31.誓約

 ディーが目を開けると、真っ白な天井が目に入った。視線を横に向けても、同じような白い壁が視界を埋めている。あまりに綺麗で、逆に不安になってくる。

 身を起こして辺りを見回す。広めの部屋の端に、ディーがいるベッドがある。他にあるのは部屋の隅に固めた自分の荷物と、机と椅子が一揃えだけだ。それ以外は空きスペースになっていて、寒々しい雰囲気だ。

(牢屋に入れられてるような気分ね)

 それとも、病院の方が近いだろうか。実際、大差ない身分かもしれない。外に出られないわけでは無いが、どちらにしろ戻ってこなくてはいけない。あの男との約束を果たすまでは。

 簡単に身支度した後、扉を開けて廊下に出た。部屋の中と同じく白い壁に囲まれ、装飾は少ない。やはりどこか寒々しく、人が住んでいるという感じがしない。

(家主の性格が出てるのかしらね……いや)

 勝手な決めつけか。そう思ってディーは首を振った。この屋敷の持ち主とは何度も会っているが、そんなに深い付き合いというわけではない。相手のことを知った気になるのは良くないだろう。今後のことを考えても。

 掃除はどうしているんだろうか、などと考えながら、長い廊下を進む。床にはチリ一つ落ちておらず、真っ白に保たれている。ここに住んでいる二人のうちのどちらかが、掃除が趣味だったりするのだろうか。もしくは、メイドでも居るのか。

(もしかして、そういう魔道具でもあるのかしら)

 勝手に掃除をしてくれる箒とか。聞いたことは無いが、存在しても不思議ではないだろう。大昔には、魔道具が日常的に使われていた時代もあったそうだから。

 廊下の突き当りは、大きなリビングになっていた。ソファーとテーブル、本棚なんかが置かれていて、先ほどの部屋と比べると少しは生活感があった。ここに来ると、少し安心したような気分になる。

 ソファーに座ろうとしたところで、奥の扉から長身の男が現れた。右手にはパンの乗った皿、左手にはスープの入った皿を持っている。ディーに気付くと、近づいて両手を差し出してきた。

「起きてたのか。これやるよ」

「ありがと」

 席に着いたディーの目の前に、二つの皿が置かれる。お腹もすいていたことだし、ありがたくいただくことにした。自分の分を取りに行く男の後姿を見送りながら、スープを飲む。

(……掃除は知らないけど、これはステフが作ってるってのがよく分かるわね)

 妙に塩辛い液体を飲み下しながら、ディーは思った。もう何度か同じように朝食をいただいているが、薄かったり濃かったり、毎回味がばらばら。なんというか、雑だ。いかにも適当な彼らしい。

 少しすると、ステフが再び皿を持って帰ってきた。ディーの正面に座って、同じくスープを飲み始める。顔を盗み見てみたが、味に疑問を持ったりはしていないようだ。

「怪我はなんともないか?」

 ふと思い出したかのように、ステフが尋ねてきた。ディーが自分を見ていたことに気付いたようで、少し不思議そうに首を傾げる。

「ええ」

 数日前に傷を負った頭に手をやってみたが、痛みも違和感も無い。それほど大した傷ではなかったのか、それとも受けた治療が良かったのだろうか。

「イリーズはまだ戻らないの?」

「んー、そうみたいだなあ」

 ステフは後頭部を手で掻きながら、困ったように言った。この家の主であるイリーズは、彼の予想外に長く家を空けているらしい。もっとも、ここに居ることの方が少ないそうだが。

「悪いな。予定では、すぐに帰ってくるはずだったんだが」

「いいえ、宿代が浮いて助かるわ。しばらく戻ってこなくてもいいぐらい」

「ふーむ」

 その返答を聞いて、ステフは妙な表情で唸った。本心で言ったのか、それとも皮肉なのか、判断が付きかねているのかもしれない。

「ちゃんと戻ってきてくれるなら、外に出ても構わないぞ」

「いいわよ、べつに」

 ディーは小さく首を振った。イリーズが帰ってくるまで屋敷に居てくれと、数日前に言ってきたのはステフだ。ディーとしても、借りを返すまでは大人しく従うつもりをしている。

 それに、この生活にわりと満足しているのは本当だ。死にそうな目に会ったからしばらく休みたいというのもあるし、今後の身の振り方について、少し考えたいというのもある。

(あまりにも長いと、体が鈍っちゃいそうだけどね)

