50.酒場への帰還

「うおっと!」

 曲がり角から転がり出てきた巨大な球体が、廊下の壁に激突した。リックは慌てて距離を取る。

 球体はぐるりと形を変えて、ダンゴムシのように体を開いた。人ほどもある巨大なダンゴムシだ。わさわさと動く脚が気持ち悪い。

「顔を狙ってください! 体は硬いです!」

「はーい」

 ミルテの言葉に、ユンが気の抜けた返事をする。ダンゴムシは冒険者たちの方に向きを変えると、また体を丸くして転がってきた。

「えー?」

「ひゃっ」

「うわわ」

 三人は慌てて壁に張り付き、攻撃を回避する。あれでは頭を狙うどころではない。

 通り過ぎていった魔物はまた体を開いて急停止すると、素早くこちらに体を向ける。リックは顔を引きつらせた。

「ど、どうすれば」

「転がるところを追いかけてください。止まった直後に隙があります」

「なるほど」

 ミルテの言葉に従って、突進してきたダンゴムシを全力で追いかける。敵は追いかけられていることに気づいていないのか、同じぐらい移動して停止した。かさかさと振り向いてきたところを、剣で思い切り突く。

 ばたばたと暴れるダンゴムシを、なんとか押さえつける。ここでまた丸まられてはたまらない。

 しばらくすると、動きがだんだんと緩やかになってきた。ぴくぴくと脚を痙攣させるだけになったのを確認して、リックは剣を抜いた。

「ふう」

 額の汗を拭い、一息つく。が、その直後、

「あ、スライム」

「ええ?」

 ユンの声に振り返る。通路の奥に、赤い水たまりのようなものが現れていた。ただし水ではないのは、少し盛り上がっているのと、ぶるぶると小さく震えているのを見れば分かる。スライムは、様子を伺うようにじっとこちらを見(?)ていた。

「逃げましょう。赤いのは動きが遅いです」

 ミルテの言う通り、ゆっくりと形を変えながら、這うように移動しているようだ。すぐに逃げ切れるだろう。

「わかった、行こう」

 リックの先導で先を急ぐ。

 地底湖から繋がるこのダンジョンは、トラップ仕掛けギミックが少ない代わりに、多数の魔物が生息していた。さほど強いやつがいないのは救いだが、とにかく数と、そして種類が多い。

(ミルテがいてよかった)

 ちらりと視線を送る。最近彼女はダンジョンや魔物について熱心に勉強しているようで、その知識に何度も助けられている。元々薬草については抜群に詳しいし、暗記するのが得意なようだ。リックはすぐ忘れてしまう方だから、密かに尊敬している。

「おなかすいたねー?」

「そうだね……」

 ユンのぼやきに思わず同調してしまった。言っても仕方ないのは分かっているのだが……。

 運よくダンジョンの中に水飲み場を見つけたので、水の方は何とかなっている。だがさすがに、食料まで用意されているはずも無い。

(そろそろ戻るかどうか決めなきゃなあ……)

 朝からダンジョンを探索して、そろそろ昼を過ぎた頃だろうか。今からなら、今日中に地底湖に戻れる。サーペントをどうするかは大問題だが、少なくとも食料にはありつける。

「食べないの?」

「え?」

 単なるぼやきでは無かったようで、ユンは後方を指さしていた。ここはダンジョンの中だし、振り向いた先に木の実がなっていたりはしない。あるのは、さっき倒したダンゴムシの死体ぐらいだ。つまりユンが言いたいのは、

「……食べれるの?」

「さあ?」

 こてりと可愛らしく首を傾げられる。さあと言われても。

(そう言えば、ユンさんは魔物食べたことあるとか言ってたなあ)

 食べられる魔物もいるらしいが、リックはまだ試したことがない。恐らく大抵の冒険者はそうだろう。

「まあ、食べるのは最後の手段にしようよ。もうすぐ出られるかもしれないし」

「そう?」

 若干残念そうにユンが言う。それほどお腹が空いていいるのか、それとももしかして、単に食べてみたかったんだろうか。

(ほんとにもうすぐ出られるのかな)

