19.休憩所
「あ」
二人が進んでいる通路の先、曲がり角から飛び出した姿を見て、レティシアは声をあげた。凹凸のないのっぺりとした体をした小さな自動人形が、勢い余って壁に激突している。
人形を狩り立てるように、一人の少年が走ってきた。雄叫びを上げながら、長剣を斜めに振り下ろす。剣をまともに受けた人形の頭は、千切れてレティシアの方へと転がってきた。
それを目で追った少年は、レティシアたちに気づいて再び剣を構えた。彼の鬼気迫る表情に、レティシアはびくりと体を震わせる。だがすぐに、彼は体の力を抜いた。
「ちょっと、待って!」
彼が何かを言おうとしたその前に、通路に甲高い声が響く。小柄なローブ姿が、足を縺れさせながら曲がり角の向こうから表れた。
「急に、走らないで、よ」
少年の腕を掴んで体重を預けるようにすると、息を切らせながらそう言った。フードを被っていて顔はよく見えないが、どうやら女性のようだ。
呆然としていたレティシアの背中を、後ろにいたクレアがつついた。振り返ると、横手にある分かれ道を指差している。こっちに行こうと言いたいようだ。
「…びっくりした」
横道に入って少し歩いたところで、レティシアが思い出したように言った。さっきはあの少年が、こちらに斬りかかって来るんじゃないかと思った。右耳につけた小さなイヤリングを、無意識にいじる。
「もしかして、レティのこと、自動人形と間違えたのかしら」
「ええー……」
首を傾げるクレアに、レティシアは嫌そうな顔をする。いくら彼女の背が低いと言っても、赤ん坊と同じぐらいの大きさしかないあいつらと見間違えられるなんて。いや、背の高い強いやつがたまにいるから、そいつかと思って焦ったのかもしれない。
「それにしても、人が多いですね」
「うん」
いつもはそんなことは無いのに、今日は人形よりも人間の方が多く会う。たまに人形がいても、誰か別の冒険者と戦っている最中のやつばかりだ。レティシアたちは、まだ一体も倒せていない。
このダンジョンは、危険度のわりにそこそこ収入があり、二人がちょくちょく来るお気に入りの場所だった。だが収入のほぼ全ては人形から取れる魔石なので、他の冒険者と取り合いになってしまうと全く美味しくない。
「少し、休みましょうか。そこを曲がれば、休憩所です」
「そうだね。あんまり疲れてないけど」
レティシアは、小さくため息をつく。まだ武器を構えてすらいない。とは言え歩きっぱなしなので、足はちょっと痛くなってきたかもしれない。
『休憩所』というのは、冒険者が勝手にそう呼んでいるだけの場所だ。かなりの広さの部屋で、飲める水が湧き出る人工の泉がある。入り口は一つだけで、その先は長い直線の通路になっているため、魔物が来ればすぐ分かる。不意打ちの心配も無い。
「作戦を考えた方が、いいかもしれませんね。場所を変えてみます?」
「うーん、でもこのへんしか知らないし。他にいい場所あるのかな」
歩きながら、レティシアはこてんと首を傾けた。
あの人形たちは、どこからともなく転移されてくる。ある冒険者パーティの調査によると、転移先はダンジョン内の通路のうち、完全にランダムな場所だそうだ。
ではどこを探索しても人形に会う頻度は同じかというと、そうではない。直線の通路や交差点が多い地域なら、遠くにいる人形も見つけられるため、頻度は上がる。逆に、曲がりくねった一本道や行き止まりが多い地域では、なかなか会えない。
そんなわけで、ダンジョンの中でも『美味しい』場所と『美味しくない』場所ははっきりと分かれている。このあたりはかなり美味しい地域で、二人はいつも、この先の休憩所を中心に戦っていた。
「この辺りにいても、全く人形と戦えないのでは、どうしようもないでしょう。他の場所を探索してみる、いい機会じゃないですか」
「うーん……」
レティシアはまだ迷っていた。このダンジョンはかなり正確な地図があるから、知らない場所に行っても迷う心配はほとんど無い。クレアの言うとおり、いくら美味しくない地域でもここよりはマシだろう。
だが普段あまり人がいない地域まで行くと、思わぬ敵に会う可能性がある。レティシアは以前出合った強力な自動人形のことを思い出して、身震いした。場所を変えるのはあまり気が進まない。
休憩所前の最後の直線を進む途中で、ざわざわとした話し声が聞こえてくる。通路を抜けると、部屋にはたくさんの人が集まっていた。
