46.療養

 ずっと、夢を見ていた。

 大半は、無秩序な悪夢だった。魔物に追いかけられる。ダンジョンのトラップに引っかかる。高いところから落ちる。そんな恐ろしいシーンが、忙しない演劇のように次々と切り替わる。

 だがその合間には、レティシアが過去に体験した出来事も混じっていた。最近行った森の遺跡や、廃坑、山の上のダンジョン。少し前の薬草採取や、王都の図書館。それから、もっとずっと昔のこと。

(これ、初めてクレアと仕事した時だ)

 レティシアは、妙にはっきりとした意識で、目の前の光景を眺めていた。自分とクレアの二人が、森の中を歩いている。確か、薬草採取の仕事だった。

 初対面であるにも関わらず、相手は全く緊張した様子もない。今とほとんど同じように、自分に話しかけている。

 対するレティシアの方は、ガチガチに緊張していた。話し方も、男性相手の時の男言葉と、素の喋りが入り混じっている。

(この頃は、人と話すの苦手だったな)

 そのせいで、ずいぶん失敗もした。今でも得意というわけではないが、当時よりはましだ。思い出すだけで嫌な気分になる。

 クレアと出会ったのは、本当に幸運だった。パーティを組んでしばらくの間は、交渉事はほとんど任せっきりだった。そのお陰で、ずいぶん気持ちが楽になった。彼女がいなければ、今頃冒険者を続けていなかったかもしれない。

 シーンが突然切り替わった。見たこともない森のような場所にいる。一瞬身構えたが、悪夢じゃなくてよかったとほっとした。

 不思議なことに、どんなシーンを見たかを、レティシアはほとんど正確に覚えていた。いつもなら、夢の内容なんてすぐに忘れてしまうのに。

(私、どれぐらい寝てるんだろう)

 輪郭も距離感もあいまいな木々に目をやりながら、他人事のように考える。覚えているシーンの数は、もう軽く百を超えている。一晩で、こんなに見るものなんだろうか。

(……あれ?)

 眠る直前のことを全く覚えていないということに今更気づいて、レティシアはぎくりとした。自分がどこで寝ているのかすら分からない。

 焦りと共に、最近の出来事を思い出そうとする。森の遺跡のことが浮かんだが、少なくとも数日は前だ。それより後のことは出てこない。

 不意に、森の景色が水に溶けるように消えていく。後に残ったのは、何も無い真っ白な空間だけだった。

 原因不明の不安が、レティシアの心に押し寄せてきた。自分の体を抱こうとして、その体が存在しないことに気づく。不安は恐怖に形を変えて、心を蝕んでいく。

『レティ』

 どこからか、クレアの声が聞こえてきた。今までずっと無音だったということに、レティシアは今更気づいた。

 心がすっと軽くなる。今なら、目を覚ますことができる気がする。それに、そうすべきなのだ、きっと。

『レティ』

 もう一度名前を呼ばれると、意識は急速に覚醒へと向かっていた。


「……ぁ」

 クレアの名前を呼ぼうとして、だが実際に出てきたのは掠れた声だけだった。喉に強い痛みが走って、思わず咳き込む。

 ずいぶん明るい場所にいるんだな、と最初レティシアは思った。まともに目を開けていられないほどに眩しかったからだ。

 だが目が慣れてくるにつれ、ごく普通の明るさの室内だということが分かってきた。どうやら自分は、ベッドで寝ているようだ。視界には、白い天井と、それから目を見開いて覗き込むクレアの顔が映っている。レティシアは、にこりと微笑んだ。

「レティ……!」

 すると、顔をくしゃりと歪めたクレアが、いきなり抱き着いてきた。思わぬ反応に、レティシアはびくりとした。

「よかった……」

 クレアは涙声になって呟いた。すすり上げ始める友人を目にして、レティシアは動揺してしまった。何が何だか分からない。

 質問しようにも、喉が痛くて声が出せない。ジェスチャーで伝えようとしたところで、レティシアはぞっとした。体がまともに動かない。いったい自分は、どうなってしまったんだろうか。

「体が動かないかもしれないけど、薬の影響だから心配しなくていい。一日もすれば元に戻るよ」

 不意に、聞き覚えのない声が耳に入った。目だけを動かし、視線を向ける。見知らぬ若い男が、興味深そうに自分のことを眺めていた。

「記憶も混乱してるかな? 無理に思い出そうとしなくても大丈夫だよ。まだ寝ているといい」

 と言われても、知らない人の言葉を真に受けてしまっていいものかどうか。いや、記憶がはっきりとしないので、もしかしたら知っている人なのかもしれない。

「そうですね、もう少し、眠っていてください。安心して」

 涙を拭いながら、クレアが身を起こす。口元に柔らかい笑みを浮かべ、レティシアの頭を優しく撫でた。

(クレアが言うなら、大丈夫かな……)

