18.事件
宿の一階にある食堂で、アレスはいつも頼む定食を掻き込んでいた。二日に一回はこれを食べている。よく飽きないわねー、と馴染みの女店員からは呆れられているが、飽きたと思ったことは無い。もともと食べ物にはこだわらない方だ。
パメラと言う名のその女店員は、今日は来ていない。今日はというか、ここ数日はずっと休んでいる。代わりに、男性の店員が臨時で雇われているようだ。彼はまだ慣れていないらしく、緊張した様子で注文をとっている。
食事を終えると、アレスは代金を払って店の外へ出た。日の光が、ほぼ真上から照り付けている。今日は雲ひとつ無い快晴だ。
宿が面している道は、街一番の大通りだ。では活気があるのかというと、そういうわけでもない。そんな場所など、もうこの街にはあまり無い。通りの両側には店らしき建物が並んでいるが、そのほとんどは閉まっていた。
通りを歩いても、すれ違う人の数はさほど多くない。隣町のエルシェードなら、この時間の大通りは通行人でごった返しているだろう。
道の先に、二階のバルコニーから大きな看板を下げた店が見えてきた。木でできているらしき看板には精巧な透かし彫りがされており、遠くからでも目立つ。ここには久しぶりに来たが、あれは初めて見た。最近付けたのだろう。
看板に描かれているのは複雑な幾何学模様で、何の店なのかを示してはいない。だがそれは、店先に並んだ色とりどりの花を見ればすぐに分かることだ。ここは、街で唯一の花屋だった。
アレスが店に近づいたところで、中から一人の男が飛び出してきた。その男は足を縺れさせ、地面に倒れこむ。彼は苦痛に顔を歪ませ、口元を手で押さえていた。指の間から、血が流れているのが見える。
別の男が、店の中からゆっくりと姿を表した。目はぎらぎらと輝き、地面に倒れた男を睨みつけている。威嚇するように、右拳と左の手の平とを打ち合わせた。おそらくこいつが殴り飛ばしたのだろう。
喧嘩など、この街では日常茶飯事だ。いちいち構っていられない、と言いたいところだが、最近はそうもいかなくなってきた。アレスは早足になると、後から表れた男に近づいた。
「それ以上は止めておけよ」
「…アレスか」
男は声をかけてきた相手を確認すると、ばつが悪そうに視線を逸らした。アレスの見知った顔だ。
「何が原因だ?」
「大したことじゃねえよ」
彼はそれ以上話す気はないようで、身を翻して横道へと消える。アレスも、あえて引き止めたりはしなかった。
「大丈夫か」
そう声をかけると、後に残された男は小さく頷いた。よろよろと立ち上がると、何も言わずに大通りを歩いて行った。苦々しい表情で、アレスは彼を見送る。
最近この街では、喧嘩が原因で大怪我を負い、傷害事件に発展するケースが増えていた。しかも原因を聞いてみると、くだらない理由ばかりなのだ。肩がぶつかっただとか、だいぶ前に言われた悪口を思い出しただとか。
店の入り口から、一人の少女が恐る恐る顔を出した。怯えた様子で、周囲に視線を巡らせる。店先にアレスが居るのを見て、表情を少しだけ緩めた。
「あの、さっきの方たちは……」
「もう帰ったぞ」
「そうですか」
少女は、はあ、と長いため息をついた。
「喧嘩の原因は知っているか?」
「いえ、分かりません。二人目のお客さんがやってきたと思ったら、急に掴み合いを始めて……」
アレスは眉間にしわを寄せた。最近増えている事件と同じパターンだろうか。ほとぼりが冷めてから、さっきの男に話を聞きに行こうと決める。
「あ」
少女は小さく声をあげると、接客用の笑顔を見せた。
「すみません。アレスさんも、何か買いにいらしたんですか?」
「ああ、花を買いにきた」
この店にあるのはほとんどが観賞用の花だが、一部薬草なども販売している。だが今日の目当ては前者だ。