 ナイフの素振りなんかはしているが、やはり実戦で使うのとは大違いだ。イリーズがまだしばらく帰ってこないなら、冒険者ギルドの依頼でもやっておいた方がいいかもしれない。

「お?」

 何の前触れもなく、ステフが振り返った。ディーは眉を寄せる。特に何かの音が聞こえたということは無いが……。

 だがしばらくすると、扉の向こうから人影が現れた。先にステフが声をかける。

「よー、イリーズ」

 その人物は、何かを言いかけて一瞬口を開いた後、すぐに閉じた。ディーの方を向いて、わずかに目を見張っている。

「どうも」

「……」

 イリーズは何も答えずに、普段通りの無表情に戻った。いつものフードは被っておらず、珍しく顔を晒している。少し灰色がかった黒い髪を、長く伸ばしているのが見えた。

「例の依頼、受けてくれるってさ」

「なるほど」

 ステフがディーの方を手で示す。イリーズは短く答えると、身を翻した。

「食べ終わったら、部屋まで来てください」

「おまえは食べないのか?」

「はい」

 そう言って、扉の向こうへと消えた。ステフは肩をすくめてから、ディーの方へと向き直る。

「じゃ、さっさと食べるか」

「わかった」

 ちぎったパンを、スープに浸して食べる。まだ塩辛いが、そのまま飲むよりはだいぶマシだ。小さくため息をついて、残りの料理を片付け始めた。


 食事を終え、二人はイリーズの部屋に来ていた。部屋はディーが泊まっている場所ほどは広くなく、さらに四方の壁には棚が設置されているため、余計に狭く感じる。真ん中には、小さなテーブルと椅子があった。

 ここはイリーズの私室のようだが、来たのは初めてだ。想像とは違い、部屋の中には様々な小物がごちゃごちゃと置かれていた。散らかっているというほどではないが、少々詰め込みすぎだ。用途がよくわからないものも多いが、魔道具だろうか。

(これは……ただの植物よね)

 出窓には、鉢植えが二つ置かれていた。片方には大きな白い花が、もう片方にはいくつかの小さなピンク色の花が生えている。もしかすると、価値のある薬草だったりするかもしれないが……。

 ふと視線を感じて振り返ると、イリーズがこちらの方をじっと見ていた。目が合った直後に、相手の方が顔を背ける。

「そちらにどうぞ」

 自分も席に着きながら、イリーズは対面にある椅子を手で示した。言われるままに、ディーは椅子に座る。ステフは腕組みをしながら、イリーズの隣に立っていた。

「どうして依頼を受ける気になったのですか」

 そう質問されて、ディーは肩をすくめた。確かに、疑問に思うのも無理はない。以前に依頼の話を聞かされた時は、あっさり断った。

「そいつに借りができちゃってね」

 ステフの方に目をやる。彼には命を救われたのだ、そうそう頼みを断れない。

「そうですか」

 イリーズは、特にそれ以上は聞いてこなかった。以前にも聞かされた依頼内容を、もう一度説明し始める。

 彼女の依頼は、とあるダンジョンの最深部まで、ステフと一緒に探索して欲しいというものだった。仕掛けギミックの難易度は高く、魔物も強い。今までに、何人もの冒険者が命を落としているそうだ。

(あたしもそいつらの仲間入りをすることにならなければいいけど)

 正直言うと、ダンジョン探索はそれほど得意ではない。探索のパートナーとしてディーを選んだのはステフのようだが、何故自分なのかはいまいち分からなかった。

「依頼の期限は?」

 イリーズの説明がだいたい終わったところで、ディーは問いかけた。

「いえ、特にはありません。一つの階層を抜けるごとに、報酬をお支払いします。とは言え、放置されても困りますが」

「ま、他の仕事がない時に行くって感じだなー」

「ふうん」

 ディーは曖昧な返事をした。急がないのはありがたいが、気の長い話だ。そこまで重要度が高くない仕事なのだろうか。それにしては、ステフの勧誘がしつこかったような気はする。

