第19話 けんかするほど




「へえ、キミがユウね。なるほどなるほど」


 ふらりと店内に入ってきた女性は、カウンター席に座るなり僕の顔をまじまじと観察して言った。


 綺麗な人だった。波打った藍色の髪が肩の上にふわりと広がっている。厚めの唇には鮮やかな紅がさされていて、その唇に視線が吸い寄せられた。おまけに胸元の大きく開いた服を着ているものだから、首筋から鎖骨のかなり下までが惜しげもなく露出していた。


「えっと、どちらさまで?」


 女性の胸元から顔に視線を上げて、僕は尋ねた。見覚えのない女の人が、なぜ僕の名前を知っているのか。そしてなにが「なるほど」なのか。思うところそこそこに。


 ところで僕の視線はしっかりと気づかれていたらしい。女性はつり上がり気味の瞳を悪戯っぽく輝かせて「むふふ」と微笑み、「やっぱり男の子だものねえ」と頷いた。それで大体は悟ってしまう。この人、たぶん僕の苦手なタイプだ。なんかこう、チェシャ猫っぽい。


「興味があったからね。観察しに来たの」

「観察、ですか」

「そ。私ね、かわいい男の子に目がないの」


 色っぽい流し目を送られて、僕は思わずたじろいでしまう。なんだろうこの「大人の女」オーラ。今までに会ったことのないタイプだ。


 距離を測りかねている僕を尻目に、女性は自然な動きで体を乗り出した。ただでさえ危うい胸元が、角度的にさらに危険になる。完全に僕の視線を意識した行動だった。男の視線を操ることに慣れているのだろう、その動きは計算されたように正確だ。女性の瞳は至極冷静で、うっすらと浮かべた笑みの奥にはこちらを観察する醒めた顔が隠れていた。


 艶やかな女性の胸元は耐え難い魅力である。綺麗なお姉さんはもちろん大好きです。チラリズムを嫌いな男はいません。


 しかし、こういうものは覗き見るという行為そのものに喜びがあるのであって、見せつけられても嬉しくもなんともない。相手が冷静にこちらを伺っているともなればなおさらだった。


 なんか厄介そうな人だなあ。

 思わず嘆息して、僕は磨いていたコップを置いた。コトンと硬質な音が響く。手にある布を四つ折に畳んで、それをコップの上に被せた。


「ご注文は?」


 今度は胸元を一瞥もしなかったことが意外だったらしい。女性はにっと唇をつり上げた。頬に笑窪が浮かんで、雰囲気が少しだけ柔らかくなる。女性は右腕で頬杖をついて僕を見上げた。瞳は澄み切っていた。さっきまであった不必要なまでの妖艶さが、あるいは媚びにも似たものがなくなっていた。


「じゃあコーヒーっていうのをもらえるかしら。一度、飲んでみたかったのよね」


 僕は頷いてコーヒーを用意する。その間、女性は一度も口を開かなかった。興味深げに店内を見回している。何度か視線を感じたけれど、特になにも言ってこないので僕も沈黙を保った。


 コーヒーはすぐに出来た。彼女の前に、湯気を立てるカップと、砂糖とミルクの小瓶を置く。苦味は控えめに淹れたけれど、それでも初めての人はブラックでは飲めないだろう。大抵の人は砂糖かミルクで甘くして飲んでいる。ブラックで飲むのは常連さんの一握りだけだった。


 女性はカップを持ち上げ、匂いを確かめるように鼻を寄せた。「あら、良い香りね」と小さく呟いて、一口。苦いなりまずいなりの感想を期待していたのだけれど。


「あっつぅ!?」


 びくんと細い肩と髪を跳ね上げて、女性は甲高い悲鳴を上げた。慌ててカップを置き、両手を口の前でわたわたとさせて悶えている。


 少しばかり呆然としていた僕は我に帰り、お冷を注いで女性に差し出した。


 紅茶は沸騰したお湯をそのまま使うくらいで調度良いが、コーヒーの場合は沸騰してから一呼吸置いたくらいが適温だ。あんまり高温だと苦味が強くなるし。だから悲鳴を上げるほど熱いわけでもないのだけれど。このお姉さん、どれくらい猫舌なのだろう。


 ひったくる様にして受け取った水を必死に飲む、胸元の大きく開いた服を着た女性。僕が彼女の外見に次いで書き込んだ情報は、チェシャ猫っぽい、厄介そう、色っぽい。そしてかなりの猫舌。


 とりあえずアイスコーヒーにした方がいいかな。女性の胸元をこっそりと覗き見ながら、僕はそんなことを考えたのだった。チラリズムチラリズム。むふふ……おっと、鼻の下が。