「アレスさんがうちにいらっしゃるなんて、珍しいですね。……もしかして、プレゼントですか?」
何かを期待するような目で、少女がアレスの目をじっと見つめる。アレスは思わず苦笑いしてしまった。
「プレゼントと言えばプレゼントだ、パメラへのな。適当に見繕ってもらえないか」
「なるほど」
少女は表情を曇らせた。喧嘩に巻き込まれて怪我をしてしまったせいで、パメラは何日か前から入院している。今から見舞いに行くので、花を持っていこうとしているのだった。
入院の事は、この少女も知っている。彼女は店の中に入ると、花を物色し始めた。
「パメラさんなら、そうですね。この花と、それから……」
さほど広くない店内には、大量の花が置かれていた。むせ返るような匂いが漂ってくる。
アレスから見ると、どこに何の花があるのかも、そもそも奥にある花までどうやってたどり着けばいいのかも、よく分からないほど詰め込まれている。だが彼女は迷うことなく、目的の花を効率よく集めていく。
この店は、彼女が一人で切り盛りしている。数年前は彼女の母親が店主だったが、もうこの世にはいない。父親がどこに居るのか、そもそも生きているのかは、アレスは知らない。
少女は忙しなく店内を歩き回る。肩のあたりで切りそろえた、赤みがかった栗色の髪が揺れる。
「これでいかがでしょうか」
彼女が選んだのは、オレンジ色を中心とした濃淡様々な色の花だった。パメラが好きそうな色を選んだのだろうとアレスは思ったが、本当にオレンジが好きだったかは思い出せなかった。
「ああ」
アレスが頷くと、少女は手早く花を切り揃え、小さな籠の中に飾った。代金を払って、籠を受け取る。
「ありがとう」
「またよろしくお願いします……って、お見舞いは、もう無い方がいいですね」
しゅんとなる少女を見て、アレスは肩をすくめる。だが最近のこの街の様子を考えると、近々またお世話になるかもしれない。
花屋を出て少し歩いたところで、道の脇に倒れた男を見つけた。また喧嘩かと思って近寄ってみたが、いびきが聞こえてきたので放っておくことにした。酔いつぶれたか何かだろう。財布を盗られるぐらいはするかもしれないが、自業自得だ。
病院に着くと、パメラが入院している部屋へと向かった。部屋の扉をノックすると、はあい、という気の抜けた返事が返ってくる。
扉を開けて中に入ったアレスは、その予想外の広さに驚いた。パメラが寝ているベッド以外に、収納用の背の高い家具、テーブルとソファ、一人用の机なんかが、余裕を持って配置されている。この街の宿屋にある大抵の部屋よりも広いだろう。
訪問者の顔を見て、パメラは意外そうな顔をした。
「あら、アレス。お見舞いに来てくれたの?」
「半分はな」
「あ、そっか。喧嘩の話を聞きに来たのね」
「そうだ」
アレスは手に持った籠を、ベッドのサイドテーブルに置いた。パメラはそれを見て、顔を輝かせた。
「これ、あたしが好きな花じゃない。アレス、覚えててくれた……わけないか」
「悪かったな」
誰が選んだのか、すぐに思い当たったのだろう。パメラはゆっくりと首を振っていた。
机の前にある椅子を拝借して、アレスはベッドの側に座った。改めて、部屋の中をぐるりと見渡す。
「ずいぶんと高そうな部屋だな。お前、そんなに儲けてたのか」
「違う違う。他がいっぱいだからって、勝手にこの部屋を割り当てられたの。料金は大部屋と変わらないわよ」
そういうことか、とアレスは納得した。傷害事件が増えているせいで、入院患者の数も普段より多くなっているのだろう。
「それは運が良かったな」
「運の良さは入院する前に発揮して欲しかったわー」
はー、とパメラはわざとらしくため息をついた。食堂で起こった喧嘩に巻き込まれたのが怪我の原因だが、べつに仲裁しようとしたとかではない。飛んできた酒瓶が脇腹に当たって、骨を折ってしまったのだ。
