022:編集予定

 色々なことがあった。

 本当に色々ありすぎて未だに頭が混乱している。平和を求めていたのに、いつの間にかこんな波乱な生活になってしまった。武道を嗜んで鍛えることを喜びとし、誰かを守れればいいと思っていた。なのに手にしたのは非現実的で非科学的で現代の技術ではどうやっても証明できないような力。魔術。シルバーブリッツ。

 まだ完全に―――――いやまったく使いこなしていないのに、聖も完全に戦闘員として登録されてしまったのだ。これで誰かを守れるのなら。と思っても今の聖の立場はどうやっても守られる立場なのだ。魔術を使いこなせない聖は足手まといのほか他ならない。絶対に味方にしたくないランキングの上位に入るだろう。なのに勝は快く聖の参戦を受け入れてくれた。人員不足だというのにこんな非戦闘員に近い聖を受け入れる事に何の迷いもない。

 そんな勝に疑問を覚えた。もしかしたら本当は邪魔だと思っているのかもしてない。

 けれど聖は勝を嫌いにはなれなかった。嘘を言っているようには思えなかったのだ。言っている事に絶大な説得力があり、信じたくなるような先輩。理想とする上司。

 きっと勝なら聖でもうまくやれるような場を与えてくれるのではいか。



 その日の無敵武道部の朝練習を終わらせる。顧問の大胡教師は来ていなかった。

 雪歩を中心とする先輩達が聖を心配して気遣ってくれた。それが嬉しくてたまらなかった。今日は何かいいことがありそうだ。とシルバーブリッツのことを忘れて朝練習に励んだ。

 元気を補充して教室へと向かう。今なら綾乃に何を言われても平気な気がした。


 だが、現実は違った。


 教室に入ると、雰囲気が変な事に気付いた。

 原因はすぐに解った。いつもなら馬鹿をやって騒ぎ、皆に笑われて自身も楽しそうに笑っている隼人が大人しく着席し、苦い顔をしていた。そして一番の原因は綾乃だった。毎日この時間になると勉強を教えてもらうためにクラスの男女が綾乃に集るのだが、誰一人として綾乃に近づこうとしなかった。まるで見えない壁に遮られているかのようだった。

 だが聖はその壁を越えた。席に座っている綾乃の右に立つ。


「おはよう月波さん。昨日は有難う」


 笑顔で話しかける。しかしここから違った。二日前なら舌打ちか睨んで黙らせるかするのだが、それがなかった。ただじっと聖を見上げていた。

 教室の同級生は綾乃に近づく聖に気付かないふりをしていた。だが視線だけは二人に向けていた。


「どうしたの、いつもなら舌打ちするのに。今日は大人しいんだね」

「………あんたはそう思うの?」

「え?」


 綾乃は威圧感を込めた雰囲気、つまり殺気が丸出しだった。いつものものとは違う。研ぎ澄まされた刃のような、人さえ殺しそうな殺気だ。

 すると綾乃は右腕を上げた。来るか。と聖は身構えるが、それは思い違いだった。右腕は正面の黒板に向けられる。指が黒板の右端にある、マグネットで留められたプリントを指していた。この距離からなら肉眼で読める。


『図書委員会二年生、里宮百合子。一年生、月波綾乃・都竹ちさ・鳴本隼人・緋之聖は放課後に図書室に集合せよ』


 また呼ばれた。会議だろうか。

 いやただの会議なら綾乃がここまで大人しくしているはずがない。理由は綾乃がプリントに向けられた指を少し下げたことにあった。

 プリントの下に委員長の名前がった。


『図書委員会委員長二年生、小泉勝―――――SB』


 それだけで解った。周りはその意味を理解していないだろうが、今の聖にとっては解る言葉だった。


「お呼びがかかったのよ、足手まといクズ」


 同時に『足手まとい』の称号をもらった。

 小泉勝の名前の横にあるSBという文字。



 それこそSILVER BLITZ――シルバーブリッツが始まると伝えているのだった。








 こうなるはずではなかった。自分ではそう思っても事態は残酷に事実を突き付けた。

 目の前に立つ小泉勝は唖然とし、目の前で跪いて自分の才能の無さに絶望する少年を見下ろしていた。


「けどまさか、本当に何もうまくできないんだな」


 苦笑いを浮かべても事態は何も進まない。

 つまりこういうことだった。その日の放課後に魔術の体験をさせてみようと、勝は聖を図書室に呼び付けたのだ。図書室には再び『整理中のため関係者以外立ち入り禁止』の札をかけておいた。ただ昼休みと違う点は、図書委員会の委員が図書室に入ってきても勝が今どこにいるのかを知らせるために図書室の中心にある丸テーブルに一枚の紙を置いてきた。その紙には大きくSBと書かれている。

 SBとはSILVER BLITZの略である。頭文字で使用中という意味だ。

 それを見れば勝が今どこにいるのか委員なら誰でも解る。なんと本の中にいるのだ。

 まさかこんなことまで出来るとは思わなかった。勝が取り出したのは書庫にありそうな古い本で、背表紙もボロボロだった。何をするかを見ていると適当にめくったページを開き、左手に装着した赤いリストバンドを近づけた。驚いた。それだけで赤いリストバンドはシルバーブリッツで使用される腕輪に変化したのだ。

 そして気付いたらここにいた。一面真っ白な世界。そう言えば勝が適当に開いたページも空白だった気がする。いや、中身が全て空白だった。

 訳が解らず唖然としていると勝が現れて笑っていた。


「ここは本の中だ。魔術の練習、訓練はここで皆するんだ。どんな高威力な魔術を放ったとしても、ここでは何も壊れないからな。やりたい放題できる」


 便利にも程がある。呆れていると、左手に少しの重量を感じた。それを見ると、胃が痛くなった。


「またこれを付けることになるなんてな」


 魔術を発動するために必要な道具、腕輪だ。カードを四つに破ると珠になるので、それを填めて初めて魔術が出る。

 だが聖が綾乃からもらったカード『アーツ』を珠にして腕輪にはめても、魔術が発動することはなかった。ただもらったヒントは『シルバーブリッツではあまり使わないマイナーな魔術』だけだったので、中々その意味を理解するのに難があった。

 理解できたわけはないのだが、どうやら一昨日のシルバーブリッツで聖が追い詰められた時、意識熔暗CFOを発動したというのだ。そして同時に『アーツ』の魔術を使用して、追い詰めた相手を殲滅したらしい。 

 そんな聖が基本的な魔術を使ったらどうなるのか。という疑問と基礎を教えたかった勝の要望で、二人は本の中に入ったのだ。

 結果はすぐに解った。

 

「な、何で………何も使えないんだ」


 そう。何も使えなかった。計十ある属性の中から基本の技を発動できるカードを破って珠にして腕輪を前に翳す。勝は「基本は念じれば出る」と言っていた。

 だが出ない。何も出ない。いや出る事は出た。炎属性の基本の『ファイア』を使う。だが指先から火花しか出ない。水属性の基本の『アクア』を使う。だがまるで如雨露から注がれた水のようにチョロチョロと指先から出ただけだ。

 他の属性に至っては酷いものだった。雷属性の『サンダー』は静電気が発生して聖の髪全てが逆立ちになり、地属性の『ストーン』は制服の袖という袖から無数の小石と砂が流れ出た。

 そして聖が使いこなしていたという闘属性の『アーツ』だったのだが、無反応に終わった。

 これは酷い。勝が今まで見て教えてきた中でも一番酷かった。


「あー……何だ。緋之、そんなに落胆すんなって。たまにはこういうこともあるさ」


 ハッハッハと笑う勝の気遣いを余所に、聖は自分の無力さに嘆くだけだった。


「小泉先輩。やはり僕には無理なようです。シルバーブリッツから外してもらえませんか?」


 勝が見てきた中でも、不器用でもここまで酷くはなかった。一つだけなんとかまともに使える物を見つけて只管練習する。まともに使えると言っても魔術として成り立っているという意味で、火花を出したり静電気を発生させた程度では魔術として成り立たないのだ。

 このままでは足を引っ張りかねない。いや確実に引っ張ると判断した聖は一刻も早い辞退を申し出たのだが、勝は苦い顔をして首を横に振った。


「悪い。それは出来ないんだよなぁ」

「な、何でですか?」


 このままでは怒りに狂った綾乃に後ろから殺されかねない。敵よりも味方を恐れてしまう。大胡教師から綾乃は強いと聞いている。それこそ聖よりも強いのだろう。足を引っ張りまくってミスを連発すれば、まず敵より味方からターゲットにされてしまう。

 それを恐れたのだが、却下されてしまった。その理由ももっともだったのだが。


「シルバーブリッツはさ、常に一つの高校から六人以上いないといけないんだ。だから登録数は最低で六人。うちの高校でシルバーブリッツは俺と月波、鳴本、都竹、百合――――里宮な。これで五人。あと一人足りないんだ。だから、さ」


 申し訳ないように苦笑いを浮かべる勝に何だか疑問を覚えた。


「でも何でそれが僕なんですか? この高校――――いや僕の同級生ならまだ候補がいるはずです。そんな中で僕でなくてもいいはずなんだ。それなのに何の理由があって僕になったんですか?」


 聖の言い分ももっともだ。才能の欠片も見られなかった聖を使うよりも、他にもっとましな才能を持つ一年生がいるかもしれないのに、なぜ聖に拘るのだろう。


「大河先生が頼んだからだ。絶対に聖がほしい。ってな」

「大兄ぃが………あの人は、僕を守るだとか味方だとか言って、なんでこんなところに突き落とすんだか。訳が解らなくなってきた」


 大胡教師の行動の意味が解らなくなってきた。理由が不特定なのが理由だ。大胡教師は聖に何を求めているのか。本当の理由とは何なのか。


「それとあいつも頼んでたな。緋之だけはここに加えてほしくない。って」

「え?」


 それは誰なのかは解らなかった。だが急に希望がわいた。そんな天使はどこにいるのだと思い、是非ともその天使の名前を聞いて感謝したいと心から思う。


「それは誰なんですか?」

「んあ? 月波だけど」


 再び絶望の谷へ落とされる。しかもその他には奈落の底に繋がっている。テンションが急激に下がる。

 綾乃の名がトラウマへとなっていた。聞いただけで落胆するまでになると、相当なものだ。


「絶対に足手まといになるからだ………やっぱり足手まといになったら殺されるんだ」


 絶望を口にするたびにテンションが下がる。その場に蹲り、頭を抱えていた。いつから自分はこんなヘタレキャラになったのだろう。いや仕方が無い。「クズ」と呼ばれて戦場へ放りこまれたのだ。聖にとっては当然になっていた。

 だが勝はそんな聖を見て不思議そうな顔をしていた。


「違うぞ緋之。月波はそんな緋之を邪見にしていなかった。むしろ――――絶対に戦いに参加させたくない。危ない目にはあってほしくはない。そんな顔で俺に相談してきたな。この二週間で初めてみたよ。月波のあんな顔」

「え?」


 意外な言葉だった。あの綾乃が聖を戦いから遠ざけたとでも言うのか。

 聖を危険な目にあわせた張本人が。


「冗談、でしょう?」

「いや本当だって。昨日お前も見たろ? そんなことじゃない。って言った時の月波の顔」


 昨日のことというのは、この図書委員会の全員がグルで聖を殺そうとしている。と聖が勘違いしたことだった。

 その時聖の考えを真っ先に全力で否定したのが綾乃だった。見た事が無い顔だった。悲しそうで、寂しそうで、虚しそうで。初めて女の子らしい顔を見た。


「緋之がシルバーブリッツに入る事が決まった時からかな。月波の段階スペックが急上昇したんだ。もう主戦力に近いくらいにな。あいつにとってはとっても重要なことだったらしいな」


 やはり信じられない。綾乃にとって聖が大切な存在であるなんて、絶対に。この三日間に「クズ」と呼ばれて「蹴り殺すわよ」が返事の綾乃が、聖をそこまで想っているなどとは。