「残りはどれぐらいなのか分かってるの?」

「正確には分かりません。ですが、最深部まであと少しだと考えています」

「それが本当だと嬉しいわね」

 ダンジョンの規模によっては、探索に年単位かかることもある。まあ、一度や二度の探索では無理だろう。

「依頼を受けていただく上で、一つお願いがあります」

「何?」

「ダンジョン内で見たこと、知ったことは、決して他の人に漏らさないでください」

「話すなと言うなら従うわ」

 今までの説明を聞く限り、ダンジョンはまだ他の人には知られていないようだ。情報を独占しておきたいというのは当然だろう。

 だがイリーズは、その返答だけでは満足しなかったようだった。

「口約束では信用できません」

「ならどうしろっていうのよ。誓約書にサインでもすればいいの?」

 若干むっとした口調でディーは言った。それに答える代わりに、イリーズは懐から銀色の指輪を取り出した。

「これを着けてもらいます」

「……何なのよ、それ」

 ディーは訝し気な表情で指輪を見た。何の装飾もない、簡素なデザインだ。

「あなたの言葉を制限する魔道具です」

「言葉?」

「ええ。私が指定する事柄について、一切口に出せなくなります」

「へえ」

 改めて指輪を観察する。いくらぐらいで売れるんだろうと、ついそんなことを考えてしまう。

「でも、ダンジョン探索の時に困るんじゃないの? ステフと相談もできなくなるんでしょう?」

「私とステフの二人にだけは、話せるようにしておきますので」

「ふうん。そんなこともできるのね」

 便利なものだとディーは思った。使い道は色々ありそうだ。

「着けていただけますか?」

「ええ」

「では、左手を出してください」

 そう言われて、ディーは一瞬だけためらった。自分の心に作用するような魔道具を着けるのは、少し怖い。だがすぐに、手を差し出す。

 イリーズはその手を取ると、薬指にすっと指輪を嵌めた。着ける瞬間に何か起こるのかと思って身構えたが、特にそういうこともなかった。

「これでいいの?」

「はい」

 拍子抜けして尋ねるディーに、イリーズは小さく頷いた。

 解放された左手を裏返したりしながら、まじまじと見つめる。もしかするとこれはただの指輪で、言葉を制限する云々はブラフではないかと疑ってしまいそうになる。だがイリーズが、そんな回りくどい手を使うだろうか。

「その指輪は勝手に外れることはありません。無理に外そうとはしないでください」

「分かってるわ」

 外そうとしたらどうなるのかは気になるが、試してみようとも思わない。元から、情報を他人に漏らすつもりなどないのだし。

「で、いつから行くの?」

 ステフの方にちらりと目をやる。彼はあごに手をやると、考え込むように目を細めた。

「んー、そっちの都合にも寄るが」

「あたしはいつでもいいわよ」

「なら五日後だな。日の出前にこの屋敷に来てくれ」

「結構先ね」

「こっちはいろいろ予定があるんだよ。準備もしなきゃいけないしなー」

「そ。じゃあギルドの依頼でも受けておく」

 ディーは小さく息を吐いた。早速探しに行こうか、などと考えていると、ステフがふと思いついたように言った。

「親しいやつらにでも会っておいた方がいいんじゃないか?」

「……縁起でもないこと言わないでよ」

 どういう意味かと思って一瞬沈黙したが、すぐに理解した。つまり、最期の別れの挨拶に、ということか。ディーは不快そうに顔を歪める。

「真面目に言ってるんだがな」

「考えとくわ」

 相手が眉を寄せるのを見て、肩をすくめる。ステフがそういうことを言うとは、少し意外だ。

「話はそんなところ?」

「はい」

「分かった。じゃあ五日後の朝ね」

「ああ。これからよろしく頼む」

 席を立ったところで、ステフが右手を差し出してきた。それを軽く握ったあと、ディーはその場を去った。


 その日の夜、ディーはいつもの酒場のカウンター席に座って、エールをあおっていた。冒険者ギルドにも寄ったのだが、生憎ちょうどいい依頼は見つからなかった。それなりに危険なものなら残っていたが、今怪我をしてしまっては困る。

 とは言え、このまま五日間だらだらと過ごした後でダンジョンに挑むのも、それはそれで不安だ。ただでさえ、ここ数日は引きこもっていたのだから。

(近くのダンジョンにでも行ってみようかしらね)

 もう隅々まで探索しつくされて、価値のある物は何も残っていない場所だ。弱い魔物や獣が住み着いているので、駆け出し冒険者が腕試しに使うぐらいだ。あそこなら一人でも問題ないだろう。

 だが練習という意味では、誰かと一緒に行くべきかもしれない。ダンジョン探索で重要なのは、パーティメンバーとの連携だ。誰か誘えるような人が居るだろうか。

 ふと、知り合いの少女、冒険者のミルテの姿が思い浮かぶ。確か彼女は、ダンジョンに行ってみたいと以前言っていたはずだ。戦闘経験はほとんど無いようだが、少しは剣を習ったこともあるらしい。ちょうどいい機会かもしれない。