ベッドの上で、パメラが慎重に体を起こす。アレスは眉を寄せた。
「寝ていなくて大丈夫なのか」
「べつにー。ほんとは入院もしなくたっていいんだけど、店主が念のためにってうるさくて」
店主と言っているのは、彼女が勤めている宿屋の店主のことだ。まるで娘のように可愛がられている、とアレスは思っている。以前そう言ったら、パメラに嫌がられたが。
「それで、何を聞きたいの? せっかく話すんだから、ちゃんと解決してよ」
一連の傷害事件の原因を突き止めるという依頼を、アレスは受けている。それぞれの事件は喧嘩から始まっているので、原因は分かっていると言えば分かっている。だが最近になって急に数が増えているので、何らかの共通的な要因があるはずなのだ。
もちろん、事件の加害者と被害者たちからは、既に色々話を聞いている。しかし、事件同士の関連性は何も掴めていない。
「食堂でも最近喧嘩が多いと言ってたな。起こった状況に何か共通点は無かったか。特に、以前とは違う何かが」
「そう言われてもねー。よくある喧嘩ねーと思ってたら、いつの間にかものすごい殴り合いになってたとか、そんなのばっかりよ」
「お前が怪我した時はどうだったんだ。ずっと見ていたんだろう。何かおかしなところは無かったか」
「そうねえ。無かったと思うけど……目が、すごく怖かったってぐらい?」
「目?」
アレスが聞き返すと、彼女はその時の事を思い出したのか、少し身をすくませる。
「うん、喧嘩してた人の目。怒ってる人の顔って、まあ見慣れてるんだけど、あれはちょっと見たことなかったかな。殺意というか、狂気?」
上手い言葉が見つからないようで、パメラは首を傾げながら説明していた。
「そういう精神状態に至る原因があったということか」
「そうねー、そこまでは分からないけど。賭けで全財産すったりしたら、ああなるのかも?」
「一部はそういうやつもいるかもしれないが、事件を起こした全員が全員ということはないだろうな」
「例えよ、例え」
パメラがひらひらと手を振った。
狂気に取り付かれていたというのは、何か意味があるのかもしれない。アレスはしっかりと覚えておくと、次の質問に移った。
「起こした人物の共通点はどうだ。これは俺が把握してる事例のリストなんだが、思い当たることは無いか?」
小さく折りたたまれた資料をポケットから出し、広げて彼女に見せる。縦に事件の一覧が並んでいて、横には参加していた人物が書かれている。
「うーん、そうねえ」
商売柄、彼女は交友関係が広い。リストの中にも知っている人物が多かったようで、見比べながら首を捻っていた。
「んー?」
「どうした?」
「ちょっと待って、何かひっかかるんだけど……」
眉を寄せてリストを凝視するパメラ。アレスは何も言わず、彼女の言葉を待った。
「あ、そっか。書いてそうな名前が書いてないんだ」
「どういうことだ」
「このリストに真っ先に載りそうな人がいないってこと。よく喧嘩とかで問題起こすような乱暴者たち……うーん、いないってことは無いかな。でも少ない気がする」
改めてリストに目をやる。確かに、パメラの言うとおりかもしれない。
「なら載っているやつらの共通点は?」
「んー……」
パメラは少し考えたあと、ぽつりと呟くように言った。
「気の利く男が多い?」
「……なんだそれは」
「仕方ないじゃない、そう思ったんだもの」
パメラが唇を尖らせる。冗談を言っているわけではないようだ。特定の性格の人物が事件を起こしているとすると、原因を突き止めるヒントにはなるかもしれない。
他に気がついたことは無いかと聞いてみたが、それ以上は出てこなかった。事件の話はそこで終わりにして、雑談を始める。と言っても、大体パメラが一方的に喋って、アレスは聞いているだけなのだが。