「詳しい事は本人に聞いてみるといい」

「彼女にそんなこと聞けると思ってるんですか?」

「ごめん。俺でもできない」


 綾乃の修羅に似た視線に睨まれれば大胡教師でも動けなくなるだろう。そんな綾乃に「どうして聖を大切に想っているの?」と聞く事こそ死を意味する。聖を「クズ」と呼ぶ以上、聖を話題に出すだけで地雷を踏むようなものだ。それなのにまるで恋話をふっかけるかのようなことはするべきではない。地雷だけでは済まない。確実に。


「悪いけど、こういうことだから。緋之はシルバーブリッツに参加してもらうことになっちまった。でも安心しろよ。お前は俺達が全力で守ってやるから」


 勝手に話を進められた挙句に強制的に戦闘員にされてしまった。

 こうして魔術もろくに使えない聖は、シルバーブリッツへの道を歩み始めたのだ。

 だがこれによって運命が大きく揺さぶられてしまった。その結果はまだ誰にも知る由も無い。

 吉と出るか凶と出るか。まだ、まだ、まだ―――――





     SILVER BLITZ





 色々なことがあった。

 本当に色々ありすぎて未だに頭が混乱している。平和を求めていたのに、いつの間にかこんな波乱な生活になってしまった。武道を嗜んで鍛えることを喜びとし、誰かを守れればいいと思っていた。なのに手にしたのは非現実的で非科学的で現代の技術ではどうやっても証明できないような力。魔術。シルバーブリッツ。

 まだ完全に―――――いやまったく使いこなしていないのに、聖も完全に戦闘員として登録されてしまったのだ。これで誰かを守れるのなら。と思っても今の聖の立場はどうやっても守られる立場なのだ。魔術を使いこなせない聖は足手まといのほか他ならない。絶対に味方にしたくないランキングの上位に入るだろう。なのに勝は快く聖の参戦を受け入れてくれた。人員不足だというのにこんな非戦闘員に近い聖を受け入れる事に何の迷いもない。

 そんな勝に疑問を覚えた。もしかしたら本当は邪魔だと思っているのかもしてない。

 けれど聖は勝を嫌いにはなれなかった。嘘を言っているようには思えなかったのだ。言っている事に絶大な説得力があり、信じたくなるような先輩。理想とする上司。

 きっと勝なら聖でもうまくやれるような場を与えてくれるのではいか。



 その日の無敵武道部の朝練習を終わらせる。顧問の大胡教師は来ていなかった。

 雪歩を中心とする先輩達が聖を心配して気遣ってくれた。それが嬉しくてたまらなかった。今日は何かいいことがありそうだ。とシルバーブリッツのことを忘れて朝練習に励んだ。

 元気を補充して教室へと向かう。今なら綾乃に何を言われても平気な気がした。


 だが、現実は違った。


 教室に入ると、雰囲気が変な事に気付いた。

 原因はすぐに解った。いつもなら馬鹿をやって騒ぎ、皆に笑われて自身も楽しそうに笑っている隼人が大人しく着席し、苦い顔をしていた。そして一番の原因は綾乃だった。毎日この時間になると勉強を教えてもらうためにクラスの男女が綾乃に集るのだが、誰一人として綾乃に近づこうとしなかった。まるで見えない壁に遮られているかのようだった。

 だが聖はその壁を越えた。席に座っている綾乃の右に立つ。


「おはよう月波さん。昨日は有難う」


 笑顔で話しかける。しかしここから違った。二日前なら舌打ちか睨んで黙らせるかするのだが、それがなかった。ただじっと聖を見上げていた。

 教室の同級生は綾乃に近づく聖に気付かないふりをしていた。だが視線だけは二人に向けていた。


「どうしたの、いつもなら舌打ちするのに。今日は大人しいんだね」

「………あんたはそう思うの?」

「え?」


 綾乃は威圧感を込めた雰囲気、つまり殺気が丸出しだった。いつものものとは違う。研ぎ澄まされた刃のような、人さえ殺しそうな殺気だ。

 すると綾乃は右腕を上げた。来るか。と聖は身構えるが、それは思い違いだった。右腕は正面の黒板に向けられる。指が黒板の右端にある、マグネットで留められたプリントを指していた。この距離からなら肉眼で読める。


『図書委員会二年生、里宮百合子。一年生、月波綾乃・都竹ちさ・鳴本隼人・緋之聖は放課後に図書室に集合せよ』


 また呼ばれた。会議だろうか。

 いやただの会議なら綾乃がここまで大人しくしているはずがない。理由は綾乃がプリントに向けられた指を少し下げたことにあった。

 プリントの下に委員長の名前がった。


『図書委員会委員長二年生、小泉勝―――――SB』


 それだけで解った。周りはその意味を理解していないだろうが、今の聖にとっては解る言葉だった。


「お呼びがかかったのよ、足手まといクズ」


 同時に『足手まとい』の称号をもらった。

 小泉勝の名前の横にあるSBという文字。



 それこそSILVER BLITZ――――シルバーブリッツが始まると伝えているのだった。








 つまりこうだ。放課後に戦争があるからHRが終わったらにすぐに来なさい。

 簡単だったが、事態が簡単に済む話しではない。あのはしゃぐのが好きな隼人でさえ緊張した面持ちで一日を過ごしたのだから。だがその点は聖も同じだった。朝一限目からトラウマの光景が脳内にフラッシュバックして仕方が無い。そして意識熔暗CFOを発動した時の激しい破壊衝動。自分を抑えられないほどの興奮と、相手を傷付けた時の嬉々とした高揚感。そしてその後の自己嫌悪。

 そしてまた戦争が始まる。嫌な気分の隅に、また敵を傷付けられるという狂喜があったが、気付かないふりをする。

 放課後、HRが終わったら担任である大胡教師から「図書委員は必ずこの後に図書室に行くように」と注意があった。大胡教師は聖を見なかった。

 鞄に私物を詰めると聖は周りを見た。綾乃はもう席を立ち、聖を一瞥して教室を出た。最後に隼人を見た。隼人はゆっくりと立ち上がり、聖の視線に気付いた。


「………おかしいよな」

「何が?」


 隼人が呟くように言う。聖は聞き返した。


「普通はな、こんな早く次の戦いがあるなんておかしいんだ。必ず二週間以下の休みがある。月に二三回あるって聞いたけど、まさか四日目でこれだよ。どんだけ血を見たいんだかな」


 自嘲気味に言った。不安そうだ。やはり隼人も怖いのだ。


「鳴本、大丈夫か?」


 歩み寄って隼人の肩を掴む。隼人は動かなかった。動けないのだ。戦う勇気と覚悟がないのか。いや普通は無理なのだ。戦争時代ではないのに、普通の高校一年生にいきなり赤紙を突き付けられたようなものだ。覚悟なんて決まらないだろう。

 だが隼人は頑張っている。必死に踏ん張り、事実に向き合っている。


「変だよな。本来ならお前を励ますのに………お前よりも魔術使えるのに、なんで俺がビビってんだろうな。恥ずかしいな、俺」

「そんなことあるか。鳴本は必死に頑張ってるんだろ? 立派だよ」

「………そんなこと言ってくれるの、お前だけだ」


 隼人も隼人なりに悩んでたらしい。やはり普通の男子高校生なのだ。聖と同じで、この魔術戦争について恐れ、悩み、戦ったのだ。

 聖ただ一人が悩んでいるのではない。ならば共に助け合えるかもしれない。


「なぁ鳴本」


 友人になりたい。いや、もっと良い仲に。


「今日の戦いが終わったらでいいから考えてくれないか?」

「え、何をだ」

「生きて帰れたら、僕の相棒パートナーになってほしい」


 苦楽を一人で超えてはいけない。そこに誰かいてほしい。自分と歳も近い少年がいいと思った。

 隼人は明るくて面白い。一緒にいて楽しい。なのでこの魔術戦争、シルバーブリッツで共に戦い、背を任せ合える相棒がいれば勇気が出る。

 その意味を込めて提案したのだが、隼人は逆にげっそりとした顔で聖を見た。


「それ、何の死亡フラグだ?」


 沈黙。

 隼人はもしかしたら相棒パートナーは不必要なのかもしれない。

 今の話は忘れることにした。この空気が読めない阿呆は放っておいてさっさと図書室にでも行くか。と鞄を担いで教室を出た。


「ちょ、ちょっと待てって緋之! 冗談だって! 悪かったって!」


 背後で阿呆が何か叫んでいた。だが聖は歩みを止めない。


「戻ってきてくれよお!」


 結局この阿呆―――――隼人も鞄を担いで教室を飛び出して、聖を追い掛けた。





     SILVER BLITZ





 図書室は途轍もない緊張感で溢れていた。まるで幾戦もの戦場を生き抜いてきた精鋭の戦士が、今新たな戦場に向けて武器を背負って移動しているかのようだ。

 いや間違ってはいない。今から戦争に行くのは合っている。

 図書室の入口には再び『整理中につき関係者以外は立ち入り禁止』の札が提げてある。なので部外者の介入はない。すでに図書室には六人の生徒と一人の教師が揃っていた。

 中心にある丸テーブルには七人が座っている。奥から勝と百合子、時計回りに大胡教師、ちさ、綾乃、聖、隼人だ。しかし隼人はなぜか泣いていた。グスングスンと鼻を鳴らしている。先程の聖の仕打ちのせいだ。

 少しやり過ぎたかな。と聖は反省するが、顔には出さなかった。そんな空気ではない。


「今日の相手は――――東所根高校だったね」


 大胡教師が勝に確認をとる。勝は首肯した。


「そうです。去年の今頃にやり合いました。結果はこっちの圧勝で終わっています」

「ならいい。けど今年は去年みたいにはいかないかもしれない。解ってるね?」

「勿論です。作戦もありますので、勝機は十分にあります」


 勝が断言する。勝が言うと説得力あるな。と聖は関心していた。

 大胡教師が首肯したので許可降りたということだ。

 そしてここから戦争が始まるのだ。


「皆。まさかこんな短期でシルバーブリッツが行われるなんて俺も初めてだけど―――――兎に角この戦い、俺に預けてくれ。まあいつも通り人選は俺がするし、選ばれた奴は従ってくれればいいっていつものことなんだけどな」


 勝が立ち上がって言う。百合子が差し出した一冊の本を受け取り、丸テーブルの中心に置いた。


「今から人選を発表する。尚、これはすでに大胡先生の許可を受けているので理由が無い限り否定はできない。覚えておいてくれ」


 こういう説明は初めての聖に説明されているのだ。実際、勝は常に聖を見ている。その視線に秘めたる本質は何かまでは見抜けなかった。


「今日は四人で行く。相手は多分多勢を構えるだろうが、それが逆に墓穴掘ってるってことを教えてやる」


 大胡教師と百合子が笑う。一年生は、聖とちさは苦笑いを浮かべるしかできなかった。それ以外、つまり綾乃は黙り、隼人はまだ泣いていた。


「まず一人目。要は俺だ。シルバーブリッツは相手の要を戦闘不能にしちまえば終わるからな。この時点で何通りの戦術が組めるんだが、相手はまたあの手で組んで来るから、俺が要になることが一番効率がいい。そんで二人目、月波。お前は攻撃に必須だからな。三人目は鳴本。理由は途中で話す」

「………了解」

「ひっ、そ、そんなぁ」


 綾乃は相変わらず無表情で頷く。隼人に至ってはさらに怯えていた。涙は止まったが、今度は震えていた。

 そして最後の一人。まず自分はない。と聖は思っていた。戦力外な聖がいても邪魔なだけだし、弾避けにもならないだろう。ここは勝と同じ場数を踏んだ百合子か、隼人よりも段階スペックが上なちさが妥当というところだ。

 なのに。勝は何を考えてこんな人選にしたのだろう。大胡教師は何の根拠があってそれを受諾したのだろう。数秒後、聖は我が耳を疑った。


「最後、緋之な」

「はい?」

 

