47.地底湖

 リックは複雑な感情を込めて、目の前のサラダを見た。むぐむぐと口を動かして咀嚼そしゃくする。素材がいいのか、それとも作ったユンの腕がいいのか、味は悪くない。悪くないのだが……。

「薄かった? 香辛料足す?」

「いや、大丈夫だよ」

 ユンの言葉に、リックは首を振った。多分、そういうことではない。

「はい、どうぞ」

「うん、ありがと」

 ミルテから、スープの入ったお椀を受け取る。にっこりと笑う彼女を見て、リックは少し心が痛くなった。

 サラダとスープには、とある一つの共通点があった。つまり、水と香辛料を除けば、中に草しか入っていないという共通点が。リックからすると、雑草を使った『料理ごっこ』にしか見えなかった。とても料理とは思えない。

 材料は全て、目の前の地底湖周辺に生えている薬草だ。ミルテいわく、とても栄養があり、健康にいいそうだ。見た目より味は多彩で、スープに浮かんでいる、とある薬草の根をすり潰した団子など、肉のような味がすると言えなくもない。

 とは言え、所詮しょせん草は草だ。基本の味はやっぱり草だし、進んで食べたいものでもない。珍しさもあり、最初の一日はまあまあ美味しくいただけたのだが、こればかり食べているものだからさすがに飽きてきた。

(肉が食べたい……)

 サラダにフォークを突き刺しながら、リックは心の中で呟いた。ステーキだなんて贅沢は言わない。カチカチになった干し肉でもいいから。

 実は、荷物の中にはパンや干し肉がまだ結構残っている。だが、目の前に食べられる草が大量に生えている状況で、保存食を消費するのは躊躇ためらわれる。万が一つまみ食いが原因で帰り道に食料が尽きたりなんかしたら、死んでも死にきれない。

「毛布、乾かしますか?」

「んー、そうだね。ちょっと濡れてきてるし」

 リックは膝にかけていた毛布を渡す。先に朝食を終えたミルテが、火の周りに並べていた。

 湖がそばにあるからか、ここは一日中じめっとしていた。前に行った滝の近くほどではないが、朝起きると毛布が濡れている。

 この場所を拠点に探索を始めてから、もう五日になる。ダンジョンを抜けた先に見つけたこの地底湖だが、驚くべきことに、他にもたくさんのダンジョンと繋がっていた。しかも、そのほとんどには誰かが探索した気配がない。

 情報を冒険者ギルドに売ることも考えたのだが、まずは自分たちで探索してみようということになった。水も食料も豊富なこの場所は、拠点にするのにもってこいだ。味さえ我慢すれば。

「今日の草おいしいねー?」

 と、ユンは口をもぐもぐとさせながら言っていた。ミルテが顔を明るくして、薬草の種類や効用について語り出す。

(うーん)

 リックは心の中で唸りながらスープを飲む。作ってもらっている身だし、美味しくいただきたいところだが、こればかりは如何いかんともしがたい。

「ごはんまだー……?」

 胡坐あぐらをかいたリックの膝に腰掛けながら、小さな妖精が弱々しく言った。いつも元気なティエルなのだが、今日は眠そうにしている。食事の魔石をケチっているためだ。

 こんなに長居するとは思っていなかったから、魔石の残りが心もとない。予備は持っているとは言え、それでも限度はある。下手に自分たちの食事が現地調達できてしまったため、こんなことになっている。

(僕はともかく、ティエルが問題だよなあ)

 このままこもっていたら、もうすぐ食事なしになってしまう。最悪そうなっても眠りっぱなしになるだけらしいのだが、いざという時にティエルの魔法に頼れないのは辛い。それに、かわいそうだ。

(……二人は魔石持ってるのかな)

 お喋りしている女性二人にちらりと目を向ける。それとなく聞いてみようかと思っているのだが、まだできていない。

 もし分けてもらうなら、ティエルのことを説明せざるを得ないだろう。今まで、自分から話したのはシニスだけだ。他の人には全て隠してきた。

(そう言えば、シニスは元気かなあ)