 そんなことを考えていると、ぽん、と後ろから肩を叩かれた。一瞬、ミルテだろうかなどと思ってしまったが、彼女が一人でこんな所に来るはずもない。振り返ると、そこにあったのは見知った男の姿だ。

「よお」

「ん」

 嬉しそうな、それでいて申し訳なさそうな、奇妙な表情をしたグレンを一瞥すると、ディーはすぐに視線を前に戻した。なんでそんな変な顔をしているんだろう、と酔った頭でぼんやりと考える。

 エールを一口飲んで、ジョッキをカウンターに置く。彼が隣の席に座るのを待とうとしたところで、はっとして目を見開いた。

「なっ」

 勢いよく振り返る。そこに居るのは、間違いなく、しばらく行方が分からなくなっていたグレンだった。彼は店員に何かを注文すると、ディーの左側にある椅子に浅く腰をかけた。

「久しぶり」

「今までどこにいたの?」

「いや、ちょっと厄介ごとに巻き込まれててさ」

「解決はしたわけ?」

「一応な」

「あっそ……」

 連絡も何もしてくれなかったことに文句を言おうとして、ディーは思いとどまった。べつにどこにいようとグレンの勝手だ、自分に何か言う義理などない。文句の代わりに、ふと思い出したことを口に出す。

「あいつもあなたのこと探してたわよ」

「誰が?」

「……名前は忘れた」

「それ聞いてどうしろって言うんだよ……」

「うるさいわね」

 むすっとした表情でエールを飲む。グレンはディーの顔を覗き込むようにしながら、おずおずと口を開いた。

「あー……長期間連絡もしなかったのは、悪かったと思ってる」

「謝る必要なんてないでしょ。会う約束をしてたわけじゃない」

「いや、でも、パーティの話とかさ」

「ああ」

 彼からパーティを組もうと言われていたのを思い出す。つい数日前までは、受けようと思っていたのだが……。

「悪いけど、しばらくは無理。やらなきゃいけない事ができちゃってね」

 ステフとのダンジョン探索が終わるまでは、そちらを優先することになるだろう。それに、いつ大怪我をするか分からないし、場合によっては命を落とすかもしれない。パーティなど組んでも、グレンに迷惑をかけるだけだ。

「そうなのか……どれぐらいかかりそうなんだ?」

「どうかしらね」

 知りたいのは自分の方だ。緩慢な動作でジョッキを持ち上げ、口をつける。と同時に、グレンが目を見開いて声を上げた。

「お、お前、もしかして結婚したのか!?」

 その言葉を聞いて、ディーは危うくエールを吹き出しそうになった。むせて咳き込みながら、ジョッキをテーブルに置く。

「げほっ……どうしてそうなるのよ」

「ち、違うのか? だってそれ……」

 恐る恐るといった感じで、グレンがディーの左手を指さす。その先に目をやると、イリーズに着けられた銀の指輪があった。

 言われてみれば、結婚指輪に見えないこともない、のだろうか。結婚なんて自分には縁が無さすぎて、考えもしなかった。

「ただの魔道具よ」

「……それって、やらなきゃいけない事と関係あるのか?」

「そうね。首輪みたいなもの」

 そう口に出してから、ちょっと喋りすぎたかと少し後悔した。ごまかすように、エールをぐいっと飲む。グレンの方にちらりと目をやると、彼は自分の方をじっと見ていた。

「俺に手伝えることはあるか?」

「今は無いわね」

「そうか。何かあったら、すぐに教えてくれ」

「ありがと」

 再度ジョッキを傾けて、もう中身が残っていないことに気付く。いつの間にか、結構飲んでしまっていたらしい。

 タイミングよく、店員が二杯分のエールを持ってきた。片方をグレンの前に、もう片方をディーの前に置く。追加を頼んだ覚えはないが、気を利かせたつもりなのだろうか。

「そんなに飲んで大丈夫か?」

「ん」

 早速飲みだしたディーに、グレンが眉を寄せて尋ねる。酒に弱いディーは、二杯目を頼むことはほとんど無い。だが彼女は、軽く答えた。

「大丈夫でしょ」

「ならいいが……」

 最近ずっと休んでいて体調が整っているからか、酔いの回りが遅い。少しぐらい多めに飲んでも大丈夫だろう。

 それに、とディーは思った。たとえ酔いつぶれても、部屋まで送って行ってくれるやつが、今日は隣に座っている。

 グレンの方に目線を固定しながら飲んでいると、彼は不思議そうに首を傾げていた。

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