7.借り

 昼前にも関わらず、その店では数人の客が酒を飲んでいた。前の晩から飲んでいるのかと思うほど酩酊した男。泥酔してはいないようだが、虚ろな目でエールをあおる男。そして、蒸留酒を舐めながら窓の外を眺める男。店員がいるはずのカウンター内には、今は誰も居ない。

 そんな淀んだ空気に似つかわしくない、二人の若い女性が入ってきた。一人は背中まである金髪の冒険者、もう一人は少し背が低い、亜麻色の髪を肩まで伸ばした冒険者だった。窓の外を眺めていた客が、二人にちらりと目をやって、また視線を戻す。

 その二人は、何かを探すように店内を見回していた。しばらくそうしたあと、意を決したように、窓の外を眺める男に近づく。

「すまない、この辺りに冒険者ギルドがあると聞いたのだが、知らないだろうか?」

 男に声をかけてきたのは、背が低い方の冒険者だった。

「ギルドならここだ」

「ここ、とは、どういうことでしょう?」

 金髪の冒険者が、不思議そうに首を傾けた。ウェーブのかかった髪が揺れる。

「だから、ここが冒険者ギルドだ。受付のやつは今いないが、用事なら俺が聞くことになってる。何か用か?」

 男がそう言うと、二人組の冒険者は顔を見合わせた。

「すまないが、ギルドの紋章を見せてくれないだろうか?」

 背の低い冒険者の言葉に、男は頬を歪めた。まあ、疑うなと言われても無理な話だろう。ここはどう見てもただの酒場だ。だが男の言ったことは、嘘偽りの無い全くの事実だった。

 ギルドの紋章は、その人がギルドの職員なのか登録された冒険者なのか、冒険者ならどの職業か、などが見るだけで分かるようになっている。職員の紋章を見せられれば話は早いのだが、残念ながら持っていない。

「俺は冒険者でも職員でもない。お前たち、この街に来るのは初めてだな?」

「さっき来たばかりだ」

「じゃあ覚えておけ。この街にはまともな冒険者ギルドを建てる余裕も無ければ、価値も無い。仕事を探してるなら、エルシェードにでも行くんだな」

 大昔は交通の要だったらしいが、今では街道からずれているせいで、旅人が通ることはほとんどない。歩いて一日以内の距離に、街道沿いの大きな街エルシェードがあるので、この街にわざわざ寄る意味もない。

 昔の名残か建物の数だけは多いのだが、かなりの割合は既に廃墟となっていた。残った住民にしたって、貧しい者が多い。

「いや、仕事を探しに来たわけじゃない。アレスという人物を探しているんだが」

 その名前が出た瞬間、男は片眉を上げた。

「アレスは俺だ。俺なんかを探しにこんな場所まで来るとは、お前らよっぽど暇人らしいな」

 

 近くの宿屋へと、アレスは二人を連れて行った。この街唯一の宿屋で、かつ唯一のまともな飯屋だ。ギルドの番をしなくていいのかと聞かれたが、どうせ客なんてほとんど来ない。

「あら、アレスいらっしゃい……その人たちは?」

 宿に入ると、アレス達と同年代に見える女店員が、笑顔で声をかけてくる。アレスに続いて入ってくる二人組を見て、怪訝そうな顔になる。

「冒険者のお二人だよ。俺を探しにこの街まで来たらしい」

「え、なに。あんた何か悪いことでもしたの?」

「そんなわけがあるか」

 軽口を適当に流すと、冒険者二人にテーブル席を勧める。いつもの三つ、と女店員に注文する。

 店内には、昼飯を食べに来た客がそこそこ入っていた。旅人が来ないから飯屋は要らないかというとそうでもなく、ちょくちょく飯を食いにくる住民は多い。宿屋の方は、さっぱり客が来ないらしいが。

