9 All The Things She Said

無言のうちに、俺とぼたもちの間には協定が結ばれた。——互いの秘密裏の行動には口出ししないという協定が。

俺は何度も幼女とクメダコーヒーで会っていたのを秘密にしていた。

ぼたもちはミナミを何度もお茶に誘っていたのを秘密にしていた。

きっと互いにデリケートな部分だったのだろう。関係がきちんとしてから報告しようとしていたのかもしれない。(きちんと、というのは別に付き合うとかではなく、ちゃんと仲良くなってからという意味だ)

ミナミが投下した二つの爆弾の意味は大きい。片方だけが投下されていたら俺とぼたもちの関係も変わっていただろう。

しかし今は平等だ。互いに弱みを握り合っている状態。均衡状態だ。

打ち上げの時にでも真意を語り合えればいいと思う。別に俺は幼女を一人の女性として『狙ってる』わけじゃないし、ぼたもちだってそうとは限らない。接近しようとしていたのは事実だが、真意は訊ねてみないと分からないのだ。


ブースの準備はすぐに終わった。与えられたスペースは長机の半分で、他の一般的な即売イベントと同じだ。机に大きな布をかぶせて、作ってきたコピー本を並べて準備完了。

五分もかからなかった。

コピー本の内容は、ぼたもちによるモノクロのイラスト数点と、俺が書いたショートストーリー二本。A4のコピー用紙にプリントし、重ねて真ん中をホチキスで留めただけのじつに簡素な本だった。

準備が済むとすぐに手持ち無沙汰になってしまい、俺たちはパイプ椅子に並んで座った。

「今日は来るかねえ、アレ」

ぼたもちが問いかける。アレで分かってしまうのが割と哀しい。

「どうだろうな。突発参加だし、コピー本だし」

「Twitterでは告知したから、出ること自体は知ってるかも」

「まあ俺も告知はしたけど……」

アレとは、もちろんブラン・ノワールのことだ。前回のイベント以来、あの厄介女とはコンタクトを取れていないが、次に会った時こそビシッと言ってやるのだ。

……ステマ行為を即刻やめるようにと。

「結果的には、この一カ月野放しだけど」

「そこなんだよなぁ……」ぼたもちはうなだれる。「憂鬱だ。非常に憂鬱」

一カ月の間、ブラン・ノワールによる工作活動は継続していた。俺もぼたもち同様憂鬱になるが、あくまで高度なレベルでなされている工作だったため、不自然さはなかった。たった一冊の同人誌が一カ月もの間ホットな話題であり続けるわけがないので、その点はハズさずにやってくれていた。三日にひとつ、五日にひとつ、十日にひとつ——と、次第に感想は減っていた。

今となっては目くじらを立てるほどでもない。しかし、間違った行いであることには変わりはなく、次に会ったら俺とぼたもちの怒りは伝えなければならない。

「しかし、暇だなあ……」

開場まで、あと十五分ほど。

他のサークルは準備に勤しんでいる。コピー本だけで参戦するのも考えものだ。暇すぎる。

俺は携帯を取り出し、Twitterを開いて何気なくエゴサーチをしてみる。

サークル名である『ぼたもちジャック』を入力し、検索。



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我欲マン 2日前

ふと掃除してて、積ん読だったぼたもちジャックさんの小説本が出てきた。。読み始めたら止まらなくて、もう夜! はひーーーー(悲鳴w


ガッツ 9日前

ほなりお本。莉音にキュンキュンした。良かった〜。ぼたもちジャックさんサンクス^^

(添付:テーブルの上に置かれた本の画像)


名古屋県民 17日前

ぼたもちジャックの小説、最後のシーンまでの導入でちょっと甘い部分あったけど、全体を通しての読後感はまあまあ良かったかな。


葉月 24日前

ぼたもちジャックさんの御本をようやく読了。読むの遅くてすいません……とっても面白かったです。莉音ちゃん、やっぱ大好き……。


ブッキー@減量失敗 1カ月前

さーて! 仕事も片付いたし、昨日のイベントで購入したぼたもちジャックさんのほなりお本を読みますかね! 感想は後ほど〜


ららら貴方の子 1カ月前

ぼたもちジャック様の小説。昼休みに読む。楽しみ! 

