48.酒場での相談事
沈みつつある夕日に照らされた街の通りを、ザックは闊歩していた。軽く腹ごしらえして、酒でも飲みに行こうかとしているところだ。近くを歩く人々の何割かは、自分と同じ目的だろう。
どの店に行くかはまだ決めていない。ここしばらくは懐が温かいので、ちょっとお高い店を開拓するという手もある。幸い今日は休みだったので、格好はさほどひどくは無い。冒険者にしては。
などと考えつつも、足は勝手によく行く猥雑な界隈へと向かっていた。新しい店を探してみたい気持ちもあるのだが、毎回大抵面倒さが勝ってしまう。まあそもそも馬鹿舌なので、料理や酒の味の違いなんて大して分からないのだが。
ローレンツに聞けば、きっと美味いワインが飲める店を教えてくれるだろう。だが彼と一緒に飯屋や酒場に行く機会は、意外と少ない。仲が悪いわけでは決して無いが、二人とも個人主義者なのだ。
「よお」
声をかけられ視線を向けると、そこにいたのはグレンだった。ザックと同じく、一人でぶらぶらとしていたようだ。そういやこいつも、顔が広い割には一人でいることが多いなと、ふと思った。個人的な人付き合いには、案外興味が薄いのだろうか。
「なんだよ」
何も言わずに見ていたものだから、訝しげに聞かれてしまった。ザックは肩をすくめて返す。
グレンは首を傾げながらも、道の先を指さしながら尋ねた。
「飲みに行くのか?」
「ああ」
ちょうど、酒場の並ぶ界隈が見えてきたところだ。早速酔っぱらった男たちが、道端に座り込んで馬鹿笑いしている。ジョッキを持っているところを見ると飲んでいるようなのだが、もしかして店から追い出されたのだろうか。
適当に店に入ると、グレンもついてきた。元からこの店目当てだったのか、それとも一緒に飲もうと思ったのか。
店に入ったとたん、飛んできたジョッキをザックは無言で避けた。後ろのグレンは「うおっ」と声をあげていたが、当たりはしなかったようだ。
また喧嘩でもしているのかと思ったが、まだ喧嘩にはなっていないようだ。強面の男二人が、立ち上がって睨み合っている。ジョッキを投げてきたのは、奥にいる方だ。
手前にいる男が、くいっと親指をザックの方に向けた。いや、単に入り口を指しただけのようだ。二人は距離を取って視線をぶつけ合いながら、外に出ていった。
ザックはせせら笑った。
「喧嘩するのにわざわざ店を出るとは、礼儀正しいやつらだぜ」
「あいつら、またやってんのかよ……」
グレンは苦々しく呟いた。相変わらず、あの二人が誰でどういう関係か、ちゃんと把握しているらしい。
手早く注文し、空いているテーブル席に着きながらグレンは言った。
「稼いでるんだから、もうちょっといい店に行けるんじゃないのか?」
「探すのがめんどくせーんだよな」
「勿体ないだろ、そんなこと言ってたら」
「お前こそ稼いでるだろ。なんで……ああ」
「……なんで納得したような顔してるんだよ」
グレンが嫌そうに顔を歪めた。とあるカウンター席に目を向けながら、ザックは思わず吹き出す。そこに座る女性を指さしながら、こう言った。
「あそこにいるぞ」
「分かってるよ……」
グレンは決してそちらに目を向けようとしなかった。
あの女性のことを、ザックはほとんど知らない。知っているのはディーという名前と、グレンがご執心だということぐらいだ。あとは、この酒場によく来ているということか。
(あいつを口説くために一人でいるんじゃねーだろうな、こいつ)
早速やってきたジョッキに口を付けながら、そんな馬鹿なことを考えていた。いやそれとも、案外真実だったりするのだろうか。
「行かなくていいのか?」
「今はお前と飲んでるだろ」
「ふむ」
べつにザックとしては行ってもらっても全く構わないのだが、変なところで律儀なやつだ。まあ、だからこそ交友関係が広いのかもしれないが。
「また大きく稼ごうとしてるらしいじゃないか」
話題を変えようとしたのか、グレンがそんなことを聞いてきた。一瞬何のことを言っているのか分からなくて、ザックは眉を寄せる。