「自己紹介が遅れて申し訳ない。私はレティシア。こちらがクレア。見て分かるかと思うが、冒険者をやっている」

「よろしくお願いします」

 席に着く前に、背が低い方の冒険者が、真面目そうな表情で頭を下げてくる。金髪の冒険者が、微笑みながら後に続いた。

「ああ。で、俺に何の用なんだ」

 アレスが席に着くと、ようやく冒険者二人が腰を下ろした。どうやらこちらが座るのを待っていたらしい。

「あなたに受けて欲しい依頼がある」

「依頼だと? 悪いが他を当たってくれ。俺は冒険者でも何でもないんでね」

「あら、そうだったの? でもいつもギルドのお仕事してるじゃない?」

 料理を運んできた女店員が、横から口出しする。

「ジェイクから個人的に頼まれてやっているだけだ。余計なことを言うな、パメラ」

 はあい、とやる気の無い返事をするパメラを片手で追い払いながら、アレスは料理に手をつけた。

 ジェイクというのは、冒険者ギルド唯一の職員の名前だ。昔からの知り合いで、冒険者でもないアレスによく仕事を振ってくる。まあこの街には正式な冒険者はほとんど居ないので、仕方がないことではある。

「イリーズという人物からの依頼だ」

 レティシアの台詞を聞いて、アレスは食べる手を止めた。懐かしい名前だ。

「その……借りを返してもらうと言っていた」 

 言い辛そうにするレティシアに、アレスは眉を寄せた。確かに貸しにしておくと言われた記憶があるが、今更返済を求められるとは思わなかった。

「分かったよ。どんな依頼か知らんが、俺にできるものなら受けよう」

「ありがとう。無理を言ってすまない」

「お前が謝ることじゃない。で、どういう依頼なんだ?」

「ダンジョンへ同行をお願いしたい」

「ふむ」

 ダンジョン、と言われて思い浮かぶ場所は一つしかない。しかも、イリーズ絡みならなおさらだ。

「街の南のやつか」

「そうだ」

「どこまで行きたいんだ?」

「最深部まで」

 アレスは少し沈黙した。あのダンジョンは規模が大きく、最深部まで行くなら数日がかりになるだろう。幸い、手持ちの仕事で期限が迫っているものは無いが……。

「おいパメラ。ジェイクはいつ帰ってくると言ってた?」

「え? まだ十日は帰ってこないわよ?」

「そうか」

 ジェイクにはしばらく会っていないから、今度会ったら何か仕事を持ってくるかもしれない。次にやつが帰ってくるまでには、自分も街に帰ってきておきたい。

「依頼は受けるが俺にも都合がある。行くなら今日出発してなるべく早く戻ってきたい。それでいいか?」

「分かった。食料などの準備はこちらでする。あなたは装備だけ整えてきて欲しい」

「了解」

 ダンジョンなど久々だ、本職の冒険者相手に醜態を晒さなきゃいいが。そう思いながら、アレスは残りの料理を掻きこんだ。


 三人がダンジョンの入り口に着いたころには、既に日は大きく傾いていた。探索は日の出と共に初めて、日が落ちるまでには野営の準備を始めるのが鉄則だが、今回はずっとダンジョンの中だ。昼だろうと夜だろうとあまり関係が無い。

「ここが?」

 少し不安げにレティシアが呟く。無理も無い。目の前の山肌には小さな洞窟のようなものが口を開けていたが、それは十歩も進んだところで行き止まりになっていた。

「ああ。ついて来い」

 アレスは二人を先導して、行き止まりへと向かった。

「イリーズのやつ、俺が覚えてなかったらどうするつもりだったんだ」

 アレスは一瞬ためらった後、岩盤の一箇所に拳を叩きつけた。叩かれた周辺の岩が、人ひとりがぎりぎり通れるぐらいの範囲で、奥へと引っ込んでいく。しばらく音と振動を響かせた後、止まった。

 岩が移動してできた穴に三人が入ると、途中で右側に別の穴が開いていた。その先に見えたのは、石畳に覆われた、紛れも無いダンジョンの姿だった。壁には縦横無尽に光の線が走っていて、辺りを照らしている。