 不安な気持ちが、すうっと溶けるように消えていく。自然とまぶたが落ちる。

 視界が閉ざされると同時に、レティシアの意識も途切れた。


 次に目が覚めた時には、体調はすっかり良くなっていた。喉だけはまだ少し痛かったが、それ以外はすっかり元気だ。猛烈にお腹が空いてきて、クレアにスープを食べさせてもらった。

 眠る前のことも思い出した。夜に突然顔が熱くなってきたと思ったら、急激に熱が上がって意識を失ったのだ。それからベッドで目覚めるまで、何日も眠っていたようだ。

「……」

 そのベッドに寝転びながら、レティシアは白い天井をぼんやりと眺めていた。もう何時間も見続けている。

 べつに、特に見て面白いわけではない。それぐらいしかやることが無いだけだ。クレアなら、天井の模様に何らかの意味を見出すのかもしれないが。

 ちらりと横に目を向ける。机に向かったクレアは、すり鉢で何かを混ぜているようだ。見えはしないが、中身は想像がつく。

 レティシアは少し躊躇ちゅうちょしたあと、恐る恐る話しかけた。

「……ねえ」

「だめです」

「まだ何も言ってないじゃない」

 即座に否定されて、レティシアは唇を尖らせた。クレアがすまし顔で言う。

「外に出たいって、言うんでしょう? まだだめです」

「もう大丈夫だって。だいぶ気分もよくなったし……」

「だめ」

 子供に言い聞かすようにそう告げられ、レティシアは小さく唸った。掛け布団の端を引っ張って、口元まで覆う。

 今回の件で、友人はすっかり過保護になってしまったようだ。とは言え、口答えするわけにもいかない。散々心配をかけたのは事実だし、自分の病気を治すために、何日もあちこち駆けずり回ってくれたのだ。

 クレアはすり鉢の中身を、コップの中に移し替えていた。湯気の立ったコップに、緑の粉状の何かがさらさらと落ちていく。あれは、乾燥させた薬草を潰して混ぜたものだ。何度も飲まされたから間違いない。

 スプーンでコップの中をぐるぐるとかき混ぜたあと、クレアは満足したように頷いた。コップを手に取り、ベッドに近づいてくる友人の姿を見ながら、レティシアは思わず顔を引きつらせた。

「ちょっとだけ、起きてください」

「うん……」

 クレアに促され、もそもそと体を起こす。手渡されたコップを両手で持ち、じっと中身を見つめる。中に入った緑色の液体からはほとんど何の匂いもしないが、それが曲者なのだ。最初、味もあんまり無いんだろうと思って無防備に口に入れたら、大変な目にあった。とにかく、えぐみと苦みが酷い。

 固まってしまったレティシアを見て、クレアが心配そうに眉を寄せた。

「お砂糖でも入れます?」

「……いい」

 力なく首を振る。それで改善される気がしなかった。さらに酷い味になる可能性すらある。と言うか、ちょっと味を想像してみたところ、どうもそうなりそうだ。

 コップを口元にやり、ごくりと唾を飲み込む。今まで何度か試した結果、舌に当てないように一気に飲むのが最善であることは分かっていた。

 口を開け、少しだけ舌を出すようにすると、目を瞑ってコップと顔を一気に傾けた。味が、喉を流れ落ちる。

「うえぇ……」

 泣きそうな顔になって、レティシアはうめき声をあげた。コップを返すと、すぐにベッドに倒れ込む。良薬は口に苦しとは言うが、それにしてもこれは酷いんじゃないかと思う。余計に体調が悪くなりそうだ。

「そうだ」

 クレアが思い出したように言った。レティシアは、枕にうずめた顔をずらして目を向けた。

「腕輪、そろそろ、着けておきますか? 外したままにしない方が、いいんでしょう?」

「うん」

 こくりと頷く。ずっと使っている、腕力上昇の魔道具のことだろう。着けた状態に慣れておいた方がいいということで、お風呂に入る時以外はほぼ着けっぱなしにしている。が、さすがに治療中は外されていた。

