51.飲み直し
「ったく」
ザックは吐き捨てるように言うと、思わず持ってきてしまったジョッキを呷った。通りを歩きながら飲むのもどうかとは思うが、同じようなことをしているやつは近くにちらほらといた。ここはそういう界隈だ。
ちらりと後ろを振り返る。さっきまで飲んでいた酒場の辺りが、騒然としているのが目に入る。いきなり赤毛の少女がずかずかと入ってきたと思ったら、別の客にナイフを突きつけたのだ。目にも留まらぬ早業だった。
すぐに店を出たのは正解だった。窓から中を覗き込むと、今度は冒険者数名を相手に大立ち回りを演じていた。相対するうちの一人も相当な槍の使い手だったようだが、少女は苦もなく攻撃をあしらっていた。
(すげーやつがいるもんだ)
どう見ても十歳そこそこの少女だったのだが、その歳であそこまでの技術を習得できるものなのだろうか。もしくは、見た目通りの歳では無いのか。
(しかし、あの冒険者見覚えがあったな。どこかで会ったか?)
例の人物と相対していたうちの一人。メイスを持った少女だ。もう少しで思い出せそうだというところで、
「あ、あの。ザックさん」
「ん」
隣を歩いていたオリビアが、青ざめた表情でザックの肩あたりの服を引っ張った。
「さっきの方、助けなくて良かったんですか」
「んな余裕ねーよ」
それから義理も無い。さっきの方、というのが最初にナイフを突きつけられた少年のことか、それとも戦闘に参加していた女性……ディーのことを言っているのか分からないが、どちらにしてもだ。
「でも」
オリビアは口元を引き締め、泣きそうな表情を見せる。どうやら、見捨ててきたことに良心の
「グレンがいたから大丈夫だろ。あいつが自分の女を危険に晒すわけない」
少なくともディーに関しては。もし勝算が薄いと判断したなら、ちょっかいを出そうとするディーを、絶対に止めていたはずだ。
するとオリビアは、急に表情を変えて言った。
「グレンさんという方が、ザックさんの……知り合いの知り合い? の方と、付き合ってるんですか」
「ああ。いや、付き合ってはなかったか? まあ似たようなもんだ」
好奇心をそそられた様子のオリビアに、ザックはわずかに気圧されながら答えた。やはり、女性というのはこういう話題が好きなものなのだろうか。
「そうですか」
と言うオリビアは、何故だかちょっと嬉しそうに見えた。ザックは首を捻る。
「まだ飲むか?」
「ザックさんがよければ」
「んじゃ行くか」
道端で立ち飲みしている集団に近づくと、中の一人の肩を軽く叩く。振り返った男にジョッキを押し付けると、親指を立てて礼を言われた。
(ふむ)
どの店に入ろうかと、ザックは辺りを見回した。半端なところでさっきの店を追い出されたので、気分的には早く飲みたい。とは言えオリビアを伴っているので、あまりにも
(ま、さっきの
まったく、オリビアはよくあんなところに一人で入ってきたものだ。
(ここでいいか)
ザックは少し先に見える店に向かった。この界隈にしてはちょっと高級そうな雰囲気だ。会計が若干心配だが、まあこの辺りは競争も激しいし、ぼったくりや高すぎる店ならすぐに潰れているだろう。
そう思って扉を開けたのだが、
「……」
ザックは思わず立ち止まってしまった。予想よりも高そうだったからでも、意外にも低俗な店だったからでもない。
「あの……」
横に立つオリビアも、困惑したような視線を店内に向けている。頬が赤いのは、酔いによるものではないだろう。
店の中にはいくつかのテーブルがあるようだったが、それらは全て互いに見えないように、
ついでに言うと、見える範囲ではどこも男女二人組が占拠している。それも、かなり親密そうな二人組が。
(……まあいいか)
一瞬店を出ようかと思ったが、気が変わった。ある意味、ここは自分たちにぴったりの店だとも言える。もっとも、全く不適切なのかもしれないが。
「あっ」
店員に席を案内される途中で、オリビアが突如声をあげた。ザックが何事かと振り返ると、彼女は自分の口を両手で塞ぎ、テーブル席の一つを凝視していた。
視線を追ってみて、ザックも少し驚いた。そこに座っていたのが、よく知った(というか、最も知った)男、要するにローレンツだったからだ。
彼の隣には、艶っぽい美女が座っていた。小さな椅子を付け、身を寄せ合うようにして談笑している。どう見ても、ただの友達という雰囲気ではない。
