外伝3.冒険者と料理

 深い森の奥で、二人の冒険者風の男女がたき火を囲んでいた。もうとっくに日が暮れた後で、辺りは真っ暗だ。揺れる炎に照らされて、周囲の木々が複雑な影を形作っている。

 たき火には、頭上の枝から吊るされた小さな鍋がかけられていた。鍋の中には、水を含んで粥状になった穀物と、少しだけ干し肉が入っている。すぐそばに座っている若い男性の方が、時々中身をかき回していた。

 もう一人いる女性の方は、男性よりもさらに若かった。まだ少女と言っていい年齢だろう。彼女は両手を後ろの地面に突き、足を前に投げ出して、だらけた体勢で鍋の方をじっと見ていた。

「ねえまだー?」

 少女は足をばたばたとさせながら、不満そうに言った。鍋をかき回していた男は、彼女の方を向いて大げさにため息をつく。

「それ聞くの何回目だよ。もうちょっと待てって」

「えー?」

「えーと言われてもな」

 男は視線を鍋に戻す。底の方から穀物を掬って、様子を見ていた。少女の方は暇なのか、足を片方ずつ交互に上げ下げしている。

「魔法でぱぱっと作れないの?」

「どんな魔法だよ」

「炎で包んで調理?」

「一瞬で灰にできる魔法なら知ってるけどなー」

 男は知り合いの魔術師のことを思い浮かべた。彼なら鍋ごと燃やし尽くすことも、適温で暖めることもできそうだ。だが、それは火にかけているのと大して変わらない気もする。

「そろそろいいか」

 鍋の具合を見てそう判断する。彼の言葉と同時に、少女が飛び跳ねるように身を起こす。膝を折って座り直し、前のめりになって期待の眼差しで見つめてきた。男は苦笑しながら、お椀に粥をすくって渡してやった。

 少女は嬉しそうな顔で、お椀の中身をスプーンですくう。何度も息を吹きかけてから、慎重に口に入れる。その体勢のまま、しばらく固まった。

「どうかしたか?」

 自分の分を取り分けながら、男が不思議そうに聞く。少女はゆっくりと首を傾けると、スプーンを口から離してもぐもぐと咀嚼していた。その後もう一口食べてから、ぎゅっと眉を寄せた。

「これ味うすくない?」

「そうか?」

 男も粥を食べてみたが、特に何とも思わなかった。まあ薄いと言われれば薄いかもしれないが、いつも自分が食べているのはこんなものだ。

「香辛料とか入れてないの?」

「干し肉入ってるだろ?」

「えー、それだけじゃ足りないよ。塩胡椒とか香草とか入れたらおいしいのに」

「そんなの俺持ってないぞ。食えればいいだろ食えれば」

「えーー!」

 少女が、信じられないという表情になる。お椀を地面に置くと、スプーンを男の眼前に突き付けた。

「ごはんは旅の醍醐味なのに!」

「面倒の間違いじゃないのか?」

 食事にあまり興味のない男の方からすると、可能なら何も食べずに過ごしたいぐらいだ。金さえ出せばなんとかなる町中ならともかく、こういう場所では特に。

 諦めたかのような顔で、少女はスプーンを椀の中に戻す。振り返って手を思い切り伸ばすと、少し離れたところに置いていた自分の荷物を掴んで引っ張り、ずるずると引きずる。

 少女は荷物の中を漁って、中から大量の小瓶を次々と取り出した。中身は白い粉状のものや、茶色い粒、透明な液体、何枚かの葉っぱなど、様々だ。

「もしかして、それ全部香辛料なのか?」

「うん」

「お前料理できるのかよ」

「一人の時は自分で作るよ?」

「ほー」

 男は感心したように声をあげた。いつも食べているばかりで、作っているところは見たことがない。

 珍しく真剣な表情で、少女は小瓶の群れを凝視していた。その中から何本かを選び、中身を自分のお椀にほんの少しだけ入れる。粥をかき混ぜてから一口食べると、小さく首を傾げてまた瓶を選んでいた。