「はい、どうぞ」

 クレアが手を差し出してくる。その上に乗っている物を見て、レティシアはきょとんとした。

「なにこれ?」

「え?」

 同じようにきょとんとした顔で、友人は小さく首を傾げてきた。その反応に、レティシアは言葉を詰まらせる。もしかして、まだ自分の記憶は混乱しているのだろうか。

「……新しい魔道具?」

「ええ?」

 おずおずと問いかけると、さらに変な顔をされてしまった。どうやら違ったようだ。

「……」

 差し出された物を、改めて凝視する。それはクレアが言う通り『腕輪』だったが、自分が持っていた腕力上昇の魔道具とは違うように見えた。何せ、全体がほんのりと赤く光っているのだ。自分の腕輪にそんな機能オプションは付いていない。

(……あれ?)

 だがよく見ると、腕輪の装飾自体は見覚えのあるものだった。銀のような光沢を持ち、小さな赤い宝石が付いている。いつかの依頼で付けてしまった、大きな傷跡もある。光っているのを除けば、自分の腕輪にも思えてきたが……。

「まさか、レティ、覚えてないの?」

 クレアの瞳が、不安げに揺れる。レティシアは、慌てたようにこう言った。

「ええと、いつもの腕輪だよね」

「はい」

「でもなんか、光って見えるんだけど……」

「光って?」

 小さく首を傾げるクレアに、見えているものをそのまま説明する。だが案の定、さらに首を傾げられただけだった。

「どこも、光っては、ないですよ?」

「うーん?」

 明かりにかざすようにしながら、クレアは腕輪をくるくると回す。そうは言われても、さっきからずっと赤く輝いているように見える。目をごしごしこすってみたが、何も変わらなかった。

 クレアはふと思いついたように、ポケットの中から小さな指輪を取り出した。

「これも、光っていますか?」

「うん」

 レティシアはこくりと頷く。するとクレアは、わずかに思案したあと言った。

「もしかして、同じ色?」

「うーん、どっちも赤いけど、指輪の方がちょっと色が濃いかな」

 その答えを聞いて、友人はひどく驚いたようだった。今度はレティシアの方が、不安そうな顔になって言う。

「なんで光って見えるの? クレア、何か分かった?」

「多分ですけれど……魔力感知の魔法の効果と、似ていますね」

「魔力?」

 聞き間違いかと思って、レティシアは尋ね返した。魔力探知と言えば、使うと一定範囲内に存在する魔力原の位置が分かる魔法で、習得している魔術師は少なくない。

 過去に魔石探しのパーティに入った時、メンバーの一人が使っていた。範囲はさほど広くなく、移動しながら何度もかけ直す必要があるため、魔力消費が大きいと嘆いていた記憶がある。

 だがクレアは、緩く首を振った。

「いいえ、魔力です。一度かけると、しばらくの間、効果を発揮し続けます。それに、光の強さで魔力の強さが、色の違いで、魔力の種類が分かるんです。これは……」

 と、両手に乗った腕輪と指輪を持ち上げる。

「どちらも、炎系ですから、赤ですね」

「あ、それクレアの炎の指輪か」

「はい。レティの腕輪より、炎の要素が強いので、色が濃いはずです」

「へえー」

 レティシアは感心したように頷いた。魔力の上位魔法なのだろうか。

 自分の身に起きている現象の正体が分かって、少し安心する。だがすると今度は、別の疑問が湧いてきた。

「でも、いつの間にそんな魔法かけられたんだろう?」

「かけられたのでは、ないですよ」

 クレアはゆっくりと首を振る。

「今では、その魔法を使える人は、存在しませんから」

「……そうなの?」

「はい。文献の中にしか、残っていない魔法です。ずいぶん昔に、滅んだ魔法ですね」

「じゃあ、なんで私に……?」

「それは、分かりませんけれど……レティの病気が、関係しているのかも……」

「うーん、そっか」

 レティシアは表情を暗くした。だとすると、安心してもいられないかもしれない。自分の病気は、まだちゃんと治っていないのだろうか。

 するとクレアが、殊更ことさらに明るい声で言った。

「大丈夫ですよ、ニッドさんに、相談してみましょう」

「うん」

 ニッドというのは、レティシアを治療してくれた治癒術師のことだ。今いる部屋も、彼が持っている病室らしい。まだしばらくの間は、薬をもらったり診てもらったりでお世話になる予定だ。