(添付:本を手に持った画像)


ンジャメナ太郎 1カ月前 

ぼたもちジャックの本、まあまあだった。小説はうまいと思った


能登 1カ月前

ふおおおこれはすごい! めっっっっっっっっちゃ面白い! とにかく面白い!(語彙力w) オススメ! ぼたもちジャックのほなりお小説!!

(添付:カフェらしき場所のテーブルに置かれた本の画像。少しブレている)



輪廻 1カ月前

今日の予定:寝る。買い物。寝る。ぼたもちジャックの本を読む。寝る。

(添付:ベッドの上に本が置かれた画像)



AkAri@寝坊  1カ月前

今日のメガラブイベ戦利品! 寝坊しちゃってギリギリになっちゃったけど、小説本衝動買いなり〜。サークルぼたもちジャック様のほなりお本、、、読むの楽しみ!

(添付:本の画像)



幼女@納豆カレー  1カ月前

今日はメガラブイベントお疲れさまでした! おかげさまで納豆カレーの新刊完売ぜよ! やっぴー。感想待ってる! 次は冬コミ〜(予定は未定w) あっ、ひとつ心残りが……向かいのサークル、ぼたもちジャックさんの小説本が気になってたのに買えなかった〜(泣 通販やってるかなあ



るびぃ  昨日 1カ月前

なんとなく買ったほなりお本読了。ぼたもちジャックマジ神

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特筆すべき情報はなさそうだ。ただ順調に工作活動が行われているだけ。

しかし他にすることもないのでぼんやりと眺め続ける。

……すると、あることに気が付いた。

「んん……?」

思い違いではないかと目をこすって、もう一度じっと検索結果を眺める……。

「これは……! おい、ちょっとこれ見ろよ」

思い違いではなかった。俺は隣のぼたもちの肩を叩く。

「何さ? ……ってお前、またエゴサーチしてんの? 飽きないねぇ」

「そうじゃなくて、これ、ここを縦読みしてみろ!」

「へ? どこを?」

「ハンドルネームの頭文字を!」

「……んー」

俺が真剣だったのを見て、やっとぼたもちは画面を覗き込んだ。


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我欲マン

ガッツ

名古屋県民

葉月

ブッキー@減量失敗

ららら貴方の子

ンジャメナ太郎

能登

輪廻

AkAri@寝坊

幼女@納豆カレー

るびぃ

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「幼女は取り除いてくれ。ブランノワールが工作したものだけで」

ぼたもちは更に画面に顔を近づけて、それを読み上げた。

「我……ガ……名……葉……ブ……ら……ン……能……輪……A……る……」

「続けて読むと?」

「わがなはぶらんのわある」

「そうだ」

「我が名はブランノワール——って、えっ……まじかよ、これ……?」

言いながら携帯から顔を話す。その顔は引きつっていた。

「そう。ブラン・ノワールだ。……あの女、遊んでたんだ」

辟易とする。どうして俺たちがあの女の遊びで苦しまなければならない。ゴスロリファッションに身を包む女特有のものなのか、むせ返るような自己顕示欲に当てられ、頭がクラクラする。

一カ月の間に薄まりつつあった怒りのボルテージが再び上昇する。今会ったら怒鳴りつけてしまいそうだ。

「我を呼んだか?」

そう、今会ったら……。

「久しいな。どうした、阿呆な顔をして?」

今、会ったら……。

今。

まさにブラン・ノワールが目の前に立っていた。

金髪縦ロールをふわりと揺らして。

スカート部分が傘のように広がったワンピースに身を包んでいる。胴体部分は白と黒のストライプで、ベストのような形状。その下には襟ぐりが大きなフリルのように施されたブラウスを着ている。大きな瞳は前回会ったときと同じアッシュグレーだ。