 満面な笑みでそれに答えた。いや聞き返した。

 有得ないおとが起きた。きっと聞き間違いだろう。最近とても疲れていたから。だからこれは是非とも聞き間違いであってほしいところなのだが――――


「いや最後。お前って言ってるんだよ緋之」


 勝も満面の笑みでそれに応じた。死の宣告とはこのことだ。

 ちさは「頑張って!」と両手を胸の前で握ってエールを送り、百合子は少し驚いて「わぁーお」と楽しそうに笑っていた。


「やったなこれで生きて帰れたら相棒になれるな!」


 いつの間にか震えが止まっていた隼人が急にやる気を出した。


「頑張れよ」


 大胡教師はただ一言。それだけだった。

 くっ。と何とも言えない感情を押し殺そうとした。そして最後に恐ろしいことを思い出した。ここ二日間に悪罵をいつものように浴びせ続けた綾乃の存在。何やら隣から異様な空気が漂って来ることから、相当頭に来ているだろう。と思っていた。


「あ、あの………」


 油が指されていないブリキ人形のように、ギギギとぎこちない感じで綾乃を見る。

 そして直後に失敗だったと悟った。


「あ?」


 腕を組んで沈黙していた綾乃が少し口を開いたかと思えば出て来た言葉が「あ?」だった。まるで睡眠を邪魔された虎のような機嫌の悪さ。聖は兎のようにビクッと跳ねそうになった。


「あ、いや、あの――――邪魔しないようにするから」

「………ふん」


 勝の言っていた拒否権は無いということでメンバー参加を拒否できない。なので邪魔しないということだけを約束して機嫌を直そうとしたのだが大失敗。さらに不機嫌を深めてしまった。

 男子として情けないとは思ったが戦力になれないのは事実だ。せめて邪魔にならないように離れているか気配を消して後ろから奇襲しかできないだろう。しかし奇襲も一度が限界だ。そこまで接近するにはリスクが高すぎる。周囲全体に攻撃できる魔術を放たれてしまえば聖は一溜りもないだろう。


「都竹や里宮は今回外す理由は、今回の作戦には不向きだからだ。慎重性を高めたいのでこのメンバーで行く。ただし月波は派手にぶっ放して良しとする。鳴本と緋之は生き残れば良し。それじゃ行こうか」


 丸テーブルの中心に置かれた本を開く。そのページには写真があった。正確に言うとページ全体が挿絵なのだ。夕方が終わる頃の森林。聖が戦った場所に似て―――――いやここだ。聖はここで灰色ローブのシルバーブリッツに追いかけまわされて殺されそうになった。

 その写真を見て勝が聖に説明を加える。


「緋之、ポケットにリストバンドあるだろ。出して左腕に填めるんだ」


 確かに聖の紺のブレザーのポケットには赤いリストバンドがある。見ると全員同じ場所に入れてあるようで、右側の腰の位置にあるポケットだった。

 綾乃と隼人が赤いリストバンドを填めたことを確認すると、自分もリストバンドを取り出して左腕に填めた。最後に勝が填める。


「では大河先生。行ってきます」

「ああ。無事に生きて帰ってきてくれな」


 大胡教師はあまり元気とは言えない顔でそれに答えた。


「大胡先生」


 聖が大胡教師に声をかける。大胡教師も気付いていた。やはり大人気なかったかな。と反省して苦笑いを浮かべた。


「大丈夫。俺がいなくても勝がお前を導いてくれる。だから、生きて帰って来てくれ。これは俺の心からの願いだ」


 いつもの大胡教師に戻っていた。昨日のようにピリピリとした表情はどこにもなく、弟を心配するような兄のような、いつもと変わらない優しい大胡教師。聖が安心して心を開いている兄。


「うん。行って来るよ」


 力強く頷く。出発前にいつもの大胡教師の顔を見れた事が嬉しかった。勇気が湧いた。シルバーブリッツとも素手で戦えそうな気がする。

 それを見届けた大胡教師が勝に「皆を頼む」と言う。勝は首肯してそれに答えた。


「では皆、構えてくれ」


 聖も一度やったことがある。昨日勝に魔術の基礎を教わる時に本の中に入った時と一緒だ。赤いリストバンドを本の上に翳すだけ。しかし今回はその後にもう一つだけ追加されたことがあった。


「リストバンドをした手を突きだして、本の上で突き合わせるんだ。四人の拳を打ち鳴らす。それが契約なんだ。これから四人がシルバーブリッツとして戦いますっていうな」

「解りました」


 赤いリストバンドをした左腕を見る。そして拳を握った。

 後は勝の合図でそれを突きだす。


「さて、今日も勝つぞ!」


 叫びと共に勝の左腕が動く。他の三人がそれに合わせた。

 ガツンと四つの左拳が暗闇の森林の挿絵ページの上で打ち鳴らされる。

 すると景色が一変した。視界が歪曲して螺旋を描く。

 聖は三度目の体が引きずり込まれる感覚を体感した。





     SILVER BLITZ





 高台の上にいた。いや正確に言えば丘のような場所の上なのだが。

 見覚えがある。最初に聖が降り立った場所だ。暗闇の森林をよく見渡せる場所だった。

 暗闇の森林に足を踏み入れた聖。三日前と変わらず薄暗い所だ。そして空気が冷たい。聖にとってはトラウマな場所だ。だが心持は三日前とは明らかに違う。目的を持った戦いは聖の士気を強く鼓舞した。

 暗闇の森林は盆地のようなところだ。今いる丘は岩の上にあった。大きな岩だった。幅約二十メートル程、高さ約二十五メートル程。聖を入れて四人が立つには十分にスペースがある場所だった。と、聖の後ろから勝が歩み寄って来た。「大丈夫か」と問う。やはりトラウマを気にかけているのだ。聖は苦笑いを浮かべて「大丈夫です」と答えた。


「俺達は毎回ここに飛ばされる。ここで戦闘をスタートさせるんだ」


 森林を見下ろして、次に辺りを見渡した。

 聖は今気付いたのだが、この暗闇の森林は盆地のようなステージだったのだ。今いる岩のような高台がいくつかあり、それを低い岩が塀のように並んで森林を囲んでいる。そして背後を見ると、そこは闇だった。果てしない闇が続いていた。まるで闇の中に島として浮いているような所で気味が悪かった。

 すると勝が胸元のポケットからカードを引き抜いた。シルバーブリッツとして戦う際にはこのカードを核として珠にしなければならない。


「うん。今日も良いカードだ」


 引きぬける上限は十枚。そこから五枚選んで腕輪に填めるのだ。勝の選択は早い。全てが手慣れていた。赤いリストバンドを左腕の手首ごと掴んで回す。すると赤いリストバンドは瞬時に腕輪に変形しているのだ。そこに今選んだ五枚のカードを珠にして入れる。一枚一枚縦横に一回裂くと珠になるのでそれを五回繰り返す。

 すると残った五枚のカードはその場で砕け散った。風に乗って霧散する。

 見ると綾乃も隼人もすでに選び終えたようで、手元から砕け散ったカードが粉になって零れていた。


「引けるカードは自分の経験だとか使いやすい、使い慣れているカードが優先されて回って来る場合が多い。大体八十パーセントってところか。引いてみるといい」


 聖が今使いこなしている、または気に入っているカードとは何なのか不明で不安で仕方無かったが、まずは引いてみないことには始まらない。Yシャツの胸ポケットに硬質な何かが入っていることを確認する。摘んでみると一センチ程の厚さだった。

 手が汗ばんでいる。それから一気に引き抜いた。

 展開してみて、早速絶望する。


「何だよこれ………」

「え、ちょ、何これ」


 十枚のカードを広げて呟くと、隼人も覗きこんで感想を述べた。

 二人の顔色が変わった事で綾乃もそれを確認する。


「………クズばっかね」


 まぁ仰る通りなのですが。


「んと、何だ。俺もこういうの初めて見たから………どうにもコメントし辛いな」


 勝が苦笑する。

 最後に聖が本気で泣きそうになった。

 当然だろう。この手札の悪さを見て絶望しない者はいない。

 バラバラなのだ。属性が六に割れていて、しかもその半分の五枚を闘属性『アーツ』が占めていた。練習ではろくに使えもしなかった『アーツ』が「使ってくれ」とでも言っているように五枚も現れた。

 その他は練習で少しだけ使えた基礎のカードだった。


「と、兎に角組もうか」


 勝の提案で我に帰る。組み合わせはろくに出来ないので、仕方が無いので『アーツ』全てを腕輪に入れた。戦力にはなれないことは解っている。だがそれ以外何もできないのだ。まだ段階スペックが第一にも満たないのにいきなり魔術を使っても何もできない。



「それじゃ、始めようか」


 暗闇の森林を前にして、準備が整った後輩を確認した勝が言う。


「て言うか、もう始まってるでしょ。相手はもう動いてる」


 綾乃が岩から身を乗り出して言う。ハハハと勝は苦笑いを浮かべながら体を解す。隼人も手足を回して準備運動をしていた。聖も最低限のことをしておこうと脚を広げる。 


「月波。好きにぶっ放していいぞ。あそこにやってくれ」


 早速勝の指示が飛ぶ。指示した場所は森林の中央だった。

 これから綾乃が何をするのか興味があった聖は、綾乃を背中を凝視した。一体あの華奢な少女に何が出来るのか。そう思っていたがそれは偏見だった。人は見掛けによらない。過小評価はしてはいけないものだ。


「………了解」


 綾乃の腕輪にある中央の珠が光る。あの光には見覚えがあった。確か聖が保健室に運ばれて、見舞いに来てくれた時に見せてくれた魔術。光属性『レイ・バースト』だった。光属性の基礎は『ライト』で聖が練習で使った時には線香花火程度にしか出せなかったのだが、その真価を発揮できる術者が使うと、破壊力は絶大になると勝が語る。

 右手を暗闇の森林の中心に向ける。そしてそれを放った。

 光属性基礎『ライト』を変化させた『レイ』。そしてそれを二つ進化させた『レイ・バースト』だ。

 つまり光線だった。ビームと言ってもいい。ただその太さは綾乃の身長の二倍は超していた。そんなものが高速で目的地の森林中央部へ命中した。

 ステージの中心に巨大なクレーターを残す。木々を焼き払い、半径百メートルまであった障害物全てを破壊した。その余波は木々を難なく薙ぎ倒す。また飛び散った炎が木に燃え移り、沢山の光源を作った。


「よし、こんなもんだろ」


 勝は満足そうに頷く。

 聖が唖然とし、頬を少し火傷した隼人は頬を擦っていた。

 綾乃はそっぽを向いていた。


「それじゃ始めようか」


 そんな三人を見て笑い、本日二回目の開始を提案した。


「去年はこんな威力の魔術出せる奴なんていなかったからな。あちらさんも驚いてるだろ」


 なんだか凄く楽しそうだ。


「緋之、MPは覚えているな?」

「はい」


 MPとはそのまま、マジックポイントのことだ。誰でも解りやすいようにゲームのように呼んでいた。 高校によって呼び方が異なるようだ。マナだとか、TPだとか。

 この高校でいうMPはまず第一段階になると四百MPが与えられ、一段階ずつ上がると毎回五十MP上がる事になっている。今のところ上限が何MPまで上がるのかは見つかっていない。


「ちなみに月波、今どんくらいMP使った?」

「五十MP………」

「あれだけの威力だもんな。けど今から節約して使えよ? スパートはラストで良いから」

「解った」


 頷いて後ろの二人を見た。綾乃に比べれば聖はとても足手まといだ。隼人もそれなりに使えるらしいが綾乃には及ばないらしい。

 なので綾乃の視線は痛かった。


「それじゃ俺は行くから。緋之と鳴本は月波から離れるなよ? 月波。いくら二人が使えないからって後ろから殺したり囮にして見放さないように」 

「―――――チッ!」


 変な音が聞こえた。


「あの馬鹿は事故だったってことじゃ、駄目?」

「おぅい!」


 隼人を指差して何気なく危ない事を言う。なぜ聖でないのかは解らかったが。


「駄目だ。鳴本は出来る限り月波の援護と緋之を守れ。緋之はとりあえず生き抜くことを考えろ。で戦えるなら戦っていいぞ―――――皆、生き残ったら大河先生に夕飯集ろうな!」


 勝は爽やかに笑んで岩から飛び降りた。勝なら一人でも生きて帰れそうだ。

 だが聖は人の心配をしている余裕はない。まず自分の身を心配して生き抜かなければならないのだ。

 こんな無茶苦茶な世界で生き延びるためには相当な覚悟が必要となるのだが、聖にはまだそれがなかった。聖よりも段階だけなら隼人が上なのに、隼人ですら恐怖を抱いて戦場に立っているのだ。

