005:早朝に罵倒される僕
夢である。そう信じた。それなのに、現実がこれだ。
まさかの非現実的世界に飛ばされるというアクシデントに巻き込まれた。
その元凶は同級生で同じクラスの女子、月波綾乃によるものだった。突如話しかけられたと思ったら、廊下から闇の森林にいた。
彼女はぶつくさと文句を次々と呟きながら、僕に腕輪とカードをよこした。そして罵倒した。「このクズ」と。
無敵武道部の充実した朝練が終わり、ホームルームに出るために教室に向かう。
汗はすべて拭いたし、女性用だがパウダーシートで匂いを根こそぎ奪って上書きする。香水の類いには興味がなかったため、香水を付ける気にはならない。
例えばクラスの男子のひとりが女子にもてようと無理にパンツを魅せる腰パンをしたり。いくつもの香水を重ねて着用し、逆に途轍もない匂いをさせていることに気付かない愚か者にはなりたくなかった。
ドアを開ける。そして顔を顰める。視線の先には全ての元凶である月波綾乃がいて、沢山の女子とわずかな男子に囲まれていた。
「ねぇねぇ月波さん。次はここも教えて?」
「あ、そこは私も聞きたかったの」
「そうだよな。文章が回りくどいんだよ。面倒くさいよな」
綾乃は見ての通り、クラスの人気者だ。というのも、彼女はこのクラスの中で一番の学力を誇り、試験の結果発表でも常に一位を保持している目立つ女子だった。あの無表情のような態度からは信じられない様な光景だった。
綾乃は集まる同級生達に勉強を教えていた。特に女子に囲まれているのだが、暴言ひとつ口にすることなく説明を続けている。そしてその女子の他にも数人の男子がいたのだが、それも気にした様子はなかった。
他の男子には僕のように「クズ」の一言も発することなく、男子からの質問にも答えていた。
もしかすると昨日のことは夢だったのではなか。と思い始めた僕は、数秒考えて足を進めた。
「おはよう」
綾乃を中心に数人の同級生に朝の挨拶をする。
僕が挨拶をすると、必ず周りから挨拶が返って来る。
それこそ綾乃を囲んでいた同級生は全員笑顔で手を上げて返してくれた。
「あ、おはよー緋之くん」
「おいっす」
「おはよー。今日も朝練?」
「緋之はあんなネタ部活よく続けるなあ」
「おはよ緋之くん」
「チョゥリィィィィッス!」
……若干1名変な挨拶だったが、全員が反応した。
そして、
「………おはよ」
不機嫌な綾乃が眉間に皺を寄せ、僕を睨みながら挨拶を返す。
あれ? と僕が心のなかで首を傾げる。
ん? お? え? と同級生が反応した。
そして、
「――チッ」
舌打ちした。僕だけでなく、周りにも聞こえる程の大音量で。
その瞬間にクラスが凍りつく。ピシッと音を立てるほどの威力。そして恐怖。
――緋之よ、一体月波になにをした。
とクラスの視線が僕に集中する。この一瞬で信頼を崩壊させるところだった。
「ア、アハハ」
その場は笑って逃げるしかなかった。それ以外なにもできなかった。
すでに綾乃は視線を戻し、同級生は視線を僕から外さなかった。
綾乃から見て左側の隣が僕の席だ。鞄をかけて椅子に深く腰掛けると、ぐでーと力無く机に突っ伏した。
いつもならあまり感じない朝練の疲れが、今日に限ってドッと出てしまったのか。この場に味方がいないのがやり辛い。どうしたものかと考えていると、
「おいおいどうしたよ。珍しいじゃねぇか。いつも明るい緋之が、クラスで空気になりかけたからって落ち込むなんてよ」
背後から声がした。遠慮がない言いように、僕はこれを利用しようと考えた。実際、有難い救い船だった。この状況を打破するには打って付けの人材がネギを背負ってやってきた。
「いや、あそこまで嫌われてるとは思わなくてさ」
苦笑いを浮かべる。予想もしていなかった事態だったのでそれしかないし、苦笑いは正直な答え方だった。
