外伝5.酒場への襲撃

 シンは顔をしかめながら、自慢の赤い髪に手をやった。手の平に、血糊がべたりと付着する。十分気を付けていたつもりだったのだが、腕が鈍ったのだろうか。

 すぐ近くでうずくまっている男に近づくと、服の袖をぐいっと引っ張った。「ひい」と情けない声をあげるのを無視して、頭の血を男の服でごしごしと拭った。

 そう言えば、この返り血はこいつのものだった気がする。急にむかついてきて、血まみれの腹部を思い切り蹴りつけてやった。男は痛みでのたうち回っていたが、まあ死にはしないだろう。あまり殺すなと言われているから、気をつけないといけない。

「嘘だろ……」

 シンを除いてこの場で唯一血を流していない男が、路地の塀にもたれかかるように座り込んでいる。血を流していないとは言っても、脚を蹴り折ったから動けはしないはずだ。目の前の赤毛の少女を、呆然とした表情で眺めていた。

 誰が見たって、シンのことは小さな女の子だと思うだろう。男と仲間たちも、そう思ってこんな路地裏におびき出したのだ。もちろん、よこしまな感情を持って。

 だがこの少女は、外見からは想像もつかない恐るべき実力の持ち主だった。襲いかかった男たちを一瞬にしてナイフで切り裂き、地に這わせた。反撃どころか、避けることすらできなかった。

「それで? その栗色の髪の子はどこで見たの?」

 座り込む男に近づいて、シンはいらいらとした口調で言った。命令を受けてもう何日も探しているのだが、一向に見つからない。このエルシェードの街にいるということがようやく分かって、わざわざ王都から移動してきたのが今日のことだ。こいつらが知っていると言うから付いてきたのに、いきなり襲われて機嫌は最悪だった。

 目の前の男は、真っ青な顔をして黙り込んでいる。シンはすっと目を細めた。もし嘘だったら、腹いせに一人ぐらい殺してやるか。そう思っていたのだが、

「そ、そこの酒場だ。さっき入っていくのを見た」

 別の場所に倒れていた男が、弱々しい声で言った。シンは興味を引かれて振り向く。男は苦しげな表情で、だが表通りの方をきっぱりと指さしていた。嘘ではなかったのか、それともたまたま知っていたのか。

「ふーん。いなかったら全員殺すから」

 シンは当たり前のようにそう言うと、表通りへと向かった。フードを被り直すと、血の付いた髪が張り付いて気持ち悪い。本当はこんなもの被りたくないのだが、顔を隠せと言われているから仕方ない。

 仕方ないことだらけだ。かつてはこうでは無かったのに。好きな時に、好きなだけ暴れることができた。

 表通りは、行きかう酔っぱらいどもでごった返していた。シンはそれを不快げに見やる。こいつらを全員切り裂けたらどんなにかすっきりするだろうと、手順を詳細に思い浮かべる。