「ここから先は魔物が出る。注意しろ」

 二人に警告して、アレスはダンジョンへと進入した。

 しばらくは、特に障害もなく奥へと進むことができた。罠もなく、魔物が出ることもなく、さらにアレスが詳細な地図を持っていたからだ。

「その地図はあなたが書いたのか?」

 レティシアがアレスの手元の地図を指差しながら言った。そこには三人が通らなかった道も大量に書き込まれている。道は複雑に分岐しており、もし地図が無ければ、ここまで来るのに何倍も時間がかかっただろう。

「そうだ。俺がと言うより、イリーズに書かされたんだが」

 その時のことを思い出して、アレスは渋い顔になった。無表情で淡々と指示するイリーズの姿が目に浮かぶ。あの女はどうも苦手だ。

「イリーズには、魔物の親玉を倒す協力をしてもらった事がある。その時に俺も同行した」

「なるほど」

「ろくに報酬も払わなかったからな。街の人間は、全員イリーズに借りがあることになる。無碍にはできない」

 そう言った直後、アレスはぴたりと動きを止めた。どうしたのかとレティシアが聞く間も無く、前方の空間に向かって腰に刺したナイフを投擲した。

 ガキィン、と硬い音がしたと思うと、ナイフが空中に静止した。ナイフを中心に、薄っぺらい赤い人型の何かが、滲み出るようにその場に現れる。ナイフはちょうど、その人型の胸の部分に刺さっていたのだった。

「他にもいるぞ。よく見ろ!」

 赤い人型が地面に倒れた後、アレスがもう一度ナイフを投げた。が、今度は何にも当たらずに地面に落ちる。ナイフの軌道上で、蜃気楼のように空間が揺らめく。

 避けられたか。アレスは小さく舌打ちした。地図を懐に収めると、新たなナイフを構える。

 クレアがポケットから拳大の透明な球体を取り出し、壁に叩きつけた。パシャン、と意外と軽い音をさせながら球体が砕け、強い光が辺りを照らす。光が収まった後には、冒険者三人の影が焼きついたように地面に残った。

「うそ……」

 レティシアが呟く。冒険者の影だけではない。三人が居る通路の前後、誰も居ないように見える地面に、多数の影が焼きついていた。大きさは様々で、その数は十や二十ではきかない。

「前方を突破する。誰かが捕まったらすぐに助けろ」

「分かった」

 指示を出しながら、アレスはこの魔物の特徴を再確認していた。目視が困難という極めて厄介な性質を持っているが、動く時に空間が揺れるのが見えるのと、攻撃手段をほとんど持たないのが弱点だ。捕まりさえしなければなんとかなる。

 後方に意識を向けていたレティシアが、手に持ったメイスを振り回した。しかし、何の手ごたえも無い。

「早いぞ!」

「あっ」

 アレスが忠告する一瞬前に、レティシアの左腕が何者かによって引っ張られる。慌ててメイスを振ると、何か軽いものを叩いたようだった。しばらくすると、少し離れた地面に倒れた、小さい人型の姿が滲み出る。

 アレスが二本のナイフをレティシアの方へと向かって投げた。それらはレティシアを通り越して、近づいてきていた別の二体の赤い人型へ正確に突き刺さる。

「よく見ろ。相手が動けば必ず見える」

「そ、そう言われても」

 レティシアは動揺した。空間の揺らめきが見えても、距離感を掴むのが難しい。

「レティ、わたしが補助します」

「分かった」

 クレアの言葉に、レティシアが頷く。

「行くぞ。前はまだどいつも動いてないはずだ」

 アレスはそう言うと、最も近い焼きついた影の場所へと走った。空間の揺らめきを見る前に、ナイフを一閃する。ガラスを切ったような音と手ごたえの後、切り裂かれた人型が姿を現す。

「レティ、後ろ!」

 アレスに着いて走り出そうとしたレティシアに、クレアが警告する。反射的にメイスを叩きつけると、今度はタイミングよく人型にヒットしたようだった。

「あまり構うなよ!」

 近づいてきた二体の人型をナイフであしらいながら、早く前方へ向かうように残り二人に目線で示す。

 全員合流すると、アレスは敵の密度の薄いところを狙って二人を先導した。

 