「誰が?」
「お前がだよ」
「ああ」
恐らく、ずっと攻略を続けている『都市』のことだろう。特に誰かに喋ったことはない気がするが、こいつに対して情報源をいちいち気にしていたらきりが無い。
「稼げてもねーし稼げる見込みもねーよ」
「でも期待はあるんだろ?」
「まーそりゃそうだが」
エールをぐいっとあおる。他人に聞かれ、改めて冷静に答えるならば、
「正直、貯えがあるからぶっこんでるってとこはあるな」
「見込み薄なのか」
「お宝はあるとは思うんだがな。敵が強すぎんだよ」
『黒衛兵』のことを思い出しながらぼやく。あいつを何とかしないと、まともに探索できない。都市の住民のイルとも相談したが、まだ打開策は見つかっていない。
しばらくの沈黙のあと、グレンがぽつりとこう言った。
「相手は魔物じゃ無いのか?」
「ふむ。なんでそう思った?」
「『敵』だなんて言うからさ。いや、悪い、詮索すべきじゃないな」
「お前と話すときには、使う単語にまで気をつけなきゃならないのかよ」
ザックは笑った。ダンジョン、特に新しいダンジョンの情報は、金銭で取引される『商品』だ。知り合い同士で共有することもあるが、しつこく聞き出そうとする冒険者は嫌われる。
だがまあ今回に関しては、隠すほどのことでもないだろう。せっかくだし、『黒衛兵』を倒す方法について、何かアイデアをもらいたい。
「厄介な魔道具の敵がいるんだよ」
「金は払わないぞ」
「たかるつもりはねーよ」
「貸しにするってのも無しだぞ」
「疑り深いやつだな。まあ聞いてくれよ」
ザックは呆れたように言った。
都市の全容はぼかして、『白衛兵』と『黒衛兵』のことだけを説明する。グレンは次第に真剣な表情になって、話を聞いていた。
「そういう敵聞いたことあるか?」
「うーん、無いな……自動人形なら知ってるんだが」
「原理は似たようなもんなんだろうがな。
自動人形なら、鈍器で叩けばぶっ壊せる。衛兵たちを倒すための参考にはなりそうにない。
「そう言えば……」
「なんかあんのか?」
ザックは思わず前のめりになって聞いた。するとグレンは、こんなことを言った。
「自動人形は、雷系の魔法に弱いらしいぞ」
「ほう」
「あいつらは魔法を使うほどじゃないが、その『衛兵』とやらなら試してみる価値はあるんじゃないか?」
「かもな」
ジョッキに口を付け、考え込む。炎系や衝撃系と違って、雷系の魔法は相手の内部に直接ダメージを与えることができる。あいつらの装甲を貫通できる可能性は大いにあるだろう。
(待てよ。黒いやつは雷みたいな攻撃してきたな)
自分で撃てるのに、弱点だなんてことがあるだろうか。火を吹くドラゴンが火に弱かったら、間抜けだろう。魔道具だから事情は違うのかもしれないが、対策ぐらいされていそうだ。
「ま、試してみるか。助かるよ」
「ああ。これは、こっちが貸しにしたってことになるのか?」
面白そうに言うグレンに、ザックは突然無関係なことを言った。
「そろそろ行ってやれよ。調子悪そうだぞ、あいつ」
「え?」
その言葉に、グレンは思わず振り向いてしまっていた。視線の先では、ディーという女性が、カウンターに突っ伏している。
「……行ってくるよ」
観念したように席を立とうとするグレンに、ザックは小さく手を上げて別れを告げる。ついでに、こんなことを言った。
「これでチャラだぜ」
「なにが……分かったよ」
不満げに言うグレン。何がどう釣り合っているのかザックにもよく分からないが、まあ貸しだの借りだの、もともとお互い冗談半分だ。
グレンは目的地の少し前で立ち止まると、身だしなみを再確認し、深呼吸してから話しかけていた。こりゃ相当入れ込んでるな、とザックは呆れ顔でそれを見ていた。
「ん?」
何となくカウンター席あたりに視線を泳がせていると、見知った顔が目に入った。グレンたちと逆側の、一番端の席に座る女性だ。よく手入れされたストレートの黒髪を、肩の下まで伸ばしている。
(なんであいつが?)