 自分で言っておいてなんだが、あまり信じていない。単なる気休めだ。

(うーん、魔物かあ……)

 どうしてもとなったら、食べるという案もあるのかもしれない。地底湖まで戻って、サーペントの影に怯えながら食料を回収するのと、どちらがましかと言われたら微妙なところだ。

 だが幸いなことに、決断する必要は無くなった。

「出口だ!」

 階段の先に、青空が見えていた。強い光が、ダンジョンの中に入ってきている。三人は早足になって道を急いだ。

 外に出ると、リックは眩しさに目を細めた。雲一つない、目が覚めるような青空だ。ずっと地下にこもっていた自分たちには刺激が強い。

 どうやらここは、草原の中の小高い丘の上のようだった。崩壊した小さな神殿の中心に、ダンジョンへと続く階段がある。ぼろぼろの石床や倒れた柱は、植物で覆われていた。

「あっ」

 不意に、ミルテが声をあげた。リックが振り向くと、遠くの方に街が見えた。あれは多分、自分たちが拠点にしているエルシェードの街だ。ようやく帰れる目途が立ってきて、リックはほっとした。

 街までは、延々と草原が広がっている。まばらに木が生えている以外は何も障害物が無いし、迷いようがない。

 早速歩き出した三人だったが、一つだけ問題が出た。いつまで経っても街に着かないのだ。

 時折丘に登って確かめているから、進む方向を間違っているわけではない。単に、思っていたよりも遠かった。だだっ広い草原の中だから、距離感を見誤ったらしい。

「やっっと戻ってきた……」

 リックは疲れ切った表情で、ようやく近づいてきた街の正門を眺めた。星空の下の暗闇の中で、魔道具の明かりに照らされて浮かび上がっている。なんとか今日中に戻ってくることができた。

 リックの左腕には、うとうとし始めたミルテがだいぶ前から掴まっている。最初はどぎまぎとしたのだが、もう疲れてそれどころでは無くなってきた。

 朝からほとんど何も食べていないのも辛い。ダンジョンで水だけはたらふく飲んできたのだが、それで空腹が満たされるわけもない。冒険者が死ぬのは、案外戦闘よりも飢えや渇きが原因なのかも、なんて考えてしまったほどだ。

「ごはん食べれそうだねー?」

 そんな考えを読んだかのように、唯一元気そうなユンが言う。リックは弱々しい笑顔を返した。

 昼間とは違って少々面倒な手続きを終えたあと、三人はエルシェードの街に入ることができた。まだまだ通りに人は多く、しかも酔っぱらいが騒いでいるせいでがやがやとうるさい。死んだような静寂に支配された街の外とは、大違いだ。

「適当なとこでいいかな?」

 リックが聞くと、二人とも異論は無いようだった。ミルテは眠そうに目をこすりながら、もう片方の手ではリックの腕を掴んだままだ。段々と恥ずかしくなってきた。

(ティエルが見てたら、絶対に文句を言ってきただろうな)

 彼女のことを思うと、気が重くなる。結局あれから、一度も姿を見せていない。今日はもう遅いが、明日には魔道具に詳しい人を探しに行かないと……。

「うわっ」

「……あ」

 リックが考えに沈んでいると、斜め前を歩いていた見知らぬ少女が、突然ふらりと倒れ込んできた。支えようと咄嗟に伸ばした手が空振り、正面からまともにぶつかる。

 少女の柔らかい体の感触が伝わってきて、リックは頭に血が上るのを感じた。今の自分の体勢は、まるで相手を抱きしめようとしているかのようだ。だからと言って肩を押し返すわけにもいかず、動けなくなって固まってしまった。

