12.魔術学院

 街の一角、環状になった道を、リックは先ほどからずっと歩いていた。一周数百歩ほどのその輪を、もう何週したか分からない。

 歩きながら、リックは輪の外側にある横道にちらりと視線をやった。少し先で道は行き止まりになっており、奥には立派な建物が建っている。この辺りは大きな屋敷が多かったが、横道にあるものはその中でも一際大きかった。

 その建物の扉のそばには、金属鎧と槍で完全武装した衛兵が立っていた。それを横目で見ながら、リックは横道の前を通り過ぎた。

「うーん」

 リックは小さく唸った。あの衛兵に話しかけて、建物の中に入れてもらう必要があるのだが、どうにも勇気が出ない。

(でも行かないわけにもいかないし)

 あそこに居る知人に会うために、わざわざ王都まで来たのだ。運よく知り合いの馬車に同乗できたので、金銭面の負担は少なく済んだが、時間はかなりかけている。今更エルシェードの街に帰るわけにはいかない。

 視界の左の方に、ひらひらと飛ぶティエルの姿があった。いつもなら「早く行こうよー」とでも言って急かしてくるのだが、先ほどからずっと無言だ。これから会いに行く人物が、ティエルは少し苦手なようだった。

 輪をぐるりと回って、再び横道の手前までくる。さすがに次は行こうと、リックは心に決めた。さきほどから目の前を何度も通っているわけだし、そろそろ衛兵から不審に思われているかもしれない。

 横道に入ると、衛兵の男が鋭い視線を向けてきた。緊張しながらも、リックは歩みを進める。

「ここは王都魔術学院だ。用の無い者が立ち入ることはできない」

 男は固い口調でそう告げた。リックは建物の少し手前で立ち止まる。

「すみません、シニス…さんに会いに来たんですけど。あ、僕はリックと言います」

 ぎこちない笑みを浮かべながら、男に伝えた。男は何も答えないまま、表情を変えずにじっとしている。

(う、だめかな)

 シニスからは、好きな時に勝手に来ればいいぞと言われていたが、やはり事前に連絡しておくべきだったかもしれない。今から戻って手紙でも書こうかなどと思っていると、男が扉の方へと向き直った。取っ手を引いて、両開きの扉の片方を開ける。

「入っていいんですか?」

 驚いた表情のリックに、男は頷いた。

「階段を上がって、左手奥だ」

「ありがとうございます」

 男に礼を言って、リックは建物に入った。

 扉の先は、吹き抜けのホールになっていた。左右手前には廊下が伸び、右奥には二階へ上がる階段がある。左奥には開きっぱなしの扉があり、その向こうには中庭が見えている。

 中庭から歩いてきた、小奇麗な服を着た男性と目が合う。学院の生徒は貴族が多いと聞いたから、彼もそうなのだろうか。

 冒険者然とした自分が、場違いに思えてくる。男性から目を逸らしながら、階段に足をかけた。

 階段を上りきった先に、今度はぼろぼろのローブを着た男が立ち尽くしていた。ところどころ穴が開いていて、下着や肌が見えている。彼は奥の壁に向かって、何事かをぶつぶつと呟いていた。

 その男を見るとも無しに見ながら、リックは横を通り過ぎようとした。だが、男が勢いよく振り返ってきて、思わず足を止める。

「炎の魔法より冷気の魔法の方が難易度が高いのは、何故だと思う?」

「へ?」

 突然の問いかけに、リックは面食らった。リックが冒険者に見えたから、冒険者としての意見を聞かれているのだろうか。それとももしかしたら、通る人物全員に聞いているのかもしれないが。

 言われてみれば、冷気の魔法が得意だという魔術師は見たことが無い。一方で、炎の魔法は攻撃用として広く使われている。

「暖めるより、冷たくする方が難しいから、ですか?」

 リックは食べ物のことを考えながら、そう答えた。暖かいスープは火をおこせばどこでも飲めるが、冷たいジュースは高級品だ。それこそ冷気の魔法でも使うか、そうでなければ山の上から氷を取ってくるなど、かなりの労力をかけないと作れない。