「それに、魔力感知ができるなんて、すごいですよ。ダンジョンの大抵のトラップだって、見つけられますよ。魔法を使っているものが、多いですから」

「そうなんだ」

「はい。慣れれば、細かい色の違いで、効果まで分かるそうです」

 そこまで聞いて、レティシアはふと思い出して言った。

「そう言えば、ちょっと前からそういうの分かったかも」

「ええ? ほんとですか?」

「うん」

 こくりと頷き、以前から自分の身に起こっていたことを説明した。ダンジョンにある魔道具製のトラップや転移の魔道具が、何となく見ただけで分かるのだ。使い方まで分かることもあった。今みたいに光って見えることは無かったが、状況としては似ているかもしれない。自分の腕輪のような小さな魔道具に対しては何も感じなかったが、魔力量の違いだろうか。

 クレアは真面目な顔で話を聞いていた。が、説明が終わった途端に、怒ったように言った。

「どうして、早く言ってくれなかったのですか?」

「え? ど、どうしてって……」

 友人の態度が急変した理由が分からずに、レティシアはしどろもどろになった。すると、クレアはこんなことを言った。

「病気の、予兆だったかもしれないじゃないですか。詳しく調べてもらえば、早めに分かったかもしれないのに」

「う、そんなこと言われたって」

 あれが病気に繋がるだなんて、夢にも思わなかったのだ。クレアにもそれは伝わったのか、落ち着いた口調になって、だがきっぱりと言った。

「とにかく、今後、少しでも気になることがあったら、すぐに教えてくださいね」

「……うん」

 今度は素直に頷く。すると、クレアは優しく微笑んだ。

 腕輪を受け取り、腕にはめる。レティシアは眉を寄せながら、腕をねじって眺めまわした。常時光っているので、ものすごく派手なアクセサリーを着けている気分だ。袖で隠してみたが、光は少し透けて見えている。

 ちらりとクレアの方に視線をやると、机に向かって何やら書き物をしていた。注意して観察してみると、ポケットの中に仕舞った指輪の光がわずかに漏れ出していた。

 他にも何か見えるものないかな、と部屋を眺めてみた。治療用の器具のようなものは棚に入っていたが、残念ながら光っているものは無い。まあ、普通は魔道具なんて、その辺に放り出してはおかないかもしれない。

 壁際にある自分たちの荷物に、目が留まった。クレアの背負い袋の中に、複雑な色に輝く何かが入っている。外から見ても分かるぐらいだから、結構光は強そうだ。そんな魔力が強い魔道具、持っていただろうか。

「ねえ、クレア」

「はい?」

「あの袋の中に魔道具入れてる? なんかすごく光ってるけど」

「ええと……」

 困ったように首を傾げられる。だがすぐに、クレアははっとした顔になった。

「もしかして、これですか?」

 彼女は袋の中から、見覚えのある小さな黒い箱を出してきた。いや、黒いというのは記憶の中での話で、今は揺らめく七色の光を発している。ちょうど、両手に乗るほどの大きさだ。

「うん、それ……わっ」

 レティシアは、びっくりして声をあげた。クレアが箱を開けると、中の光はさらに強かったのだ。直視できないというほどでは無いが、ランタンの明かりほどはある。

「腕輪や指輪より、光が強いんですか?」

「うん、全然強いよ。いろんな色に光ってるし」

「いろんな色……詳しく調べれば、構造が分かるかも……」

 ぶつぶつと独り言を始めるクレア。レティシアは、目を細めながら中を観察してみた。箱の中は、縦横無尽に繋ぎ合わされた針金のようなものでいっぱいだ。その一本一本が、別の色に光っているようだ。

「あっ」

 不意に、クレアは小さく声をあげたと思うと、箱をさっと背後に隠した。レティシアは不満げに言う。

「え、もうちょっと見せてよ」

「だめです。まだ安静にしていないと」

「……分かった」

 唇を尖らせたものの、友人の忠告に素直に従った。これ以上心配をかけるわけにはいかない。

 クレアは向こうを向きながら、箱を見ているようだ。あの箱は少し前に森の遺跡で見つけたもので、クレアはずいぶん気に入っているようだ。熱心に調べていたのを覚えている。

(役に立てたらいいな)

 自分の魔力感知の魔法、もしくは能力が。クレアは他にも壊れた魔道具をたくさん持っていたはずだし、他にも強く光っているものが無いか、一度全部見てみたい。

(とりあえず、早く元気にならないと)

 掛け布団を肩まで引っ張りつつ目を閉じる。とは言え、自分的にはもうすっかり治っているのだ。これ以上、いったいどうすればいいんだろうか。

 そんなことを考えているうちに、レティシアはいつの間にか眠りに落ちていた。

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