33.休日

 同じ夢を繰り返し見ながら、クレアは微睡まどろみの時間を楽しんでいた。夢の中では、レティシアと一緒にダンジョンを探索中だ。先ほどから少しずつ進んでいるので、そろそろ脱出できるかもしれない。

 普段は早起きのクレアだが、今日は何の用事もない。もう朝になっているようだが、寝てたって構わないだろう。

(朝?)

 それにしては、日の光が強いような気もする。薄く目を開けると、ベッドの脇の小窓から光が真っ直ぐ差し込んでいた。身を起こして、窓の外を覗く。

「あら」

 ほぼ真上に日が昇っているのを見て、クレアは小さく声をあげた。もうすっかり昼になっているようだ。いくらなんでも寝すぎだろう。

 昨日はそんなに遅くに寝たのだったかと思い返す。そう言えば、ひさびさにお酒をかなり飲んだような……。

 と、すぐ後ろで、誰かが身じろぎする気配を感じた。がさごそと音がする。どきりとしながら、恐る恐る振り返った。

 幸いなことに、そこにあったのはレティシアの寝顔だった。小さく口を開けて、気持ちよさそうに眠っている。記憶が曖昧あいまいだが、昨日は同じベッドで寝たらしい。すぐ近くに彼女のベッドもあるのに、どうしてなのかは分からない。

「もうお昼ですよ、レティ」

 レティシアの肩を優しく揺する。どうせ起きないだろうというクレアの予想に反して、彼女はむくりと体を起こした……と思ったら、即座にベッドに突っ伏す。

「うう」

「二日酔いですか?」

「うん……」

 枕に顔を埋めながら、レティシアは頷いた。返事ができているならそれほど酷くはないだろうと、クレアは友人の病状を判断する。

 ベッドを下りて身支度しているうちに、昨日の夜のことを思い出してきた。そこそこいいワインが手に入ったからって、レティシアを説得して二人で飲んだのだ。

 テーブルの上に目をやると、空の酒瓶や、少しだけ残った干し肉の切れ端、中身の入ったコップが散乱していて酷い有様になっていた。とても他人には見せられない。

 酒瓶の中には見覚えのないものまで混じっていて、クレアは眉を寄せた。最大でもワイン一本までのつもりで飲み始めたはずなのに、そうはならなかったようだ。途中で酒が切れて買い足しに行ったような気もするし、夢だったような気もする。

「なにか食べますか?」

「……食べたい」

 その質問に、レティシアは少し迷ったのちに答えた。起き上がろうとする彼女の肩を、クレアは押しとどめる。

「買ってきますから、レティは、部屋で待っててください」

「うん。ありがと」

 ふにゃりとベッドに倒れ込むレティシア。ほぼ間違いなく、彼女の二日酔いは自分が飲ませすぎたのが原因だ。小さな罪悪感を覚えながら、クレアは部屋を出た。


 宿の階段を下りると、そこは小さな食堂になっていた。カウンターの奥では、店員らしき男性がコップを磨いていた。必要だからというより、単なる暇つぶしでやっているように見える。

「すみません、なにか、食べるものを出してもらえませんか?」

 店員はクレアを一瞥いちべつすると、すぐに元の作業に戻った。

「予約分しか作ってないんだ。必要なら先に頼んでくれって言っただろう」

 不愛想な店員に、すみません、ともう一度言って、クレアは小さく頭を下げた。そういえば、泊まる時にそんなことを聞いたかもしれない。

 ここで調達できると思っていたのだが、当てが外れてしまった。少し迷ったあと、買い出しに出かけることにする。

 外に出るとは日の光がぎらぎらと輝いていて、思わず目を細める。青い空には、雲一つ浮かんでいない。前日夜中まで飲んだ後に見る光景としては、少々刺激が強い。

 どこに買いに行こうかと、クレアは思案した。宿が面している大通りには店が並んでいて、出入りする客の姿も多い。だがぱっと見たところ、食べ物を売っていそうな気配はない。