 その途中で、一人の少女と目が合った。串焼き肉の入った紙袋を大事そうに抱え、その中の一本を口にくわえている。懐かしい顔を目にして、口角を上げた。

「久しぶりだね」

「あれー? シンがいる」

 少女は串から肉をくわえ取ると、口をもぐもぐとさせながら言った。シンは笑みを深めて尋ねた。

「栗色の髪の子見なかった? リックっていうんだけど」

 すると少女は、こてりと首を傾げた。

「んー? 知らないよ?」

「嘘でしょそれ」

 シンは適当にそう言うと、ぐるりと視線を巡らせた。この子の言うことなんて、元から信用していない。

 すると、さっきの男が言っていた酒場が目に入った。窓際に座る、目的の人物の姿も。

「いるじゃん」

「人違いじゃない?」

 などとのたまう少女は無視して、酒場に向かって歩き出す。すると、

「待って」

 後ろから手を掴まれ、シンは少しだけ驚いた顔をして振り返った。少女は感情の読み取れない顔で、自分のことをじいっと見つめている。

「なに? 邪魔しないでくれる?」

 手をぐっと引いたが離れない。シンはだんだんと鬱陶しくなってきて、鋭く舌打ちした。この子も斬ってやろうか。

 だが少女は、店の中にちらりと目をやると、急にぱっと手を離した。シンは若干不審げに眉を寄せたが、何も言わずに入口へと向かった。

 店の扉を乱暴に開く。目的のテーブルに向かって、ずんずんと進む。集まる好奇と不審の視線など、気にも留めない。

 目的の人物、リックと言う名の少年が、こっちを見て驚いた顔で立ち上がった。初めて会ったはずだが、自分が彼を探していることを知っていたのだろうか。まあどうでもいい。

いつけた!」

 シンは、リックを真っ直ぐ指さして言った。これで、指令はもう達成したようなものだ。あとはあの魔剣を持って帰ればいい。

 床を蹴って一気に距離を詰めると、リックの首筋にナイフを突きつけた。周囲の話し声が、ぴたりと止まる。

 リックは腰の剣を抜こうとしたようだったが、手は柄に辿り着く前に止まっている。彼の正面に座っていた少女も、立ち上がりかけた姿勢で固まっている。残りの二人は、反応すらできていない。

 驚愕と絶望に彩られた彼らの表情を見て、シンは嗜虐的な笑みを浮かべた。このまま切り裂いたら、どんなにか楽しいだろう。だが、に怒られるのは嫌だ。

「暴れないでね。これもらったら帰るから」

 リックの腰にある剣に手を伸ばす。そして、指先に柄が触れた瞬間、

「はあ?」

 シンは憎々しげな声をあげると、突如、背後に向かって回し蹴りを放った。迫りくる槍の穂先を横から蹴り飛ばし、軌道を逸らす。

 必殺のはずの一撃は、テーブルの天面を割っただけに終わった。食器が床に落ちて、大きな音が響く。リックの奥に座った少女が、びくりと体を縮こまらせた。

「またお前か。なんでいるんだよ」

「残念ながら、今回は偶然だ」

 ナイフをリックの首に固定しながら、ちらりと後ろに目をやる。そこにあるのはやはり、宿敵であるステフの姿だった。槍を引き、シンの体にぴたりと狙いを付けている。

 シンは鋭く舌打ちした。まったく、こいつはいつもいいところで邪魔をする。

 だが今日は、素直に引いてやるわけにはいかない。片手が塞がっているのが難だが、それでもステフには負けないだろう。

 ステフは再び槍を突き出してきた。さっきよりも微妙に勢いが弱い。フェイントをかけるつもりか、もしくは連続攻撃してくるのか。足で受けるのは愚策だろう。

 同時にシンは、さっき立ち上がりかけた向かいの席の少女が、メイスを持つ手に力を込めたことに気づいていた。こいつはリックを人質にすれば黙らせることができそうだが、しかしステフの方は人質なんて無視してくるだろう。二人をどうやって同時に処理するのかがめんどくさい。

 少女はきっと、ステフの攻撃に乗じて殴りかかってくるつもりだろう。大した腕では無さそうだし、適当あしらえばいい。

 一瞬の間に、そこまでは予測ができたのだが、

「ちっ!」

 シンは槍の攻撃をナイフでいなし、少女のメイスを蹴り飛ばして、そして飛んできた何かをもう一本のナイフで受ける羽目になった。まだ他にも仲間がいたのか?

 その隙に、リックに大きく距離を取られてしまった。仲間たちとともに、酒場の入り口へと駆けだす。他の客たちも、我先にと殺到した。

 追いかけたいのは山々だが、ステフの連続攻撃が鋭く迫り、立ち止まって受けざるを得なかった。彼相手に背を向けるのはさすがに無謀だ。

 再び飛んできた何か、いやナイフを、シンは自分のナイフで弾き飛ばした。どうやら、店の奥にいる銀髪の女が犯人のようだ。その隣では、別の男も武器を構えている。

 ステフは一旦攻撃をやめると、その女に向けて言った。

「加勢してくれんの?」

「たまには恩を売りたくてね。それにこいつ……あの時の子でしょ?」

 すると、女は意味ありげな視線を向けてきた。シンは不快げに口を歪める。

「なに。ボク君と会ったことなんて無いんだけど」

「あたしも無いわよ」

 女は肩をすくめた。そのふざけた態度を見て、シンは吐き捨てるように言った。

「あーあ、やめやめ! やる気なくなった」

 目標には逃げられたし、戦う気が失せた。苛々しつつナイフを仕舞うと、そのまま店の入り口へと向かう。

「ふむ」

 ステフも槍の構えを解くと、石突を地面につけた。女はぽかんとした表情で二人を見ると、ステフに尋ねた。

「いいの?」

「いいも何も、俺には選択権が無いからなー。俺、こいつに勝つの無理だから」

「……そうじゃないかとは思ってたけど、改めて聞くとショックね」

 話し声を一切無視して、シンは店を出た。


「ちっ」

 シンは怒りに任せてぼろぼろの扉を蹴り開けた。あっさりと蝶番ちょうつがいが外れ、扉は家の奥へと吹き飛んでいった。

 まあ扉なんて、あろうが無かろうが同じことだ。まともなやつなら街の廃墟地帯の最奥であるこんな場所まで来ないだろうし、付近にねぐらを持つやつらは、絶対にこの家には近づかない。何故なら、自分たちよりもっとやばいやつが住んでることを、当然知っているからだ。