いかに病院生活が暇かというのが、今日の話のメインだった。早く仕事に復帰したいわー、などとパメラは愚痴っていた。いつもは仕事の愚痴ばかり言っているというのに。
話も尽きてアレスが帰ろうとすると、パメラが思い出したように言った。
「あ、シルクちゃんにお花のお礼言っといてね」
「買ったのは俺だぞ」
「あんたが選んだんじゃないでしょ」
アレスは肩をすくめて、病室を後にした。
帰り道に再び花屋の近くを通ると、店先に見知った男が立っていた。背中を向けているのではっきりとは分からないが、下を向いて花を選んでいるようにも見える。
「よう、ジェイク。奥さんに花でも買うのか」
「ああん?」
ジェイクと呼ばれた男は、眉を寄せて振り向いた。頭髪が少々さびしく、アレスよりも少し年上に見える。人相はあまりよろしくないが、悪い奴ではない。
「俺がそんなことするわけないだろ。こいつが急に調子悪くなってな」
そう言って、右手を差し出す。手の中には、コンパスのような何かが収まっていた。赤と黒に塗られた針がふらふらと揺れていて、その動きは止まる気配がない。花では無く、これを見ていたようだ。
通常のコンパスが特定の方角を指すのに対して、これは『特定の人』がいる方向を指す魔道具だった。人が持つ魔力を頼りに探すそうで、魔力量が多い人物しか探せないという重大な欠点はあるが、それでもかなり貴重なものらしい。
ジェイクは魔道具を振ったり叩いたりしていたが、やはり針の向きは一定しない。修理は金がかかんだよなあ、などとジェイクはぶつぶつ言っていた。
「人探しでもしているのか?」
「いいや、前に行った酒場にまた行こうと思ったんだが、場所を忘れちまってな。マスターが元魔術師だとか言ってたんで、こいつで探してたんだよ」
「…そんなことに使ってるから壊れるんじゃないのか」
「こういうのは大事に仕舞ったままにしておくより、たまに使ってやったほうがいいんだよ」
と思うんだがなあ、とジェイクは小さな声で付け足していた。しばらく針の動きを観察していたが諦めたらしく、魔道具をポケットに入れた。
「例の件は進んでるか?」
「情報は集めてはいるが、あまり進展は無いな。さっきはパメラに話を聞いてきたところだ」
アレスは正直にそう話した。傷害事件の件はアレスが主に調べているものの、ジェイクにも協力してもらっている。
ジェイクはこの街にある冒険者ギルドの唯一の職員だ。ギルドとは言っても登録されている冒険者はほとんどいないため、事務作業は少ない。街で起こった厄介ごとを自分で解決したり、適当な人物、例えばアレスに丸投げするのが彼の仕事だった。
「ほう、ちょっと話を聞かせてもらっていいか。一杯飲みながらでどうだ」
「分かった」
シルクに礼を言っておいて、とパメラに言われたのを思い出したが、わざわざ呼びつけるほどのことではないだろう。大通りを歩き出すと、ジェイクもその後ろをついてきた。
二人が向かったのは、大通りから裏道に入ってすぐの場所にある酒場だった。店内は、細い通路が直角に三つくっ付いた、正方形の一辺を除いたような不思議な形をしている。他の建物の隙間を縫って建てられたせいで、こうなっているらしい。
店の入り口は真ん中の通路のちょうど中央にあり、正方形の外側についている。アレスが店に入ると、正面にはカウンターが広がっていた。この通路にはカウンター席しかなく、残りの二つはテーブル席しかない。
「エールと、適当な蒸留酒をくれ」
そう注文して、カウンターに代金を置いた。手早く用意された飲み物を受け取ると、右手奥へと向かう。いつも座る一番奥のテーブル席は、運よく空いていた。
建物の特殊な形状のせいもあり、ここでは席まで注文を取りに来たりはしてくれない。そのため一番奥に座ると誰も近くを通らず、秘密の話をするにはうってつけだった。もちろん個室がある店ならなおいいが、残念ながらこの街にそんな酒場は無い。