 Φ



「頭は悪くないようね。その歳にしては珍しいくらいに冷静で、相手をよく見てる。コーヒーの温度に気がきかないのは減点だけど、これはまあいいわ。冷たくしてくれたしね」


 氷の浮かんだアイスコーヒーをブラックで飲みながら、セリィと名乗った女性は知的な雰囲気で僕のことを寸評した。まるで何事もなかったように繕って、少年をからかう大人の女性を気取っている。


 僕は顔を背けて、ぽそっと呟いた。


「あっつぅ」

「……こほん。私には何のことか分からないけど、そういう意地の悪いことはやめておきなさい。お姉さんは素直な良い子が好きよ」

「あっつぅ」

「……キミ、意外とイイ性格してるわね」

「いえいえ、それほどでも」


 にっこりと笑ってみせると、セリィさんはとてもやり辛そうな顔をした。リンゴかと思ってかじったらトマトだった時にこんな顔になるかもしれない。からかうネタをひとつ手に入れたので、ちょっとだけ苦手意識が薄れた。


 セリィさんは小さくため息をついてからアイスコーヒーを飲んだ。それだけの動作だというのに、妙に色っぽい。露出の多い衣装だからというだけではないだろう。纏う雰囲気からしてどこか人目を惹く魅力があった。特に男の。店内の隅にいたキールが、間抜け面でまじまじとこちらを見ている。リアさん一筋じゃなかったのかあいつは。


「それで、僕の名前は誰に聞いたんです?」


 磨き終わったコップを棚に戻しながら、背中越しに訊いた。


「意外と有名よ、あなたの名前」


 氷がグラスにぶつかる涼しげな音が聞こえた。グラスを持ち上げて回しているのだろう。


「というより、このお店が、かしら。苦いだけの泥水を出すお店なんて言われてたわね」


 くすくすと笑う声。


 泥水。泥水かあ……。未だにコーヒーの魅力が分かる人は多くないらしい。たしかに、学生なんかはまったくコーヒーを飲めないのだ、リナリア然り。苦味が強すぎるらしく、彼らにとってはコーヒーと泥水に大きな違いはないようだった。悲しいことである。


「なんともまあ、不名誉な話ですね」

「たしかに好き嫌いが明確に分かれそうな味だもの、これ。私は好きだけどね。とことん苦いだけっていうのが逆に清々しくていいわ」


 それはそれで如何なものだろうかとも思ったけれど、物事の捉え方は人それぞれであるからして。本人が気に入ってくれたのであればそれでいいかと思い直した。


「お客さん、少ないのね。いつもこんな感じなの?」


 店内を目で示して、セリィさんが言った。忌憚のない言葉に僕は思わず苦笑してしまう。


 店内には4人のお客さんがいた。4人しかいない、ともとれるだろう。広いと言えるほどの店ではないけれど、それでも空席の方が目立つ。


「まあ、あまり多くても手が回りませんから」

「いつもひとりでやってるの? 誰も雇わずに?」

「いつもひとりでやってます。誰も雇わずに」


 来店客はそこまで多くないからひとりで事足りるし、そもそも雇うほどの余裕はあまりなかった。なにしろ、コーヒーに香辛料に調味料だけでもかなりのお金がかかるのである。コーヒーに至っては売っても利益なんてないようなものだし。飲食店経営って難しい。


「儲かってるの?」

「ぼちぼちですね」

「あ、ごまかした」


 からかうように見上げられた視線に気づかないふりをして、僕はコップを磨く作業に戻った。セリィさんは唇を湿らせるようにアイスコーヒーを飲んだ。グラスに浮かんだ水滴が、ぽとりとカウンターにすべり落ちた。


 それからしばらく、会話は途切れた。街の喧騒が遠く聞こえた。


「ねえ」


 閑話休題とでも言いたげな切り出し方だった。視線を向けると、ひどく透明な瞳が僕を見つめていた。


「年上の女ってどう思う?」

「……はい?」

「だから、年上の女」


 話題があまりに唐突だったもので、ぽかんと見つめ返してしまう。けれどセリィさんは至極まじめのようだった。少し考えてみたけれど、彼女の質問の意図はわからなかった。なので正直に答える。