「もう大丈夫だろう」

 大部屋に出たところで、アレスは立ち止まって後ろを振り返った。レティシアが、咳き込むクレアの背中を心配そうにさすっていた。

「今日はここで休もう。そこの水は飲めるぞ」

 アレスが指差した先には、小さな人工の泉があった。ドラゴンの頭をかたどった石像から、水が湧き出している。

「クレア」

「はあ、はあ……疲れました……」

 レティシアがクレアを泉に連れて行くのを見ながら、アレスは懐から地図を取り出した。通路に出て現在位置を確認する。半分以上勘で走ってきたが、目的地への最短ルートをそう離れてはいないようだ。

「このペースなら、食料も問題ないな」

 荷物を下ろしながら、アレスは二人に目をやった。クレアは座り込んでぐったりしている。

「あなたは、普段からダンジョンに潜っているのか?」

 食事の準備をしていると、レティシアが尋ねかけてきた。アレスは肩をすくめる。

「俺は冒険者ではないと言っただろう。魔物が出てきたりしなければ、わざわざこんな所に来たりはしない」

「分かった」

「それがどうした?」

「いや、何でもない。私も手伝う」

 アレスは目で回答を促したが、レティシアは答える気はなさそうだった。仕方なく作業を続ける。

 パンの間に干し肉と野菜を挟んだ簡単なサンドイッチを、アレスは二人に配る。受け取ったクレアが、何かを思い出したように、ぽん、と手を叩いた。

「あの、アレスさん。先ほどの魔物は、食べられると聞いたのですけれど、本当なのですか?」

「煮れば食えるが、やめとけ。泥を食ってるような味だぞ」

「あら、そうなのですか? それなのに、食べられるんですね」

「あんななりでも、一応生き物なんだろう。イリーズと一緒にここに来たやつは、酒と合うとか言って旨そうに食ってたな」

 酒、という単語が出た瞬間、クレアが目を輝かせる。

「……クレア?」

「わかってます。持って帰ったりなんて、しませんよ?」

 ジト目で視線を向けるレティシアから、クレアはぷいと目を背ける。仲の良いことだ、とアレスは思った。

「入り口に罠を仕掛けて、今夜は全員で寝よう。まだ数日はここから出られない。ゆっくり休んでくれ」


 二日目の探索は、前日よりさらに順調だった。また例の人型の魔物も表れたが、レティシアとクレアが慣れてきたのと、数がそこまで多くなかったおかげで、比較的楽に撃退することができた。

「目がおかしくなりそう」

 レティシアが、眉間を押さえながら愚痴る。戦闘中ずっと目の前を凝視しなければいけないせいで、体力よりも目が疲れる。

「訓練になっていいんじゃないか。イリーズが言うには、見えない魔物の対処法はだいたい同じらしいからな」

 アレスが笑いながら言った。

「あの魔物、どうして引っ張ってくるんでしょう」

 長い髪を弄りながら、恨みがましい口調でクレアが言った。魔物に髪を引っ張られたらしく、涙目になっている。

 そんな格好でダンジョンに来るからだ、とアレスは思ったが、口には出さなかった。あれで冒険者を続けているのだから、よっぽど拘りがあるのだろう。

「どこかに連れて行こうとしているようだな」

「連れて行かれたら、どうなるんだ?」

「さあ、知らないな。試してみるわけにもいかないからな」

 アレスはレティシアに首を振る。前回の探索では、アレスは何度か連れて行かれそうになった。仲間に助けられて脱出できたが、そうでなければどうなっていたのか、考えたくも無い。