 だが男は、リックの答えを聞くと怒り出した。

「それは私の質問を言い換えただけだ! 答えになっていない!」

「そ、そうですか、すみません」

 と言われても、魔法のことなど元から分かるわけがない。食べ物以外で何かヒントになることはないかなと、必死で考える。

「…ええと、動けば暖かくなるけど、冷やすために止まるのは難しいから? ほら、立ち止まったって、内臓とかは動いてますし」

 しどろもどろになりながら、リックは答えた。もはや魔法と何の関係もない気がしたが、それぐらいしか思いつかなかった。

「動かすより止める方が難しいからか、ふむ」

 男は少し顔を上げて、虚空に目をやった。そのまましばらく動かなくなる。

「あのー……」

「ありがとう、参考になった」

 恐る恐る声をかけるリックに、男は小さく頭を下げた。彼は身を翻して、駆け足で去っていった。その後ろ姿を、リックはぽかんと口を開けて見送る。

(役に立ったのかな?)

 よく分からないが、何か思いつくきっかけになったのかもしれない。首を捻りながら、廊下を左に向かって歩き出す。

(色んな人がいるんだなあ)

 格好と性格どちらの意味でもだ。貴族街のような雰囲気を想像していたリックは、少し驚いた。これなら冒険者が歩いていたところで、誰も気に留めないだろう。

(シニスもちょっと変わってるけど)

 とは言え、先ほどの男には負けるだろう。

 廊下の左右には、規則正しく扉が並んでいた。半分開いていた一つの扉の向こうを覗き込むと、机と椅子が置かれた小さな部屋になっていた。なんとなく、宿の客室階の雰囲気と似ているなと、リックは思った。

 少し進むと、廊下は右に折れていた。角を曲がった先では、さらに遠くの方でもまた右に折れているようだった。恐らくこの建物は、中庭を囲むような造りになっているのだろう。

 途中で魔術師風の男とすれ違ったりしながら、リックはさらに進んだ。二つ目の廊下の角にたどり着いたところで、ふと足を止める。

(あれ?)

 シニスは二階の左奥に居ると言われたが、どの部屋のことだろうか。あまり深く考えずに、ここまで来てしまった。

 リックは立ち止まって、近くの扉を見た。そこには金属製のプレートが掛けられていて、何か文字が書かれている。

(まさか、これを見れば分かるだろうってこと?)

 人だか部屋だかの名前が書かれているのだろうが、字が読めないリックにとっては意味が無い。しまった、もう少し詳しく聞いておくべきだった、と後悔する。

「ティエル、シニスの名前ってどう書くか覚えてる?」

「そんなの分からないよー」

「だよね……」

 リックは辺りを見回した。一番奥がシニスの部屋だとしても、曲がり角の左と正面に二つ扉があり、どちらでもあり得る。プレートに書かれた文字をじっと見たが、どちらが正解なのか分からない。

 順番に尋ねるしかないか、とリックは諦めた。左の扉に近づいてノックしようとしたところで、正面の扉ががちゃりと開く。

 扉から現れたのは、皮鎧を着た、がっしりとした体格の男だった。武器こそ持っていないが、冒険者か傭兵に見える。男はリックに一瞬だけ目をやった後、横を通り過ぎて去っていった。

 男に続いて、ローブ姿の女性が部屋から出てきた。燃えるような赤い髪を真っ直ぐに伸ばしていて、前に垂らした髪は胸元まで届いている。目鼻立ちははっきりとしていたが、眠そうに目を細めているせいで、どこかぼんやりした印象を受ける。

「あ」

 女性の顔を見て、リックは小さく声をあげた。女性の方も、リックを見て驚いたようだった。

「久しぶり、シニス」

「ああ、来てくれて嬉しいよ」

 片手で扉を押さえながら、シニスはリックを手招きした。

「よく私の部屋が分かったね、衛兵に案内してもらったのかい? 君が来たら通すようにとお願いしておいたんだ」

「うん、そんなところ」

 シニスに近づくと、目線の高さがほぼ同じだということが分かる。リックの方が、微妙に背が高い。

 抜かれていなくてよかったと、リックはほっとした。もっとも彼女は、もう背が伸びる年齢は過ぎているのだが。

 部屋に入ろうとしつつ、リックはちらりと後ろを振り返る。先ほどの男性が、ちょうど角を曲がっていくところだった。

「さっきの人って、冒険者?」

「ん、まあそうだな」

 シニスは扉を閉めた。リックが部屋の中に目をやると、床がほとんど見えないほどにちらかっていた。魔道具らしき小物や、本や資料が床一面にばら撒かれている。それらを踏まないように苦労しながら、リックは部屋の中央にあるソファーに座った。