 それをなんとなく見ていた男は、手に持ったスプーンで鍋の方を指した。

「なら普段から作ればいいだろ。好きな味にできるぞ」

「他の人に作ってもらった方がおいしく感じない?」

「そーかよ」

 男は肩をすくめた。少女の方は味に満足したようで、瓶を片付けて嬉しそうに粥を食べていた。

「それに、色んな人の味付けした料理食べるのも楽しいよ?」

「俺のは駄目なのかよ」

「味付けなんてしてないじゃない」

「そんなこと言うなら次は干し肉も無しにするぞ」

「自分だけ香辛料入れるからいいよー」

「ふーむ」

 早々に自分の分を食べ終わった男は、ふと思いついたように言った。

「だいたい、町に戻ればもっと旨いものいくらでも食えるだろ。なんで食事が旅の醍醐味なんだ」

「こういうところで食べるからいいんだよ?」

「そうか?」

 椀の中身をかき込みながら、納得いかなさそうに男は言う。少女は唇を尖らせると、言葉を重ねた。

「山登りした時に食べた、凍らせた果物すっごくおいしかったよ?」

「そりゃー確かに旨そうだな」

「うんうん。あれまた食べたいなあ」

 うっとりとした表情で、遠い目をする少女。手に持ったお椀が傾いて、中身がこぼれそうになっている。男はそれを指摘しようとして、やっぱり止めることにした。

「どうやって凍らせたんだ?」

「魔術師の人が魔法で作ってくれたんだよ」

「贅沢なデザートだなー」

 男は半分呆れ、半分感心した顔で言った。果物なんてそのままで食べられるだろうに、わざわざ触媒代をかけて凍らせるとは。

「ほんとおいしかったよ? みんな作って売ればいいのにねー」

「氷系の魔法使えるやつ少ないだろ。触媒も高いしな」

 炎や風など他の系統に比べて、氷系の魔法は難易度が高い。そのわりに殺傷力も低めなので、有効に働く場面は少なかった。触媒を取り扱っている店も少なく、他と比べてかなり割高だ。

「うーん、そっかー」

 残念ー、などと言っていた少女は、ふと思い出したように声をあげた。

「あ、風の魔法でものすごく薄く切った果物とかも食べたことあるよ」

「意味あるのか、それ」

「うーん? 味は普通だったけど」

 粥を一口食べて、少女は首を傾けた。つられて男も首をかしげる。

「大道芸みたいなもんか? 彫刻とか作れそうだなー」

「美味しくなるわけじゃないし」

 少女は興味なさそうに言った。見た目にはあまりこだわらないようだ。

「他に何かないかな?」

「他にって、魔法で作る料理がか?」

「うん」

「ふむ」

 男は、今までに会った魔術師たちのことを思い返す。残念ながら、魔法を料理に使おうなどと考えている変わったやつは思いつかなかった。だがその代わりに、一つだけ以前に聞いた話のことを思い出す。

「そう言や、回復魔法をかけつつ生きたまま丸焼きにするって料理があるらしいな」

「え、なにそれ? おいしい?」

「普通に調理するより鮮度が良くてどうとか言ってたぞ。まー食ったことないから分からん」

「へえー。なんか残酷だね!」

「表情と台詞が合ってないぞ」

 興味津々の顔をしている少女に、男は突っ込みを入れる。

 話が途切れ、少女は黙々と粥を食べていた。味わいながら食べているのか、それとも普段からなのか、ほんの少しずつ口に入れている。もうとっくに食べ終わった男の方は、暇そうにそれを眺める。

 ちょうど全部食べ終わったところで、少女がぱっと顔を上げた。

「調理用の魔道具とかあるのかな?」

「あっても不思議ではないな」

 魔道具と言うと、攻撃系の魔法の代わりになるような破壊的な効果を持つものが多いが、日常で使うようなものもある。どんな扉でも開かなくできる錠前だとか、時間が来ると音を出して知らせてくれる時計だとか。

「あー、イリーズが保存食を作る魔道具なら持ってたぞ」

「保存食って? どうやって?」

「何と言ったらいいのか……乾燥か? どんな料理を入れても干し肉みたいになるんだよ。んで、水か湯をかけて食べる」

「へー! 面白いね」

「ああ。スープを入れてもちゃんと粉になって出てくるぞ。まー味が元とだいぶ変わって、なに食ってるのかよく分からなかったが」

「ふーん」

 少女は少し考え込む。空のお椀をスプーンでかき回して、行儀悪くカチャカチャと音を鳴らした。

「それって味付けを普通と変えたら美味しくなるんじゃない? ほら、干し肉みたいに辛くしてみるとか?」

「俺に聞かれてもな。もうどんな味だったかちゃんと覚えてないぞ」

「えー」

 不満げに言った後、少女はぱっと顔を明るくする。

「それってイリーズにお願いしたら貸してくれるかな?」

「危険なものでも無いし使わせてくれるかもしれんが、魔石の消費がすごいらしいぞ。一回で金貨数枚分かかったとかな」

「そんなにするの? 高いね」

「魔法や魔道具で料理なんて、どれも金がかかるんじゃないか? その金でもっと旨いものが食えるぞきっと」

「うーん、そうなのかな?」

 少女は首を捻る。視線を宙にさ迷わせ、また何か考え事をしているようだった。

 男は、振り向いて背後の森の中に視線をやった。もう一人連れがいるのだが、まだ帰ってこない。最初の予定では、食事ができるころには戻ってくるはずだった。何か予定外のことがあったんだろうか。

