4.潜入

 雑貨屋の店内で、ディーは薬草を物色していた。確かこの店に売っていたと思うのだが、目的のものが見つからない。

 舌打ちをして、頭をがりがりと掻く。銀色の髪が、爪の間に引っかかった。

「あの、すみません。その薬草を取ってもらえないでしょうか?」

 声をかけられて、ディーが振り向く。

 そこに居たのは、自分よりも頭一つ分以上も背が低い女性だった。格好からすると、自分と同じ冒険者だろう。年はおそらくディーの少し下で、少女と言ってもいいかもしれない。彼女は、亜麻色の髪を肩の辺りまで伸ばしていた。

 目が合うと、少女はぽかんとした表情になった。

「これ?」

 彼女が指差していた薬草を取ると、ディーは相手に手渡した。一番上の棚にあったから、手が届かなかったようだ。

「ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀をすると、少女は薬草を受け取った。だがそのあとも、ディーの顔をじっと見ている。

「まだ何か?」

 不審げな表情のディーに、慌てたように首を振った。

「い、いえ。すみません。てっきり男の人だと思っていたので……」

「…あっそ」

 彼女の答えを聞いて、ディーは興味を無くしたような顔で、商品棚に視線を戻した。背が高い上に短髪なので、後姿を見て男に間違われることがしばしばあった。

「お二人に、依頼したいことがあります」

 背後から、別の女性の落ち着いた声が聞こえて、ディーは若干うんざりした表情で振り返った。今日はやたらと声をかけられる日だ。

 声をかけてきた女性は、フードを目深に被っていて、顔がほとんど見えなかった。声を聞く限りは、ディーと同年代だろうか。

「依頼なら、冒険者ギルドに出せばいいでしょう」

 外見だけから、冒険者のスキルを判断するのは困難だ。かと言って、いちいち冒険者を面接していたら面倒で仕方がない。ギルドを通せば、その手間をある程度は省くことができる。

「あなたがたにお願いしたいのです」

 だがその女性は、あくまで個人的にやりとりしたいようだった。腕のいい冒険者が直接指名されるケースはあるが、ディーはそこまで名の知れた冒険者ではない。傍らの少女だって、同じだろう。

 とすると考えられるのは、急ぎでかつ誰でもできるような依頼か、そうでなければ、ギルドを通せないようなヤバい依頼か。

「まずは依頼の内容を詳しく教えてちょうだい。聞いたら絶対に受けてもらう、なんてベタなこと言わないわよね?」

「はい」

 ここでは話しづらいので、というその女性に連れられて、ディーとミルテは店を出た。


 宿屋の一室で、ディーとミルテはベッドに腰をかけた。二人を連れて来た、イリーズと名乗る女性は、一つしかない椅子に座って説明を始めた。

「依頼内容は、ある施設への潜入と、魔道具の設置、および起動です。期間は最長三日。報酬は一人金貨十二枚」

 それを聞いて、ミルテがごくりと喉を鳴らす。三日間なら金貨三枚以下が普通だろう。十二枚なら、相場の四倍以上だ。

「報酬が多いのはありがたいわね。でもあたし、潜入なんてやったことないわよ」

 この少女だって同じだろう、そう思いながら、ディーはミルテに視線を向ける。

「わ、わたしも、経験無いです」

 ミルテは首を振り、慌てたように言った。

「もうすぐ、施設に関する依頼がギルドに出ます。ですから潜入とは言っても、その依頼を受ければ必要な場所には入れるはずです」

(お膳立ては揃っているわけか)