席に着くと、アレスは今までに調べたことをジェイクに説明した。パメラから聞いた『リストの偏り』に関しては、彼も興味を惹かれたようだった。
「なんだあ? 気の利く男って」
「俺にも分からない。だが事件の共通点らしきもので今までに出てきたのは、それしか無いんだ」
「パメラの戯言だけなのか。厳しいねえ」
うーむ、とジェイクは唸る。彼はしばらくちびちびとエールを飲んでいたが、何かを思いついたようで、ジョッキを置いてアレスの方を見た。
「考える方向を変えてみたらどうだ。そもそも何がどうなったら、こんな現象が起きるんだ? もしくはどうやったら起こせる?」
「手段の方から考えるということか」
アレスは腕を組んで思案した。
傷害事件は必ず喧嘩から始まっている。喧嘩しているのは、一見関係が無さそうに見える多数の人物たちだ。暴れたくなるような心境の変化が、全員同時期に起こったわけでも無いだろう。全員が結託して、次々と喧嘩を起こしているとも思えない。
考えられるのは、片っ端から金を渡して喧嘩するように依頼し、さらに口止めしている誰かが居るということだ。とは言え喧嘩の件数は結構な数に上るわけで、どこからも秘密が漏れないというのも不自然な気はする。
自主的に行っているのでも、依頼されているのでもなければ、誰かが喧嘩が起こるように誘導しているか。話術でそれを実行するのはできなくは無いかもしれないが、何度もそんなことをしていたら確実に怪しまれるだろう。
「誰かが故意に起こしているなら、魔法的な手段を使っているのかもしれないな」
アレスは魔法にそこまで詳しいわけでは無いが、十分に考えられる。恐怖心を取り除く魔法や、敵の戦意を削ぐ魔法なら聞いたことがある。人の凶暴性を増し、結果として喧嘩の発生を増やすような魔法だってあり得るだろう。
「うーむ、人の心に影響するような魔法は難しいぞ。詠唱も長いだろうし、誰にも気づかれずに何十人にもかけられるとは思えんな」
「なら、魔道具を使えばどうだ」
「それならあり得るかもしれん」
魔道具は、大きく分けて二種類ある。一つはあまり派手な効果は無いが、常時威力を発揮するもの。もう一つは魔法と同じような特性を持つもの。後者は基本的には長い詠唱や精神集中を必要とし、適正のある人間にしか扱えないが、例外もある。
基本的に、魔法と比べて魔道具の方がバリエーションが多く、また威力の上限も大きい。街の住民全てに影響するほどの効果範囲を持つ魔道具だって、絶対に無いとは言えない。もちろん凄まじく高価だろうし、こんな辺鄙な街に存在するかは疑問だ。
「薬を使ってるって説はどうだ。こういうのに混ぜとくんだ」
エールの入ったジョッキを掲げながら、ジェイクが言った。確かに魔法と同様に、凶暴性を増す薬だってあるかもしれない。
「店員が薬を盛ってるということか。…飯屋なら、怪しいのは宿の食堂ということになるが」
飯屋で最も規模が大きいのが、あの店だ。他にもあることはあるが、安かろう悪かろうの店ばかりで、客はあまり入っていない。
「まあそうなるな」
ジェイクは吹き出すように笑った。あの店の真面目な店主や、職人気質の料理人たち、そしてパメラが客に薬を盛るなどとは、とても思えないのだろう。アレスも同じ意見だった。
「店だとすると、パメラの意見がヒントになるかもしれないな。当然、店ごとに客層は違うだろう」
「『気の利く男』がよく行く飯屋か? 余計にわけがわからん」
ふと思いついて言ってみたが、ジェイクには受け入れられなかったようだ。というか、パメラの意見自体を信用していないのだろう。
どの店が怪しいだろうか。アレスは街にある飲食店をリストアップして、考え込んだ。小さなグラスを口に付け、中の蒸留酒を舐めるように飲む。
(無味無臭でないなら、酒の方が有利か?)