 勝が行ってしまったことにより、三人はその場に残された。あまり交流がないので話題もない。作戦を立てようにも聖よりも二人は戦力が上なのだ。出しゃばっては邪魔になりかねない。

 と、その沈黙を珍しく綾乃が破った。とても不機嫌そうな声で――――いや実際に不機嫌なのだが、仕方ないと溜息を吐いて背後の聖と隼人を睨んだ。


「………馬鹿クズコンビ。小泉の命令だから仕方ないけど、私の邪魔したら次は本気で消しにかかるわよ。肝に銘じておく事ね」


 冷たい言い様だった。だが言い返せない。


「じゃ、行くわよ。クズもせいぜい一人くらいは倒すのね」


 そう言うと、綾乃も岩から飛び降りた。急斜面だったが滑って降りる事が出来る。緩やかなカーブを選んでゆっくり降りるのだ。


「気にすんなよ。やばくなったら俺もフォローしてやっから。――――俺に余裕があればの話だがな」


 聖の肩を叩いて隼人も飛び降りる。

 聖はどうしようもないので、二人に続いて飛び降りる。隼人も綾乃と同じように緩やかなカーブを見つけて滑っていた。すでに綾乃は三分の一を滑っている。

 隼人は聖が途中で転ばないか心配で、常に背後に気を配っていた。転ぶと巻き込まれかねないし、だが受け止めてやるつもりだった。その予定だった。


「あ?」


 必要が無かった。すぐに背後に気配を感じる。耳にカツカツと異音がする。まるで石と石を叩いているような硬質な音だった。音源はすぐに解った。

 現代の牛若丸を思わせるような移動方法。すでに滑り終えて上を見上げている綾乃が唖然としていた。


「先に行く」


 聖だった。聖は急斜面を滑っているのではない。文字通り飛び降りていた。ただ数回に分けて跳んでいるのだ。最初に降りた場所は岩の高台の上だった。岩というからには斜面に隆起している突起もあるし、突起と言う程ではないが盛り上がっている部分もあった。

 それを蹴っていた。落下の速度を緩め、かつ確実に迅速に降りる。隼人が半分に差し掛かる頃には三分の位置までいて、大きく盛り上がっている部分に両足を付けると今までよりも大きく跳んだ。


「こっちの方が速いと思うんだけど。月波さんはどう思う?」


 五メートルを超える距離から跳んだ。空中で一回回転し、綾乃のすぐ隣に着地する。地面に足を付けてもぶれず、着地した衝撃を膝を曲げて、足の裏から効率よく分散する。

 綾乃は唖然としたまま何ともなさそうな顔をしている聖を見ている。するとやっと隼人が降りて来た。


「お前は化物かよ! あんな高い位置から一気に飛び降りるなんてよぉ」

「え? あの方が速くないか? なんで鳴本はやらないんだ?」

「お前しかできねぇよ! 最初っからあの方法で跳び下りたのかよ怖くねぇのかよ」

「………全然?」


 足への負担もないようで、平然としている聖の顔を見て二人は呆れた。聖は訳が解らなそうにしていた。

 だが突然綾乃と隼人の表情が引き締まった。聖もそれを察する。


「すでにおいでなすったようね。――――私の一発を喰らってもまだ噛みついてくるなんて、少し生意気な連中ね。陳腐な分際でよくやるわ」


 悪罵しても綾乃の顔は崩れない。ただ淡々としているだけだ。

 凛としているわけでもない。義務的なものとでも思っている訳でもなさそうだ。慣れている。それが一番しっくりくる。


「囲まれたのか?」


 一方隼人は不安そうに慌てていた。それでもこちらの位置を察しさせまいと声を小さくしている。今更な事でもう遅いのだが。


「落ち着きなさい馬鹿。もう何したって無駄なのよ。敵の位置や数が解らない以上、無駄撃ちしてでも突破するか……」


 相手の情報が未確定な以上、下手に動いてはいけない。勝からそう教わったのだが、綾乃はその決まり事を平気で破った。

 絶対的な自信と破壊力。その二つを綾乃は兼ね備えている。MPを無駄にしてでもこの状況を打破する気だった。隼人も腹を括ったようで、腕輪をしている左腕のシャツを捲り上げた。

 すると聖が前に出た綾乃と隼人の肩を掴み、自分へ引き寄せた。二人は驚いてされるままにされていたが、気付いた綾乃が嫌そうに唸る。


「何すんのよクズ。速くしないとあっちから撃たれるのよ? そしたらあんたまで死ぬの。嫌ならとっととその手を離して下がるか逃げなさい。邪魔なのよ!」

「そ、そうだぜ緋之! ここは月波の言う通りだ。俺達に任せて下がっとけって」


 隼人も聖の奇怪な行動に驚いて、肩を掴んでいる聖の手に手を乗せた。綾乃は聖の手に爪を立ててガリガリと引っ掻いている。聖の手に少し血が滲む。

 しかし聖は手を離すどころかもっと力を強めた。「痛っ」と綾乃が呻く。隼人は顔を顰めた。

 そんな聖を咎めるべく、綾乃は今度は顔面を殴ってでも下がらせようと拳を握った時だった。


「落ち付けよ二人共。無茶に撃っても無駄なだけだ」


 ちょっと前まで優しい顔でキョトンとしていた聖とは思えない様な声が耳元でした。隼人は眼を剥き、綾乃は驚いて握った拳を止めてしまった。

 

「合計………三十って所か。この後ろの岩を覗いて全方位に展開、その壁は薄いけど一人倒したところで他がカバーできるようになってる。距離は約四十メートル。扇型に開いてるから逃げても捕まってしまう。ここで迎え撃たないとな」

  

 また二人は唖然としていた。今までこんなことは無かった。相手の数と位置を割り出すなんて高性能レーダーでも体内に搭載しているのか。

 

「緋之、お前………敵の数と位置が見えるのか?」

「気配だけだけどね。でもこれだけしか解らない……いや、全員魔術師、シルバーブリッツなんだろ。これから僕では到底敵わないんだろうな。だから二人で守ってくれるんだろ?」

「あ、当たり前だ」


 聖の問いに隼人が力強く頷く。


「ふ、ふん…」


 綾乃は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。同意したのだろう。


「全方位に扇型で展開ね――――じゃ、穴開けてあげるから、馬鹿クズコンビはそこから逃げなさい。ここは私がどうにかするから。言っとくけど残るとは言わせないわよ。ていうか傍にいられると本当に邪魔。流れ弾で死んでも知らないわ……よっ」


 綾乃の左腕の腕輪が光る。ふたたび『レイ・バースト』を放つのだ。左手の掌から光の弾が出現し、一回転したと思ったら目にも止まらぬ速さで左方向に飛んだ。それは地面を焼かない光線だった。細い糸、レーザーに思える。

 細いレーザーは目測でも五十メートル程はあった。岩から二十度までレーザーが薙いだ。綾乃は少し腕を動かしただけだったのだが、五十メートル先の位置では数メートルの被害が出ていた。これなら一人どころではなく五人は吹っ飛んだだろう。


「行きなさい」


 これくらい何でもない。そんな顔をしている綾乃は言った。


「じゃ、任せたぜ」

「ごめん」


 隼人と聖は綾乃が開いた道から脱出を試みる。同時に暗闇から一斉に動く気配があった。だが綾乃は今と同じようなレーザーを伸ばして行き先を塞いだ。気配が止まる。まるで逃亡中に先周りしていた警察官と鉢合わせしたかのように。

 気配が一斉に綾乃に向く。それでも五人くらいはレーザーを潜りぬけていた。でもそれくらいならあの二人でもなんとかできるだろう。

 綾乃は止まった獰猛な気配を全身に感じていた。いや、殺気だろう。殺気なら簡単に読み取れる。

 そして暗闇に向かって言い放つ。


「で、これだけの人数でいいわけ? もっと人数増やしてもいいのに」


 ザワ……と草木が揺れる。


「一体どれだけの大馬鹿が私の相手になるのかしらね」






 やれるかどうかはまだ解らない。だがやるしかない。

 この暗闇を走るのは二回目だった。あの時は必死に――――いや今も必死なのだが、走っていた。命を落とすかもしれないという不安は計り知れないものだ。体に何か所も火傷を負い、泥塗れになりながらも逃げ回った。反撃に出るが失敗に終わる。その後は完全に追い詰められた。

 もしかすると今回もそうなるかもしれない。隼人が倒れれば聖に立ち向かう術が限られてしまう。隼人がいてもそこまで立ち向かえる戦力にはならないのかもしれないのだろうが、これでやるしかないのだ。


「止まれ!」


 先導するために先を走っていた隼人が急ブレーキをかけ、聖に叫ぶ。聖はそれに従って土を靴で削り飛ばしながらも止まった。すると隼人が聖の後ろに立つ。

 隼人が立つ瞬間、背後に灯りが見えた。火球だった。あの時のトラウマが思い出され、全身に鳥肌が立つ。だが隼人がすでに動いていた。シャツを捲っているので腕輪が光ると目立つ。右から二番目が光っていた。


「ロック!」


 地属性の基本の一つ、『ロック』だ。聖が『ロック』を発動すると制服の裾から砂利と砂が大量に零れ出たものだ。

 だが隼人の『ロック』は違った。発動した瞬間に右足で強く地面を踏みつけた。すると隼人の目の前に高さ二メートルを超す大きな岩が地面から競り上がった。生えたといってもいい。

 物凄い勢いで競り上がったそれは簡単に火球を打ち消した。

 

「そんくらいなら打ち消せるんだよ! 第四段階スペック舐めんな!」


 打ち消した際に散る火花が隼人を照らす。珍しく頼もしい隼人に礼を言おうとするが、また後方から光が見えた。


「左だ、鳴本!」

「あいよっと!」


 火球がまた迫る。今度は左足で地面を踏んだ。『ロック』が発動されて分厚い岩が競り上がる。


「今だな。逃げるぜ、緋之」


 『ロック』が消える前に少しでも距離を開かないといけない。防壁を上げたせいで僅かなタイムロスが出たのだ。これを取り戻さなければならない。

 だが相手はまた火球を撃って来るだろう。しかも聖が読み取っていた追手の人数は複数いた。追撃と追尾に分かれられればあっという間に追い付かれてしまう。これをどうするのか隼人に聞こうとするが、それは無駄な心配だった。


「あらよっと」


 左腕の腕輪の珠が光る。再び『ロック』が発動されたのだろう。

 しかし今回は先程の競り上がる大きな岩ではなかった。数回に分けられて発動されたそれは細かく地面から競り上がった。まるで氷柱が逆に生えて来たかのようだ。また発動範囲も広く、一歩一歩広がるごとに後ろに伸びた。後方の広くを岩針で埋め尽くした。


「これで時間は稼げるだろ」

「……すごいな。これも同じ『ロック』なのか?」

「おうよ。元々魔術は使用者のイメージを元に現れるからな。そのイメージがちゃんとしたものなら現れる。今の飛んできた『ファイア』もイメージで飛ばすことが可能になった。だがこちとら頑丈で大きな岩をイメージしたんでな。MPもそれなりに削られたけど、まだまだいけるぜ」


 足止めを喰らっているのか、後方からの追撃は途絶え始めていた。聖の感じている人の気配も遠くなっていて、しかしこの暗闇の森林では距離が解らない。情報が制限されて終いには閉ざされてしまうのだ。

 周りに何かヒントとなるものはないかと見渡す。するとヒントはすぐに見つかった。


「はは……月波の奴、ド派手に飛ばしてやがんなぁ」


 後ろを振り向いて隼人が苦笑いを浮かべた。聖もつられて振り返る。


「ハ、ハハ………」


 光の柱だった。闇を照らす閃光。太い柱が雲を貫き、さらにそこから何本もの光の鞭が出現して地上に降り注ぐ。攻防一体となった物凄い攻撃だった。


「悔しいけどよ、月波は俺の二倍以上の段階スペックだからよ。俺にゃできねぇ攻撃ができんだよな。俺が真似したらすぐにMPが尽きちまうよ」


 隼人と綾乃はほぼ同じ時期にシルバーブリッツとなったのだが、そこは才能の差なのだろうか、綾乃は隼人より二倍の速さで段階スペックを上げてしまった。このまま二年生になれば最高ランクと確認されている第二十段階まで上り詰めてしまうのではないか。と勝は語っていた。確かに次期主力は綾乃で確定なのだろう。高校にとっても有難い話しだ。