 施設とやらの中にも、協力者が居るのだろうか。

「あの、それって、許可無くやるってことですよね? ばれたら、捕まりますよね……」

「捕まるだけで済めばいいけどね」

 ミルテの言葉に、ディーは付け加える。衛兵に突き出されるなら、まだましな方だろう。

 黙り込んでしまったミルテは放っておいて、ディーはイリーズに尋ねかけた。

「まず、魔道具を起動すると何が起こるの? 目的は?」

「幻覚魔法の解除です。その施設には、人に化けた魔物が居ます。魔物の正体を暴くのが目的です」

「魔物の退治も依頼に入るわけ?」

「可能であれば。ただし、魔道具を起動すれば、魔物はほとんど何もできません。施設の人間でも、倒すのは容易なはずです」

「ふうん。どうしてギルドに依頼を出さなかったの?」

「魔物を倒すためとは言え、施設への潜入などという依頼を大っぴらには出せませんので」

 いくつかの質問に、イリーズはすらすらと答えた。ディーは思案に沈む。

(一応筋は通ってるわね)

 しかし、それだけで全てが真実だと断定するわけにもいかない。特に、ギルドを通さなかった理由が、本当に相手の言うとおりかどうかだ。

 これはほぼ公然の秘密だが、冒険者ギルドには非合法な依頼を扱う専用の窓口がある。内容は厳しく精査され、街の治安を大きく乱すようなものは受け入れられない。だが本当に魔物退治が目的であれば、おそらく受理されるだろう。

(人に化けた魔物か)

 そのようなことが可能な存在は珍しくはあるものの、皆無ではない。だがこの言葉は、人間を殺す口実に使われることも多々ある。

 まだ判断はつきかねたが、ディーは次の質問に移ることにした。

「魔道具って、どのぐらいの大きさなの? あと、設置と起動というのがよく分からないんだけど」

「手のひらに収まる程度のものが、三つあります。それぞれ正しい場所に置けば、自動的に起動します。置く場所については候補をあらかじめお教えしますが、詳細は現地で調べてもらうことになります」

 その後も、ディーは質問を重ねていった。ミルテは、何も言わずに二人の話を聞いている。

「だいたい分かったわ。…報酬の半分を前金で貰えるなら、受けましょう。どう?」

「その条件で構いません」

 前金に金貨六枚も渡してしまうと、そのまま逃げられる可能性も十分ある。だがイリーズは、あっさりと承諾した。

「ミルテさんはいかがですか」

「わたしも、受けます」

 イリーズの質問に、ミルテは顔を上げて、きっぱりとそう答えた。断るか、少なくとも迷うだろうと思っていたディーは、少し驚く。

「ありがとうございます。では、施設の詳細をお教えします」

 

 その翌日、二人は目的の施設へと向かっていた。

「ちょっと聞きたいんだけど」

「はい」

 ディーの問いかけに、ミルテは顔を上げずに返した。少し疲れているようだ。

 それもそのはずで、ここまで来るのに延々と山道を登ってきたのだ。街から少し離れている、とイリーズからは聞いていたが、少しどころではない。朝一番に出発したのに、もう昼前になっている。

「あなた、イリーズの言うことをどの程度信じてるの?」

「…わかりません」

「わかりませんって……」

 ミルテの返答に、ディーは呆れた。

「ギルドを通せないような怪しい依頼よ、どこに嘘があるか分からない。もし魔道具が施設ごと爆破するような効果のものだったら、報酬は払わなくて済む上に、口封じもできて一石二鳥ね」

 もちろんディーは、そんなことはあり得ないと判断している。手のひらサイズの魔道具三個で、そこまでの威力を出すのはまず無理だろう。だがその可能性を検討すらしないのは問題だ。

「それは言いすぎだとしてもね。魔物じゃなくて、人間を殺すための魔道具かもしれないのよ。分かってるの?」

「…でもわたし、お金がなくて」

 蚊の鳴くような声で、ミルテが言う。ディーは肩をすくめると、それ以上は何も言わなかった。

 しばらく歩くと、道の向こうに大きな施設が見えてきた。その施設は、どこにでもありそうな質素な修道院だった。ただし、崖の上に建てられていて、唯一近づけるのが正面入り口だけというのは、少し珍しいかもしれない。攻めづらそうな場所ね、とディーはなんとなく思った。