「これといって何も、ですけど」

「好き?」

「まあ、どちらかと言えば」


 うんうん、とセリィさんが頷く。えっと、これはいったいなんなのだろう。


「愛されたい? 愛したい?」

「あの、それがなにか……」

「愛されたい? 愛したい?」


 どうやら答えなければ先に進まないようだった。ゲームに出てくる村人を彷彿とさせる。ああ、ループって怖い。


「愛されたい、ですかね」


 答えると、セリィさんはまた頷いた。

 それからぴっと人差し指を立てて、僕を見上げた。


「それじゃあこれが最後の質問よ。いちばん重要なことだから、真剣に答えて」

「はあ」


 もったいぶるように間を空けて、セリィさんが口を開く。


「大きい胸と小さいむ――」


 その言葉は途中でかき消された。

 ベルをかき鳴らして来店したからだ。


「やっほぅ、ユウちゃん元気ー?」


 リアさんが。そして彼女は、


「――って、うぇ!? な、ななんでセリィがここに!?」

「あら、奇遇ねリア。相変わらず能天気そうで安心したわ」


 セリィさんと知り合いのようだった。なんか、うん。とりあえず賑やかにはなりそうだ。……もとい、騒がしくと言い直しておこう。



 Φ



 ふたりはどうやら旧友らしかった。リアさんが迅速に踵を返して店を出ようとしたところを、セリィさんは獲物を狩る素早い動きで確保した。そしてリアさんを引きずるようにして無理やり隣に座らせた。


 リアさんは落ち着かない様子でブロンドの髪をいじり、セリィさんはにこにこと悪巧みが透けて見える笑顔を浮かべている。


「えっと、なにか飲みます?」


 しばらく様子を伺っていても一向に会話が始まらないので、僕が先陣を切ることにした。


「……じゃあ、コーヒー」

「あら珍しい。リアって苦いの嫌いだったじゃない」


 セリィさんがにやにや笑いでリアさんの肩をつっついた。言葉通り、リアさんがコーヒーを頼むはこれで2回目だ。しかも最初に飲んだときはあまりの苦さに吐き出していた。


「む、昔の話でしょ! 私だってね、もう大人なんだから」

「まあ、確かに胸はずいぶんと成長したわね。むかしはもうちょっとお手ごろだったのに。ああ忌々しい」


 今度はリアさんの胸をつんつんとセリィさん。リアさんがその手を振り払おうとするが、うまい具合に避けながら、セリィさんは何度もつんつんしていた。リアさんは嫌がっているように見えたけれど、案外そうでもないみたいだった。ちょっと笑っている。きっと気心触れた関係なのだろう。こういうやりとりも二人の友情の証とかなのかもしれない。


 だんだん速度が上がっていくつんつんの攻防を見ながら、僕は果実ジュースを取り出した。それをグラスに注いでリアさんの前に置くころには、二人の小さな戦いも終わっていた。リアさんだけが肩を上下させている。


「ありがと、ユウちゃん」


 ほわんと気の抜けた顔でお礼を言われた。ちょっとだけ幼さを残した笑顔が魅力的です。


「へえ。あのリアがねえ」


 頬杖をついたセリィさんが、それを見てにたぁと笑う。こっちはこっちで魅力的だったけれど、できれば向けて欲しくない類の笑みだった。チェシャ猫のような笑みはろくなことになりそうもない予感しか感じられない。


 幸いにして標的はリアさんのようだったので、僕はすかさずその場から離れて洗い物にとりかかった。普段は店を閉めてからやるようにしているのだけれど、今回は仕方ないだろう。リアさんがすがるような目で僕を見ていたが、もちろん気づかないふりをした。


「……うぅ、ユウちゃんの薄情者ぉ」

「ほら、こっち向きなさいよリア。詳しくお話を聞きたいわね」

「あ、やっ、髪は引っ張らないで!」

「相変わらず良い手触りしちゃってもう。そうだ、あんた知ってた? ほら、レントリックっていたでしょ? あんたにちょっかいかけてたヤツ。あいつはあんたの髪に惚れたらしいわよ」

「し、知らないわよ。そんな人のことは忘れました」

「ふーん。さすがリアさまね。声をかけてきた有象無象の男どものことはいちいち覚えてないとおっしゃる。きゃ、そこに痺れる憧れるぅ」

「むぅっ、それはセリィでしょ。男の子から何回も相談されたのよ? セリィと仲良くなりたいって」

「ばかね。あんたと話すための口実に決まってるでしょ。気づいてなかったの?」

「え、ええ!?」

「そのぽえぽえの頭をどうにかしなさいな。そんなのだから無自覚に男をたぶらかすんでしょ? この胸で。この胸で!」

「二回も言わなくていいし触ろうとしないでよ!」

「いった! ちょ、あんた本気で叩いたでしょ!?」

「セリィが触ろうとするからでしょ! 結構痛いんだからね!」

「いいじゃない無駄に膨らんでるんだから触ったって!」

「あ、嫉妬? 自分の胸が小さいからってそんなに苛立たないでよね」

「あらあらあら! それを言っちゃおしまいでしょ! そんな邪魔なものこっちから願い下げね!」

「へえー」

「……その顔むっかつくわねえ。私を怒らせていいのかしらリアさん?」

「ふーんだ。べつにいいもんねー」


 …………わお。

 女が三人寄れば姦しいとはよく言うけれど、実際はふたりでも十分らしかった。

 