談笑している集団や、黙々と食事を取る集団、壁に背を預けて仮眠を取っている集団まで、様々だ。中には、木片を使って何か賭け事をしているらしき人たちまでいる。いったいいつからここに居るのだろうか。
レティシアは、端の方に比較的人の少ない場所を見つけて腰を下ろした。少し居心地が悪くて、小さく縮こまる。大規模な探索隊に参加しているとかならともかく、ダンジョン内でこんなに人が集まるのは珍しい。
「討伐依頼を受けた時のことを、思い出しますね」
隣に座ったクレアが、懐かしむように言った。ずいぶん昔の話だ。手強い魔物の討伐のため、数十人の冒険者が集まった。
「前の日はこんな感じだったね。終わった後は、全然だったけど」
魔物との戦いは、予想よりも遥かに苦戦した。幸い死人は出なかったが、重傷を負って冒険者を続けられなくなった者も何人かいた。魔物を倒した後、キャンプで皆で食事をとったが、全員疲労困憊し、誰も口を聞かなかった。
二人は戦闘には参加せず、パーティの後ろで怪我人の手当てなどを担当していた。だが前衛が倒され、二人が居たところまで魔物が突っ込んできたため、危うく大怪我するところだった。あれ以来、危なそうな依頼は受けないことにしている。
あの時のことをぼんやりと思い返していると、正面に戦士風の男が腰を下ろした。レティシアたちに比べると、かなり年上に見える。
「おや」
彼はレティシアの方を向いて、声をあげた。
「君たち、よくこのダンジョンに来ていた冒険者だね? 何度か見かけたことがあるよ」
言われて相手の顔をもう一度確認してみると、確かに見覚えがあった。会話した記憶は無いが、挨拶ぐらいはしたことがあったと思う。
男はレティシアの返事を待たずに、話を続けた。
「今日はずいぶん人が多いね。何があったのか、知ってる?」
「いや、私たちも久しぶりに来て驚いている」
レティシアは首を振った。このダンジョンはとっくの昔に探索し尽くされているし、急に人気になる要素は特に無いはずなのだが……。
「うーん、そうか。誰かが噂を広めたのかな。いつもここを狩場にしていたんだが、こんなに人がいると全然駄目だね。困ったなあ」
彼は腕を組んで、首を少し傾けた。真剣に困っているようには、あまり見えない。
「人形狩りを一生やっていこうと思ってたのに、あてが外れたなあ。人生設計をやり直さなきゃいけないよ」
本気か冗談か分からないようなことを言って、男は朗らかに笑う。どう反応していいか分からずに、レティシアは曖昧な表情でそれを見ていた。
別の戦士風の男が、レティシアたちのいる場所へ近づいてきた。彼は、先に居た男の背中に声をかけた。
「駄目だ、カール。どこも人がいっぱいらしい」
カールと呼ばれた男は、体の後ろに手をついてゆっくりと振り返る。
「困ったねえ」
「話が違うじゃないか。地味だが確実に稼げると聞いたから、ついて来たのに……」
彼はカールの隣で立ち止まると、目の前の二人の女性が自分を見ているのに気づいて、言葉を切った。少し目を見開き、小さくお辞儀する。
「初めまして、ブレットです。カールのお知り合いですか?」
カールを手で示しながら、ブレットと名乗った男はレティシアたちに笑みを向けた。彼も、カールと同じぐらいの歳だろう。
「知り合いってほどじゃあないよ。何度か見かけたことがあるんだ。このダンジョンの常連仲間ってところかな」
「俺はこのお嬢さんたちに聞いてるんだよ」
勝手に答えるカールに文句を言うと、ブレットは彼の隣に座りこんだ。
「私はレティシア、こちらはクレアだ」
「初めまして」
クレアはにっこりと笑いながら、小首を傾げるように体を揺らして会釈した。ブレットの顔がだらしなく緩んだ、ようにレティシアには見えた。
「レティシアさんと、クレアさんですね。さっき別の冒険者に話を聞いてきたんですが、この休憩所付近以外も人が多くて、とても狩れたものじゃないらしいですよ。さっさと帰った方がいいかもしれませんね」
「何故急に人が?」
「ここで取れる魔石の大量採取依頼が出てるようでね。なんでも数千個単位だとか。魔石一個当たりの報酬が買取相場の倍近いそうで、大人気みたいですよ」
レティシアの質問に、ブレットは丁寧に答えた。そんな依頼が出ていただなんて、全然知らなかった。道理で人が集まってくるわけだ。
とは言えここまで人数が増えてしまうと、時間当たりに倒せる数は半減では済まないだろう。割り増しで買い取っている依頼人も含めて、誰も得していない。