コウモリの羽が生えた漆黒のキャリーケースを引いていて、まるで血だまりを歩いてきたかのようなワインレッドのパンプスを履いていた。

背は低く、顔つきもどことなく幼いので童女に見紛う。しかし二十三歳のゴスロリ女——ブラン・ノワール。

俺たちぼたもちジャックが出した本の唯一の購入者にして、宿敵だ。

噂をすれば何とやら、か。彼女はお決まりの不敵な微笑みを引っさげて、再び姿を現したのだった。

——っていうか、まだ開場前だけどどうやって入ったんだと思わないでもないが——それよりも、優先すべきはこの怒りだ。

「来やがったなブラン・ノワール! 俺は今、お前に怒ってるんだ! お前が俺たちにした仕打ちにな」

俺はパイプ椅子から立ち上がり、怒鳴りつけた。

「そなたが、我に怒っている……?」

彼女は不思議そうに首を傾げた。その仕草に更に怒りがこみ上げてくる。

心外とは言わせないぞ。自分が何をしたか忘れたわけじゃあるまい。好意でやったから見逃してくれと言われたって許さないぞ。こいつは性根から叩き直さないとダメだ。

俺たちは何に怒っているのか本当に分からないのなら、今ここでそれを羅列してやる!

——と、思ったその瞬間。

ブラン・ノワールの形相が変貌し、会場中に響き渡るほどの声で叫んだ。

「——巫山戯ふざけるな! 怒っているのは我の方だ!」

「!?」

その顔は本当に憎悪に満ち満ちていて、そのあまりの剣幕に思わず後ずさる。

なぜコイツが怒っている? 意味が分からない。俺とぼたもちは顔を見合わせるも、ただ互いの口がポカンと開いた顔を見るだけだった。

「我は忠告したはずである! カルマなどしてはいかんと!」

「……恋?」

ああ、言っていたっけそんなことも。だが、今その話が何の関係がある?

「恋なんてしてないし、したとしてお前に怒鳴られる筋合いはないだろ!」

言い返すと、彼女は「ではこれは何だ」と言って机の上に積まれたコピー本を睥睨した。

「はあ? ただのコピー本だろ」

「何故こんな物を作った?」

彼女はそれを乱暴に掴み取り、何度も手で叩いた。本に対する扱いとしては最低の部類に入るだろう。

「……それは、このイベントに出る為だよ」

「元々出る予定のなかった即売会であろう! なぜ出た? 最終戦争を控えたこの時期にだ!」

「——それは……」

「女に誘われたからか? 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るな! そなたは選ばれし者であるのだぞ。であるならば、どうしてこんな凡作以下ゴミクズを世に送り出して平然としていられる!? そんなのは選ばれし者セレクションのやることではない! 断じてないのだ!」

「………」

彼女の語気は猛烈だった。凄まじすぎて言い返す余地がなかった。

だがもちろん、彼女の意見に納得した訳ではない。言っていることは滅茶苦茶だ。はっきり言って病気だ。

とりあえず、この女がコピー本にいい印象を持っていないということはわかった。だがそれにしたってコイツに怒られる筋合いは微塵もないのだけど。

「どういう理由で、どんなイベントに出て、どんな本を出したって……俺たちの勝手だろ」

「違う!」

俺は反論を試みたが、即座に打ち消された。

「才能ある者は、その才能を発揮する義務があるのだ! それがそなたの野望メテオラへと続くロードであり、また真理プロットへの唯一のウェイである! だというのに……こんなもの、こんな凡作以下を…………!」

強烈な怒りが極まったのか、彼女は不安定に声を震わせた。顔は紅潮して、息は乱れて肩や手も震えていたほどだ。

そして彼女は手に持っていたコピー本をまっ二つに引き裂いた。

「あっ! お前……!」

「五月蝿い! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!」

「…………」

完全にこっちの台詞だが、彼女は憤懣やるかたないといった様子でぜえぜえと息を荒げ、

「——くっ、こんなもの!」

と、ただの紙切れと化したコピー本を丸めて俺たちに全力で投げつけた。

「いいか! 我は何度でも繰り返す! 間違っても、恋などに現を抜かすでないぞ! でなければ我はまた裁きジャッジを与える——わかったな!」

彼女は踵を返し、キャリーケースを引きずって足早に会場を去って行った。

——俺たちの本を買うことなく、イベントが開場する前に嵐は過ぎ去ったのだった。

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