ふとそんな考えが浮かんだ。味がきつかったり臭いが強い薬だったら、強い酒に混ぜた方がばれにくいだろう。
(臭い?)
そう言えば、つい最近に強い臭いを嗅いだような記憶がある。どこだったかと考えて、すぐに思い出した。シルクがやっている花屋だ。
(…飲み薬とは限らないな)
お香のように炊いて、吸引することで効果を発揮する薬だってあるだろう。その場合に必要なのは、薬の臭いをごまかすための強い香りかもしれない。例えば、むせ返るような花の匂いだとか。
さっきジェイクに「奥さんに花でも買うのか」と尋ねた時のことを思い出す。この男は記念日に花を贈るようなマメなタイプでは無い。逆に言うと、『気の利く男』なら、プレゼントを買いに花屋に行くことも多いのかもしれない。
(シルクが事件を起こしてると言いたいのか?)
アレスは心の中で自問した。あの少女がだなんて、とても想像できない。だがそう言えば今日だって、花屋で喧嘩を始めた二人を見たところだ。
もしかすると原因は薬ではなく、花なのかもしれない。香りを嗅いだだけで、人の凶暴性を高めるような花だ。それなら、知らないうちに仕入れてしまったという可能性もある。そんなものが存在するのかは分からないが……。
難しい表情で黙り込んだアレスの顔を、ジェイクは覗き込むように見た。
「何か思いついたのか?」
「…いや、何も」
まだ言わない方がいいように思って、アレスは適当に答えた。
まずはリストに載っている人物が、シルクの店に行っていたかどうかを調べるべきだ。あの店の客はそれほど多くない。ほとんどの人物が最近行ったか、逆にほとんどが行っていないか、どちらの結果がはっきりと出るはずだ。
アレスは蒸留酒をぐいっと飲み干すと、二杯目を注文するために席を立った。
次の日、アレスは再びシルクの店に向かっていた。リストを見せて、店の客かどうかを直接聞いてみるつもりだ。
リストの人物全てに、最近店に行ったかどうか聞くという手もあった。だが手間がかかるし、傷害事件にシルクが関わっていると思われそうだったので止めておいた。もし全く関係なかったら、悪評を広めることになってしまう。
それに、とアレスは若干憂鬱な気分になりながら考えた。もし本当にシルクが犯人だったら、リストを見せて問い詰めれば何かボロを出すかもしれない。
店に入ると、鉢植えの花の隣にシルクがしゃがみこんでいた。花をじっと見る横顔は真剣そのもので、普段よりも大人びて見えた。
彼女はアレスに気づくと、立ち上がって柔らかい笑みを向けてきた。
「いらっしゃいませ。今日もお花を買いに?」
「いや、聞きたいことがあって来た。シルク、最近珍しい花を仕入れたりしたか?」
突然の質問に、シルクはきょとんとしていた。
「特には無いですね。うちはいつも大体同じ花を揃えているので……」
「そうか」
なら、偶然変な花を手に入れてしまったわけではないだろう。リストを差し出して、シルクに見せる。縦に事例が並んでいるのはパメラに見せたものと同じだが、喧嘩に参加して、かつ他人に大きな怪我を負わせた人物の名前だけが載っている。
「ここにある名前に心当たりは無いか」
シルクはアレスの顔とリストを交互に見たあと、名前を順番に確認していった。後ろの方に行くに従って、徐々に訝しげな表情になる。
「これって、うちに来たお客さんの名前ですか? どうしてこんな物を、アレスさんが?」
彼女の質問に、アレスはしばらく答えなかった。
「あの……」
「これは、最近街で起こっている傷害事件の一覧だ。ここに載っているのは、誰かに怪我を負わせた人物の名前だ」
「え?」
その台詞を聞いて、シルクは目を丸くした。意味が分からないとでも言いたげに、ゆっくりと頭を傾ける。
「それって、どういう……」
「一連の事件は、人の精神に影響する薬を使って人為的に起こされたと考えている。…お前がやったんじゃないのか、シルク。この店なら、花の香りに紛れて客に薬を吸わせることができる」
「わ、私が? そんなこと、するわけないじゃないですか!」
シルクは慌てて首を振る。アレスは一歩詰め寄り、相手の目をじっと見た。
「なら、暴れているのがこの店の客ばかりなのはどういうわけだ? この店に来るやつはそれほど多くないだろう。偶然とは思えないな」
「そ、そう言われても……」
少女は身をすくませながら、顔を逸らした。
(本当にこいつがやったのか?)