 少女はゆっくりと顔を上げた。ウェーブのかかった豊かな金髪が、さらりと流れ落ちる。酔っているのか、とろんとした目元が色っぽい。

「ごめんなさい」

「い、いえ、こちらこそ」

 恥ずかしそうな笑みを浮かべる少女に、リックは上擦った声で答えた。触れてしまいそうなほど顔が近い。さっきから、心臓がばくばく鳴っている。

「クレアさん?」

 不意に、ミルテが声をあげた。ぶつかってきた少女(クレアというらしい)は、きょとんとした表情で視線を送る。ミルテとリックを見比べ、すすっと体を離した。

「お久しぶりです、ミルテさん」

「はい、お久しぶりです。クレアさん、レティシアさん」

 ミルテがにっこりと笑いながら言った。クレアの後ろにいた亜麻色の髪の少女が、小さく頭を下げる。彼女がレティシアらしい。

「ミルテさんの、パーティの方ですか?」

 おっとりとした口調でクレアが尋ねる。視線を向けられたリックは、さっきのことを思い出してどぎまぎしてしまった。なんだか、腕を掴むミルテの力が強くなったような……。

「そ、そうです。僕はリック……あれ?」

 リックは周囲を見回して首を傾げた。ユンの紹介もしようと思ったのだが、いつの間にかいなくなっている。

「リック、さん……?」

「はい?」

 驚いたようなクレアの声音に、リックは怪訝そうに返した。なんだろう、知り合いでないのは確かだと思うのだが……。

「もしかして、シニスさんという方を、ご存知ですか?」

「え、シニスを知ってるんですか?」

 今度はリックが驚く番だった。遠く離れた王都にいる人物の名前が、突然出てくるとは思わなかった。どういう関係なんだろうか。

「ねえ、お店に入った方が……」

 レティシアが、クレアの服をくいくいと引っ張る。立ち止まって話し込む自分たちが、通りを行きかう人々をずいぶん邪魔しているようだ。リックは今更気づいた。

「よければ、ご一緒しませんか?」

「ええと、それはいいんですけど……」

 リックは困ったように視線をさまよわせた。やはりユンは見当たらない。先に店に入ってしまったら、合流できなくなる。

「もう一人仲間がいるんですけど、はぐれちゃって……あっ、そうだ、そこの店でいいですか?」

 と、すぐ近くにある酒場らしき店を指さす。ユンが戻ってきたら、窓から見えるだろう。ちょうど、手前の窓際の席が空いている。

「はい、構いませんよ」

「わたしも」

 クレアとミルテは異論無いようだ。レティシアも、クレアのかげに隠れながら、無言で小さく頷いた。なんか避けられてる気がする、とリックは少しショックだった。

 早速店の扉を開けたリックだったが、中に足を踏み入れたところで固まってしまった。

「……う」

 店の中は、柄の悪い男どもでいっぱいだった。馬鹿笑いと話し声、それも汚い言葉遣いの、半分罵り合いのような会話が耳に飛び込んでくる。

 どう考えても女の子を連れて入るような店では無い。だが今から出るのも気が引けるし、別の店に行くならユンをどうするのかという問題もある。リックは覚悟を決めて進んだ。

 男一人女三人のパーティは、案の定好奇の視線に晒されていた。クレアたち二人は案外平気そうだったが、ミルテは完全に怯えてしまっている。やっぱり別の店にすべきだったかな、とリックは少し後悔した。

「適当に、頼んでしまいますね?」

「あ、はい」

 クレアの提案に甘えることにする。彼女は店員に手早く何事か注文すると、レティシアと並んでテーブルに着いていた。リックとミルテは向かい側に座る。

(あれ?)

 正面のレティシアに、なんだかちらちら見られてるなと思っていたら、どうも腰に差した魔剣ティエルに目をやっているようだ。これが魔道具だということに気づいてるんだろうか。

つか隠しておくの忘れてたなあ……)

 そのことに思い当る。以前、柄を見れば分かる人には正体が分かると言われて、それ以降街中では布を巻いて隠していたのだ。だが、今日はダンジョン帰りで疲れていて忘れていた。