 不意に、一つのパン屋のことが脳裏に浮かぶ。いや、その店がというより、その店までの道筋が、と言った方が正しい。

「……あそこのパン、レティも好きだと言ってましたし」

 言い訳がましい独り言とともに、クレアは宿の建物の脇にある横道へと入った。


 曲がりくねった細道を、クレアは慣れた様子で進む。清掃もろくにされていないだろうその道には、ゴミと汚れが溜まっていた。

 ゴミの山がある場所からカサカサと音が聞こえてきて、道の端ぎりぎりまで距離を取る。ねずみでもいるのだろうか。

 大通り沿いに歩いていっても目的のパン屋には着けるのだが、こちらの方が近い。それに、クレアにはこの道を通って行きたい理由があった。

 ショートカットとして有用なためか、人通りはそれなりにある。五人ほどすれ違ったところで、クレアは不意に立ち止まった。

 目の前にある建物のの扉を、クレアはそっと開く。注意していないと見逃しそうだが、その扉には店の看板らしきものが張り付けてあった。

 さほど広くない店の中には、様々な魔道具が所狭しと並べられていた。奥に座る魔術師風の男が、新しい客にちらりと目をやる。クレアは笑顔で会釈したが、彼は何も言わずに手元の本に視線を戻した。

 店内の魔道具をざっと眺める。前に来た時と比べて、特に面白そうな新商品が増えている様子はない。まあ、クレアの興味を引くような商品が入荷した時は、店主であるあの男が教えてくれるのだが。

 もうすぐ店を一周するというところで、クレアはぴたりと足を止めた。目の前の棚の一部が、空っぽになっている。狭いスペースに商品を詰め込んでいるこの店にしては、珍しいことだ。

 以前はどんな魔道具が置いてあったのだったかと首を捻る。ここにはしょっちゅう来ているが、さすがにどこに何があるかを完璧に把握しているわけでもない。

 ふと、店主の男がこちらをじっと見ていることに気づいた。顔を向けると、彼は空っぽの棚をすっと指さす。

「防御系の魔道具がまとめて売れた」

「あら、そうなのですね」

「国の人が」

 そこで言葉を切って、彼はまた本の続きを読み始める。多分、国の人が買っていったと言いたかったのだろう。

 国の人というのが誰の事なのかはっきりとは分からなかったが、国軍のことだろうか。戦争の準備でもしてるんじゃないかと、少し不安になる。

 考えに耽りそうになって、はっと顔を上げた。今日の目的地はこの店ではない。あんまり遅くなると、レティシアに怒られる。

 扉を開けながら、クレアは店主の方へと目を向けた。帰る客に興味は無いのか、彼が視線を上げることはなかった。


(そう言えば……)

 細道を進みながら、クレアは前々から考えていたことを思い返す。

 パン屋へ行くには、いつも通りの道を使って大通りに出たあと、右に曲がって少し進めばいい。と言うことは、もう少し右寄りの細道を通って行った方が、近いのではないだろうか。

 知らない道を使うことに不安はあったが、方角は分かっているのだし、迷うこともないだろう。そう考えて、クレアは想定していた道筋を右に逸れる。

 しばらくは、目的地へとほぼ最短距離で進んでいる感触があった。だがすぐに思惑は外れ、右へ右へとズレていく。それに、徐々に道が細くなっていくような……。

「こんなところでなにしてるの? もしかして道に迷った?」

 角を曲がった瞬間、前方に若い男の姿が現れて、クレアはぴたりと足を止めた。男は軽薄な笑みを口元に浮かべ、腕を組みながら壁にもたれかかっている。まるで、誰かが来るのを待っていたかのようだ。

「いえ、大丈夫です」

 迷っているといえば迷っているが、そんな素振りを見せずにきっぱりと答える。こんな人気のない場所で、知らない男に関わりたくない。

「俺たちが案内してあげよっか?」

 だが相手の方は、返答を全く無視して言葉を続ける。クレアは彼の強引さと、そして一つの疑問を感じて眉を寄せる。

(……俺たち?)

