002:決死の反撃

 大体の仕組みは理解した。


 あれから必死の回避と逃避で灰色フード(灰色のパーカーの上に黒いジャケットのようなものを着込んでいる)の少年から距離を開き、観察と綾乃が残した言葉をヒントに整理を進める。


「これが……こうなって」


 綾乃に渡された腕輪を左腕に装着する。意外としっかりとフィットした。次にカードを破く。まずは横に1回破き、重ねて縦に1回破く。


「うわっ」


 背後で激しい振動を感じる。頬に熱を感じた。灰色フードが迫っている。


 その場で側転して少し距離を取り、身を低くして滑るように動く。時間帯は夜に等しい。闇が訪れようとしていた。


 音をなるべく立てないように次の木の陰に隠れる。


 腕輪を見た。穴が5つある。その右に破いたカードを添えた。


 不思議な感触だった。今まで紙だった物体が硬く膨らむ。するとただの紙だったものが1センチほどの珠になる。灰色だった。その灰色の珠がしっかりと穴に埋まった。


「これが、アーツ……?」


 だがそれだけだ。僕の腕では何も起こらない。灰色フードの男がどうやって炎の球を撃ちだしてくる仕組みも解らないまま、必死に攻撃を避け続ける。


 そして今にあたる。逃げ続けてすでに30分以上は経っているだろう。


 辺りはもう暗く、日がほとんど落ちて森林に闇が訪れる。そんな闇のなかで闇雲に転げ回った。唯一の光源はまだ沈んでいない夕陽と相手の炎攻撃によるものだけだった。


 そろそろ体力も限界が近い。それでも灰色フードは攻撃を緩めることはなく、音のした方へ炎を放つ。


 回避するのが精一杯だった。しかし、そろそろ決着をつけなければならない。


 チャンスは一度。相手がまだ信じられないが魔法の類いを使って攻撃してくる。千載一遇のチャンスだろう。奇跡は僕の手で捻りだすまでだ。


「いい加減にしろよ……あまり僕を舐めるな」


 聞かれない程度の音量で呟き、僕は背後の木の枝を掴んで地面を蹴った。





     SILVER BLITZ





「フー! ゴー! ど、どこだ……」


 初めて灰色フードの声を聞いた。今まで荒い鼻息しか聞こえなかったから、喋れないのだろうと思った。そして驚く事にそれは明らかに日本語だった。


 僕の眼下でガサガサと音がする。焼けて焦げた草や木の根を踏み荒らす音だ。あまりの音量の大きさに、この男がとても強い殺気を秘めていることがわかる。失敗すれば確実に死ぬだろう。


 だがここで死ぬ気はない。一体どういうことなのか綾乃に問うためだ。そのためにも灰色フードを倒さなければならない。


 殺すとは言わないが、最低でも腕の骨を折って、その後気絶してもらうしかない。困難だとわかっている。だがこれ以外に方法はないのも確かだ。


 そして灰色フードの背後で、ガサッと音がした。灰色ローブが音源ではない。別のターゲットの足音でしかなく――


「そこかあっ!!」


 灰色フードの音が持っていたステッキ――いや、金属バットが背後へと向けられ、次の瞬間先端から炎が出現し、形を成す間もなく射出された。


 ――ゴオッと空気を燃やすそれは、灰色ローブの男の背後一面を燃やした。


 そして灰色フードの男が勝利を確信し、唇の端を獰猛に釣り上げた瞬間――


「そこまでにしてもらおうか」


 ボキッと鈍い音がする。灰色フードの右腕から。


 一瞬のことでなにが起きたのか未だに理解できていない灰色フードは、本来ならそこまで曲がらないはずの腕を見て茫然とし、やがて遅れてやってきた激痛に汚く表情を歪めながら膝を突き――肺の中の空気を砲弾のように撃ちだすかのごとく、絶叫を上げた。