もしそうなら、リストを見せられてこの店の客だと素直に言うだろうか。
いや、リストの人物とこの店の客が被ることは、調べればすぐに分かるだろう。なら黙っておくよりも、正直に言ったほうが疑われにくいと思ったのかもしれない。
「ほんとに私、なにもしていません。信じてください」
恐る恐る、シルクはアレスと視線を合わせる。その顔は、今にも泣きそうになっていた。
やはり、この少女ではないんだろうか。だが、店の客と事件の加害者が一致しているのは確かなのだ。この店のどこかに原因があるはずだ。
(花でも薬でもないなら、魔道具か?)
アレスは店内を見回す。特に変わった物があるようには見えないが……。
「…シルク」
ふと思いついたことがあって、アレスはぽつりと呟くように言った。少女はびくっと体を震わせる。
「はい」
「表の看板は、いつどこで買ったものだ?」
「え……三十日、ちょっと前だったと思います。行商の人から買いました」
「ふむ」
三十日前といえば、ちょうど傷害事件が増え始めたころだ。
「さっきは事件の原因は薬だと言ったが、魔道具の可能性もある。あの看板が、その魔道具なのかもしれない」
店の前あたりで、昨日ジェイクの魔道具は調子が悪くなっていた。看板が強力な魔道具で、その影響だと考えるとしっくり来る。
「あれがですか? 商人の人からは、特に何も聞きませんでしたけど……。値段も普通でしたし」
「事件を起こすためにお前に買わせたのなら、魔道具だということは当然黙っておくだろう。もしくは、そいつも何も知らなかったか。…まずは一度調べてみたい。看板を借りていってもいいか?」
その言葉に答えるように、アレスの背後、店の入り口の方で男の声がした。
「もう調べ終わったぞ。こりゃ
聞き覚えのある、懐かしい声だった。アレスは振り返る。
「よお」
男は、片手を大仰な動作で上げた。ステフと言う名のその人物は、刃が大きく曲がった奇妙な剣を腰に刺していた。
彼と会うのは久々だ。昔、パーティを組んで一緒にダンジョンに行ったことがあるが、戦いに関してもダンジョン探索に関しても、かなりの実力を持つ冒険者だ。しかし、こいつが居るということは……。
「まさか、イリーズも来ているのか」
アレスは眉を寄せた。ステフとともにパーティを組んだ人物だが、二度と会いたくはない。
「いいや? べつにいつも一緒に居るわけじゃないぞ」
「ならいい。魔道具というのは、その看板のことだな?」
「ああ。人の感情を無理やり捻じ曲げるようなやつだ。お前さんたちも、暴れないようにしばらく気をつけとけよ」
「…どう気をつけろと言うんだ」
「所詮は気持ち次第だ。ずっと意識してれば大丈夫だろ」
と、ステフは適当なことをのたまった。魔術師に相談してみた方がいいかもしれないな、とアレスは思った。
「あの、看板って、どうすればいいんでしょうか?」
今まで黙っていたシルクが、おずおずと尋ねた。間髪を入れず、ステフが答える。
「そうだなー、俺が引き取ってやろうか?」
「あ、ぜひ……」
言いかけるシルクを手で制して、アレスが強い口調で告げる。
「ただで持って行くつもりじゃないだろうな。欲しいなら、適正金額を払っていけ。安く見積もっても、金貨五百枚はするだろう」
「ごっ……!?」
金額を聞いて、シルクが絶句した。一方のステフは、軽く肩をすくめる。
「吹っかけすぎじゃないか? そこまでして欲しいわけじゃないぞ」
「イリーズから、あれを回収する依頼を受けたんじゃないのか。買い取るための資金も預かってきているだろう」
「お前、よくそこまで分かるなあ」
ステフは感心したように言った。
「わかったよ。金貨五百枚で買おう」