「怪我は無いか? 問題なければ、先に……」

 アレスが言いかけたその時、一瞬にして辺りが闇に包まれた。光を放っていたダンジョンの壁も、すぐ近くにいるはずの二人の姿も、何も見えなくなる。

「えっ!?」

 レティシアの声が響く。魔法で何かされたか? と思ってアレスは目をこすってみたが、変化はない。

「おい、お前らも何も見えていないのか?」

「…何も見えない」

「私もです。明かりが、消えたのでしょうか?」

 自分だけ視界が塞がれたわけではないようだ。だが、暗くなっただけだという証明にはならない。

「私が明かりをつけてみます」

「大丈夫か? 荷物をぶちまけないようにな」

「はい。問題ありません」

 自身ありげに言うと、小さな光がクレアの手元に灯った。

「魔道具か」

「ええ、そうで……」

 クレアの言葉が途中で途切れ、その体が誰かに引っ張られたかのように動いた。彼女の手元の光も、一緒に移動していく。

「んー!」

 口を塞がれ、クレアがくぐもった悲鳴をあげた。咄嗟にナイフを投げようとしたアレスだったが、腕を振り上げたところで躊躇する。クレアに当たりかねない。

「クレア!」

 慌てたレティシアが駆け寄ろうとすると、足をひっかけられたのか、その場に盛大に転んだ。

 アレスはレティシアを助け起こそうと動いたが、その前に両手を同時に掴まれる。

「ちっ」

 勘で右手側に蹴りを入れる。鈍い衝撃と共に、右手の拘束が緩んだ。その隙に右手を振りほどき、ナイフを左手側に突く。ガラスを突き抜いたような感触があり、左の拘束も緩んだ。

(どういうことだ?)

 レティシアに手を貸しながら、アレスは自問した。明かりが消えてから、魔物たちが急に連携して動いているように感じる。本来あいつらにまともな知能は無く、連携なんて不可能なはずだった。例外は、一つしかない。

「追うぞ!」

(今は考えてる場合じゃない)

 クレアは曲がり道の向こうに引っ張られていき、アレスたちの周囲はまた闇に閉ざされつつあった。あまりに離れると、追うことすら不可能になる。

「んんー!」

 角を曲がると、クレアが次の曲がり角の向こうへ連れていかれるところだった。追いかけるため、通路の奥へと走った二人だったが、

(なに!?)

 角を曲がる寸前に、アレスは足元に違和感を覚えた。踏み込んだ地面が斜めに傾き、大きな落とし穴が口を開けている。

 なすすべもなく落下していく。迫る地面を見ながら、衝撃に備えた。

「っつ……」

 なんとか受身を取って、地面を転がった。痛みに顔を歪めながら、起き上がる。

「大丈夫か?」

 隣に落ちたレティシアに視線を向けると、小さく頷いて返された。特に問題は無さそうだ。体重が軽い分、落下の衝撃もましだったのかもしれない。

 いつの間にか、周りには明かりが戻っている。人型の魔物が一緒に落ちてきていないかと周囲を見渡したが、少なくとも何も見当たらない。

(ここはどのあたりだ?)

 周囲は大きな部屋になっていた。このダンジョンは上層と下層に分かれているから、今は下層にいるのだろう。だが一つの層が広すぎて、位置の対応関係までは分からない。

「クレア!」

 はっとした表情で、レティシアが辺りに呼びかける。何の反応も無い。

(あいつは助けられないかもしれないな)

 焦るレティシアとは対照的に、冷めた頭でアレスは思う。落とし穴には落ちなかったようだから、まだ上層にいるのだろう。天井を見上げてみるが、既に穴は閉じてしまっている。今から上層に戻るのは不可能に近い。

「そんな……」

 泣きそうな顔でレティシアが呟く。彼女もアレスと同じ結論に達したようだった。

 とにかく現状把握をしよう、そう言おうとしたその時、辺りに甲高い声が響いた。

「久しぶりだのう。人間」

 アレスが声の主に目をやると、何も無かったはずの空間に、赤い人型が出現していた。ただし、今まで戦ってきた薄っぺらい人型ではなく、人の形を三次元的に再現している。背の高さはアレスと同じ程度で、顔や体形は人間の女性そのものだった。口元にはにやにやとした笑いが浮かんでいる。

「やっぱりお前か」

 痛みに耐えて立ち上がると、アレスはナイフを構えた。

「こいつは……」

「魔物の親玉だ」

 同じく立ち上がったレティシアの疑問に、鋭く答える。魔物が連携を取りだした時点で、もしやと思っていた。やつらが組織的に行動できるのは、親玉が直に指揮している場合だけだ。