ザックは固まってしまったオリビアの肩を叩いた。彼女ははっとして顔を向けると、こくこくと頷いて歩き出す。あの二人がどういう関係なのかは知らないが(予想は付くにしても)、詮索するようなことでもないだろう。
やがて案内されたのは、ちょうど真ん中で内側に向けて直角に折れ曲がったソファーと、小さな丸いテーブルのある席だった。二人はソファーのそれぞれの辺に座ったのだが、少し狭苦しいというか、どう頑張っても脚が当たる。やっぱり違う店にした方がよかったか、などとザックは今更思っていた。
「何飲む?」
「お任せします」
「ふむ」
何にするか考えたあと、ザックはふと思い出してにやりと笑った。
「そういうこと言ってると、前飲んでたみたいな火酒を頼まれるぜ」
「それはちょっと」
オリビアは困ったように眉を寄せていた。いつだか、彼女が一人で飲んでむせていたようなやつ。
「まーいいか」
と、結局ワインを二つ頼むことにした。つまみもいくつか一緒に頼んでおく。
二人は無言で注文を待っていた。見えないながらも、他のテーブルの話し声が聞こえてくる。どれもこれも非常に親しそうというか、ほとんど
「あの」
出し抜けに、オリビアが顔をあげて言った。緊張の面持ちだ。
「好みの女性のタイプとか、聞いた方がいいんでしょうか」
「いや知らねーよ……」
ザックは呆れと困惑の中間ぐらいの口調で言った。どういう思考を経て、その結論に達したんだろうか。
「教えて欲しいのか?」
「少しは」
「ふむ」
微妙な返答をされて、ザックは考え込んだ。答えるべきか、答えないべきか。まあ、そもそも。
(女の好みねえ)
あまり意識したことが無い。他人の恋路にちょっかいを入れることはあっても、自分のあれこれについて語ることは少ない。というよりも、語ることが少ないのだ。
「今までに付き合っていたのは、どんな方なんですか」
探るような目を向けてくるオリビア。ザックは無言で眉を寄せる。その反応をどう解釈したのか、彼女は重ねて尋ねてきた。
「それとも、今付き合ってる方がいるとか」
「いや、それはない」
「……そうですか」
彼女がぽつりと言うのと同時に、酒とつまみが運ばれてきた。赤い液体がなみなみと注がれたグラスを軽く打ち合わせると、二人はそっと口を付けた。
「おいしいです」
目を輝かせるオリビアを横目で見ながら、ザックは二口目を飲んだ。粗悪な安酒と違いが分からないと言ったら、怒られるだろうか。いつも飲んでいるものよりもだいぶ強い気はするのだが、分かるのはそれぐらいだ。
「さっきの話だが」
ぽつりと言うと、オリビアはグラスを両手で持ちながら、ちらりと目を向けてきた。
「誰が付き合って誰が付き合ってなかったのか、いまいちわかんねーんだよな」
「はあ」
その言葉に、相手はいまいち納得がいってないようだった。だが、分かるように説明するのはちょっと難しい。ザックはグラスを傾けながら、虚空に視線を向けた。
それにしても、なんでこんな話になってるんだろうと今更疑問に思う。もしかすると、二人とも結構酒に酔ってるのだろうか。
もしくは、酔っているのはこの店の雰囲気に、なのかもしれない。相変わらず、周囲からは(控えめな表現をするならば)楽しげな、男女の会話が聞こえてくる。
「ま、あんまり深い関係になることがねーんだよな。女に限らず男もな」
「どうしてですか?」
「さあな。俺の性格なんだろ、よく知らんが。ずっと付き合ってんのは、それこそローレンツぐらいか」
適当にそう答えると、オリビアは目を丸くして、急にそわそわとし出した。ザックは片眉を上げて尋ねる。
「なんだよ」
「……付き合って、って、もしかしてローレンツさんと……」
「ちげーよ」
ザックは呆れたように言った。
「さっきの見ただろ」
と、ローレンツたちのいた辺りを指さす。それで分かるだろうと思ったのだが、
「片思いとか」
などと、真面目な表情で聞いてくる。からかってんじゃねーだろうな、と思いながら、ザックはため息交じりで言った。
「そういう趣味はねーよ。付き合うなら……って、ややこしいな……恋人にするなら女だ」
「ほんとですか?」
「試してみるか、って
「け、結構です」
オリビアはぶんぶんと首を振ると、押しとどめるように両手を突き出した。ザックはすぐに席に戻る。
「で、そっちは?」
「え?」
「好みと付き合った男の話だよ」
その言葉に、オリビアは苦い物でも飲まされたような顔をした。しばらく沈黙したあと、おずおずと質問を投げる。
「……言わなきゃだめですか?」
「散々聞いといて、自分は話しませんはねーだろ」