「そうか、シルクもそれでいいな?」
「はい」
こくこくと頷くシルク。彼女からすると、とにかくあれを処分さえできればいいのだろう。
ステフは荷物の中から小さな布袋を五つ取り出し、アレスに渡した。中を確認すると、それぞれに金貨がぎっしりと百枚ほど入っている。そんな大金を持ち歩いていることに驚いたが、己の実力に自信がある故なのかもしれない。
看板は三人で協力して外し、布をかけて紐で縛った。ステフはそれを背負いながら、思い出したように言った。
「そうそう、イリーズからお前さんへの依頼を預かってきてるんだが」
「断る」
「と言われるだろうから、内容は説明しなくていい、だとさ」
彼はひらひらと手を振って、店の外へと去って行った。
「…さて」
アレスは、金貨の入った袋をシルクに差し出した。
「これは基本的にはあんたのものだ。あの魔道具はもともとあんたが買ったんだからな。だが百枚ほど使って、怪我をしたやつらに見舞いを出してやろうと思っている。魔道具のこともその時説明するつもりだ。どうだ?」
シルクは何も知らなかったとは言え、原因の一端になったのは確かだ。少しはお詫びをしておいた方がいいだろう。黙っておいてもいいのだが、魔道具の話が万が一が漏れたら、面倒なことになるかもしれない。
「はい。というか、残りも私は受け取れないですよ。私のせいで、皆さんに迷惑をかけてしまったんですし……」
「あんたが悪いわけじゃない」
「でも……それなら、話をつけてくれたアレスさんが貰ってください」
「俺だって受け取れない。この件の報酬は別で貰っているからな。運よく掘り出し物を買ったとでも思っておけばいい」
アレスは一袋だけ荷物にしまうと、残りはシルクに押し付ける。
「分かりました。ありがとうございます」
少女はそれを受け取って、深く頭を下げた。
「例の商人がどういうやつなのかは分かるか。この街にはよく来るのか?」
「いえ、初めて見たと思います。馬車一杯に、色んな商品を乗せてました。雑貨屋さんみたいな感じでしたけど……」
「シルクの他にそいつから何か買ったやつはいるか?」
「どうでしょう……。大通りに馬車を止めて、商品を売ってたんです。少し後に通った時はもう居ませんでしたし、この街にあまり長くは居なかったかもしれません」
「ふむ」
そいつが悪意を持って魔道具を売っていたのなら、他にも買ってしまったやつがいるかもしれない。もしそうなら、被害が出る前に回収する必要がある。
だがどちらにしろ、商人の正体を知るのは難しそうだ。そんな情報を、残して行ったりはしていないだろう。
「あの看板を一番見ていたのはシルクだ。何か異常があったら相談してくれ。知り合いの魔術師を紹介する」
「はい」
シルクは不安そうな表情で頷いた。とは言え傷害事件の加害者はほとんどが男性だったから、性別で効果に差があるんだろうか。注意しなければならないのは、むしろアレスの方かもしれない。少女に別れを告げ、アレスは外に出た。
「…なんだ?」
店先で待ち構えていたステフに出くわして、眉を寄せた。彼は、にやにやと笑いながらこちらを見ている。
「こういう魔道具をばら撒いてる連中のこと、知りたくないか?」
「代わりに何を要求するつもりだ」
「そんな怖い顔するなよ。まー、飲みながら話そうぜ」
アレスは、着いて行くべきかどうか一瞬迷った。こいつに、というかイリーズにはこれ以上関わりたくないが、情報は欲しい。
仕方なく頷くと、ステフと並んで歩き出す。気安く肩に手をかけてこようとするのを払いながら、酒場へと向かった。
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