 というか、リアさんもセリィさんも、僕が抱いていた印象とは違った感じだった。なんだろう、より自然と言うか、無理がないように見える。なにかを気にして取り繕うことをしない、建前も本音もない会話。ああいうのを親友とでも呼ぶのかもしれない。


 皿を洗いながら、僕はそんなことを考えた。あとキール、隅っこで興奮して聞き耳を立てるな。


「聞いたわよリア。ここ、よく通ってるんだって?」


 さらりとジョーカーを繰り出すような調子でセリィさんが言う。どうやらそれは、リアさんにとって本当にジョーカーだったらしい。びくっと肩を震わせて、ぎりぎりと錆付いた動きでセリィさんを見る。なぜそれを、という顔だった。


「いろいろ耳に入ってるわよ? 店主とよく話してるとか、好き!結婚して!と叫んだとか、くねくね踊ってたとか。極めつけは永遠の17歳だっけ? ぷっ」

「い、いやあああああ!」

「永遠の――ぷぷっ」

「やめてえええええええ!」

「永遠の――」

「にゃああ――」

「永遠の――」

「うわああ――」


 なにこの中学生の時の黒歴史を同窓会で暴露されたみたいなやりとり。頭を抱えてカウンターに突っ伏してしまったリアさんの耳元で、セリィさんが嫌がらせのようにぼそぼそと呟いている。傍目から見るとなんかもうひどい光景だった。


 テーブル席でぼんやりと窓の外を眺めていたエルフのお姉さんがこちらをちらりと見た。無感情な瞳に、少しだけ煩わしそうな色が伺えた。苦笑して会釈をすると、エルフのお姉さんはほんの少しだけ笑みを浮かべて、また窓の外に目をやる。


 リアさんの悲鳴は止まらないし、セリィさんもまだ止めないようだったので、どうやら僕が止めるしかないようだった。嘆息して、濡れた手を拭く。これも喫茶店のマスターの仕事なのだろうか。なのだろうなあ。できれば女性の会話に首を突っ込みたくはないのだけれど。


「すいません、そこらへんでやめて頂けませんか、あら良い香りねあっつぅさん」

「……あっつぅさん? それ、もしかして私の名前?」

「そうに決まってるじゃないですかあっつぅさん。あれ? そんなにやり辛そうな顔をしてどうかしたんですか、あら良い香りねあっつぅさん。あなたには笑顔が似合いますよ、あら良い香りねあっつぅさん」


 聖書よりはハンムラビ法典を推奨している僕である。つまり、目には目を歯には歯を。


 にこにこ笑顔の僕に、セリィさんは「うふふふふふ」と井戸の底から響くような笑い声をあげた。その迫力に思わず一歩下がる。


「――へえ、私に挑戦しようというわけね。男を千切っては投げ千切っては投げ、ついには難攻不落だとか同性愛者だとか言われちゃって結局ろくな男を見つけられなかった私に挑戦しようっていうわけね」

「え、いやあの」


 話の脈絡がおかしいのでは……。


「いいでしょう。逃げも隠れもしないわ。さあ真っ向から掛かってきなさい」


 背後にドーンと効果音が見えた。何か決定的におかしいのだけれど、それすらも飲み込んでしまう勢いがあった。


 ええと、僕はどうすれば?


 リアさんいじりが止まった時点で僕はもう満足だし、喫茶店のマスターとしてするべきことも終えたと思うのだけれど。しまった。そういえばどうやって収拾をつけるかまでは考えてなかった。


 じーっと見つめられて、僕はたじたじだった。ちょっとキツめの美人のお姉さんに見つめられ、夢見心地――じゃない、戸惑い気味。


 くっ、いっそのこと口説くか……?