 王都に居る友人のことを思い出す。王都には、自分を追っている何者かがいるらしいし、しばらく近付かない方がよさそうだ。次に会えるのはだいぶ先だろう。まあ、元々そんなに頻繁に会う仲でも無い。

「リックさん?」

「は、はい?」

 不意に名前を呼ばれ、リックは慌てて返事した。ミルテは困ったように言った。

「おかわり要ります?」

「あ、いや、大丈夫」

「じゃあもらっちゃうね?」

 ユンがスープの残りをさらいにかかる。ミルテは食器を片付け始めていた。そんな二人を、リックはじっと見つめた。

(話してもいいかな、べつに)

 二人とも、もう何度も一緒に仕事をした仲だ。魔剣ティエルのことを話しても、問題が起きることはないだろう。

「あのさ、ちょっといい?」

「はい」

「う?」

 ミルテが小さく頷き、草のおかわりを口に詰め込んでいたユンは首を傾げた。なんだか餌を食べる小動物のようだ。

「実は……」

 と、リックが話し始めようとしたその時。

 どんっ、という大きな音が聞こえて、思わず身をすくませた。ミルテは「きゃっ」という可愛らしい声とともに、目をつぶっていた。

「あー」

 唯一平気そうにしていたユンが、横を向いて声をあげる。慌てて視線を追ったリックは、湖の中から現れた巨大な頭を目にして、思わず叫んだ。

「ドラゴン!?」

「サーペント……」

 ユンがぽつりと呟く。彼女が指摘した通り、ドラゴンにも見える頭部には、蛇のような長い体が付いていた。リックたち三人をまとめて一飲みできそうなほどの巨体が、うねうねと折り重なりながら、天井付近まで頭部を持ち上げている。

 まさしく蛇に睨まれた蛙のように、リックは全く動けなくなっていた。すぐにでも逃げ出したいが、少し移動したところで一瞬で追いつかれるだろう。相手はそれぐらいでかい。

「よけて!」

 声をあげ、ユンが突然走り出す。残りの二人も、慌てて後を追う。

 直後、サーペントの口から、小屋ほどもある水球が撃ち出された。さっきまで三人が立っていた辺りに着弾し、轟音と共に地面を抉る。

 撒き散らされた水の衝撃を受け、リックは危うく転びそうになった。体重の違いでまともに吹き飛ばされたミルテの体を、慌てて支える。

「ティエル、魔法は使える?」

 切羽詰まった声でリックは言った。腕の中のミルテがぽかんとした顔を向けてきたが、今は構っていられない。

 感覚を乱すティエルの魔法はかなり強力で、魔物にも通用することを何度も実証済みだ。サーペントにどの程度効果があるかは未知数だが、少しの間でも効いてくれれば……。

「うぅー……」

 だが目の前を飛ぶティエルは、小さくうめいただけだった。まぶたは今にも閉じそうで、起きているのも辛そうだ。

(魔石をケチったりするんじゃなかった!)

 リックは歯ぎしりした。十分に準備しないまま未知の場所を探索するなんて、絶対にやってはいけなかったのに。いや、今そんなこと考えてる暇は無い。

 サーペントは、冒険者たちを値踏みするかのように眺めている。さっきの水球による攻撃をしてこないのは、単に連発できないのか、それとも他の理由があるのか。

(とにかく逃げなきゃ)

 仲間二人の手を引きながら、リックはじりじりと後ろに下がった。顔はサーペントの方に向けたままだ。少しでも目を離したら、即座に攻撃されそうだった。

 不意に、サーペントの口元に小さな水の塊が生まれた。かと思うと、すぐに先ほどと同じぐらいのサイズにまで膨張する。

 リックは反射的に走り出そうとして、だが手をぐいっと引っ張られた。驚愕の表情をユンに向ける。彼女は感情の読めない無表情で、魔物をじいっと見つめている。

「ぐっ!」

 次の瞬間には、水球が背後で炸裂していた。三人はたまらず地面に放り出される。

 リックは慌てて顔を上げたが、サーペントは相変わらず同じ体勢のままだった。体を伸ばして襲ってくるような気配も無い。

(遊んでるのか、こいつ)