「ぎゃあああああああああああああ! お、俺の………俺の、う、腕が! 痛い、痛ぇよおっ」


 左手で右腕を抑え、堪えられなくなった涙腺から涙がダムの決壊のように溢れ出た。


 一方奇襲に成功した僕は、相手を無力化したことを確認し、拾い上げた先の尖っている木の枝を拾い上げて突き付ける。


「答えてくれませんか? 何で僕が襲われなくちゃならないんですか?」

「あ、あっ、ああっぐ………いでぇ、いでぇよお!」


 灰色フードは僕の質問に答えず、ひたすら悲鳴を上げ続けていた。


 このままでは埒が明かない。しかし腕を折ってしまったのも事実だ。罪悪感はあったが、殺されそうになったのだから正当防衛は通じるだろう。


 なので、


「答えてください!」


 ズンと灰色フードの目の前に、ついさっきその腕を折った右足を振り降ろした。


 奇襲は成功した。一瞬のことだった。


 木の上に登り、なるべく気配を消して灰色フードが接近してくるのを待つ。そして眼下を通りかかった時にあらかじめ拾っておいた小石を背後ら辺に落とす。


 すると灰色フードは弾かれたように反応して炎を射出するので、その仕組みを理解して木の上から飛び降りた。右腕を掴み、一気に右膝を肘に打ち落とした。


 関節を極めていたので重力と落下速度と体重を乗せれば腕は簡単に折れる。


 灰色フードの男は目の前に迫る聖の足を見て、悲鳴を押し殺した。


「なんであなたは僕を殺そうとしたんですか? 答えてもらわないと、次は左です」


 木の枝で灰色フードの男の左腕を叩く。大抵はそれだけで怯える。その後は残った左腕を折られたくないがために従順に質問に応える。そう思っていた。


 だが間違っていた。僕のその選択は甘かった。


「お前が……俺の腕を折ったのか?」


 突然、灰色フードの口調が大人しくなった。痛みなど忘れているかのような無表情。まるで波ひとつない水面のような、闇で支配された海の底のような。


「俺の腕を折りやがったのか………」


 最後だけ絞るかのような小さな声になった。そこでやっと僕は間違いに気付いた。


「やっぱお前、殺すわ」


 腕を折っただけでは、この魔法使いは止められないということを。


 今まで右腕を押さえていた左手が、左腕を触れていた木の枝に触れる。


 そして木の枝は一瞬で炎上して、先端から勢いよく灰になる。


「なにっ!?」


 見れば左腕にも僕と同じ腕輪が装着されており、5つの穴の中心の、赤い珠が光っていた。


 魔法を出現させる源は、この左腕にあった腕輪だったのだと今さら理解した。


 いきなり燃えた木の枝を手放し後退する。


「もう逃がさねぇよ」


 灰色フードは左手を上げ、バンと地面を叩く。すると指先から炎が出現し、枯れ葉や木の根を伝って炎が走り、僕を追尾した。


 まさかこういう方法で追撃するとは思っていなかったので、ステップの距離を大幅にして、倍の速度で退避する。


 それでも間に合わない。確か僕の後には太い樹があったはずだ。ステップを中断して振り向かずに走る。ギリギリで炎の手から逃れ、樹の裏に跳び込むことに成功した。


 だが安堵するのはまだ早かった。その太い樹も数秒で火が回り、崩れてしまったのだ。なんという火力だと恐れ驚愕したものの、逃げる脚は止めない。


 さらに走る速度をグンと上げたのだが、地面から噴き上がる炎はまだ追いかけてくる。このままではやがて捕まり、盾にした木のように、炭になってしまうだろう。


「くっそ!」


 毒づいて後を振り返る。灰色フードが追行してきた。このままでは炎に巻かれる。


 そして炭になって死ぬのだ。短い人生だったかな。と人生が走馬灯のように脳裏に浮かび上がる。


 流れる映像に気を取られ手続けていたので、足元で大きく盛り上がったような太い木の根に気付かず、思い切り蹴飛ばして盛大に転んでしまう。


「うぐ!」


 いきなりのことだったので情報整理がうまくいかない。湿った土に思い切りヘッドスライディングしてしまったので、顔面は薄汚れていた。


 口腔にも土の生臭く苦い味が広がっていた。顎と頬がひりひりと痛む。どうやら今ので擦り剥いてしまったようだ。


 早く逃げないと。やっと終えた情報整理の後にそれを思い出して、後ろを振り向く。


 全身に鳥肌が立った。


「やっと捕まえたぜぇ」


 まるで危険な薬物をきめたかのような危ない表情。口元は涎で汚れ、双の瞳が血走っている。


 灰色フードは左腕にまで広がった炎で焼けて皮膚が爛れる。それでも構わず目の前にいる獲物を睥睨した。


 これは――やばい。僕は素直な感想を呑気に心のなかで述べた。


 間違ってはいないだろう。まさか魔法使いを相手にするとは思っていなかった。でもこの生涯で一度ならず何度でも魔法を見れたのだから。


 貴重な体験をしたかな。と思いつつ、目を瞑る。体と心はすでに諦めていたようで、もう力が入らない。魔法使い相手によくやった方だと思う。


 右腕を圧し折ってやった。一矢報いてやったのだから誇らしいと思う。この前入った部活の部長がこれを見たらどう思うだろう。絶対に褒めてくれるに違いない。


 ただ一つ気がかりなのは、この戦い。その元凶である月波綾乃。「戦いなさい」と言われた理由。


 でももうその理由も聞けないだろう。死ぬのだから。


 何もかも諦めてしまった僕は、やがて来るだろう炎に身を委ねるために静かに意識を手放した。




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