「冒険者がシニスのところになんて来るんだね。何の用だったの?」

 リックは首を傾げる。シニスはこの学院で、魔道具に関しての研究をしているらしい。基礎的な内容だとかで、実用的価値は全く無いと聞いていた。

「そう言う君だって冒険者なわけだが……なんだ、もしかして妬いてるのかな?」

 慣れた動作で本と魔道具をひょいひょいと避けながら、シニスはリックの左隣に座った。リックに向かってにやりと笑う。

「え? そんなことは全然ないよ」

 リックはきょとんとした表情で、シニスを見た。彼女はしばらく表情を凍らせたあと、真顔になって言う。

「あのね、そこまでドライな反応されると少し傷つくんだけど」

「な、なんかよく分からないけど、ごめん」

「…まあいい。彼は冒険者だが、この学院の生徒でもあるんだよ」

「へえ、そういう人も居るんだ」

 少し意外だった。学院に入る理由と言えば、貴族が箔を付けるためか、シニスのように何かの研究をするためだと思っていた。そうでなければ、魔術師ギルドの上級職員のように、学院卒業が条件となる職業に就くためか。

「魔法なら冒険者ギルドで教えてもらえるし、一人で訓練するだけでも使えるようになるんでしょ? 何しに来るの?」

「使うだけならね。だがそれは、威力や成功率、魔力と触媒の消費効率などを無視すればの話だ。ちゃんとした指導を受ければ、効率は劇的に上がる。投資する価値は十分にある」

「ふーん……でもさっきの人、魔術師には見えなかったけど」

 鍛え具合から見ても、バリバリの前衛タイプだろう。魔術師が体を鍛えてはいけないということはもちろん無いが、その時間を魔法の訓練に回すのが普通だ。

「魔法の適正が高いことが、最近分かったらしくてね。金が溜まったから、しばらく冒険者稼業は休んで真剣に魔法を覚えるんだそうだ。魔術師の資格を取っておけば潰しが効くからね」

「そうなんだ、いいなあ」

 日々の暮らしに精一杯のリックからすれば、羨ましい話だ。

 冒険者、特に魔術師以外の冒険者は、リスクの大きい職業だ。怪我をしやすい上に、大きな怪我をするともう続けられなくなる。よっぽど蓄えを作っておかないと、そのまま野垂れ死ぬことも珍しくない。

「もしかして、シニスがあの人に魔法を教えてる?」

「まさか。同じ授業を取っているから、課題のことで話していただけだ。私はただの生徒だよ」

 シニスは笑いながら首を振った。顔にかかった髪が揺れる。

(ただの、ってことは無いと思うけど)

 シニスの研究はかなりの成果を出しているらしく、彼女は教師たちのお気に入りだった。でなければ、生徒がこんな研究用の個室を割り当てられるわけがない。衛兵がすんなりリックを通したのだって、シニスのおかげだろう。