 視線を固定したまま、ゆっくりと立ち上がる。さっきの攻撃は、わざと外したように見えた。まるで『まだ逃げるなよ』と言っているかのようだ。

(どうすれば……)

 この強大な魔物を倒すだなんて、絶対に不可能だ。素直に逃がしてくれないのなら、何とか隙を作るしかない。だがティエルの魔法に頼れない以上、果たして自分にできることがあるかどうか。

 リックは仲間たちにちらりと目をやった。ミルテは怯え切った表情で、震える体を抱きしめている。彼女に戦闘面で期待するのは酷だろう。

 ユンは、無表情のままサーペントの方を向いている。こんな顔をしているのは初めて見た。何か作戦を考えているのかもしれない。水球を避けられたのもユンの指示のおかげだし、彼女に従うのが最も成功率が高そうだ。

 だがリックが声をかけるよりも、ユンが口を開く方が早かった。

「二人は逃げて!」

「えっ!?」

 止める間もなく、ユンは湖に向かって駆け出した。囮のつもりなのだろうが、どう考えても無謀だ。

 飛んできた水球を、ユンは危ういところで回避した。地面を転がり素早く立ち上がると、湖畔を回り込むようにして走る。サーペントの視線がそれを追いかける。

「ぐっ……」

 リックは小さくうめいた。逃げるべきか、それとも一緒に戦うべきか。貴重な時間を浪費しているのを自覚しながらも、どうしても決めることができなかった。焦りばかりが広がっていく。

「魔法、使える、と思う……」

 ティエルの弱々しい声が聞こえて、リックははっとした。早速頼もうとして彼女の姿を探したが、どこにも見えない。

 もしかして、姿を見せられないほど弱っているんだろうか。そんな彼女に魔法を使わせて、大丈夫なんだろうか。

 いや、魔法を使って魔力が切れたって、眠りっぱなしになるだけのはずだ。仮にそうなっても、魔石を与えればすぐに復活する。以前にそういうことがあったとティエルは言っていた。だから、問題は無いはず。

(ほんとか?)

 ティエルが言っていたのは、あくまで『自然に』魔力が切れた場合だろう。完全にゼロになる少し前に、眠ってしまうだけなのかもしれない。だとしたら、無理やり魔法を使わせて本当に魔力が空になってしまったら、いったい何が起こるのか。

 ユンが、果敢にもサーペントに突撃するところが目に入る。またしても、決められないでいる。

 だがその直後、尻尾に叩かれたユンが吹き飛ばされるのを見て、リックは無意識のうちに叫んでいた。

「ティエル、お願い!」

 ミルテの手を引きながら、ユンのもとへと無我夢中で走る。こうなったら、あとはティエルの魔法が効くのを祈るしかない。サーペントの体が、一瞬びくりと震える。

 予想よりも、効果は遥かに劇的だった。まるで酒に酔ったかのように、魔物の頭がふらふらと揺れる。体全体が、ゆっくりと下がっていく。

「ユン、立てる!?」

 地面に倒れ伏す少女に、切羽詰まった口調で声をかける。抱えて走ることも考えたのだが、ユンは意外と何でもなさそうにささっと立ち上がった。サーペントの様子を見て、不思議そうに首を傾げる。