いかにも大人しそうなその女性は、明らかにこの酒場から浮いていた。案の定というかなんというか、柄の悪い男に絡まれている。いやまあ、本当に絡まれているのかは分からないが、彼女の困惑とわずかの怯えが入り混じった表情を見る限り、楽しく話をしているという雰囲気ではない。ザックはジョッキを持って席を立った。
「悪いな、俺の連れだ」
肩を叩くと、男は驚いた顔で振り向いた。ひと悶着あるかと思ったが、案外素直に引き下がる。去っていく男に目をやると、別のテーブルのグループに何やら笑われていた。
「ありがとうございます」
隣に座るザックに、黒髪の女性、オリビアは申し訳なさそうに言った。やはり絡まれていたようだ。その瞳は、少しうるんでいた。
「なんでこんな店にいるんだ? 女一人で来るようなとこじゃねーぞ」
そこまで言ってから、そういやあいつは一人で飲んでたなと思って、ディーの方へと目を向けた。まあ彼女は気が強そうだし、声をかけられても適当にあしらっていそうだ。戦い慣れているのが見て分かるから、そうそう変なことはされないだろう。それに、ボディーガードも付いている。
などと考えていると、
「知り合いの
おずおずと問いかけられ、視線を戻した。オリビアが、探るような目でこっちを見ている。
「知り合いの知り合いだな。直接喋ったことはねーよ」
「そうですか」
「ああ。で、なんでこの店に?」
前にも一度酒場で鉢合わせたことがあるが、その時はもっと落ち着いた店だった。仮に、実は酒好きで毎日店をハシゴしているんだとしても、わざわざここに来る理由も無いだろう。
「ザックさんがいるかと思って」
「俺が?」
思いもしなかったことを言われて、ザックの目はわずかに大きくなった。確かに、この店によく来ると、彼女に話したことがあった気はするが……。
「はい。相談したいことがあって」
「そんなのいつでも言えるじゃねーか」
ちょくちょく一緒に仕事してるし、終わったあとに街で食事することもある。わざわざ薄い可能性に賭けて、こんな店に来る必要などないはずだ。
「それはそうなんですけど」
言いづらそうにするオリビアを見て、ザックは何かに気づいたようににやりと笑った。
「あれか? ローレンツには聞かせたくない話か?」
「いえ」
「違うのかよ」
きっぱりと言われ、拍子抜けしたように肩を落とす。ローレンツに惚れているなんて話だったら面白いなと思ったのだが……。
「大した話じゃないので、相談するかどうか迷ってたんです」
「内容はなんだよ」
無駄な遠回りをしたなと思いながら、ザックはぶっきらぼうに聞いた。オリビアは少しためらったあと、こう切り出した。
「今、ウィンが半分引退状態になってるじゃないですか」
「みたいだな」
「エドワードが、ウィンをパーティに戻したいみたいで」
「ふむ」
ザックはぐいっとジョッキを大きく傾けた。もうほとんど残っていないことに気づいて眉を寄せる。ついでにと思って、オリビアにちらりと目を向けた。席について即話しかけられたのか、彼女の前には何も置いていない。
「何飲む?」
「果実酒があれば……」
「あったな確か」
カウンター奥の店員に注文する。いつも態度の悪い若い女店員が、嫌そうな顔をしながら準備を始めた。つまみの入った皿だけ先に渡される。
「説得の方法を考えて欲しいってことか?」
干し肉を噛み千切りながら、ザックが言った。だが、オリビアは緩く首を振る。
「いえ、どうすればいいのか分からなくて」
「あいまいだな」
「すみません」
こくりと素直に頷いた。自覚はあるのだろう。
ザックは肩をすくめて言った。
「他人がどうこう口出す問題じゃ無いんじゃねーの」
「そうかもしれません」
オリビアは、肉を手で小さく千切って口に入れていた。思案するように、カウンターをじっと見つめている。
「でも私も、ウィンに戻ってきて欲しい気持ちはあるんです」
「ならそれをそのまま伝えろよ。べつに言われたからって怒ったりはしねーだろ」