「――――さて、ここらでもういいだろ。一旦休もうぜ」


 後ろに追手が迫っていないかもう一度確認して隼人は太い樹の幹に背中を預けた。聖もそれに倣う。

 二人は全速力で追手から逃げていた。五分以上は逃げ続けただろう。流石に隼人は体力に底が見えていた。魔術を使いながら走ったのだ。もしかしたら使う度に体力を消耗するのかもしれない。

 一方聖はまだ十分は走れた。実はそこまで全速力ではなかった。隼人の速度に合わせていたのだ。本気で走ればとっくに姿が見えない距離までいただろう。


「あ? 緋之、休まねぇの?」


 そのことを怪訝に思った隼人が聖に問う。隼人は座り込んで肩で息をしているのに聖はそこまで疲れた表情はないようで、あまり息を切らしていなかった。辺りを警戒しているように見渡している。


「ああ。そこまで疲れてないから」

「マジかよ。俺なんてもうクタクタだぜ? さっきのジャンプと言い、なんかお前人間離れしてるよな」

「そう? でも鳴本は魔術を使いながら走ったんだ。疲れて当然かもよ。お疲れさま」


 ハハハと再び苦笑いを浮かべて隼人がやっと顔を上げた。

 

「でもお前って本当に人間かよって思うとこあるよな。よく人の気配なんて気付けるもんだよ。しかも人数と距離まで解ってやんの。すげぇよ」

「そうか? 僕にとっては普通だったんだが………」


 体力からしてすでに人間ではない。隼人は内心でそう思っていた。

 実は最初からおかしいと思っていた。初めてで実戦に出されて勝ってしまった。圧勝だった。シルバーブリッツの中ではもっとも使われないとされる『アーツ』を使いならして敵を倒した。報告ではそうあった。正直目を疑った。

 でもそばにいて解った。聖はこういう実戦に慣れているだけなのだ。戦い慣れている。どこから攻められても対応できるように仕込まれている。

 さらに所属している無敵武道部で実力を磨いた。同じ人間同士ならばまともに戦えるのだろうが、この世界では魔術が蔓延るシルバーブリッツなのだ。非科学的な技が飛び交う場所で接近格闘戦は最も不向きとされていた。だが聖はその常識を覆した。

 聖はこの先何かをする。それを見てみたい。それが隼人の素直な気持ち。

 このまま戦えばいずれ――――


「鳴本、上だ!」


 ハッとした時にはもう遅い。聖のことに気を取られ過ぎていた。

 隼人の頭上に五十センチほどの氷の塊が迫っていた。追手の気配はまだない。なのにピンポイントで隼人の頭上に落下してきたのだ。これも相手の魔術によるものだろう。いつの間にか発信機でも付けられたのか。

 とにかく相手の魔術は的確だった。積極的に魔術で防御をする隼人を潰せば聖を倒すのは容易であると気付いたのだ。


「くっそ、間にあわ――――」


 あれが隼人の頭部を直撃すればただでは済まないだろう。頭を割って大怪我をしかねない。仕方なく両腕を怪我する覚悟で、頭上で両腕をクロスする。

 くるべく衝撃を待ちうけようとしたが、頬に風を感じただけだった。


「動くなよ!」


 頭上で声がする。聖の声だと解った時に視線だけを上に向けた。

 聖は大きく跳んでいた。そして隼人の背後の巨木に足を付け、隼人の頭上まで一気に飛び上がる。

 巨木を蹴った時の勢いを殺さず体を回転させる。隼人が頬に感じた風は空気を斬る聖の足からくるものだった。

 聖は空中で見事なサマーソルトキックを決めていた。氷の塊を金属バッドで叩いたガラスのように容易く砕く。通常の人間が跳躍できる高さを遥かに超えたところでサマーソルトキックを決めるとここまで美しいものなのだな。と隼人は関心していた。

 だがすぐに我に返った。次撃の二発、先程の大きさの氷塊が聖の頭上に迫っていたのだ。聖は勢いを使い果たしてしまっているので動けない。ならば。


「いくぜ緋之、受け取れ!」


 隼人のアシストは完璧だった。『ロック』で地面から競り上がらせたのは幅が一メートルほどはありそうな四角形の柱だった。しかも所々に凹凸があり、掴みやすそうな形をしている。競り上がった柱は次撃の内一個を直撃して粉々に玉砕する。しかし一個取り逃がした。

 それは問題なかった。二個の内一個を破壊した瞬間に競り上がる勢いがピタッと止まったのだ。すると柱が僅かに傾いた。地盤が緩んでいるのではないし、根元に亀裂が入ったのではない。聖が掴みやすい凹凸を掴んだのだ。


「あげてくれ!」 

「行って来い!」


 聖の合図で隼人がもう一度足を踏む。発生が中断されていた柱が再び競り上がり始めた。傾いたことにより確実に次の一個まで辿り着く事が出来た。後は凹凸から手を離した聖が氷の塊に踵を落とすだけだ。

 やはり人間離れしているな。と隼人は呆れていた。

 崩れる岩の柱を足場にして地面に降り立った聖は綺麗に隼人の隣に着地した。


「鳴本。早くここを離れよう。襲撃を受けたと言う事はこの位置はばれている」


 聖が提案する。しかし隼人はそれに賛同しなかった。


「いや、もう無駄だろうな」


 珍しく冷静な隼人に、これは焦りから中途半端な判断で言っているものではないと察した。隼人は静かに辺りを見渡す。月光が木々の葉で遮られ奥が殆ど闇で塗り潰された世界。恐怖といってもいい。


「緋之、奴さん方の気配はあるか?」

「………ないな」

「やっぱり、遠距離攻撃か。相手の中に念属性がいていいと判断するべきだろうな」

「念属性?」

「うちでいう百合子先輩の属性だ。超能力って感じでさ。主に支援系が得意なんだけど攻撃力も防御力も馬鹿に出来ない。万能タイプってところだ。ただ欠点は発動するのにイメージが大変らしくてな。発動が遅いらしい。イメージに慣れていればショートカットが可能らしいけどな。――――で、今の遠距離攻撃は念属性がいたからだ。超能力で俺達の居場所を探りだしたんだろうぜ。千里眼みたいで気持ち悪ぃけどよ。あ、百合子先輩は女子の着替え覗くために念属性にしたって――――あ、今の内緒な」


 何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がするが気のせいだろう。

 隼人は周りを今まで以上に警戒し始めた。察知タイプがいると解ってしまった以上、戦況は不利極まりない。逃げようにも逃げられない。隼人のMPはすでに半分が消し飛んでいた。もしかしたら三分の一もないかもしれない。

 それでもやらないといけないのだ。

 しかしそんな聖に変化があった。追い詰められれば追い詰められるほどにトラウマの断片がフツフツと蘇るのだ。着実に聖の心に浸透してゆっくりと支配していき、埋め尽くしていく。気持ちが悪い。

 だが今は一人ではない。隼人がいてくれるお陰で怪我をすることなくここまでやってこれたのだ。その点に関しては感謝しているつもりだ。ただデメリットがあった。反撃ができないということだ。聖一人なら察知されても回避できる自信はあった。だが隼人が傍にいる以上は一人で逃げる訳にはいかない。聖の逃げ足の速度に追いつける保障がないからだ。身体を鍛えている聖の方が体力があるだろう。一方隼人は体力もなさそうでMPも残り少なく攻撃もまともにできない、即ち邪魔―――――長期戦に持ち込まれれば持ち込まれる程不利になるだけなのだ。

 なので早く相手を蹴散らさなければならない。その方法を警戒しながら考えているのだが、一向に思い付きそうになかった。まずはこちらの位置を把握できる念属性の使い手から倒さなくてはならない。 


「くっそう。本当念属性は厄介だな。百合子先輩がいれば心強かったんだけどよ、敵対するとここまで苦戦するなんてな。思ってもなかったぜ」


 百合子とは共闘したことがない聖にとってどこまで頼もしいのかは解らないが、ここまで苦戦を強いられるのだ。もし百合子と一緒にシルバーブリッツに来られるのならば一度その恩恵を受けたいものだ。

 と、そこで何かが引っ掛かった。念属性の千里眼のことだ。


「百合子先輩からその千里眼みたいなの、聞いてないか?」

「え?」

「例えばほら。千里眼を使って見えるのは人の姿なのか。それとも気配なのか」

「そりゃ………百合子先輩がまだ好んで念属性使ってんだから姿見えるに決まってんだろ」

「気配は解るのか?」

「いや、姿だけだって。やっと見られた時の感動は忘れられないって。勿論女子更衣室。自分も女子なんだから直接行けってんだ」

「そうか――――なら、使えるかも」


 聖の組み立てた作戦に、光が見えた。





     SILVER BLITZ





「あれ、あいつら動かなくなった」


 面白そうに笑う東所根高校の男子。東所根高校は男子高であり、制服は学ランだ。襟首に学年のバッジをつけている。今呟いたのは二年生だった。

 その場にいるのは綾乃の攻撃から逃れ、聖と隼人を追い詰めている五人だった。最初に隼人が受け止めた火球を放つ一年生が二人。氷の塊を放った三年生が二人。そしてその位置を念属性の千里眼で察知し、伝えていた二年生が一人。


「え、どんな感じなんスか」

「見せてくださいよ」


 『ファイア』の火球を放つ一年生が念属性を使う二年生に近づいた。


「おお、今見せてやるぜ」

 

 念属性の二年生が意識を僅かに二人に向ける。するとイメージが直接送られるのだ。千里眼を通して見ている物を直接見る事が出来る。するとその光景を見た二人が爆笑し始めた。


「プ、なんスかこれ」

「だっせぇな。あの岩野郎が一人でチビを守ってやがる」

「それだけじゃねぇだろ」


 すると氷の塊を放っていた水属性の一人が口を開いた。


「チビがビビって蹲ってやがる」

「ギャハハハハハハ」


 闇に下品極まりない哄笑が響いた。

 東所根男子高校は生徒の評価があまり良くない。不良の集まりだとか、いつも喧嘩をして周りに迷惑をかけているだとか。そんな高校なのだ。

 そして千里眼で見ている光景は驚くべき有様だった。

 聖がその場に蹲っている。シャツを頭まで被って地面に額を付けているのだ。それを必死に攻撃させまいと隼人が『ロック』を何回も繰り出して氷塊を砕いた。

 一方的だった。

 これが聖が思い付いた作戦なのだろうか。


「まぁいいや。お前ら、もうあの岩野郎のMPは少ねぇだろうからよ。片しとけ」

「うぃーっす」


 すると念属性以外の四人が動いた。MPが少なくそろそろ無防備になるであろう隼人と足手まといな聖にとどめを刺しに行ったのだ。どうやら念属性はこの五人のリーダー格のような存在であり、司令塔のようなものなのだ。

 そんな司令塔を疑いもせずむしろ楽しそうに四人は歩き出す。常に場所は千里眼を通して伝える様にしてあり、場所の移動があればリアルタイムで更新できるようになっている。

 四人が闇に消え、草や枯れ枝を踏む足音が聞こえなくなった頃だろうか。


「それにしても去年とは比べて弱くなったもんだな。―――――これなら楽勝じゃねぇの? あいつら狩ったら次はあの一年生の女でも食いに行くかなぁ」


 ぐへへ。とだらしなく顔を歪ませる。この念属性の使い手の二年生はそこまで顔が整っている訳ではない。どちらかと言うとガマ蛙に近い顔だ。これが歪むとはてしなく気色が悪い。性格と容姿、揃って女子に嫌われるタイプだろう。