「何者ですか、あなた方は。何をしに来ました?」

 その声に、修道院に近づこうとしていた二人は足を止める。声は建物の扉の奥から聞こえたようだった。言葉こそ丁寧だったが、その口調には敵意がにじみ出ている。

 扉から、修道士らしき格好の一人の女性が出てきた。歳はディーと同じか、少し下に見える。手にメイスを構え、険悪な表情でディーたちの方を睨みつけていた。

「冒険者よ。依頼を受けて来たんだけど」

 敵意が無いことを示そうと、両手を挙げながらディーは答える。だが、それを聞いても、修道士は警戒を解かない。

「依頼?」

「ええ。依頼主はエマって人よ。ここの人じゃないの?」

 エマ、という名前を聞いて、修道士は露骨に嫌そうな表情になる。

「どうしましたか?」

 と、新たにもう一人の修道士が、扉の奥から顔を出した。こちらはディーたちより、かなり年上だ。

「不審な者が、修道院に近づこうとしていたのです。エマさんから、依頼を受けたと主張していますが」

「分かりました。彼女に尋ねてまいりましょう」

 そう言うと、年配の修道士は奥へ引っ込んでいった。若い方の修道士は、武器を構えた格好のままだ。すんなりとはいかないわね、とディーは心のなかで呟いた。


 かなりの時間待たされた後に、年配の修道士が戻ってきた。彼女は、ディーたち二人を修道院の中へ招きいれた。

 どうやら、エマという修道士が冒険者ギルドに依頼を出していたのを、他の人たちは知らなかったらしい。無礼な対応をして申し訳ありません、と、マリーと名乗った年配の修道士は、深々と頭を下げて謝罪した。

「い、いえ、大丈夫です、はい……」

 謝られて、ミルテは居心地が悪そうにしていた。

 一方で、最初に会った女性、ジュリアは、まだ警戒を解いていないようだった。さすがに武器は持ってきていないが、ディーとミルテの方へと度々視線を向けてくる。

 廊下を奥へ進むと、多数の椅子が置かれた大きめの広間に出た。

「こんにちは、冒険者の方。来ていただいて、嬉しいわ」

 その広間では、ジュリアと同い年ぐらいの修道士が、ディーたちを待っていた。彼女はにこにこしながら、冒険者二人に手を振ってくる。

 ディーが反応に困っていると、ジュリアがその女性に詰め寄った。

「エマさん。なぜ冒険者などに依頼したのですか」

「あら、屋根の修理をしないと、いけないでしょう?」

「あれは大工ギルドに依頼するはずだったのでは?」

「だって、女性の方が、いらっしゃらないって言うんだもの」

 険しい表情のジュリアに、エマは独特の間を持った口調で返す。

 この修道院は男子禁制らしく、冒険者ギルドへの依頼書にも、女性の冒険者に限る、と書かれていた。

「だからと言って……」

 ジュリアは、冒険者二人を横目で睨んだ。無反応のディーと、俯いて視線を外すミルテ。

 冒険者なんて社会から落ちこぼれたチンピラの集まりだ、そう思っている人はそれなりに居るし、それはある程度正しい。ディーからすれば、こんな対応をされるのは慣れっこだ。

「せっかく来ていただいたのに、そんな事を言ってはいけませんよ、ジュリアさん。ごめんなさいね、ディーさん、ミルテさん」

「べつに気にしてないわ。それで、どこを直せばいいの?」

 不毛な言い合いの場からさっさと離れようと思って、ディーはそう尋ねた。ではこちらへ、と言うマリーに先導されて、冒険者二人は建物のさらに奥へと向かう。

「しかし依頼をしたことぐらい、伝えておいてもらわないと困ります」

「あら、言っていませんでした?」

 後ろの方からは、言い争い、というかジュリアの一方的な詰問が、まだ聞こえてきていた。


 屋根が壊れたのは、先日の嵐が原因らしい。大部分は修道士たちが直したそうだが、一部はまだ手付かずだということだった。

「…なるほどね」

 窓から顔を出して修理箇所を確認したディーは、手付かずの理由がよく分かった。窓の外に見えるのは修道院の最外周の屋根で、そのすぐ外側は断崖絶壁だ。屋根はかなり急になっていて、落ちればただでは済まない。