(まー、あいつが危険な目に会ってるわきゃ無いか)

 少なくとも、こんなごく普通の森ぐらい、危険のうちにも入らないだろう。そう思って視線を前に戻すと、鍋に残った粥を少女がじっと見ていた。

「ねえねえ、それもらっていい?」

「イリーズの分なんだがなあ」

「大丈夫だよ! イリーズは秘密の携帯食料持ってるし」

「あれめっちゃまずいって愚痴ってたぞ」

「大丈夫だって!」

 何が大丈夫なのかは分からないが、自信満々の表情だった。男は肩をすくめる。

 少女は鍋の中身を自分の椀に移し始める。底までこすり取るようにして、綺麗に回収していた。作業が終わって食べ始めようとしたその時、何かに気付いてはっとした表情で男の方を向く。

「香辛料さっき何入れたっけ?」

 男は無言で、先ほどより大げさに肩をすくめた。

「もう一回選べばいっか」

 少女は残念そうに、だが少し嬉しそうにも見える表情でそう言った。再び小瓶を取り出すと、味の調整を始める。

 男は残された鍋やらなんやらを片付け始める。鍋には穀物一粒も残っていない。イリーズには携帯食料で我慢してもらうしかない。

 近くの川に食器を洗いに行こうかと思っていると、少女が声をかけてきた。

「あのふわふわの美味しかったねー」

「なんだよふわふわのって」

「ほら、この前食べたやつ」

「んー?」

 男は首を捻った。何か果物だろうかと思ったが、思いつかない。少女は焦れたように、スプーンを持った手を上下させる。

「ほら、ダンジョンで食べたやつだよ。覚えてないの?」

 そう言われてようやく思い当たる。イリーズと三人で行ったダンジョンでの話だ。

「ああ、あの得体のしれない魔物な。食料がなくなって仕方なく食ったやつな」

「でも意外とおいしかったよ?」

「そうかあ?」

 空に浮かぶ雲のような、確かにふわふわしたやつだった。魔法を使って食べても安全であることは確認したが、砂っぽい変な味しかしなかったのを覚えている。いくら味にそこまで頓着しない自分でも、進んで食べたいとは思わない。

「よくあれを美味しいと言えるな。イリーズなんて食べる時ものすごい嫌そうな顔してたぞ」

「イリーズは好き嫌い激しいんだよ」

「好き嫌いの問題か?」

 男は呆れたように言った。まあ、世の中には魔物食とかいう金持ちの趣味もあるとか聞く。あれはあれで好きなやつも居るのかもしれない。

「何でも食べれるギフト持ってる人いたよね?」

「大ハズレのやつな」

「私あれ欲しいなー」

「狙えるもんじゃないだろ。大体そんなこと言ってるとイリーズに怒られるぞ」

「イリーズはそんなので怒らないよ?」

「お前が言うと説得力があるのか無いのかよく分からないな」

「えー」

 少女が何か言い返そうとするのを、男は手で制した。目を伏せて、周囲の音に意識を集中する。

「魔物がいるな」

「うん。虫みたいなやつ」

「気づいてたなら言ってくれよ」

「べつにほっといてもよくない?」

「ふむ」

 まあいいか、と男が思いかけたところで、少女が声をあげた。

「あ! 捕まえて食べてみない?」

「本気か? 腹壊しても知らないぞ」

「大丈夫だって!」

 再び謎の自信を見せる少女。男は仕方なく立ち上がると、近くに置いていた剣を手に取る。食べるかどうかはともかくとして、退治はしておいてもいいだろう。

「頑張ってね!」

「お前は戦わないのかよ」

「だってすぐ倒しちゃうでしょ?」

「まあどっちでもいいんだが……でマジで食うのか?」

「食べてみようよ。あ、イリーズにも残しとく?」

「泣くからやめとけ」

 次第に虫の羽音が近づいてきた。潰さないように優しく倒した方がいいのか、などと考えながら、男は剣を構えた。

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