 しかし、なぜ生きているのか。最終的にこいつを倒したのはイリーズのはずで、アレスはその場面を見ていない。だが、あの女がとどめを刺し損ねるなんてことが、ありうるだろうか。

「ほう、戦うつもりか。勇ましいことよ」

 親玉はそう言うと、その姿が滲んで見えなくなる。

「だが、勝てるかのう」

 その言葉と同時に、周囲の空間が一斉にゆらゆらと揺れ始める。囲まれていたか、とアレスは唇を噛む。

「あの時の借りは、返させてもらう」

 怒気を孕んだ声で、親玉が宣言する。空間の揺らぎが、アレスとレティシアを囲いながら、徐々に距離を詰めてくる。

「親玉の攻撃だけは絶対に喰らうな」

「…わかった」

 青ざめた表情で、レティシアが頷く。親玉の腕力は、他の人型の比ではない。人間の体など、簡単に引きちぎられる。

(逃げるしかない)

 タイミングを合わせて仕掛けられたら、親玉の攻撃を完璧に防ぐのはほぼ不可能だ。一度倒したとは言え、あの時は対策もしっかりしていたし、アレスより遥かに実力のある冒険者がついていた。

 周囲の揺らめきが、ぴたりと止まる。仕掛けてくるか、とアレスが身構えた瞬間、

「ほれ。お主らが取りに来たのはこれだろう」

 親玉の声とともに、二人の目の前に、拳大の赤い球体が出現した。地面に落ちると、ころころと転がってくる。

「は?」

 理解が追いつかずに、アレスは間の抜けた声を出した。隣のレティシアも呆気に取られている。

「どういうつもりだ」

「あの女には、命を救われた借りがあるからのう。約束どおり、それは持って行くがいい」

 親玉の姿が、再び現れた。借りを返すと言ったはずだがのう、とにやにやしながら言う。

「しかしお主ら、あの女から何も聞いていないのか? せっかく教えておいた近道も無視しおって」

 あの女とは、イリーズのことだろう。アレスがレティシアに目をやると、慌てたように首を振っていた。まさか、黙っていたわけではないと思うが……。

「クレアは、もう一人の冒険者はどうした!?」

「今頃はガラクタ置き場に連れて行かれておるわ。あいつらは何でも集めてくるからのう。食ったりはせんから安心しろ」

 親玉が合図すると、二体の赤い人型が姿を現した。

「こいつらに着いて行け。もう一人を回収してから、近道を通って帰るがいい」

 さっさと帰れ帰れ、と親玉が追い払うように手を振る。

 魔物に案内されて、アレスとレティシアの二人と、途中で回収したクレアはダンジョンの外に出た。場所は本来のダンジョンの入り口よりも、街に近い位置だった。ここを知っていれば、すぐに依頼を達成できただろう。

(なぜイリーズは黙っていたんだ?)

 言い忘れていたのでは無いだろう。何か理由があるんだろうが、見当もつかない。

「連れて行かれたときは、もう駄目かと思いました」

 日の光を目にして、クレアは深くため息をついた。その横で、レティシアもこくこくと頷いている。レティシアの顔には、涙の跡が残っていた。クレアに再会したときのものだ。

 街に戻ったときには、もう日が沈みかけていた。アレスは、レティシアに赤い球体を渡す。

「これが本当に目的の物なのか、調べておいてくれ。明日の朝に結果を聞きに行く」

「わかった」

 頷いて、レティシアは球体を受け取った。じゃあな、と別れを告げ、アレスはその場を後にした。

 