「あの、ほんとにここ行くんですか?」

 同じく窓の外を見ていたミルテは、若干青ざめながらディーに尋ねた。

「当然でしょう。…それに、あたしたちの目的地もこの辺りよ」

 周りに誰も居ないことを確認してから、ディーは小さな声で付け加える。

(たまたま、では無いわね)

 イリーズから渡された資料には、魔道具の設置場所の候補がいくつか書かれていた。その中でも第一候補になっていたのが、この屋根の上だ。

(まさか彼女が嵐を起こしたわけじゃないでしょうし、修理の情報を手に入れて候補を選定したんでしょうね)

 施設内に協力者が居るのかどうか、イリーズは教えてくれなかった。もし居るとするなら、依頼を出したエマだろうか。

「さっさと終わらせましょう。ロープをちょうだい」

「は、はい」

 二人は命綱を慎重に設置すると、仕事に取り掛かった。


 本来の仕事、魔道具の設置は、あっさりと終わった。魔力の流れに従った正しい場所に設置しなければいけないと、イリーズからは言われている。その場所を見つけるために、魔力を調べるための別の魔道具を借りてきていた。

(準備のいいことね)

 魔道具を内ポケットにしまいながら、ディーは思う。入念に準備され、莫大な費用がかけられた計画。

(本当に、魔物を倒すことが目的なのかしらね)