 そんなガマ蛙を見ていると、どこか腹が立った。自分はこんな奴に踊らされていたのか。


「お、あともうちょっとであの二人に接触するな。速くやっちまってくれよ? そうでねぇとあの女食えなくなっちまうかもしれないからよぉ」


 いやらしく笑うガマ蛙。

 だがもうそれもここまでだ。


「フ、フゲ、フゲゲゲ――――ゲッ!?」


 人間とは思えない笑い声が突然呻きに変わった。


「いい加減にしとけよ。僕達を舐めるのも大概にしろ」


 ガマ蛙の後頭部に硬質な何かが直撃し、その場に叩き伏せた。それが踵によるものだと気付いたのは五秒後だった。


「お、お前は……!」


 聖だった。聖が奇襲をかけたのだ。四人が念属性のガマ蛙から離れる瞬間を狙っていた。


「そ、そんな。お前は確かにあっちにいたはずじゃ」

「姿は見えてもそれが本質だと気付かないんじゃ宝の持ち腐れだな。気配まで解らないのでは万能とは程遠いらしい」


 なぜかは解らないが憤りを覚えていた。このガマ蛙が笑うごとに静かな泉に汚らわしい汚物を捨てられるような怒り。水面に広がる汚物。そして波紋。小さかった波紋はやがて大きな波へと変化する。今まさにそんな気分なのだ。


「これ以上、僕の仲間を攻撃させない」


 仲間と初めて言えた。そう認識していなかったのだがどこかでそう認めていたのかもしれない。

 そんな聖の顔は般若の如く怒気をばら撒いていた。地面とキスをして顔面を泥まみれにしたガマ蛙を見下ろしてこのまま踏み潰してやろうかと思えた。


「ひ、ひっ」


 魔術が使えるなら反撃をすればいいものの、このガマ蛙は反撃さえも頭にないようで、泥を掴んで制服を汚しながら後退っていく。天敵に睨まれた時のような本能的な恐怖で思考が麻痺しているのだろう。

 無様だな。こんな醜態をさらす奴に踊らされ、綾乃まで手をかけようとしているガマ蛙をどう処分してやろうと考えようとしたがやめておいた。

 作戦を実行するのに、ここで時間を使っている猶予はない。

 後退るガマ蛙の二年生に歩み寄る。二歩で詰められた。


「こ、こんなところで終われるか!」


 するとやっと反撃という行動が思考に浮かんだのだろう。

 だがもう遅い。隼人に念属性の攻撃パターンは教わってある。攻撃の術発動までかなり長い時間を使うので兎に角逃げるか避けるかの選択を強いられ、捕まえるのは一苦労させられるらしい。そして術が発動すればかなりの破壊力があるらしく、絶対に発動させてはいけないらしい。

 綾乃の『レイ・バースト』とどちらが強いかと聞いたら、百合子の念属性の攻撃の方が強いのだがそれは発動させられたらの話しであり、瞬時に光線を放てる綾乃の方が恐ろしいらしい。

 そしてこの転がっているガマ蛙もまた攻撃術を発動させようとさらに聖から距離を開こうと両足で地面を抉って後退る。二メートルの距離が開く。それでも聖が追ってこないことを馬鹿だと思いほくそ笑みながらさらに速度を開く。

 聖の記憶には隼人からの情報がある。決して術を発動させないために逃がしてはいけないと覚えていた。念属性の攻撃術は強いということも。逃げられれば最後だということも。

 目の前で全身を泥色に変色させようとしていたガマ蛙も聖にとってはカス同然だったが術を発動させれば厄介極まりない。なのに聖は追おうとはしなかった。


「馬鹿めっ。このまま術が完成すればお前は消える! お、俺が逃げ切れれば勝ちだ!」


 勝利を確信したガマ蛙の顔は泥に塗れ、そんな気持ちの悪い顔が酷く歪むと気分を害する。

 だが一方で聖も確信を持って言った。


「そのまま逃げ切れれば、、、、、、、だがな」

「え?」


 ガマ蛙の表情が凍りつく。背中にドンと衝撃があったのだ。硬質でゴツゴツしたそれは頭でも感じることができる。髪越しに細かい何かを触る。

 一本の巨木だった。一直線に後退したガマ蛙は背後の巨木に気付かずに思い切り突っ込んでしまったのだ。聖はそれに気付いており、あえて放置した。


「そ、そんな……」


 慌てて巨木から外れて逃れようとし、立ち上がって走ろうとする。発動しようとしていた術は完成途中で集中が切れてしまったので無効となった。それでも構わずに逃げようとする。体制を整えれば術が使えるのだ。その後で先程向かわせた四人諸共隼人を吹き飛ばしてしまえばいい。

 一歩を踏み出そうとする。だがその一歩を踏むことはできなかった。 


「ぐげっ!?」


 その一歩を踏み出そうとした瞬間、天と地が逆転した。転倒したのだと理解するのに数秒を要した。

 なぜ転倒した理由を理解する間はない。視界の端に移った少年の足が目の前にあった。足払いをされて再び地面とキスをする羽目になる。


「どこに行こうというのだね?」


 聞いた事がある台詞だ。それを真顔で言う少年を「マジかよ」とひきそうになった。しかも声まで変わっている。地味に似ていた。

 だがそんなユーモアはここまでだ。聖はガマ蛙の眼前に立つと、左腕に腕輪があることを確認してそれを思い切り踏み付けた。


「いっ!」


 骨まで砕かれるかと思いきや、腕はそこまで痛くなかった。その代わりに腕輪から数々の珠が零れ落ちる。


「これが無ければ、あんたも僕と同じだな」

「何?」

「僕もそこまで魔術が使えるわけじゃないんだよ」

「なんて事だよ。俺はそんなカスに踊らされていたってのか」

「つまりそのカスに負けたあんたは、どうしようもないそれ以下のカスだってことが証明されたな」

「くっ」


 良かったな。と笑う聖を睨んでガマ蛙は聞いた。


「お前、どうやってここまで来た? 俺の千里眼は確かにお前ともう一人を見ていたはずだ。あそこにいるお前はどうやってここまで来た? 魔術が使えないなら俺の千里眼のジャミングだってできないだろうに」

「あれは『ロック』さ。もう一人の奴に岩で僕の等身大の人形を作らせて、ブレザーを被せればそう見えただろ? それを終えて僕は気配を消して闇に紛れて入れ換わる。あいつは人形の僕を一所懸命に守っていた。だからバレない。ほとんど暗かったから影が多いし解らなかったろ? 気配が追えれば僕にも気付いただろうに。本質を理解できずに魔術なんて、笑わせるよ」


 転がった三つの珠を靴の裏で受け止め、グシャリと踏み潰した。


「言っただろう。僕達を舐めるな。と」


 これでこのガマ蛙は消える。一人は何とか倒せた。あとは異常を察知した四人が戻って来るので、それを何とか一網打尽にしなければならない。何としてでも。

 と、足元で低い笑い声が聞こえた。


「勝ち誇っている時に悪いが、なら急ぐべきじゃないのか?」

「………何だと?」

「俺達の方も舐めるなよ。第二陣がもうすぐ来る。そうすればお前達は終わりだ」

「どういうことだ?」


 ただの負け惜しみとは思えない。確信がある目だった。


「シルバーブリッツは図書委員会でメンバーが構成される。だが俺達東所根は校長もあれな奴でなぁ。権力のために図書委員会の登録人数を五十人にしたんだよぉ! さっきあのお前達三人に向かったのは三十人。残りの二十人は第二波として送られることになってる。俺一人を倒したところでいい気になってんじゃねぇよ!」


 衝撃的なことだった。シルバーブリッツは権力さえも動かすのだ。

 生徒や高校だけに影響を齎すのではない。大人にも幸福と快感を齎すのだ。それは薬物的な興奮にもなりかねない。中毒性な快感なのだ。

 その快感を味わうべく汚い大人がこの戦争に協力をする。よく考えれば解る事だった。


「あれれ? お前そんなところで何してんだ?」


 身体が消えかかっているガマ蛙が汚く笑った。


「あの野郎と女、やべぇんじゃねぇの?」

「―――このっ!!」


 気色の悪い顔を踏みつけてやろうかと足を振り上げた時には、すでにガマ蛙の姿は消えていた。

 一人残された聖は闇に沈みそうになっていた。まだ増援がいるとは思っていなかった。このままではMPが尽きかけている隼人だけではない。綾乃まで危機に瀕している。

 この増援を知っているのは聖だけなのだ。大変なことだ。すぐに伝えなければならない。だがその手段がない。携帯電話を使おうと思った。圏外だった。それ以前に二人のアドレスも電話番号も知らない。

 今から走れば隼人は五分。綾乃は十分で到着できる。選択が強いられる。

 ――――いや、最後に一択が残っていた。あまりにも無謀で成功率が皆無に近い。

 第二の増援に直接向かい、単騎でそれを殲滅すること。

 隼人にも綾乃にも触れさせずに減らせるだけ減らす。どうやればシルバーブリッツをこの世界から離脱させられるか、その実験を証明させてみせたのだ。腕輪を狙い、左腕の骨ごと破壊すれば何とか半分は減らせるだろう。確かに聖は数日前、一人の炎属性のシルバーブリッツと対面して成す術も無く逃げ纏った。奇襲に成功して肩腕を奪うも反撃されて失敗する。この結果があるのに二十人もの相手をするのにはあまりにも無謀すぎる。骨さえも残らずに死に果てるのだろう。

 とりあえず生き残れ。勝はそう言った。隼人と共に逃げるも隼人を壁にしても生きろ。そう付け足した。生き抜く事が大事。ここで命を使うこともない。

 少し冷静さを欠いていたらしい。ここで聖という連絡手段を失えば隼人も綾乃も危ないのだ。

 ならばこれからどうするか。

 簡単だった。綾乃は隼人の二倍近くのMPを所有している。ならば隼人よりもMPの消費は遅い。ここはもうすでに限界であろう隼人の所へ向かうべきだ。恐らく第二増援は綾乃へと向かうだろう。先程からド派手なほどに光の柱を出現させて東所根男子高校の軍勢を苦しめているのだ。ならばそこに増援を送り突破するのが定石。今消してもそこまで形成が傾かない隼人を手にかけても得策にはならない。だがそこで隼人と協力して増援を少しでも撃破する。これで成功率はいくらか増すだろう。

 そうと決まれば逸早く隼人の元へ向かうべきだ。もうすでにガマ蛙が放った四人は隼人のすぐそばにいるのだろうが千里眼を通した情報連絡が途絶えているのに気付き、こちらに向かって来るはず。闇に紛れて気配を消し、木の枝を跳んで行けば遭遇せずには済む。

 聖は巨木に素早く登ると、聖が乗っても折れないであろう太い枝を選んで跳んだ。





    SILVER BLITZ





 やられた。

 激しく毒づいた。裏の裏をかかれた。甘かった。

 現実は聖の予想を激しく裏切った。木の枝を跳んで進み五分もしない間に現場に到着。そこには隼人の『ロック』で激しく地面から隆起した岩の数々がとても激しかったであろう激戦を物語る。

 違和感があった。隼人の元へ向かう時、ガマ蛙が放った四人を見かけなかったのだ。気配である程度解る。だが四人の気配はなかった。どれだけ進んでも人の姿がない。おかしいと思った。

 そして違和感が続いたまま現場に到着した。直後に絶望した。


「くそっ――――何で!」


 木の枝から飛び降りて地面から飛び出した岩を掻い潜り、隼人の姿を探す。無事でいてほしい。

 だがそこには誰もいなかった。影もなければ気配もない。


 つまり増援は綾乃に向かったのではない。

 隼人を狙って、消したのだ。

 その時だった。聖の心を蝕んでいたトラウマがとうとう姿を現し、精神にも影響を及ぼした。

 一人。孤独。これは数日前の戦いと同じ。

 少しだけ目の前が紅くなった。








 この感情は簡単に言い表せるものではない。そう確信していた。怒り、憤り、憤怒。これに似ている。そのくせに興奮はせずただ深く落ち着いていた。例えるならば広い空の上から醜いものを見下ろしている感じ。広すぎる空で惨めな下界を見つめ、汚く争っている愚か者をほくそ笑みながら見ている。

 ふつふつと思い浮かぶトラウマの数々は聖の心を浸食して、恐怖を超越してその感情を抱かせていた。

 ただ汚く笑う輩を見下ろして、これからこいつらをどう殺してやろうか。それだけを考えていた。




 聖は違和感を覚えた。当然だ。木の枝の上を跳びながら隼人を狙う四人の気配を追っていたのだ。なのにその四人の気配はない。四人に千里眼で情報を送っていたガマ蛙に似た東所根男子高校の念属性使いの二年生は潰した。これでガマ蛙から送られる視覚的情報は途絶え、当然何かあったのだろうと思って戻って来ると思っていた。