「……」
ザックの言葉に、オリビアは何も答えなかった。
会話が途切れたところに、タイミングよく追加のエールと果実酒が運ばれてきた。二人はそれぞれ手に取ると、無言で口を付ける。
(俺に何を期待してんのかね)
カウンターに肘を突きながら、ザックはオリビアを横目で眺めた。沈痛な面持ちで、酒をすするように飲んでいる。考え込んでいるようでもあり、放心しているようでもあった。
「ザックさんは、冒険者をやめたいと思ったことはありますか?」
顔を向けてきたオリビアが、出し抜けにそんなことを聞いた。ザックは若干面食らいながらも、すぐにこう答えた。
「無いな」
「どうして?」
「どうしてと言われてもな。冒険者やるのが当たり前になってるんだよ。他の仕事なんてできる気しねーし、かと言って引退してのんびり庭いじりって柄でもねーしな」
「そうですか……」
「ま、今まで大して失敗してこなかったかもしれんが。一度死にかけたら変わるかもな」
「そんなものですか?」
「トラウマができて冒険者続けられなくなるやつなんて、ごまんといるぜ」
そこまで言ってから、ザックはふと思いついて付け加えた。
「あいつも死にかけたとかあんのか?」
「いえ、無いと思います。でも……」
オリビアは若干ためらいつつ言った。
「ダンジョン探索の時、失敗して文句を言われるのが嫌だって、いつも愚痴を言っていました」
「ふ-む」
彼はダンジョン関連の知識が豊富で、前に一緒のパーティになった時も、道案内や罠探知を努めていた。その分失敗してしまうこともあるだろうが、だからと言って文句を言われるのもかわいそうだ。
「文句言うって、エドワードがか?」
「……はい」
仲悪いんじゃねーか、とザックは危うく口に出すところだった。そんなことを言ったら、今も暗い表情をしているオリビアがさらに落ち込むだろう。
(ま、ほんとに嫌ってるなら戻ってきて欲しいなんて言わないわな)
複雑な関係になっているのだろうか。そのあたりがよく分からないし、やはり自分がアドバイスできる問題でも無いだろう。
オリビアは、ぎゅっと唇を引き結び、何かを堪えるような表情をしている。ザックはふと、もしかしてこいつが原因じゃないだろうな、などと思った。
「オリビアお前」
「はい?」
「どっちかと付き合ったりしてんのか?」
「してませんっ!」
オリビアは突然大声をあげると、ザックを睨み付けるような目で見た。ザックは驚くというよりも、むしろぽかんとした。
「そんなに怒んなよ」
「ザックさんが変なことを聞くからです」
と、全く怒りを収める気配が無い。彼女がここまで怒るのなんて、初めて見た。
幸い、いつも騒がしい店内なので、特に周りの注目を浴びるということは無かった。何やら、物が落ちた大きな音まで聞こえてきていることだし。
「悪かったよ」
降参するように両手をあげると、ザックは話題を変えようと試みた。
「そういや、お前は冒険者やめようと思ったことあんのか?」
「私ですか」
「ああ」
オリビアはじっと考え込み始めた。やがて、ぽつぽつと話し出す。
「昔は、よくありました。冒険者になりたてのころは。仕事が怖かったり、痛かったり、疲れて一日動けなかったり」
「最近は?」
「最近は無いです。楽しいので」
「ほー、そりゃいいことだ」
「……ウィンは、楽しくないんでしょうか」
「さあな」
ザックは肩をすくめた。他人の考えなんて、分かるわけない。
何となくグレンたちの方に目を向けると、男が一人加わって、三人で何事か話をしていた。どうも険悪な雰囲気だ。
(なんで人間関係で苦しんでるやつばっかなのかね)
今までに苦労した記憶が無いのだが、もしかして運がいいんだろうか。ローレンツという気の合う相方を、見つけられたからかもしれない。
ザックはジョッキを大きく傾けた。
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