 とまで思い始めたとき、横でぐったりとしていたリアさんが勢いよく起き上がった。髪が舞い上がり、豊満な胸がゆさっと……失敬。そして僕とセリィさんを見て、ぱあっと笑みを浮かべる。


「ユウちゃん、私を助けてくれたのね! ありがとう!」

「あ、立ち直ったんですか永遠の17歳のリアさん」

「――う、うぅっ……ユウちゃんまでいじめるぅぅぅっ! もう家にかえるぅぅぅ!」


 ああしまった、つい言ってしまった。

 やべっと思ったときにはもう遅く、リアさんは滂沱の涙を流しながらセリィさんの肩を平手で殴り始めた。


「いた、ちょ、痛い、痛いってばこら!」

「もういい! もういいもん! いじわるなセリィもユウちゃんもきらい!」

「なんで子供みたいになってるのよあんたは! いたいいたいいたい!」


 セリィさんの髪を引っ張り出したリアさんを見て、僕は頷いた。

 よし、ほとぼりが冷めるまで放っておこう。


「あ、ちょ、こら逃げるな!」

「いえ人違いです」


 背中を向けて、僕は洗い物に戻ることにした。


 しまった。逆に事態を悪化させたかもしれない。リアさんの泣き声にこちらを見やったエルフのお姉さんに両手を合わせて謝ると、深いため息を返された僕だった。


 人生ってままならないね。



 Φ



 結局、我が喫茶店を賑やかした二人のお姉さんは、仲良く連れたって帰っていった。セリィさんの斜め後ろに添うようにしていたから、きっとそれがリアさんの自然な位置なんだろう。やっぱり仲良しの二人組みだった。


 帰り際、二人からジトーっと見つめられてしまったのだけれど、僕はどうしたらいいのだろう。女性相手に逃げるのはまずかったかな。いやでも、どうしようもないし。ああもう、女性の心は本当によく分からない。


 静かになった店内。キールが「おいこら俺のリアさんをなに泣かしてんだよ」といった感じの目でこちらを見ているが、僕は全く気づかないふりをした。


 二人が出て行ってすぐ。


 ドアベルが鳴り、小さな人影が夕日を連れて店内に入ってきた。

 耳をぺたんとさせ、尻尾もふにゃんと揺れている。瞳はいつも通りに気だるげだった。


「や、いらっしゃいノルトリ」

「……うん」


 ノルトリはいつもどおりの場所、窓際から2つめのカウンター席に座る。ココアを用意するためにカップを取り出したところで、珍しくノルトリが自分から話題を出した。


「今、先生を見かけた……」

「先生?」


 こくんと頷くノルトリ。


「……セルウェリア先生。たぶん、このお店に来てたと、思う……」


 セルウェリア先生……セルウェリア……セルウェリア?


「藍色の髪で、猫っぽくて、にたぁって笑う、何か企んでそうな色っぽい人?」


 こくんと再び。

 セリィさんだよね。その特徴はセリィさんしかないよね。あの人、教師だったの?


 …………わお。



 Φ



 帰り道。


「あーもう驚いたなあ。セリィ、あなた学院は?」

「今日はお休み。教師だってたまには息抜きしなきゃね」

「だからってなんであのお店にいるのよ。せっかくあそこでは可愛らしいお姉さんでがんばろうと思ってたのに……うぅ」

「可愛らしいお姉さんでがんばってどうするのよ?」

「えっと、特にはないけど……」

「相変わらずの頭してるわねえ」

「セリィだって相変わらずでしょ」

「まあそうだけどさ。それにしても驚いたわよ? あれほど男嫌いだったあんたが、男と和気藹々と会話してるなんて聞いたときには。なに? 男の子なら大丈夫なの? 年下趣味? 絶縁とかしないから言ってごらんなさい」

「違うわよ! それに男嫌いじゃなくて、ちょっと苦手なだけ」

「ならなんであの子は大丈夫なわけ? まあ、たしかに面白い子ではあったけど。珍しいというか、なんか育ちからして違う感じよね」

「ああ、わかるわかる。ユウちゃんはね、ちょっと変わってる。邪気も少ないし」

「邪気?」

「こう、えげつない性欲みたいなの?」

「なるほどね。リアが気に入るっていうからどんなやつかと思って見に来てみれば、なんだかなあ。そんなに色っぽい話でもなかったし」

「そんな理由で来てたの!?」

「だって気になるじゃない。変な男に引っ掛けられてたら困るし」

「……世話焼きめ」

「まあそう照れるなってば、永遠の17歳のリアちゃん」

「それはもういいの!」

「いたいいたいいたい! 何回も髪を引っ張るなんてどういう了見してるのよあんた! 女の命よ!?」

「セリィだってさっき引っ張ったじゃない!」

「なによ! だいたいリアはいつもね――――」

「セリィだって――――」


 茜色に染まる空の下、ふたつの影が仲良く伸びていましたとさ。





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