 疑問はあったが、これ以上考えても分からないだろう。ロープに体重を預けながら、屋根の修理に戻る。

「あ! ねーちゃんたち、大工か?」

 二人の近くにある窓から、男の子が一人、ひょっこりと顔を出した。 

「いえ……冒険者よ」

 突然の質問に、ディーは思わず答えてしまう。構うんじゃなかった、と思ったが、もう手遅れだ。

「おい、冒険者だって!」

「え、ほんと?」

「どこどこ?」

 冒険者の姿を見ようと、何人もの子供が窓から身を乗り出す。

「あ、危ないよ!」

 その様子を見て、ミルテは慌てふためいた。大きく手を振って、建物の中に戻るよう促す。ディーから見ると、そんな事をしているミルテの方が危なっかしいのだが。

「冒険者なのに、なんでこんなとこにいるんだ?」

「もんすたーと戦わないの?」

「ねえねえ、魔法使える?」

「え? ええっと……」

 ディーが早々に顔を背けて対応を放棄してしまったため、残されたミルテは、子供たちからの視線を一身に受ける。

「あ、あのね」

 しどろもどろになりながらも、ミルテが返答しようと思ったその時、

「だめですよー、みんな。お仕事の邪魔しちゃ」

 建物の中から間延びした声が聞こえてきた。すると子供たちは、はーい、と元気のいい返事をして、中に戻っていく。

 少し間が空いてから、再び窓から顔を出したのは、エマだった。

「どうですか? 直りそうですか?」

 長い髪を風になびかせながら、屈託の無い笑顔を二人に向けてくる。

「ええ。順調よ」

「まあ、それは、よかったですわ。何か必要なものがあれば、遠慮なく、言ってくださいね」

 そう言って去っていこうとするエマを、ミルテが引き止めた。

「待ってください、エマさん! あの、さっきの子供たちは……?」

「はい?」

 ミルテの質問に、エマは小首をかしげる。しばらくして、ミルテの聞きたいことがわかったのか、ぽん、と手を叩いた。

「さっきの子供たちは、修道院で暮らしている、孤児たちですわ。この修道院は、孤児院も兼ねていますの」

「そうなんですか」

 その答えを聞くと、ミルテは項垂れた。自分たちが設置している魔道具は、あの子たちに被害を与えるようなものかもしれない。

 ミルテの態度を見て、ディーは舌打ちしたい気分になる。話の流れを変えようと、とっさに言葉を紡いだ。

「ここって男子禁制じゃなかったの? 男の子が居たようだけれど」

「あら、子供ですもの。問題ありませんわ」

「ふうん……そうそう、次の修理箇所、先に教えておいてくれない? 予定より早く終わりそうなのよ、ここ」

「わかりました。では、マリーさんに、お尋ねしておきますね」

 二人の様子を不信がることもなく、エマは小さく頷くと、その場を去っていく。

 短い沈黙の後、ディーは忌々しげな口調で告げた。

「修道士はどうなってもいいけど、子供はかわいそうってわけ? 自分勝手すぎない?」

「…はい。ごめんなさい」

 さっきのやり取りは危うかった。相手がエマだったから良かったようなものの、あのジュリアという修道士だったら、何か感づかれていたかもしれない。

 ミルテは唇を結んで、作業に戻る。

(最後までバレずに済むのかしらね)

 ディーは若干不安になりながらも、同じく作業を開始した。

 

 結局その日は、予定よりかなり早く修理を進めることができた。魔道具も合計二箇所の設置を終え、残り一箇所だ。

 だが次の日の昼を過ぎたころに、問題が発生した。

「どう?」

「…だめです。ここでは無理みたいです」

 崖に面した廊下の曲がり角で、魔道具の設置場所を調べていたミルテが、首を振る。

(ここもだめか)

 イリーズから受け取った設置場所リストのうち、行きやすい場所から順に調べてきた。しかし、今日調べた場所は全てハズレだった。

(昨日上手くいったからって、油断してたわね)

 もう屋根の修理は全て終わってしまった。リストに残っているのは、二人にとって行く必要が全くない場所ばかりだ。なんとか理由を付けるか、さもなければこっそり侵入するしかない。