 次の日の昼前、アレスは宿屋に顔を出した。一階の食堂を見回すが、目的の人物の姿は見当たらない。

 来るのが遅くなったな、とアレスは渋い顔になる。用事を片付けていたら、こんな時間になってしまった。

「おかえりー、アレス」

 厨房から手を振ってくるパメラに、アレスは片手を上げて応える。十日近くは帰れないつもりだったが、ずいぶんと短縮されたものだ。

「レティシアとクレアはまだいるか?」

 カウンター席に腰かけつつ、パメラに尋ねた。相手は首を傾げる。

「さあ? 今日は見てないから、寝てるんじゃない?」

「…もう昼だぞ」

「あたしに言われても知らないわよ。部屋なら二階の一番奥だけど?」

 客の泊まっている部屋をぺらぺら喋ってもいいのかと思いつつ、アレスはパメラに礼を言った。まあどうせ、泊まっているのはあの二人だけか、せいぜいもう一組ぐらいだ。手当たり次第訪ねていっても、大差ないかもしれない。

 二階に上がって奥の部屋へ向かうと、部屋の中でクレアが何か喋っているようだった。もう一人の声は聞こえないが、誰かと口論しているようにも聞こえる。

 どうすべきかと一瞬迷ったが、結局部屋をノックすることにした。口論だかなんだかが終わるまで、ここで待っているわけにもいかない。

「はい」

「アレスだ。今忙しいか?」

「あ……」

 名前を告げると、クレアが扉を少しだけ開けて、隙間から顔を出した。

「ごめんなさい、アレスさん。今ちょっと……」

 そこまで言って、クレアが沈黙した。何かを迷うように、視線を宙に送る。

「忙しいなら出直す。用が済んだら、そちらから連絡をくれればいい」

「…いいえ、大丈夫です。どうぞ、お入りください」

 満面の笑みを浮かべ、扉を開いてアレスを迎え入れる。その態度に若干の不自然さを感じながらも、アレスは部屋の中に入った。

 部屋は、ベッドが二つと机があるだけの簡素なものだった。机の上は、魔道具なのかガラクタなのか、よく分からないもので埋まっている。そして片方のベッドの上には、枕を抱くようにして眠る、幸せそうな顔のレティシアが居た。

「レティ、そろそろ、起きてください」

「んー」

「ほら、もうお昼ですよ」

「……もうちょっとだけ寝かせて……」

 クレアが体を揺すっても、頬をぺちぺちと叩いても、レティシアは一向に起きる気配がない。

「今日は、アレスさんに、報告をするんでしょう?」

「むー……クレアだけで行ってきてよ……」

「そう言われても、もういらっしゃっていますよ?」

「う?」

 レティシアの目が薄く開いた。しばらく視線をさ迷わせた後、アレスの方を向いてぴたりと止まる。

「…よう」

 どう反応していいか分からずに、アレスは片手を挙げた。レティシアの方は、とろんとした目でアレスを見ている。

「…………」

 レティシアの意識が、徐々にはっきりとしてくる。唐突に、掛け布団を思い切り引っ張って、がばっと頭から被った。

「ちょ、ちょっと、なんで部屋まで……!」

「あら、レティが全然起きないから、私がお招きしたんです。このままここで報告しても、構わないですけれど?」

「わかった、起きる、起きるから!」

「もう、絶対ですよ? …すみません、アレスさん。すぐに着替えさせますので、食堂で、お待ちいただけますか?」

「ああ」

 二人のやりとりに苦笑しながら、アレスは部屋を出て食堂へ向かった。

 