「あれ?」

「逃げよう!」

 リックは手近のダンジョンへの入り口を指さした。どのダンジョンに繋がっているか覚えていないが、今は選んでいられない。

 ちらちらと後ろを振り返りながら走る。幸いなことに、サーペントは冒険者たちから興味を失ったようだった。水しぶきを上げながら、湖に戻っていく。

 ダンジョンの中に駆け込む。魔物の姿が完全に水の中に没したのを目にして、リックは溜息をつきながら座り込んだ。その横に、ミルテも同じようにへたり込む。

「あんなのがいるなんて、びっくりだねー?」

 のんきそうにユンが言う。サーペントの攻撃を受けて怪我していないかと心配したのだが、どうやら大事は無いようだ。

「ほんとにね……」

 ティエルの危機感知が働かなっかのが痛い。魔物の存在が事前に分かっていれば、せめて湖からもっと離れておいたのだが……。

 そこまで考えて、大事なことを思い出した。魔力の少ない状態で魔法を使わせてしまったが、大丈夫だろうか。

「ティエル?」

 一瞬他の二人の目を気にしてしまったが、それどころではないと思い直して鋭く問いかける。しかし、返事は無い。

「ごめん、魔石持ってたら分けてくれない?」

「いいよー?」

 ユンが出してきた赤い魔石を、リックは焦りながら受け取った。最初からこうしておけばよかった、と今更ながら後悔する。

 リックは魔剣ティエルを抜くと、刀身に赤い魔石を触れさせた。いつもは砕いて粉にしてからあげるのだが、これでも一応『食べ』られるはずだ。

 だがいくら待っても、何も起こらなかった。本来なら、すぐにティエルによって魔力を抜き取られ、魔石は色を失うはずだ。焦燥感が心の中に湧き上がる。

「もしかして、それって魔剣なんですか?」

「うん」

 ミルテの言葉に小さく頷く。リックは仲間たちに、魔剣ティエルのことを詳しく話した。ユンはさほど関心が無さそうだったが、ミルテはひどく驚いていた。

 話す間も魔石を触れさせ続けたが、やはり何も起こらない。いつものように砕いて振りかけてみたが、結果は一緒だった。最悪の可能性が頭をよぎって、リックはぞっとした。

「駄目ですか?」

「反応無いね……」

 心配そうに見てくるミルテに、力なく返す。すると、ユンがこう言った。

「私の知り合いにそういうの詳しい人いるけど、見てもらう?」

「お願い、するかも……」

 もしくは、事情をよく知っているシニスに相談するか。王都にはまだあまり行きたくないが、そろそろ『追跡者』も自分を探すのを諦めているかもしれない。

「とりあえず、ここを脱出しよう」

 リックは改めて周囲を見回した。自分たちが今いるのは細い通路の途中で、壁や天井はつるつるとした黒い石でできている。

 ここは確か、地底湖に繋がっているダンジョンの中でも、誰かが探索した形跡のある数少ない場所の一つだ。今自分たちがいる隠し通路を出ると、迷わないための目印が壁にたくさん付いていた。恐らく、目印を辿って地上に出ることができるはずだ。本当は自分たちが通ってきたダンジョンを使って帰るのが一番いいのだが、地底湖に近寄るのは危険だろう。

 ミルテがぽつりと言った。

「荷物、置いてきちゃいましたね……」

「あー、そっか」

 すっかり忘れていたが、今持っているのは武器と貴重品ぐらいだ。替えの服やら毛布やら、全部湖のそばだ。

「取ってこよっか?」

「いい、いい」

 ユンの提案に、リックはぶんぶんと首を振った。失くすのは痛いが、命を危険に晒すほど貴重なものではない。だがミルテが、心配そうに言った。

「でも、食べものは大丈夫でしょうか」

「お腹が空くのは困るねー」

「うーん……」

 確かにその通りだ。今の自分たちは、水も食料も無しでダンジョンに挑戦しようとしているようなものだ。普通に考えたら、自殺行為だろう。

 少し考え込んでいたリックだったが、やがてこう宣言した。

「よし、こうしよう。まずはダンジョンを探索して、水と食料が足りなくなったらここに戻って調達しようよ」

「さっきの魔物は……?」

 不安げに言うミルテに、リックは答える。

「あいつ、僕たちがずっと湖の近くにいたのにしばらく襲ってこなかったよね」

「はい」

「だから普段は寝てるか、もしくは別の場所にいると思うんだよ。湖の底が他の湖に繋がってるとか」

「そうかもねー?」

「なるほど」

 ミルテはようやく納得したようだった。リックは小さく頷いて言った。

「よし、じゃあ今度こそ行こう!」

「おー」

「はい」

 声をあげ、三人は通路を進む。

(ティエルの前に、自分たちのことを心配しなきゃ)

 まずは街に戻ってからだ。魔剣ティエルの柄に手をやりながら、リックは睨み付けるかのように前方を見つめた。

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