 そう思った瞬間、背後で複数の足音が聞こえた。慌てて振り返ると、新たに二人の男が横道から出てくるところだった。完全に逃げ道を塞がれた。

 ぎゅっと唇を噛んで、前方に視線を戻す。最初の男が、殊更ゆっくりと一歩を踏み出してくる。まるで、獲物を追い詰めるのを楽しんでいるかのようだった。

 クレアは怯えた表情を浮かべながら、両手で自分の体を抱きしめる……ふりをして、右手に嵌めた炎の指輪を確認した。

 目の前の男の足元か、最悪足に炎をぶつけて、一気に走り抜けるつもりだ。指輪を発動させるためには、時間と集中が要る。一度撃てば後はない。

 前後にいる三人は、見たところ全く武装をしていない。多分、冒険者をターゲットにするつもりなんてないし、クレアが魔道具を持っているとも思っていないだろう。炎の威力で威嚇すれば、逃げ出せる自信はあったのだが。

「……!」

 目の前の男の背後に新たな人物が現れて、クレアは目を見開いた。巨大な両手剣を背負ったその男性は、見るからに手練れだ。彼が三人の仲間なら、逃げるのが一気に難しくなる。

 しかし、クレアの予想は外れたようだった。

「なにやってんだ?」

 彼の言葉に、最も大きな反応を見せたのは目の前の男だ。勢いよく振り返ると、先ほどまでとは違うドスの利いた声で言った。

「お前には関係ないだろ。邪魔すんじゃねえよ」

「ふむ」

 鼻を鳴らすと、彼はすっと右手を上げ、剣の柄に手を添える。直後、クレアの後ろにいた男たちが、ばたばたと足音を立てて逃げ出していく。それを見て、残った一人も横道へと逃走した。

 クレアは長いため息をついて、男に弱々しい笑みを向けた。

「助けていただいて、ありがとうございます」

「んー? まあ、特になにもしてないんだが」

 男はにやりとしながら近づいてくる。

「助かったと言うなら、それに見合ったお礼を貰いたいところだなー」

 その言葉に、クレアは笑顔を引きつらせる。何を要求するつもりかは知らないが、嫌な予感しかしない。

 今度はこの男から逃げなければならないのだろうか。そう思って、再び指輪に意識を集中したクレアだったが。

「おっと、それを使うのはめとけよ。マジで斬らなきゃならなくなるぞ」

 腕で隠れたクレアの右手を、男が指さす。何故分かったのかは不明だが、炎の指輪のことを見抜かれている。

 どうすべきかと迷う間に、男は自然な動作で地面を蹴り、一瞬にして距離を詰めてきた。何の反応もできなかったクレアは、唖然とした表情で彼の顔を見上げた。

「じゃー、お礼を貰おうか」

 そう言って、男は手を伸ばしてきた。


 若干緊張しながら、クレアは店の中へと入る。用心棒らしき男に一瞥されたが、何も言われなかった。ほっとすると同時に、追い返されればよかったのにとも思う。

 高級宝飾店であるその店には、カップルや夫婦らしき男女の姿が多く見られた。自分たちもそういう風に見られているのだろうかと思いながら、クレアは肩を見る。そこには、すぐ隣を歩く両手剣の男の手が回されていた。

 彼が言う『お礼』とは、この店の買い物に付き合うことだった。最初は一人で入ろうとしたそうなのだが、物騒な武器を持っていることを理由に入れてもらえなかったらしい。

 男が背負う両手剣に目をやる。剣はベルトと留め具で固定されていて、ほとんど抜き身だ。黒い刀身には赤い文様が刻まれ、禍々しい雰囲気を感じる。

 こんな武器を持った男が一人で店に来たら、追い返したくなるのも分かる。まあ、それなら女性連れならいいのかと言われると疑問は残るが、それは店の人の判断だ。

 武器を置いてくればいいでしょうと、始めは当然進言した。だが彼は、「今日はこれに決めたんだよ」と言って、聞き入れなかった。全く意味が分からない。

「あー、あれだあれだ、見ようと思ってたやつ」

 そう言って、男はイヤリングのコーナーへと向かう。肩を抱かれているクレアは、なすがままだ。この店の標準なのか、どの商品にも値札はついていなかった。

 イヤリングを眺める男の顔に、ちらりと目をやる。この店に来たのは、女性へのプレゼントを探すためだとは聞いている。相手とどういう関係なのかは知らないが、普通に考えれば恋人か、恋人未満なのだろう。