「何に使うのか知らないけど、もう少し考えて報酬額を決めて欲しいねえ。おかげで僕は、人生設計について考え直さなきゃいけなくなっちゃったよ」
「なんだい、人生設計って」
カールの台詞を聞いて、ブレットは訝しげに眉を寄せた。
「人形狩りで生計を立てようと思ってたんだよ」
「そんなの、例の依頼が消化されたら元に戻るだろうに。それまで適当な依頼でもこなしておけばいい」
「ああ、言われてみればそうだね。でもその間、貯金する余裕があるかなあ。毎日決まった額を入れることにしているんだよ」
「魔道具でも買おうと思ってるのか?」
「いや、単に額を決めているだけだよ。貯めておくことに意味があるんだ」
そう言ったあと、カールはレティシアとクレアに順に視線を送った。
「君たちも、若いうちからお金は貯めておいた方がいいよ。いつ何があるか分からないからね」
全く同じように、ブレットも二人の方を見る。
「金をけちって死んじゃあ、元も子もないだろう。貯める金があるなら、少しでも高い装備を揃えた方がいい」
「……なるほど」
どちらの意見に同意するでもなく、レティシアは曖昧に相槌を打った。強いて言えば、ブレットの方が共感できる。それが伝わったわけではないだろうが、彼は言葉を続けた。
「高い装備にすれば、収入も増える。そうすれば、もっと高い装備を買える。そうやって良い循環を作っていくことが大事なんだよ」
「君この前、高い魔道具を無くして落ち込んでたじゃないか」
「そりゃあたまにはそういうこともあるが」
茶々を入れるカールを、ブレットはじろりと睨んだ。
「逆に大儲けすることだってあるだろう。それでバランスが取れていればいいんだ。安い装備でこんなダンジョンにずっと篭っていても、儲けるチャンスは無いぞ」
「そういうのは、あまり興味がないなあ」
「向上心の無いやつだな。一攫千金を狙ってこその冒険者だろう。お嬢さん方も、そう思うでしょう?」
急に話を振られて、レティシアは言葉に詰まった。昔はそういうことを考えていたこともあったが、最近はさっぱりだ。例の魔物退治とかで危ない目にあって、懲りたというのもある。
どう答えようか迷っている間に、先んじたのはクレアだった。
「ええ。ダンジョンで貴重な魔道具を見つけるというのは、少し憧れます」
彼女の返答に、レティシアはちょっと驚いた。クレアの方をちらりと見る。その笑顔からは、本心で言っているのか、話を合わせているだけなのかは分からない。儲けたいというより、自分が使う魔道具を自分で手に入れたいのかもしれない。
「そうだろうそうだろう。この前なんて、俺が情報を教えてやったダンジョンで、後輩が宝石や魔道具を山ほど手に入れて帰ってきていたよ。話を聞いたが、いやあれはすごかった」
ブレットは得意げに言った。ああ、とカールが声をあげる。
「ウィン君の話かい。あのダンジョンではずいぶん儲けたらしいね。噂では、一人あたり金貨千枚だとか二千枚だとか」
「まあ、あそこまで上手くいくことは滅多にないがね。それにウィンのやつ、あれ以来ろくに冒険者の活動をしてないんだ。半分引退みたいな事になっているらしい」
「それはそれでいいと思うけどねえ」
大儲けして早期に引退することを目指している冒険者はそこそこ居る。だがブレットは、気に入らないようだった。
「金儲けは手段であって目的じゃあない。冒険者になったからには、何か大きなことを成し遂げなきゃ。六英雄のように世界を救いたいとは言わないが、街の一つでも救いたいものだ」
「金だけじゃなくて、名声も欲しいってわけかい」
「…そういう言い方をすると、下衆く聞こえるじゃないか」
「その通りだろう」
カールは笑った。そうそう、と思い出したように言う。
「最近王都の周辺で、巨大化した魔物がそこかしこに現れてるんだよ。特に農村の近くが多くて、被害が結構出てるらしいよ。助けに行ってあげたらどうだい? 英雄になれるチャンスかもしれないよ」
「へえ」
レティシアは思わず声をあげた。初めて聞いた話だ。魔物が巨大化することは稀にあるが、一斉に出てくるだなんてどういう理由なんだろう。天気とか気温とかが関係あるのかな、などという考えが頭に浮かぶ。
「あれは国が手を出し始めているという噂だぞ。国軍のやつらと鉢合わせるのは真っ平御免だ」
ブレットが嫌そうに首を振った。