「あの、どうしましょう?」

「そうね」

 不安げなミルテに、何か言葉を返そうとしたディーだったが、

「うー」

 どこかから、うめき声と足音が聞こえてきて、口を閉ざす。

 しばらく待っていると、曲がり角から人影が現れた。それは、昨日最初に窓から顔を出してきた、男の子だった。

「あ、大工……じゃないや。冒険者のねーちゃん」

 その男の子は、辛そうな表情をしていた。昨日と違って、声にも元気がない。

「どうかしたの? 大丈夫?」

 かけよるミルテに、男の子は頭を押さえながら答える。

「なんかね、頭が痛くて」

 その返答に、ミルテははっとしたような表情になる。

「それって、いつから?」

「うーん、昨日の夕方ぐらいかなあ……いたた」

 昨日の夕方と言えば、ちょうど二つ目の魔石を設置したころだ。魔道具が何らかの影響を与えているのは、間違いない。

「頭が痛いのは、あなただけ? 他のみんなもかしら?」 

 珍しく、口元に優しい笑みを浮かべながら、ディーが二人に近づく。

「ううん、みんなもだよ。ねえ、病気なのかな?」

「そう。でも大丈夫よ。こっちのお姉ちゃんが、魔法で治してくれるから」

「ほんと!?」

 ディーの言葉に、男の子はぱっと顔を明るくした。ミルテがぎょっとした表情でこちらを見てくるが、無視する。本当は、彼女は魔法など使えない。

「ええ。みんなのところに案内してくれない?」

「わかった!」

 そう言うと、ぱたぱたと、廊下をかけていく。

「こっち、こっち! 早く来てよ!」

 廊下の先の方で、二人に向かって手を振ってくる。

 ミルテにだけ聞こえるように、小さな声でディーは言った。

「行くわよ。子供たちの宿舎の近くに、設置場所があったはず」


「あら?」

 宿舎へ向かう途中で、ディーたちはエマと鉢合わせた。

「どうか、されました? この先の修理は、終わっているはずですけれど」

 不思議そうに首を傾げるエマに、ディーが説明する。

「子供たちから、頭痛がするって聞いたのよ。魔法で治せないかと思ってね」

「あらあら」

 エマは身をかがめて、男の子の額に手のひらを当てた。

「いけないかしら?」

「ええと……」

 そのままの姿勢で少し考え込んだ後、エマは困ったように言った。

「私たちの教えでは、魔法は使ってはいけないことに、なっていますの」

 それなら別の手を探そうか、とディーが諦めかけたとき、

「だめなの? でもみんな、頭痛そうだし。それに、魔法見てみたい!」

 男の子が、エマに訴える。どちらかと言うと、後者の理由の方が大きいのかもしれない。

 それでも彼女はしばらく考えていたが、やがて、口元に人差し指を当てながら言った。

「わかりました。でも、マリーさんには、内緒ですよ?」

「ありがとう。じゃ、行きましょ」

 そう言うと、ディーはさっさとその場を去った。ミルテは、先ほどからずっと俯いたままだった。

 

 宿舎に着くと、適当にごまかしておいて、と告げ、子供たちのことはミルテに任せた。彼らは魔法を見た事がないそうだし、ミルテでも対応できるだろう。エマの話を聞く限り、修道士たちも魔法には詳しくないはずだ。

 ディーは裏口から外へと出て、目的の場所へと向かった。設置場所は、少し離れた場所のようだった。

 ポケットから魔力調査用の道具を取り出したその時、背後から、怒気をはらんだ声がかけられた。

「何をしているのですか」

 素早く道具をポケットに仕舞うと、ディーは振り返った。そこには、メイスを構えた、険しい表情のジュリアが居た。

「子供たちの病気を見にきたのよ。エマには、一応許可をもらったけど?」

 だが、ジュリアは全く信用していない様子で、質問を続けた。

「ではなぜこんな場所にいるのですか?」

「暇なのよ。病気のことが分かるのは、ミルテだから……」

「さっきポケットに入れたものはなんですか?」

「……何のこと?」

 一瞬、いや数瞬、答えるまでに間が空いてしまった。しまったと思う暇もなく、ジュリアが突進してくる。

 反射的に、ディーは大きく後ろに跳んだ。つい先ほどまで立っていた地面に、メイスが思い切り叩きつけられる。

「正気なの? こんなことして、冗談じゃ済まないわよ!」

「冗談でやっているつもりはありません」

 そう告げると、先ほどよりも鋭くジュリアが踏み込んでくる。真上から振り下ろされるメイスを、すんでのところで横に跳んでかわす。

「昼間も何か探っていましたね。素直に目的を言ってください」

 見られていたのか、とディーは小さく舌打ちをする。だが、相手の言葉には何も答えなかった。

 応戦しようにも、主要な武器はマリーに預けてしまっている。手元にあるのは、服に仕込んだ投げナイフだけだ。

 ディーの視界の端に、動く物があった。一瞬だけ目をやると、宿舎の裏口から出てきたミルテだった。ディーとジュリアが戦っているのを見て、駆け寄ってくる。

「あっちよ!」

 設置場所がある方向を、ディーは指差した。ミルテはその意味を理解して、方向転換する。

 ジュリアは、ミルテを追いかけるべきかどうか一瞬迷ったようだった。その隙にディーはナイフを放ったが、相手の脚にかすっただけで、虚しく地面に落ちた。

 ディーは相手に向かって走り、体当たりを試みた。しかし、相手が振るったメイスが、右腕に命中する。声にならない悲鳴を上げると、その場に打ち倒された。

 顔を上げたディーの目に映ったのは、ジュリアがメイスを振り上げる姿だった。咄嗟に地面を転がって、メイスの一撃を避ける。

 不意に、前頭部に痛みを感じて、ディーは頭を振った。攻撃が来るかと身構えたが、ジュリアはメイスを取り落として、両手で頭を押さえている。ディーよりも、さらに激しい痛みを感じているようだった。