 食堂のテーブルで、三人は黙々と食事をとっていた。誰も何も話さない。その様子を見たパメラが、首を傾げて去っていった。

「…あの球体は」

 沈黙を破ったのは、レティシアだった。顔が少し赤い。

「確認したところ、間違いなく目的の物だった」

「そうか」

 アレスは短く答えると、相手が差し出してきた皮袋を受け取った。受け取って中を覗くと、約束どおりの報酬が入っていた。

「あれは、いったいなんなのでしょうか?」

 クレアが首を傾げながら聞いてくる。アレスは眉を寄せた。

「イリーズから聞いてないのか?」

「ええ。確認するための魔道具を、お借りしているだけです」

「ふむ」

 伝えるべきか黙っておくべきか、少し迷う。

「あれは魔物の卵だ」

「た……」

 ちょうどゆで卵を食べようとしていたレティシアの手が止まる。

「孵化することは無いから安心しろ、暖めるだけでは駄目だと聞いた。一応生ものだから、なるべく早く持っていけよ」

「そんな大事なもの、よく、譲っていただけましたね」

「あいつらに卵や子供が大事だという認識は無い。大量に生まれて大量に死ぬから、人間と感覚が違うんだろう」

「なるほど」

 そうでなければ、道中で魔物を散々倒した自分たちを、親玉は許さなかったに違いない。襲ってくるふりはしてきたが、あれは明らかにからかわれていただけだ。

「実は、あなたにもう一つ、依頼……というか、お願いがある」

「なに?」

 レティシアの言葉を聞いて、アレスは眉を寄せた。

「そういうことは先に言ってくれ。こっちにも予定がある」

「いや、必ず一つ目の依頼が成功した後で伝えてくれと言われたんだ」

「…内容はなんだ?」

 訝しげな表情で、アレスは尋ねる。レティシアはわずかに逡巡したあと、はっきりとした口調で言った。

「冒険者として登録して、活動して欲しい。それから、自分の依頼をいくつか受けて欲しい。…それがイリーズから聞いた内容だ」

「なんだと?」

 全く予想外の内容に、アレスの声量が上がった。

「他人の人生まで決めようってのか、あの女は。勝手すぎる」

 吐き捨てるように言う。依頼を受けろならまだしも、冒険者になれとまで言われるとは思わなかった。

(こっちが主目的か。だからダンジョンの近道も教えなかったのか?)

 冒険者になる気を起こさせるためか、もしくは今の実力を試すためなのか。

「申し訳ない、無茶なお願いをして」

 目を伏せるレティシアを見て、アレスは長い息を吐いた。

「いや、あんたにあたっても仕方ないな、すまん。…いくらあの女に借りがあると言っても、それは受けられない。この街には、もっと大きな借りがあるからな。ここを離れるつもりは一切無い」

「分かった、そう伝える」

 借りと言うか、育てられた恩か。ここがいい街だとは決して思わないが、それでも自分が生まれ育った場所だ。

「あの女には、二度と俺に関わるなと伝えてくれ。もう借りは返したともな」

「…分かった」

 まだ食事を終えていない二人を残して、アレスは立ち上がった。カウンターに向かって歩き出す。

「パメラ、三人分ツケにしといてくれ」

「はあい……喧嘩?」

「違う」

 小声で聞いてくるパメラに短く返す。一度も振り返らずに、そのまま店を出ていった。


(あんなやつに借りを作るんじゃなかった)

 多少無理をしてでも、金を集めて正式に冒険者ギルドに依頼すべきだったかもしれない。タダより高いものはというやつか。

(丸二日付き合っただけで済むならいいんだがな)

 前回ダンジョンに行った時は、二日なんかでは済まなかった。イリーズへの報酬代わりにするには、まだまだ足りないだろう。これで諦めてくれるのだろうか。

「お、アレスじゃないか。出かけていたと聞いたが、もう用事は済んだのかい?」

「ああ」

 街を歩いていると、自分よりかなり年上の男が声をかけてきた。この辺りのまとめ役をやっている人物だ。

「ならちょいと、相談してもいいかな? 本当はジェイクに頼みたいんだが、あいつもしばらく帰ってこないと聞いて困ってたんだ」

「分かった。いつもの場所へ行くか?」

「うん、歩きながら話そう。君も知ってると思うが、最近、暴力沙汰が不自然に多発しててね」

 アレスはそれに関する知識を、記憶の中から探し出した。何度か調査したが、事例同士の関連性が分からずに諦めたやつだ。

 あれ絡みで、何か大きな問題があったのだろうか。ジェイクが居ないのは痛いが、帰ってくるまでは自分が対処するしかない。

(やはり街を離れてる場合じゃないな)

 ダンジョン探索に数日付き合っただけでも譲歩した方だ。いつか金が溜まったら、イリーズにあの時の報酬を叩きつけてやる、とアレスは心に決めた。

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