冒険者ギルドは、伝統的にどの国ともあまり仲がよくない。ギルドの規模があまりに大きいせいだ。所属する人の数が多いのもそうだが、国を跨いで世界中のありとあらゆる場所に支部が存在する組織は他に無い。
支部の間は冒険者たちが頻繁に行き来しているし、各国の情報を収集する能力はかなりのものだ。国からすればそれだけでも脅威だろう。ギルドが国と表立って衝突することはほとんど無いが、小競り合いなどしょっちゅうだ。
昔は教会も同じぐらいの勢力があったそうだが、今はさほどでもない。レティシアが子供の頃に住んでいたところでも、お祈りをする習慣ぐらいはあったものの、教会施設は無かった。
「おーい、ブレット、ちょっと」
背後から声をかけられて、ブレットが振り向く。遠くの方に座っている冒険者集団のうちの一人が、手招きしていた。ブレットは訝しげに眉を寄せる。
「じゃあ、また」
ブレットはレティシアたちに軽く手を振ると、彼らの方へと早足で向かった。カールはそれを見て、大儀そうに腰を上げる。
「僕も行った方が良さそうかな。このダンジョンには人が減ったらまた来ようと思うから、その時に会うかもしれないね。それじゃ」
「ああ、また」
のんびりと歩いていくカールを、レティシアは見送った。
これからどうするのかを相談しようと思って、クレアの方を向く。だがその直後、どこか遠くの方から、ガシャン、ガシャンという硬質な足音と、いくつかの軽い足音が聞こえてきた。
音は、休憩所に繋がる通路から聞こえてきているようだった。なんだなんだと、部屋にいた冒険者たちが立ち上がって入り口の方を向く。レティシアも目を向けたが、彼女の位置からだと通路の先は見えない。
入り口から、見覚えのある少年少女が飛び出してきた。ここに来る前に通路で出くわした、人形を倒していた二人だ。
「悪い! でかいやつ連れてきちまった!」
相方の手を引いた少年が、謝罪しつつ部屋の奥まで走った。直後、人間の男性ほどの背がある自動人形が、ガシャガシャと派手な音を立てながら姿を現した。その手には、巨大な両手剣を携えている。
このサイズの人形は珍しく、背の低い普通のやつよりも性能が高い。だが部屋に入ってきたとたんに両側から冒険者の剣戟を受け、部屋の外に弾き返された。片方は剣で防いだが、もう片方を胴体にまともに喰らってしまったようだ。
人形は、それでもめげずに突撃してきた。だが今度は剣で足を払われ、部屋の中央に向かって盛大に転ぶ。後はもう、周りを囲んだ冒険者たちからひたすら攻撃を受けるだけだった。すぐに体がぐちゃぐちゃになり、動かなくなる。
立ち上がってメイスを構えていたレティシアは、気が抜けたようにストンと座り込んだ。賭け事をしていた集団にふと目をやると、人形の登場など全く気にかけずにゲームを継続していた。
「数の力ってすごいね」
クレアに視線を向けながら、ぽつりと言った。彼女は小さく首を傾げると、人形の残骸の方を指差す。
「でも、面倒ごとも、多そうですよ?」
彼女が示す先を見てみると、今度は冒険者同士で武器を構えて睨みあっていた。人形から取れる魔石をどう分けるかで、もめているようだ。
「…ほんとだ」
人が増えれば、それだけ意見の相違も増えるだろう。例えば、パーティの人数として何人が適切かというのは色々言われているが、実際に多いのは二か三人のパーティのようだ。それ以上増えると、意見をまとめるのが段々難しくなってくる。
未踏破のダンジョン探索や魔物退治を主な活動にしているパーティなら、四人以上の場合もある。ただそういう活動をするにしても、三人以下の複数パーティが協力するパターンも多い。そうすると、今度は報酬の分配でもめたりするのだが……。
(クレアは、ダンジョン探索とかもしたいのかな)
ここのように調査が終わっている所ではなく、未踏破のダンジョンで魔道具を探すようなことが。クレアの方にちらりと目を向けると、彼女は人形の残骸をじっと見ているようだった。パーツを貰えないか考えているのかもしれない。
最高級の魔道具は、ただ高価なだけでなくそもそも出回らない。だから手に入れるためには、自分で取ってくるか、コネを使って他の冒険者から譲ってもらうかのどちらかだ。レティシアたちにコネなどないから、前者しかない。
帰ったら、別のダンジョンの情報でも調べてみようかな。そんな事を考えながら、クレアの横顔をぼんやりと眺めた。
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