「……確かに」
笑いながらザックが言うと、神妙な様子で頷かれた。べつに言わなきゃ駄目ということはないと思うのだが、生真面目なオリビアにとってはそうなるのだろう。まあそれ以前に、そもそもザックの方は質問にまともに答えていないのだが、それは言わないでおく。
オリビアは、おずおずと口を開いた。
「好みは……その、強い男性です」
「守ってくれるような?」
つまみのナッツを噛み砕きながら、ザックは適当に聞いてみた。するとオリビアは、若干
「それは、私を見て思ったんですか」
「んん?」
質問の意味がよく分からなくて、ザックは首を傾げる。オリビアは言葉を続けた。
「私が、守って欲しそうにしてるから?」
「そういうわけじゃねーよ、一般論だ。つーか、そこまで深く考えて言ったわけじゃない」
「……そうですか。そうじゃないんです」
よく分からないことを言いながら、ふるふると首を振るオリビア。両手で抱え込むようにして持ったグラスを傾け、ちびちびちとワインを飲んでいる。
もしかしなくても、酔ってるなこいつ。と、自分も若干動きが鈍くなってきた頭でザックは思った。
「守って欲しいんじゃなくて、一緒に横で戦って欲しいんです」
「そりゃ勇ましいことだ」
「前に、冒険者になった理由を聞いたじゃないですか」
「いつの話だよ」
「『都市』を見つけた時です」
「ああ」
言われてようやく思い出す。だいぶ前のことだ。確か、オリビアが答えようとしたところで、ローレンツに声をかけられて遮られてしまった。しかし、何故今その話になったのだろうか。
「最初は、エドワードとウィンに着いてきただけだと思ってました」
「ふむ」
「でも、違ったんです」
オリビアはそこまで言うと、グラスをぐいっと傾けた。
「これ、おいしいです」
「そうか」
「おかわり頼んでいいですか」
「……ああ」
ザックは一瞬だけ悩んだあと首肯した。酔いつぶれるまでには止めようと心に決める。まあ、まだ大丈夫だろう……多分。
「私も、冒険者に憧れてたんです。あとで分かったんですけど」
「冒険者になって戦うことにか?」
今までの話を総合すると、そういうことなのだろう。オリビアが『戦うことが憧れ』なんて言うのはちょっと意外だが。
「はい。意外ですよね。よく言われます」
オリビアは自己完結すると、追加で頼んだワインを受け取って、こくこくと飲んでいた。前からもしかするとと思ってはいたが、彼女は結構酒好きなようだ。
「なんの話でしたっけ」
「お前の男の好みの話」
「えと……」
上手く記憶が繋がらないのか、虚空に視線を向けてぼんやりとしている。酒のせいで頬が赤く染まっていて、少し色っぽい。
ザックはふと思いついて言った。
「一緒に戦う男と言うなら、エドワードかウィンでいいじゃねーか」
はっきり確認したわけではないが、確か二人ともオリビアに気があるという話だったはずだ。だが、どちらとも付き合ってないと言う。もしかすると、二人とも幼馴染だから、どちらかを選んでどちらかを振ることが、できずにいるのだろうか。
などと思っていたのだが、
「エドワードは、ちょっと性格悪いし」
「……ウィンは?」
「頼りない……」
ぼんやりしながらも、はっきり答えるオリビア。なんと言うか、ただ単純に、好みじゃないということらしい。聞くべきではなかった気がする。
オリビアは、不意にザックの方に顔を向けて言った。
「べつに、ザックさんのことが好きなわけじゃないんです」
「突然なに言い出すんだよ」
「今のところは」
「……そうか」
としか答えようがない。それ以外にどう反応しろと言うのだろう。
「だから、口説かれるのは困ります」
「口説いてねーよ」
「迷っちゃう」
オリビアはぽそりと言った。とろんとした目を向けられ、ザックは思わず視線を外してしまった。
「そろそろ帰るか」
「やです」
妙にきっぱりと断られた。駄目だ、これはもう完全に酔っぱらいだ。
「今度『都市』に行く時の話だが」
「はい」
強引に話題を転換してみたが、オリビアは特に文句も言わなかった。さっきグレンに聞いた『黒衛兵』の倒し方の話をすると、黙ってこくこくと頷いている。聞いているのか聞いていないのかは分からないが。
オリビアを二軒目に連れていくのは、金輪際やめよう。ザックはそう思いながら、恐らくは無意味な説明を、延々と続けた。
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