 同時にガマ蛙が口にした第二の増援も気になる。どうやら東所根男子高校は校長が腐っているらしく、シルバーブリッツは図書委員会が参加できると知ったのだろう。登録上限を排除、普通では考えられない人数を図書委員会にしたらしい。その数五十人。まず三十人で様子見を兼ねて相手の主力と思しき生徒に集る。三十人という人数を蹴散らすのはやはり時間がかかるし消耗と共に疲弊もする。そこで第二の増援を投下。消耗しかけた主力とそれをサポートしそうな生徒を潰す。後は狩りの時間だ。某有名なゲームの有名なキャッチコピー『一狩り行こうぜ』を思わせるような爽快感でも味わうのだろう。

 ターゲットが大きければ大きい程達成感が大きくなる。現段階での最高ターゲットは光属性の『レイ・バースト』で最初の三十人からガマ蛙小隊を引いた二十五人を蹴散らしていた。ド派手にやらかしていいと勝は言っていた。オーダー通りに初っ端からぶっ放して目立ち、弱い存在である聖と隼人を逃がしたのだ。つまり「自分は最高に強いから片っ端から掛かって来い」と宣伝しているようなものだ。で、見事に甘い蜜の在りかを突き止めた第二の援軍がそこに群がる。それが聖の予想。ならばMPが尽きかけだが隼人と合流して少しでも綾乃の援護、または第二の援軍を減らす役割を提案するまでだ。奇襲ならまだ成功率は高い。 

 聖は隼人の元に急ぐ。そこで先程の違和感を覚えたのだ。先行して隼人を袋叩きにするであろう四人の姿がないのだ。それどころか気配もない。まるで無機物になったかのよう。熱が無く生物でもない何かに変化したのか。いや理由は見当たらない。向かうはMPがもう空に近い隼人。追うはMPどころか魔術すらまともに使えない聖。一体何を恐れるというのか。四人もいれは逆にこちらが危ない。隠れて息をひそめる必要すらない。

 なのにガマ蛙小隊の四人はどこにもいない。もうすぐ隼人が『ロック』で岩を盛大に競り上げた場所に出る。

 が、そこで違和感がさらに膨れ上がった。


「鳴本……?」


 隼人の気配が、無いのだ。

 まさか。と思った。最悪な事態。もうすでに先行した四人が隼人を手にかけた。その予想が脳裏を過ると激しい怒りがこみ上げて来た。奥歯が砕けそうになるほど噛み締められ、もう聖は音を立てずに移動することを止めていた。木の枝から飛び降りて地面に着地。着地した時の衝撃を和らげることなく疾走をする。筋肉の筋が悲鳴を上げるがそんなこと意識になかった。

 もし先行した四人が隼人を亡き者にしていたらどうしてくれよう。例え四人が一斉に魔術を駆使して聖を迎え撃ったとしても勢いを止めるつもりは無い。普段は絶対にしないように、祖母からも言い聞かせられた殺人をしでかすかもしれない。一人一人、確実に殺してやる。


「鳴本!」


 暗闇を抜けて躍り出たのは隼人がまるで龍のように突き出させた岩の数々が目立つ場所、木々は岩によって薙ぎ倒され辺りには焼けた痕跡と凍った痕跡があった。

 隠れることなく岩を掻い潜って奥に進む。必死だった。とにかく必死に隼人の気配を見つけようとした。だが隅々まで探しても隼人の姿は無かった。

 と、丁度戦場の中心辺りに足を踏み入れた時だった。聖の考えた最悪を遥かに上回る最悪の事態が判明した。


「嘘、だろ……?」


 茫然としてその場に立ち尽くした。隼人がこの場にいない訳が解った。

 そこには無数の足跡があった。隼人と先行した四人、合計五人だけでここまで足跡を付けられるものだろうか。違う、もっとだ。この場には五人以上の人間がいた。

 隅々まで続くそれは、則するに二十人分の足跡があった。

 聖は毒づく間もなく、それが第二の増援であるものだと理解した。聖の予想は外れた。ガマ蛙の言う第二の増援は綾乃へ向かったのではない。隼人を狩りに来たのだ。前菜でも貪るように。

 なのでここには人の気配がないのだ。食後のテーブルのように、ただ貪った跡があるだけだった。


「――――っ!!」


 感情が爆発しそうだった。

 隼人を救えなかった無力感からくる自己嫌悪。そして敵勢力の卑劣さ。確かに戦術としては有効だ。だがそれに権力者の権力が行使され、卑怯な手を使ったとするならば話は別問題だ。

 許せなかった。いや許す気など毛頭ない。力の限り隼人を葬った第二の援軍を追い掛け殲滅する。

 しかし第二の援軍は続いて綾乃を喰らうだろう。その前に、最低でもその最中にでも追い付かなくてはならない。絶対にさせない。これ以上の犠牲なんて出させる気は無かった。





    SILVER BLITZ





 ここで冒頭に戻る。

 この光景を目にして、今まで爆発寸前だった怒りが頂点に達した。しかしそれは爆発を通り越して、深い何かを目覚めさせた。今まで聖の中で燻っていた原始的な破壊衝動。それを渾身の力で封じていた鎖を力の限り、ゆっくりと軋ませて問い放とうとしているような。

 聖は今、綾乃が戦っていた場所――――岩の高台から降りた所にいた。正確に言えばその近くにある巨木の枝の上。辺りを岩の高台ほどではないが一望できる場所だ。そこで見下ろしていたゴミの海。それは東所根男子高校が放った第二の援軍だ。あれから聖は全力で移動して十分でここに到達した。だが現実は厳しかった。間に合わなかった。聖はまた間に合わなかったのだ。隼人だけではない。綾乃まで見殺しにしてしまった。東所根男子高校の男子共は勝利に酷く陶酔していた。二度の狩りに成功したのだ。気分が昂ぶって絶叫しだす者もいる。あまりのあっけなさに汚く哄笑しだす者もいる。地面を踏み鳴らし指を点に向けてクルクルと踊る者までいた。反吐が出る。どいつもこいつも人に値しない低俗共ばかりだ。総勢三十人。あれから綾乃は二十五人の内、十九人を消したことになる。残りの六人もすぐに狩れたのだろうが、そこで第二の増援があったのだ。そこには隼人を消した四人もいた。消耗していてはそれを討つのは困難を極めた。やがてMPも底を尽き、圧し殺された。質よりも量を選んだ戦法は現段階では最高の攻撃力を誇った綾乃を封じてしまった。

 もう成す術がない。聖は木の上でそう思っていた。

 刹那、別のことに気付いた。絶望に近い感情を抱かせていた聖に、ほんの少しだけの希望を持たせるものだった。

 陶酔して歓喜する三十人の中で明らかに異質な二人を見つけた。何かがおかしい。例えるなら就職面接の際に全員がスーツで来るように言われていたのに一人だけ袴姿でその希望した会社に現れたような、変に目立つ二人だった。

 よく見るとその二人は倒れていた。ピクリとも動かない。少し嫌な予感がする。聖は周りの馬鹿共がはしゃぎ走りまわっていてそこから離れるのを待った。数人が邪魔で倒れている二人の顔が隠れていて見えないのだ。案の定すぐに邪魔だった数人はその場を離れた。聖が邪魔がいなくなってやっと見えた二人の顔をみた瞬間、電撃が走ったように震えた。見覚えがある二人だったからだ。内一人は助けられなくてもうすでに亡き者だと思っていた少年だ。


「鳴本…!」


 声が擦れた。隼人は第二の援軍に消されたのではなく、攫われたのだ。さらに注視すると隼人の左腕にはまだ珠があった。つまりまだ生きていて魔術も辛うじて使える状態。暗闇の森林に存在できる状態にあた。そして隼人の隣に倒れているのは少女だった。驚いた。だが数秒の後に冷静になって考えた。当然だという結論に辿り着く。


「月波さん……」


 綾乃もまたMPが尽きたのだろう。こちらも注視する。左腕にはまだ珠があった。隼人と同じ状態にある。だがそれは同時に危険な状態であるということだ。相手に簡単に殺されてしまう。もう身を守る術がないのだ。魔術もなければMPもない。武術の心得も無いだろうし、まず体力も残っていないだろう。

 隼人は全身に暴行された痕があった。やはり囲まれて袋叩きにされたのだろう。一方綾乃は泥に塗れているだけで目立った外傷はないようだ。それもそうだろう。綾乃は普段そこまで顔を大人しく見せる方ではない。だがクラスの男子は揃って言うのだ。綾乃は美少女の類に入るだろうと。高校でも高ランクの美しさを誇る。スタイルも良く華奢である。胸部にそこまでの豊かさはないようだが平均くらいはあるだろうとそういう如何わしい部類を極めた所謂変態は言っていた。

 そんな美少女を傷付けてどうするというのか。唯でさえも華が無い男子高校では滅多に近寄れない少女が、それも美少女であるならば欲望が働いてしまう。高校生なら当たり前のことだろう。

 実際に聖の耳に届いていた汚い言葉の数々。それを聞いただけで聖の髪の毛は逆立とうとしていた。

 すると、宴に変化があった。今まで騒いでいたクズ共がいきなり纏りを見せて倒れている隼人と綾乃を囲んだのだ。聖もそれを見た。

 隼人と綾乃は立ち上がっていた。体力も残っていないだろう。もうすでに気力だけで立ち上がったのだ。隼人は足をガクガクと震えさせながら、しかし口元には強気な笑みを浮かべていた。一方綾乃は肩で息を切らしてやっとの思いで立ち上がった。泥が綺麗だった黒髪から滴り落ちる。頬も汚れて、当然ながら制服も泥まみれだった。震えてはいなかったが、限界が近いのか目に力が無い。


「よぉ、あいつ………緋之は、逃げ切ったと…はぁ…思うか?」

「知らない、わよ……はっ、それよりも、この状況をどうにかすることを……少しは考えなさい」


 三十人に囲まれながらも二人はまだ戦う気だ。そこまでMPが残っていないのにだ。

 するとその会話が全体に聞こえたのだろう。その場で盛大な哄笑が響いた。


「ぎゃはははははははははは」

「ぐへー、腹痛ぇ」

「たった二人で何しようってんだよお」


 口々に発される馬鹿にされた様な言葉。だが正論だ。消耗しきった二人ではこの人数に太刀打ちは出来ない。一人も倒すことはできないだろう。

 だが隼人はその口の強気な笑みを崩す事はなかった。


「ふん。俺達はいいんだよ。今回はあいつが生き残る事が重要なんだ。あいつが生き残れば俺達の勝ちだ」


 あいつのこととは勿論聖のことだ。

 すると三十人の中から四人の少年が隼人の前に出た。どうやらガマ蛙小隊の四人だ。


「あいつってよぉ、お前を置き去りにして俺らのタイチョーブッ殺した奴のことかよ」

「あ? な、なんだ……緋之の奴、ちゃんと、仕事したんだ。やるじゃん…」

「まぁうちのガマ蛙野郎は雑魚だったからな。簡単に殺せるさ。けどよ、いいのかよお前は。見殺しにされそうになったんだぜ? もしかしたらあのチビ、お前を置いてとっとと逃げちまうかもしれなかったんだぜ?」

「それが、どうしたってんだ」

「よくそんなのに命なんざ預けられたな。馬鹿じゃねぇの?」

「はあ?」

「お前もお前だよ。あんな奴よく信じられるよな。普通逃げるぜ? 解りきったことだから俺達はそういうの信じねぇ。だから強い。お前らとの違いだな。あのチビが逃げて勝ちとか訳解らねぇが、その代わりお前達は負けた。これが事実だ」


 氷属性の二年生が隼人に詰め寄る。手を伸ばせば届く位置まで歩いてきた。隼人が一発でも『ロック』を発動すれば倒せる。綾乃も同じだ。だが二人は魔術が使えなかった。MPがないのだ。


