015:頭角を現す化物
いつもとは違う大兄ぃに少し焦りながら、僕は後退る。
「大兄ぃ。なにを怒っているんだよ。――もしかして、昨日のことなの? 僕、なにも気にしてないよ?」
もし本当に昨日のことが関わっているのだとしたら少し厄介だ。不安に思いながら位置まで移動する。
大兄ぃからの返事はなかった。僕を見て黙っていた。
気味が悪い。口にしようとしたが、怒られると思って黙っていた。
「……大兄ぃ」
「早くしろ」
一蹴。なにか言おうとしたが、ぴしゃりと遮断された。
渋々と位置につく。帯を少しきつく結び直して、大兄ぃと対峙した。
「どういうつもりなの? いつもならあまりここに来ないのに、今日に限って早いね。しかも道着って……僕と本当に組手するつもりなの?」
しかし大兄ぃは答えない。その代わりに拳を握って構えた。
「え……大兄ぃ?」
「構えろ聖。5秒経ったら始めるからな」
「は? ――ちょっ」
5秒後、宣言通りに大兄ぃが攻撃を開始した。
鋭い蹴り。裸足とは思えない鋭利な爪先がヒュンと空気を斬って迫りくる。僕は上半身を捻って回避するが、爪先が微かに鼻先に当たっていた。
それだけなのに、まるで刃物で切り付けられたかのような痛みが鼻の奥でした。掠っただけでこの威力。体術は最後に組手をした頃からまったく衰えていない。
「大兄ぃ、本気なのか……?」
回避したことによる急な体重移動に対応するため、2歩下がりながら体を回転させる。そして素早く振り返って構えた。
大兄ぃは本気だ。本気で拳を向けてくる。祖母の訓練に大兄ぃも参加して教わっていた。それこそ雪歩姉ぇよりも早くから、そして長く続けていた。なので組手もしたことはあるし、実力も知っているつもりだ。
だから油断出来ない。大兄ぃもまた、僕が勝てないひとりだった。
昨日、真剣に考えてくれと言われた。
もしかするとその答えを拳にしろ。意思表示しろと言っているのだろうか。いつの時代だよ。と突っ込みたかったが、今はそれどころではない。
とにかく迫りくる大兄ぃをどうにかしなければならないのだから。
「シッ」
大兄ぃの連続蹴り。下段から上段まで一瞬で振り替わるので見切るのに難を極めた。どう蹴りを繰り出すのかは軌道をギリギリで読み、下段は右足で、上段は右腕で防ぐ。衝突による衝撃を腰を捻って逃がし、反撃に出る。
大兄ぃが連続蹴りを終えて足を引っこめる瞬間、それに合わせて1歩前に出る。右腕を曲げて肘を突き出した。
だがそれは同じように突き出された大兄ぃの左腕の肘で突き合いになり、次撃の曲げていた腕を拳を握って振るうことも同じ、突き合いになった。
ならばとばかりに左手の指を揃えて伸ばす。腕を後ろにやり、そして振り子の様に威力をつけて突きだした。貫通力のある貫手だ。
「相変わらず判断が甘いな聖」
貫手は避けられた。大兄ぃは左腕で聖と鍔迫り合いをしているというのに、重心を崩さずに右足を引き、僕の左手の貫手の軌道を読んで回避した。ほぼ反射の回避は、どんな素早い攻撃にも対処できるようになっている。
「ちぃっ」
舌打ち。突き出した左腕を今回収すると、逆に接近されて反撃をもらってしまう。
なので鍔迫り合いをしている左腕の肘で大兄ぃの左腕の肘を弾き、こちら側に大兄ぃの重心を崩して前のめりにさせる。
たった今重心を移動させたばかりなので、まさかその直後に強制的に再び移動させられるとは思っていなかったのだろう。あっさりと大兄いは僕の正面に倒れてきた。だがそれだけでは反撃されやすい場所に移動させてしまっただけだ。考えもなしにそんな行動はしない。
「もう昔の僕とは思わないでほしいね!」
同時に左腕を回収した。そして大兄ぃと同時に回転して背を向ける。互いが背を向け合ったという立ち位置になる。そこで今回収した左腕を使う。遠心力と筋力をフルで使い、大きく弧を描いて薙いだ。これなら隙も無く相手の死角を突ける。と思っていた。