「全然わからんなー。どれがいいと思う?」

 早々に選ぶのを諦めて、そんなことを聞いてくる男に少し呆れる。クレアは相手のことを全く知らないのだし、選びようがない。それに何より。

「私なら、他の女性の方のアドバイスで買った物なんて、絶対に受け取りませんね」

「む」

 済ました顔で言うクレアに、男は言葉を詰まらせる。さっき驚かされたことの仕返しのつもりも少しあったのだが、予想以上に効果を上げたようだった。

「んじゃこれにするか」

 と、大きな赤い宝石のついたイヤリングを手に取る。ほとんど考えていなさそうな彼の態度に、クレアは眉を寄せた。

「そんなすぐに決めてしまって、大丈夫なんですか?」

「ま、俺が時間をかけて選んでも無駄だろ」

 そう言って、男は受付へと向かう。イヤリングと一緒に、金貨が詰まった革袋をどさりとカウンターに置いた。店員はその中からかなりの枚数を抜くと、残りを男に返して商品の梱包を始める。予想外の値段に、クレアの方が狼狽うろたえてしまう。

 クレアも結構衝動買いをする方だが、この値段のものをぽんと買ってしまうとは驚いた。お金を使うことに慎重な、レティシアの気持ちが少し分かった気がする。

 商品を受け取ると、二人は店の外へと出た。男はクレアの肩から手を放すと、ひらひらと手を振る。

「助かったよ。じゃあな」

 それだけ言って、男は去って行った。クレアは小さく頭を下げると、彼が視界の外に出たのを確認してから、ため息をついた。

(変わった人でしたね)

 男が去って行った方を眺めながら、クレアは心の中で呟いた。お相手がどんな人なのか気になるところだが、もう彼に会うこともないだろう。おそらくは。

 視線を横に向けると、自分たちが泊まる宿が目に入った。男の指定した宝飾店が、ちょうど向かいだったのだ。なんだか無意味にぐるりと一周してきたような気がして、再びため息をつく。

 宿に戻ると、クレアは早足で階段を上った。部屋に残されたレティシアが、そろそろ怒っているかもしれない。

 ちょっと外に出るだけのつもりだったのに、えらく時間がかかってしまった。自分の趣味を優先して魔道具店など寄ったから、バチが当たったのだろうか。

「……」

 何かを忘れているような気がして、クレアは眉を寄せた。だが思い出す前に、借りている部屋の前まで来てしまう。

 扉を開けると、ベッドに腰をかけ、ぼんやりと視線を上に向けているレティシアがいた。二日酔いは、多少はマシになっているようだ。

 入ってきたクレアに目を向け、レティシアは眉を寄せつつ言った。

「遅いよ、クレア」

「ごめんなさい。ちょっと、トラブルがあって」

「え、大丈夫だったの?」

 その弁明を聞いて、彼女の顔はすぐに心配そうな表情に変わる。自分を案じてくれる友人の姿に、クレアは心が温かくなるのを感じた。

「はい。親切な方に、助けていただきました」

「そっか」

 レティシアはこくりと頷くと、何も持っていないクレアの手を見た。少しして、視線を戻す。

「食べ物は?」

「……あっ」

「え?」

 一番大切なものを忘れていたことに、今更気づく。これでは何のために苦労したのか分からない。クレアは頭が痛くなってきた。

 ぶーぶー文句を言うレティシアを連れて、クレアは町の飲食店へと向かった。

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