「てめぇまだ見つけてねぇのか?」

 声に目をやる。浅黒い肌の男が、まるで闇の中からにじみ出るかのように現れた。引き締まった肉体を、ぴったりとした黒い服で覆っている。

「簡単な使だろ? どんだけ時間かかってんだよ」

 男の顔には、並の者なら目にしただけで震えあがりそうな、険悪な表情が浮かんでいる。だがもちろん、シンはそんなもの気にも留めずに言った。

「うるさいよ」

「……お前また無駄に暴れて来たんじゃねぇだろうな」

 男はまるで射殺そうとするかのように、シンを強く睨み付ける。体に付いている返り血に気づいたようだ。

 仕方なく、シンは不機嫌そうに言った。

「無駄じゃない。目標を見つけたのに、に邪魔されたんだ」

「あいつか」

 男は苦々しい表情で言う。

 あいつ……ステフのことは、誰もが扱いかねている。単にあいつが強いからというわけではない。もしそれが理由なのだったら、とっくの昔にシンが処理しているだろう。

 それで話は終わりとばかりに、シンは家の奥へと歩き出す。だが、

「ふん。ヘタレなボスにも困ったもんだぜ」

「おい」

 馬鹿にしたような男の台詞を聞いて、シンは低い声と共に振り返った。静かにナイフを抜くと、ぎらついた目を男に向けた。瞳の奥に、狂気が渦巻いている。

「んだよ。やる気か?」

 男は若干緊張した表情で、腰に差した短剣を抜く。二人はしばし睨み合った。

 やがて、男の方が根負けしたように言った。

「……分かった、俺が悪かった」

「二度とくだらないこと言うなよ」

 シンはそう釘を差すと、ナイフを仕舞って身を翻した。

 家の一番奥の部屋へと向かう。かつてはキッチンとして使われていたらしきその部屋の床には、地下へと繋がる大穴が開いていた。シンは無造作に飛び込んだ。

 降り立った場所は、長い廊下の途中だった。明らかに、地上の家の範囲を超えて長い。上と違って、どこも掃除されている。

 廊下を進むと、突き当りの扉をノックした。中から落ち着いた男性の声が聞こえてくる。

「入れ」

 シンは表情をわずかに緩めると、扉を開いた。

 扉の向こうは、小さな部屋になっていた。奥の机と、それから手前にある小さな本棚が家具の全てだ。棚には本が詰まっている。廊下と同じく、部屋は綺麗に掃除されていた。

 一人の男が、椅子に座って無表情で書き物をしていた。ローブに身を包んだ細身の男性だ。シンは扉を静かに閉め、その場で待った。

 男が手を止めたのは、しばらく経ってからだった。顔を上げると、シンの方に目を向ける。男はほんの少しだけ眉を寄せた。

「あ……ごめんなさい」

 シンは身を縮こまらせて頭を下げた。そうだ、この部屋に来る時は、せめて血を拭いてこいと言われていたのだった。すっかり忘れていた。

 だが男はそれを咎めるわけでもなく、平坦な口調でこう言った。

「剣は」

「駄目だった。ステフが邪魔してきて……」

「そうか」

 短くそう答えると、男は手元に目を落として再び書き物を始めた。シンは落胆したような表情を見せた。

「まだ探す?」

「ああ」

「わかった」

 これでもう、話すことは何も無くなってしまった。仕方なく、扉を開けて部屋を出る。

「くそ……」

 魔剣を持って帰れていれば、もっと話せたのに。それに、シオンに対する嫌がらせにもなった。

 邪魔をしてきたステフの顔が頭に浮かぶ。あいつのことは殺してやりたいほど憎いが、だが……。

 シンはぎりっと奥歯を噛み締めると、当てもなく廊下を歩いた。

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