「違ぇよ」

「あ?」


 それでも隼人の笑みは崩れない。それどころか確信を持った笑みでそれに反した。


「俺達はこんなところで終わりゃしねぇよ。まだまだこれからだ。お前ぇ達はこれから俺達を倒して緋之を追うんだろうけどよ、そうはさせねぇ。何人か道連れにしてあいつの負担を軽くすりゃよ、まだ生き残れる可能性はあるだろ」

「ちょっと、何で私まであのクズのために動かないといけないの。ふざけないで」

「でも結局は戦うことになる。結果は同じだ」

「馬鹿はこれだから。私は死なないわよ。死ぬんだったら一人で勝手に果てなさい」


 漫才のようなやり取りがしばらく続く。二人を囲んでいた東所根男子高校の三十人はこれを静かに聞いていたが、綾乃の吐き捨てる様な言葉を聞いた直後に爆笑した。別に綾乃の突っ込みに受けたというわけではないだろう。どちらかというと嘲笑だった。


「おいおいおいおいおいおいおいおい! 馬鹿かお前ぇらは! だからなんでそこまですんだよ」

「あいつは、緋之はこの先きっと何か仕出かす。それに期待してんだよ。ワクワクしてんだよ。俺がその先を見てみたいからな。ここで死ぬ訳にはいかないんだ」

「だから、それがおかしいんだ、ろ!」


 隼人が力を振り絞って叫ぶも、接近した氷属性の二年生に足を蹴られ、そのまま力無くその場に倒れる。顔面から泥に突っ込んだ。隼人は呻き声を上げ、口に大量に吸いこんでしまった泥を咽ながら吐きだす。だがもう立ち上がれなかった。


「ほら、お前はどうするんだよ」


 次は綾乃に近づく。隼人の二の舞にはなるまいと構えるも、そのガードは隙だらけだ。


「別にあのクズがどうなろうと知らないわよ。………けど生きてるならそれに越した事はないわね。普段からクズだったけど、この前はやる事はやったことだし。期待されてるわね。私はしてないけど」


 フと不敵な笑みを浮かべる。それが気に食わなかったらしいのか、氷属性の二年生は綾乃のガードの隙間を狙って蹴りを放つ。ドボッと鈍い音がする。綾乃は悲鳴こそあげなかったものの口元から涎と胃液が混ざったものを垂らしてその場に座り込む。


「うぜぇんだよ、そういうの」

「んっ」


 前髪を掴まれて泥の中に叩き込まれる。呼吸が詰まりそうになって急いで上半身を起こそうとするが、後頭部を踏まれてうまく起き上がれない。


「いつまで持つか賭けるか? そういうくだらねぇ友情ゴッコ。マジくだらねぇ」


 両腕を使って全力で後頭部に置かれている足を上げようとするが体力がもう限界にきていた。このままでは再び泥に沈む事になる。窒息してしまうことを避けるため、首を縮めて額の下に右腕を敷いた。これで窒息は免れる。

 だが後頭部を踏む力は強くなるばかりだ。このままでは口だけが沈んで泥で呼吸を奪われるか、酷くて首の骨が折れてしまう。呻いて何とか抗うもそこは男女の力の差だ。最初から勝てる筈が無かった。


「なぁおい。聞いてんのかよ」

「聞いてるわよ。あんたの昔話なんて聞きたくないんだけど、こんな近距離なんだから仕様が無いじゃない」

「あ? 俺の昔話だあ?」

「あんた、昔友情ゴッコしてたんでしょ? それも俺達は永遠の親友だ。って感じ。だけど裏切られた。どうせくっだらない理由なんでしょうね。だからそこの馬鹿の馬鹿らしい台詞に昔のあんたの羞恥がトラウマとなって蘇った。自己嫌悪なんて恥ずかしいものね。子供みたいに誤魔化したいから周りに当たる。典型的なタイプね。それじゃ周りからすぐに察されちゃうわよ? それとも察されたいのかしら? 悲劇の主人公ですからどうか同情してください。って。………馬鹿じゃないの?」


 隼人とはまた別な勝ち気な笑み。逆に相手の核心を突いた。すると今まで綾乃を踏んでいた二年生が急に足を離した。


「やっぱり図星だったのね」

「殺す」


 二年生の左腕の腕輪が光る。青い珠、氷属性の『アイス』だ。

 ここまでか。と綾乃は覚悟を決めてくるであろう激痛に備えた。多分ここで自分は終わる。なぜならこの世界での死というものは、現実世界での―――――


「ご、ぐふ!」


 嫌な思いが胸を締め付ける。これでお別れだと後悔を飲み込もうとした時だった。

 頭上で悲鳴が聞こえた。隼人のものではない。勿論自分のものではない。だとすると誰なのか。

 左目で少し上を見上げる。そこには今にも綾乃を殺そうと『アイス』を繰り出そうとしていた二年生が、白眼を剥いて硬直していた。まるで生気が無い。一体どうしたというのかと観察していると、グラリと体制を崩してその場に倒れた。泥に沈んでピクリとも動かない。綾乃も隼人も唖然としてそれを見ていた。腕輪が破壊されていた。先端が鋭利な石が貫通し、全ての珠を破壊している。

 そして我に帰り始めた東所根男子高校の軍勢が騒ぎ始めた。それは倒れた二年生を見て騒いでいるのではない。倒された二年生の左腕に突き刺さっている石が飛んできた方向だった。隼人も綾乃もすぐにそれに気付いた。石を飛ばして、わざわざそこに現れたのは誰なのか。


「ひ、緋之……」


 聖だった。

 薄暗い闇の中にひっそりと立っている。全体が黒く染まり、まるで闇の化身のようだ。石を投げたモーションからまだ戻っていないらしく、右腕をあげたままだった。

 隼人が驚いて呻くように呟いた。あのまま逃げればよかったものを、聖は戻ってきてしまったのだ。そして綾乃をピンチから救った。助けられた綾乃も唖然とした表情で聖を見た。


「ひ…じり……?」


 そっと呟かれる彼の名。聖は綾乃だけの声に反応し、ゆっくりとそちらを見た。隼人はすぐそばにいる綾乃が聖の名を初めて呼んだ事に気付いていない。

 綾乃は黙ってこちらを見る聖をただ見つめているだけだった。いや正確に言えば何かを思い出していた。その光景はこの現状ととても酷似している。鮮明にとは言えないが、目の前の少年が頭部から血を流して表情を一変させたこと。最初は虚ろな目をしていたが数秒後には双眸が鋭くなり、まるで獲物を狩るハンターのような表情になる。辺りはもう暗くなり闇が夕日を浸食し始めた頃。一帯は少年が倒した数人の大人が横たわり、そこに立つのは少年と少女だけだった。とても怖かったことを覚えている。それまでの経緯と事情、大人に囲まれる少女。大人に頭部を金属で殴られて頭部から出血する少年。そして何より少年が反撃に出て、現代の子供を超越した、しかし原始的な攻撃をしたことが怖かった。顔面を頭部の出血と返り血でグシャグシャにして振り翳した拳で一心不乱に大人を殴る。蹴る。叩きつける。

 少年は全ての大人が倒れたことに気付き、次に少女に気がついた。少女にまで暴力を振るおうとしているのではない。無表情だったが少女を見ていた。瞳からは猟奇的な光は消えている。しかし少女は震え、少年を拒絶した。これ以上の接近を許さないように睨みつけ、涙を流しながら唸る。力無くペタンと尻もちをついてしまうものの、手近にあった小石や砂利を握って少年に投げつけた。少年は最初、少女がなぜ自分に小石や砂利を投げてくるのか解らなかった。言葉にならない唸りで威圧的な睨みを発するのか。もう少女を傷付けようとする大人はいない。大人は少年が倒した。なので少女は喜ぶと思った。なのに少女は泣くばかりで少年を寄せ付けない。

 少年がそれに気付いたのは一際大きな石が額の左側に当たった時だった。どろりとした生暖かい水が額から頬に伝わった。頬から落ちたのは血だと気付いた。それを追うように下を見た。


「あ……」


 先日降った雨による水溜りが、まだそこにあった。水面に移ったのは最早人ではない何か。化物に近い。顔の形は人間だ。だが肌の色がどす黒い赤に上塗りされていた。最初に頭を割られて流れた血塗りの化粧が渇いて付着し、それが滅茶苦茶に倒した大人の返り血で上塗りされて顔面を満遍なく同じ色にする。そして今流れ出る血が、新しく綺麗な赤となってラインが入った。


「ああ、これ……」


 これでは少女が怖がる訳だ。と上着の腕で顔面を擦る。後で母に叱られると思ったが仕方が無い。複数の傷が摩擦されるごとに酷く痛んだが、これ以上少女を泣かせるわけにもいかず、さらに嫌われたくないと思って一所懸命に血を拭った。

 なのに。なのに少女は泣きやまなかった。

 少女が本当に怖がっていたものは、少女の口から発される。少年はそれに酷く衝撃を受けた。


「殺した……の?」


 人を殺してはいけない。祖母にいつも言われていること。

 人を傷つけてはいけない。しかし何かを、人を守る為なら仕方なくなら、最低限はよし。

 人として、常識として染み込まされたそれはいつまでも少年の心にあった。拳を振るう最中もそれを忘れなかった。だが先程まではそんなこと頭に無かった。激しく憤っていた。破壊衝動に呑まれていた。

 足元に転がる大人を見る。胸の上から心臓あたりに手を当てて音を感じればいい。耳で口元から呼吸音を聞けばいい。それだけで済むのに少年はそこから動けなかった。怖かった。もし死んでいたらどうしよう。少年は本気で大人たちを殴っていた。どれだけ抵抗されて痛めつけられようと倍にして殴り返した。

 人殺しの罪は大きい。祖母に聞かされていた。怖い。自分は本当に人を殺してしまったのか。怖い。人を躊躇なく殴り、死に追いやるまでにしてしまった自分が途轍もなく怖い。


「あああ……」


 心音が嫌という程に耳に響く。警鐘の様に早鳴る。まさか、そんな。信じられない。

 身体が震えだす。


「ああああああ……」


 その場から逃げだしたかった。なのに足が動かない。どれだけ力を入れようと一ミリたりとも動かない。パニック状態になりだした。

 少女は少年の顔を忘れる事が出来なかった。それからのことも。忘れる事は無かった。

 自己嫌悪の末にした決心。今がその決心を見せる時だというのに。綾乃はなぜ今その場に倒れているのだろう。だらしない。また自己嫌悪した。 

 あの時の少年―――――聖は、また暴走しようとしているのだから。




「んだテメェ……」


 綾乃を殺そうとしていた二年生が消え、それが切欠で我に返った一人が聖に詰め寄った。全身泥の斑点ができて樹の下にいることにって闇と同化しようとしていた聖はその少年を見た。二年生だった。


「ノコノコ帰ってきたみてぇだがよ。よくも俺のダチを消しやがって。やってくれたなガキ」


 汚く唾を振り撒く二年生を前に、聖は視点を上にして虚ろな目で顔を見ていた。

 あの時と同じだ。綾乃の記憶に刻まれた出来事。あの時の少年も、今の聖と同じ虚ろな眼をしていた。そこから急に目付きが変わり、残虐とも言える暴力が始まるのだ。止めないと。綾乃が腕に力を入れる。

 だが、もう遅かった。


「覚悟できるんだろぐがっ!?」


 二年生の声が途中で潰れた。それが聖によるものだと気付くのに数秒を要した。


「あ…う、が……」


 二年生の首に聖の拳がめり込んでいた。容赦ない一撃だった。そのまま呼吸器官まで潰してしまいそうな破壊力。そして速度。気付けなかった。二年生は無力にもその場に倒れた。そして頭部が泥に沈む。聖の右足が持ち上げられ、思い切り降ろされたのだ。泥の下の硬い地面や砂利があるのにも関わらず、まるで粘土に沈むように踏みつけられた。

 遅かった。

 虚ろだった瞳がいつの間にか切れ長に伸ばされ、いつもの聖とは違う一面を見せた。

 聖は動かなくなった二年生の左腕を強く踏む。腕輪が破壊され、珠も粉々に砕けた。

 この状態になるのは三度目だった。


 そう、意識熔暗CFOが呼び出されたのだ。



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