「ところでリック、そろそろティエルちゃんが、飽きて膨れてるんじゃないかな……このあたりか?」

 シニスは、リックの左前方辺りの空間に、手をそっと差し出した。

「うーん、ちょっと惜しい」

 もう少し上だった。もっとも場所が当たったからと言って、映像にすぎないティエルを実際に触れるわけではない。

 シニスの言ったとおり、ティエルは先ほどから唇を尖らせて不満げにしていた。リックの方へと飛んでくると、左肩にちょこんと座る。

「早く魔法の話しようよー」

 リックの顔のすぐ近くで、ティエルは訴えた。

「うん、わかってるって……ええとシニス、ティエルのことで相談があるんだけど」

「ああ、そうだろうと思っていた。早く姿を見せてくれ」

 シニスが期待に満ちた目でリックを、というよりリックの左肩辺りを見ている。今どこに居るかは分からないはずだが、リックの視線から判断したのか、もしくはただの勘か。

「ティエル、お願い」

 リックの言葉に、ティエルは頷く。二人以上に同時に姿を見せるのはかなり疲れるらしく、常用はできない。あまりやらせたくないが、今は仕方ない。

 しばらく待っていると、シニスが、おお、と声をあげた。リックからすると何も変化がないが、彼女にも姿が見えるようにしたのだろう。

「か、かわいい……」

 熱い眼差しをティエルに注ぎながら、シニスは手をそろそろと伸ばした。ティエルはそれを避けるように、リックの右肩へと移動する。

「シニス、目が怖い!」

 リックの陰に隠れるティエルに、シニスはショックを受けたようだった。

「…それで、相談とは何かな」

 シニスはがっくりと肩を落とすと、手を引っ込めた。

「ティエルに魔法を覚えさせたいんだ。どの魔法がいいかアドバイスが欲しい」

「ふむ?」

 シニスは首を傾げる。

「基礎的な魔法は、いつか試したと言っていたよね?」

「うん、駄目だった。火を付けるやつとか風を起こすやつとか、一通りやったけど」

 リックの言葉に、シニスは顔をしかめた。

「イグニションとウィンドブラストか。君たち冒険者は、正式名称を覚えようとしないな」

「そんな名前だったの?」

 初めて聞いた気がする。それはともかく、とリックはティエルを指差す。

「ティエルがいつも使ってる、この姿を見えるようにしてる魔法あるでしょ?」

「アブソリュートイリュージョンだ」

「…ええと、そのあぶ……なんとかに似てる魔法なら、使えるんじゃないかと思ったんだ。似てて、役に立ちそうな魔法ってある?」

「ふむ。確かに、そういった可能性はある。六英雄の治癒術士ユイも、治癒魔法以外は苦手だったと聞く」

 腕を組んで、シニスはしばし考え込んだ。

「似ている魔法で役に立ちそうと言えば、ブラックアウトかな。対人が主な用途だから、魔物との相性はよくないが」

 視界を塞ぐ魔法だ。人間相手なら非常に有用だが、視覚以外が発達している魔物や獣相手だと、効果は薄れる。

「他にも色々あると思うがね。まず『似ている』というのは曖昧すぎる。少しずつ試しながら、使えそうな魔法を絞っていく方がいい」

「うーん、やっぱりそうなっちゃうか。じゃあ似ているとかは忘れてもらって、ティエルが使えそうな魔法って他に何か思いつく? ほら、魔道具が使う魔法とかそういう見かたで……」

「それはさらなる難題だよ。君も知っての通り、魔法が使える魔道具などというのは極めて稀な存在だ。その質問に答えられる人物は居ないだろう」

「うーん……」

 リックは唸った。シニスなら有望そうな魔法を絞れるかと期待していたが、そう上手くはいかないようだ。

「もし、君たちがよければだが」

 シニスが恐る恐るといった口調で、話しだす。

「私の方で、ティエルちゃんをしばらく預かるというのはどうだろうか? そうすれば、私が魔法の訓練に付き合える。ここなら魔術の学習に関する資料も、設備も揃っている。効率的に進められるだろう」