「どうか、しましたか? 見つめ合ったりして」

「してないから」

 クレアの茶化すような言葉に、レティシアはぶるぶると首を振った。視線が外れた隙に、リックは剣の柄をそれとなく手で隠した。

「ミルテさん、パーティを組んだんですね」

「はい」

 口元に優しい笑みを浮かべるクレアに、ミルテは嬉しそうに頷いた。特にそう決めたわけではないが、いつの間にか固定パーティみたいになってるなあ、とリックは思った。

 ちらりと窓の外に目をやる。残り一人のパーティメンバーのはずのユンは、まだ帰ってきていないようだ。

 そうこうしているうちに、酒と料理が運ばれてきた。リックは思わず生唾を飲み込む。食器は汚れているし、料理も質はよくなさそうだが、今は何でもいいから食べたい。

 リックとミルテの二人は、無言で料理を食べ続けた。空腹は最高の調味料、とはよく言ったものだ。クレアたちも事情を察したのか、話しかけてこない。

「それで、シニスのことだけど……いやことですけど」

 リックが慌てて言いなおすと、クレアは口元を緩めて言った。

「敬語じゃなくて、構いませんよ」

「……クレアの話し方は気にしないで。いつもこれだから」

 レティシアが、視線を上げないままぼそぼそと付け加えた。人見知りなんだろうか。

「ええと、じゃあ、うん。シニスは昔からの知り合いなんだだけど……」

「ああ、そうでした」

 クレアがぽんと手を打ち合わせる。ここに来た目的をすっかり忘れていたようだ。

「シニスさんには、つい先日、お世話になりまして。リックさんに、伝言があるんです」

「なるほど。どんな?」

「はい。たまには顔を見せるか、手紙を書いて欲しい、というのと。調べものは進んでいない、だそうです」

「……なるほど」

 リックは困ったように返す。書こう書こうとは思っていたのだが、とうとう突っ込まれてしまったようだ。もっとも、シニスの方からも一通も来たことはないのだが。

(調査は駄目だったかあ……)

 自分の居場所を聞いてまわっているという、謎の追跡者。小柄で赤い髪ということしか分かっていないから、まあ元から無茶だとは思っている。

 少しの沈黙のあと、クレアが再び口を開いた。

「今日は、ダンジョンに、行かれていたのですか?」

「あ、ええと、うん」

 何となく言葉を詰まらせてしまって、リックは頭をかいた。ダンジョンの情報はギルドに売るつもりなので、どこまで話していいか微妙な話題というのもある。だがそれ以上に、彼女のおっとりとした独特な話し方に、戸惑ってしまうのだ。

 すると、代わりにミルテが答えた。

「詳しくはお話しできないんですけど、帰ってくるのに時間がかかってしまったんです。食料も尽きちゃって」

「それは、大変でしたね」

「はい。でも、協力して戻ってこれました」

 リックの顔に目をやり、本当に嬉しそうに笑った。リックは少しどきりとしながらも、笑顔を返した。

 クレアはそれを微笑ましそうに見たあと、こう言った。

「そう言えば、お連れの方は、まだ戻ってきませんか?」

「うーん、それがまだみたいで……」

 ちらりと外に目をやるが、それらしい人物は見当たらない。もう帰ってしまったか、もしかすると知り合いにでも会って別の店に行っているのかもしれない。

 ちょうどその時、酒場の扉がばたりと乱暴に開いた。店に入ってきた小柄な少女を見て、リックは一瞬ユンが来たのかと思ってしまった。だがもっと年下のようで、まだ酒場に来るような歳には見えない。フードに半分隠れてはいるが、顔には幼さを多分に残しているのが見て取れる。

(……え?)

 荒くれどもの無遠慮な視線を一切無視して、彼女はリックの方へとずんずんと歩いてきた。口元には、子供に似合わないにやにやとした嫌らしい笑みが浮かんでいる。フードの奥に、赤い髪が一瞬見えた。

(まさか!?)

 リックはがたりと音を立てて立ち上がった。小柄な女性、フード、赤い髪。聞いていた『追跡者』の特徴と全く一緒だ。

いつけた!」

 少女は、リックを真っ直ぐ指さして言った。

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