003:目を覚ませば……
それからのことはあまり覚えていない。あれからあの戦いはどうなったのか。なぜ僕は、どういう経緯で自分の高校の保健室のベッドに寝かされているのか。
そしてなにより、なぜ僕は生きているのか。
それが一番気がかりなことだ。あの状況からどうやって生き延びたのか。助けが来た記憶はない。だが相手を倒した記憶も無ければ、生きるのを諦めた後で抵抗した記憶もなかった。
ベッドから身を起こして体を見る。驚くことに傷がほぼ無かった。数ヶ所の火傷も、顎と頬の擦り傷も。
もしかしてあの戦いは夢だったのか。実は僕は授業中に貧血かなにかで倒れ、無意識の中保健室のベッドに運ばれてあんな夢を見ていたのだろうか。
――ああ夢だったんだ。と安心を覚えてベッドに再び横になる。そして体をほぐすために両腕で足をマッサージしようと、征服のズボンの腿に触れた時。
僕を驚愕させるような事実を、体感する物体を目にした。
ズボンの左ポケットに、硬質ななにかが入っていた。大きさは握りこぶしの半分くらいの丸い物。触り心地に覚えがあった。恐る恐る取り出すと、絶望を覚えた。
あの戦いで綾乃から託された腕輪だった。「戦いなさい」と苛付いた声が耳に蘇る。
だが僕の絶望はこれで終わらない。扉が開き、なにも言わないまま保健室に誰かが侵入した。
挨拶どころか、なにも反応がないところから養護教諭はいないらしい。
なにというか、この侵入者は苛立っている。面倒くさそうというか、時折ため息が聞こえた。
そして侵入者は養護教諭が不在なことを好都合に思ったのか、侵入者はズカズカと歩いて聖のベッドの前で立ち止まり、なんの迷いもなくカーテンを一気に引いた。そして言う。
「……起きてるならなにか言いなさいよ」
女子生徒の声。侵入者は女子だった。見覚えがる顔。冷たく突き放すかのような口調。できるなら会いたくない、あの少女だ。
「なによその顔。蹴り殺したくなるほど不快な表情ね」
いったい僕が何をしたというの?
彼女をここまで怒らせて暴言を吐かせるようなことをしたのだろうか。それに関しての記憶は一切なかったものの、それ以外の記憶は朧げに覚えていた。
あの暗闇に僕を無造作に放りだし、「クズ」と罵倒したこと。「戦いなさい」と言って戦場に丸腰で立ち向かわせたこと。色々と思いだしてきた。酷いことばかりを。
「まぁ命があっただけよくやったとだけ言っておくわ………けど、それだけよ。どうせ弱腰で鼻水垂らしながらピィピィ泣きじゃくって逃げ回ったんでしょ。情けないったらありゃしないわね。無様ね」
酷い言われようだった。いや、そこまで酷くは無かったとは思うが、逃げ回ったことは本当だし。
と、あの暗闇の戦場のことなどを質問しようと口を開いた時。
「あんたが無事だったってことは見届けたわ。もう日が暮れるから帰るのね。――ったく、なんであたしがこんな面倒なことをしなくちゃならないの。こんなクズは二度と見たくなかったのに」
後半は酷い暴言をブツブツと呟きながら、彼女――綾乃は保健室を出てしまった。質問をする間もなく、僕はただひとりでポツンと保健室に残される破目になる。
沈黙が冷えた空気と酷く融合して肌に触れて刺激する。僕を追い詰めたあの暗闇ほどではないが、この沈黙というのは嫌いだった。
静寂が特別嫌いなのではない。このどこかピリピリとした雰囲気を纏う沈黙が気に入らない。
「僕が何したって言うんだよ……」
どうも理解はできないが、とりあえずこの場は帰ることにした。これ以上この場に留まっても利点はない。
ベッドから降りて足を捻る。筋肉が張る感覚と、硬い床のひんやりとした感触が伝わる。そこにあった上履きを履いて起き上がる。腰、肩、首、腕と順番に動かして、どこかに痛みがないか確かめる。
すると僕は今までなにも貼って場所に、なにかがあることに気が付いた。
「なんだこれ」
保健室に1枚しかない大鏡の前に立って、それを確かめる。頬にあったそれは、小さな絆創膏だった。
それも猫の顔がプリントされたとても可愛い絆創膏だった。
「まさか、ね………」
まさかツン100パーセントの彼女がこんな可愛い物を持っていて、善意で張ってくれたなど思い付かなかった。だがそれ以外誰も――思い付かず、結局疑問に思ったまま保健室を出た。
ツンツンツンが続く態度は決してツンデレではない。デレがまったく存在しないからだ。当たり前だろう。ましてや好意が無ければ尚更だ。耳に残る蔑みの言葉。貶す言葉で僕を落ち込ませる。
そんななか、後日に複数の友人ができる。こうして平和な生活を取り戻そうと思って踏み出した次の瞬間には、あの少女が隣にいたのだ。なぜか。当然のように。
僕は内心で酷く悶絶した。
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