「えー」

 その提案を聞いて、ティエルは不満そうだった。リックと離れるのが嫌なのか、それともシニスと一緒にいるのが嫌なのか。

「いや、さすがにそれは悪いよ。お礼もそんなにたくさんは払えないし……」

「君から金など取らないよ。訓練に付き合うとは言っても、訓練の方法を教えるのと、次にどの魔法を試すべきか選ぶぐらいだ。時間的負担はさほど大きくは無い」

「そうかなあ」

 以前ティエルに基礎的な魔法を覚えさせようとした時は、しばらく付きっ切りだった。シニスなら、もっと効率よく進められるのかもしれないが……。

「君には色々と貸しがあるからね。返す一環だと思ってくれればいい」

 少しの間悩んでいたが、シニスのその言葉を聞いて決心する。

「分かった、ありがとう。ティエルがよければ、お願いするよ」

 リックは、右肩に乗るティエルに目を向けた。

「うー、わかったー」

 意外とあっさり承諾すると、彼女はシニスの方へと飛んで行き、肩に乗った。シニスは少し目を見開く。

「知ってると思うけど、毎日魔石をあげてね。たまにメンテナンスもするんだけど、最近やったからしばらくは要らないかな。やってくれるなら、それは嬉しいけど」

「メンテナンスか……」

 シニスの目がきらりと光った気がした。肩に腰かけて足をふらふらとさせているティエルを、じっと見ている。何かよこしまなことを考えているように見えなくもない。

「…やっぱり魔石だけでいいよ、うん。数日分は持ってきてるから」

 荷物の中から出した赤い魔石を、シニスに渡す。いつもの一番安いやつだ。

「そう言えば、青い魔石って知ってる? これの青いのを店で見かけて、ティエルが欲しがってたんだけど手に入らなかったんだ。他にもあるのかな?」

「うんうん、おいしそうだった!」

 ティエルがこくこくと頷く。

「ふむ」

 赤い魔石を、シニスはリックの前に差し出した。空いた手で魔石を指差す。

「魔石の色は、一般的には属性によって決まる。赤なら火、青なら水」

「あ、そうなんだ? 赤が一番よく見るから、普通は赤なのかと思ってたよ」

「火の魔力が一番扱いやすいからね。次が風の緑かな。青は珍しい」

「じゃあ僕の見た青い魔石は、水の魔力を持ってたんだね」

「いや、そうとは限らない。というか、恐らく違う」

 シニスは立ち上がって、部屋の奥にある机に向かった。ごく普通に歩くシニスを見て、よく床の物を踏まないなと、リックは変な感心をした。

「君が見たのは、これだろう?」

 机の引き出しから何かを取り出して、シニスはリックたちに見せた。ティエルがそれを見て声をあげる。

「あー! それそれ!」

 シニスが持っていたのは、見覚えのある魔石だった。本当にあれと同じものか、リックは確証が持てなかったが、ティエルが言うならそうなんだろう。

「これは君が持ってきた赤い魔石と同じタイプの、火属性の魔石だ。ただし、ほんの少しだけ別の属性の魔力が添加されていて、こんな色になっている。別の属性というのが何かはまだ分かっていないし、添加の目的も分からないけどね」

「ああそっか。冒険者ギルドでも、中の魔力はほとんど同じだって言ってた」

「間違ってはいないよ。ただし、『ほとんど同じ』と『全く同じ』では、天と地ほどの差がある。この魔石は何らかの特殊な用途のために造られたものだと、私は考えているんだ」

 芝居がかった口調で、シニスは言った。

 肩に座っていたティエルが、ふわりと飛び上がって、シニスの目の前に移動した。

「ねーねーシニス、それ、私にくれない?」

 きらきらした目で、ティエルがシニスを見る。シニスは、うっ、と小さく呻いた。

「これは調査用に入手したものでね。ティエルちゃんの頼みでも、ちょっとあげるわけにはいかないんだ。ごめんね」

「そっかー……」

 しゅんとしたティエルを見て、シニスは再度呻いた。何かを迷うように、視線をうろうろとさせる。

「い、いや、やっぱり駄目だ……しかしこれが美味しそうだということは、魔力の添加が『味』に関係しているのかな。それをヒントにすれば、安くて美味しい他の魔石を探すことはできるかもしれない」

「ほんとに? やったー!」

「うん、少しは役に立てると思うよ」

 嬉しそうに飛び回るティエルに、シニスは笑みを向けた。

 その後リックとシニスは、状況報告や昔の話などの雑談に興じていた。ティエルも時々口を挟んではいたが、それより魔石が気になるようで、心ここにあらずと言った表情で飛び回っていた。

 話も一段落ついたところで、リックはソファーから立ち上がった。ティエルの本体である魔剣を、シニスに渡す。

「じゃあ、ティエルの事は任せたよ。数日後にまた来るから」

「ああ、大事に扱うよ。心配しなくても大丈夫だ」

「またねー」

 すっかり機嫌が良くなったティエルに手を振って、リックは部屋を後にした。

(僕はどうしようかな)

 廊下を歩きながら、リックはこれからの事を考えた。

 ティエルの訓練が終わるまで遊んでいるわけにもいかない。冒険者ギルドで依頼を探すのもいいが、いつも使っている武器ティエルが無い。できることは限られるだろう。

(そうだ、とりあえず知り合いに会いに行こう)

 王都に住んでいて、しばらく会っていない知り合いなら何人かいる。予定が合えば街を案内してもらえるかもしれない。まずすぐに居場所が分かる人って誰だろう、と、リックは脳内の知り合いリストを検索しだした。

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