バシンと乾いた音がする。僕は驚いて息を詰まらせた。大兄ぃの右腕が後ろに回され、僕が放った腕を肘で突いた。それも僕の肘を狙ってきた。それによって衝撃が分散されてスイングが止まってしまう。
「昔の僕と、何だって?」
ザワッと心が騒いだ。嫌な予感がする時は決まってこんな感覚になる。
次の直後、両足に鋭い衝撃が走った。背後にあった大兄ぃの気配が消える。背中越しに姿を確認してみると、視界の下の方に黒い糸が見えた。それが大兄ぃの髪だとわかった時には、視界が180度回転していた。
足を払われた。このままでは頭を思い切り打ってしまうと、先に危機を感じていた体は自然に動いていた。右腕を伸ばして畳みに掌を叩きつける。一瞬だけ体が持ち上がり、今自分がどういう状態で宙に浮いているのか把握すると、一番安全なルートを見出して転がった。受け身をとっていた。
2回ほど転がると、約2メートルの距離が開いた。受け身を終えて体勢をを整える。そして前を見ると、逃がさんとばかりに追撃しようと大兄ぃが床を蹴った。
僕もそれに応じる為に両足に力を入れた。
こうなれば全力で応じるしかない。言葉が通じない今、戦闘で組み伏せてを黙らせる他、手段はない。
「つぇあっ!」
右足を踏み出すと同時に体を左に旋回させる。
先程の左腕の薙ぎと同じ要領で左足を薙ぐ。今度は遠心力と筋力で上段を薙ぐ。鋭い薙ぎだが大兄ぃはそれを急ブレーキをかけた上で上半身を後ろに反らして回避する。
しかしまだ終わらない。回避された左足はそのまま元の位置に戻ることなく、もう一度1周させて今度は下段を払った。
だがそれさえも大兄ぃには見抜かれていた。軌道が単純な下段払いは、3歩のたたらを踏んで後退しただけで避けられる。そして大兄ぃは3歩の距離を1歩で詰めて来た。――反撃がくる。
一気に距離を詰められたが反撃に対応しようと、まだ宙に残っている左足を無理矢理回収して後退する。
このままでは体当りと同時に両の掌からくる掌底を叩き込まれる。これらの掌底は手首を付けて回転させながら叩き込む。僕の祖母の得意技のひとつである双弾砲と呼ばれる技だ。
これを危惧しながら両腕を揃えて防御を試みるが、大兄ぃは双弾砲を放つとその防御の両腕を容易にこじ開け、僕の胸に掌底を叩き込んだ。
「ご……ふっ」
双弾砲の衝撃は胸板を突き破り、体内を揺さぶり荒らした。肺の空気を無理矢理押し出され、心臓の鼓動さえも止まりそうになる。
呼吸をしたかったが肺が潰されて機能しない。酸素が不足することにより意識が朦朧とし、足がガクガクと震える。
とどめに大兄ぃは自身で体当りを決めた。足腰肩を同時に使った、一番力が入り易い体勢で無防備の僕の胴に体当りをして突き飛ばす。
大胡教師よりも一回り小柄な僕は、比較しても当然体重が軽い。そのために気付くと大きく吹き飛んていた。3メートルは宙に浮き、床を全身でバウンドしながら壁に叩きつけられた。
背中から壁に突っ込んだので、足をズルズルと前に出し、床に座る形でやっと止まった。
「聖――ここからだろ。お前の力はここからだ」
力無く俯いている僕に話しかける。意識が失われているかはわからない。
「あの時のお前は丁度、こんな感じで意識を失っていた。そして群がる相手を一掃したと聞く」
ピク。と指が動く。
「あの時のお前を、俺にも見せてみろ!!」
――ゆらり。と立ち上がる。生気を感じられないような立ち上がり方だった。
直後、様々な違和感があったが、やがて頭の片隅に追いやられていく。違和感を押しやったのは白い濁流だった。それは睡魔のようなもので、あっという間に僕の頭のなかを白一色に染めてしまった。
“緋之聖”という普通の人間から化物を取り出してしまい、その化物がギラリと牙を剥いたような感覚。到底、僕に制御できるようなものではなかった。
僕は今、
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