「なんだよお前。あいつになにか嫌われることでもしたのか?」
そこには最近友達になった男子、
いつでもポジティブで明るく、爽やかでめげないことが有名なクラスの人気者だ。ただ少し勉学が苦手なことも有名であり、別名『爽やか馬鹿』と呼ばれている。
「嫌われることね。例えば?」
つい先日の信じられない体験を除けば、覚えがない。そこまで関わったことがないのもそうだ。
僕の質問に対して、隼人はペラペラと例を並べた。その速度は僕には真似できないものだった。
「そうだな……着替え覗いたり、実はあの無表情しかしない顔が思いっ切り歪んで猫撫でてたり。あとは……スタイルいい女子を威嚇してたところ見たり、セクハラしてくる先輩に顔を赤らめてやめてくださいって叫んでるとこ見たり」
「どうやったらそんな妄想出来るんだ。別に知りたくもないし真似したくもないけど」
「おいおい、そこはコツを聞いておくべきところ………だ、ぜ………」
ペラペラと快調に滑る口調が最後で狂った。まずトーンが低くなり、次に速度が落ちる。最後には表情が変化していた。この世で一番恐ろしいものを見た様な顔で、僕の頭上を見いた。
あんぐりと開いた口がまるで鯉の食事のように忙しくパクパク開閉し、やがて開閉運動が止まると頬が激しく痙攣を繰り返す。
まさか。と思った時にはもう遅い。僕の背筋に冷たい氷のような気配を感じた。
「鳴本。まさか………」
「み、見るな緋之。お前はこれ以上見るな。の、呪い殺されるぞ」
想像通りの反応。瞬時に理解した。背後の恐怖の原因を。
やはり僕の背後にいるのは、まるで般若のような表情で見下ろしてくる綾乃だった。どうりでクラスの雰囲気が再び凍りついているわけだ。
「クズと馬鹿が揃うと、やっぱりろくなことにならないのね」
生気を感じさせない冷たい言葉。その手の変態にはたまらないご褒美なのだろうが、僕はその変態ではないので、この場合はご褒美ではなくジェノサイドに近いだろう。
やばい。これはやばい。ネギを背負ってきたはずの鴨が、ついでに災厄をも持って来た。最悪だ。
このままでは本当に視線だけでデストロイされそうなので言い訳を考えていたのだがまったくに見つからない。隼人が役に立たないのではどうしようもない。
しかし救世主は遅れて到着した。
「ほーい、皆速やかに着席してくれなー」
僕は心から感謝した。教室に入って来たのは担任である
現在26歳で二枚目。担当教科は現代文。教え方は綾乃よりも優しく理解しやすい。と、生徒からも大人気な教師なのである。
現に今、
「きゃー大胡くん!」
「こっち向いて大胡くーん」
「おはよー大胡くん」
「イケメーン」
と、女子たちに大人気だった。
二枚目な容姿なうえに性格も優しい。教師という立場であるから収入もある。そして独身で、彼女の有無は不明ときた。
このクラスの女子の9割以上がメロメロになるのもわかる。これだけの条件を満たす男性はなかなかいない。
こんな男性が担任では受け持っている男子が、大河大胡に嫉妬の嵐を向ける――かと思いきやそうではない。
大河大胡は男子にも人気がある。というのも憧れの兄貴として慕われている。
体育もたまに受け持っていて、サッカーなども自身がチームに入って教えている。昼休みの時間なら体育館に遅れて入り、バスケットボールに加わっている。
さらにユニークな発言と頼り甲斐がある行動と人望を持つ。たまに男子のどうしようもない卑猥な会話に加わったり、恋愛の悩みなどを聞いていたりする。頼れる兄貴だ。
そんな大河大胡が担任になってくれて聖も嬉しく思う。
大河大胡は僕にとってたったひとりしかいない従兄であり、あの無敵武道部の顧問なのだから。
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