーナーが、緩く手を振って見送ってくれていた。やっぱり胡散臭い。

「例の部屋ってなに?」

 グレンに小声で聞いてみたが、肩をすくめられた。普段は貸さない特別な部屋なのだろうか。重要なゲストのための豪華な部屋だとか。

 ディーの予想は概ね当たっていたが、だが予想以上だった。中に入ると、まず奥に開け放した扉が二つも見えることに驚いた。つまり、最低でも三つ以上の続き部屋になっているということだ。手前はソファーとテーブルが置かれたリビング、奥の一つは寝室に繋がっている。調度品も、受付にあったものよりもさらに高そうだ。

「……払える値段なんでしょうね」

 同じ質問を投げかけたが、今度は返事がない。あまりに酷かったら払わせよう、そう思いながら、部屋に入る。

「ん?」

 不意に、ディーは不思議そうに声をあげた。

「一室だけ? 同じ部屋に泊まるの?」

「あっ」

 グレンは振り返ったが、案内してくれた店員の姿はもう無かった。戻ってきた彼の顔は、気まずそうに歪められていた。

「悪い、確認を忘れてた。聞いてくる」

「ま、いいんじゃない」

「え?」

「一室でも。ここしか空いてないんでしょ」

 ディーが言うと、グレンは口を開けてぽかんとする。が、すぐに真面目な表情になって言った。

「いや、それは駄目だろう。別の部屋が無いか聞いてくるよ。無いなら別の宿に行こう」

 にべもなく断られ、ディーはむっとしたように言った。

「どうしてよ」

「どうしてって……分かるだろ」

「外では一緒に寝てるでしょ」

「一緒に、って……それとこれとは話が……」

 などとごちゃごちゃ言っているのを無視して、奥の部屋へとすたすた歩いていった。柔らかそうなベッドに、ぼふんと倒れ込む。

「分かったよ。俺はソファーで寝るから」

 寝室の入り口で呆れたように言うグレンを、ディーは横目で睨みつけた。

「それも駄目なのか?」

 情けない声をあげるグレン。しばらく睨んでいると、諦めたように隣のベッドに腰を下ろした。

「……寝る時は裸だとか言わないよな?」

「っ、そんなわけないでしょ!」

 いきなりの発言に、ディーは少し慌てたように返す。

「何をどう考えてそう思ったわけ」

「い、いや、あのステフって男の話を思い出して……」

「ああ……」

 またステフの話か。ディーは疲れたように言った。

「もうあいつのことは忘れて」

「わかった」

 グレンは小さく頷く。しばしの沈黙のあと、彼は言った。

「まだ寝るなよ。飯も食ってないんだから」

「……」

「ディー?」

「……」

 グレンの大きなため息が、最後に聞こえた気がした。

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