「…あなた方の仕業ですか」

 痛みが収まった後、ジュリアが搾り出すような声で、ディーに問いかけた。

「さあ、どうでしょうね。…そうそう、子供たちのところへ、早く戻ってあげたほうがいいと思うけど? 手遅れになる前にね」

 口角を上げて、ディーが言う。ただのハッタリだったが、ジュリアは真に受けたようだった。歯軋りしながら、ディーを睨みつける。

 不意に、子供たちの宿舎の方から悲鳴があがった。ジュリアはメイスを拾うと、宿舎へと走り出す。

(逃げるしかないか)

 ディーは舌打ちした。宿舎で何があったかは分からないが、自分たちの仕業ということにされるだろう。ハッタリをかましたのは失敗だったかもしれない。

(お尋ね者にはなりたくないんだけどね)

 ミルテの向かった先に走りながら、逃げた後のことを考える。まずはイリーズに相談するしかないだろう。向こうの方から、ミルテが走ってくるのが見える。

「ディーさん! さっきの悲鳴は……」

「魔物でも見たんじゃないの。仕事は終わった、さっさと逃げるわよ」

 真っ青になったミルテを、ディーは睨みつけて黙らせた。放っておいたら、子供の様子を見に行くだなんて言いかねない。

 俯いて立ち止まってしまったミルテの腕を、ディーは掴もうとした。その時、宿舎の方から、大きな声がかけられた。

「魔物は、退治しましたわ。ご協力、ありがとうございました」

 声の主は、裏口から顔を出しているエマだった。ディーは少し考えから、返事を返す。

「そ。他の人へは説明したの?」

「ええ。ジュリアにも、話しました」

「わかった。それなら問題ないわね」

 ディーは、状況がまだよく飲み込めていないミルテの背中を押して、宿舎に向かわせた。

「彼女はイリーズの協力者よ、行きましょう」


 宿舎に行くと、既に魔物の死体は片付けられていた。泣いている子供たちを、ジュリアが相手している。エマに話を聞いたところによると、魔物が化けていたのはマリーだったらしい。子供たちにとっては、色々な意味でショックだっただろう。

 ディーに気づくと、攻撃したことに対してジュリアが頭を下げて謝罪してきた。ディーは手を振って、気にするなと返す。

「部屋で休ませてもらっていい? 少し疲れちゃってね」

「ええ、分かりました。ご一緒いたしますわ」

 ディーの言葉に、エマは頷く。彼女に連れられて、ディーとミルテの二人は宿舎を出た。

「事情を説明してくれて、助かったわ」

「いえいえ、こちらこそ、感謝しています。ありがとうございました」

 頭を下げるエマに、ミルテは首を振った。

「いえそんな、わたしたちは、イリーズさんの依頼を受けただけですから……でも、助けになれて、よかったです」

 そう言って、照れたように笑う。

(ま、今回はね)

 彼女の言葉に、ディーは心の中で付け加える。

 結果的には人助けになったが、それは運がよかっただけだ。イリーズに騙されて、修道士や子供たちに被害を与えていた可能性もあった。

「少しだけ休憩したら、あたしは街に帰るわね」

「え、今からですか?」

 ミルテが驚いた表情でディーを見る。予定では、明日帰ることになっていた。もう昼を過ぎているし、暗くなる前に街に戻れるか、ぎりぎりのところだろう。

「ええ。やり残した仕事があってね、帰れるなら早く帰りたいの」

「分かりました。わたしは明日にここを出ます」

「了解。イリーズには先に報告しておく」

 ディーが適当に付けた理由を、ミルテは疑わなかったようだった。本当は特に予定もなかったが、ここに居てミルテや子供たちの相手をするのも気が進まない。

(報酬は何に使おうかしらね)

 新しいナイフでも買うか。歩きながら、ディーはぼんやりと考えた。

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