007:ベンチでの出会い

 最悪な気分になってしまった。


 わかってはいたがここまで辛くなるとは思ってもいなかった。


 昨日の件が一番大きい。というよりも命を失うような体験をしてから次の日に平気な顔で登校するほうが、精神的にも異常なのかもしれない。


 早くも放課後になってしまった。もちろん授業なんて少しも耳に入らない。集中力が持続しなかった。


 そして気付いた事がある。昨日綾乃から預かった腕輪が変化していた。


 ズボンのポケットに入れていたので、まるで野球ボールを入れているように膨らんでいたのだが、朝のホームルームを終えると変化を終えていた。


 赤いリストバンドになっていた。しかしカードは無かった。あのアーツというカードだ。


 まぁ僕にとってはどうでもよかったことだ。


 なぜなら、これからもっと乗り気ではないことをするからだ。大兄ぃに委員会の所属希望書を渡したその日が、各委員会で最初の集まる日だというのだから。


 なので校舎は放課後だというのにも関わらず、帰宅や部活にも行けずに委員会へ向かう生徒で溢れ返っていた。


 僕は混んでいる校舎よりもまだ生徒密度の少ない道を選ぼうと思い、一度外に出た。というのも校舎の外にも通路があり、上履きでそこを踏めば咎められない。流石にグラウンドにまで入ると怒られるが。


 通路はコンクリートなのであまり汚れない。たまに土が落ちているが避ければ済む話だ。


 現在歩いている道は、図書委員が活動する図書室へと通じる道では――なかった。そのため、それ以外の委員会に向かう道ではないので人通りはない。そこをゆっくりと進む。


 なるべく遅れたい。綾乃を見たくない。その一心で。


 するとひとりだけ生徒を見つけた。校舎のなかでは皆が慌しく委員会に向かうなか、その少女は花壇の近くにあるベンチに座って本を読んでいる。


 少し近づいて襟を遠くから覗くと1年生のバッジをつけていた。同級生だとわかった。


 その少女は大人しそうな顔つきで本を読んでいた。時折吹く風が彼女の長くウェーブのかかった髪を揺らし、僕に甘い香りを届けた。


 綾乃とは真逆の好印象的な少女だった。やっとまともな女子を見れた気がする。と僕は小さな幸せを味わっていると、その視線に気付いたのか、少女が顔を上げた。


「あ、あれ………すみません。今何時かわかりますか?」


 彼女は気付いていない。その腕にしている小さな腕時計があることと、背後に大きな時計があることを。


 あえて突っ込まないのは僕の優しい配慮と、この出会いへの感謝だ。口調も優しく、声が透き通っている。こんななにげない会話でも心が潤う。


 僕はブレザーの胸ポケットから携帯電話(ガラパゴス携帯)を取り出すと、現時刻を教えた。


「今は5時だね。もう委員会の集まりは始まっているけど」


「え? あ、そうだったんですか?」


 少女は慌しく立ち上がり、本を閉じた。布のカバーがしてあったので、それだけ本を大事にしているのだろう。僕に会釈をしてその場を移動しようと1歩を踏み――立ち止まった。そして振り向く。


「あ、あの。度々済みません。――図書室は、どこにあるか……知りません、か?」


 最後の方は小さく消え入りそうな声だったので、聞こえ辛かったがなんとか聞きとれた。


 そしてもうひとつわかったことがある。本が好きで、こんな時間に慌てて図書室に向かおうとしている。そしてその場所が解らない1年生といえば。


「もしかして、図書委員になった人? つまり2組の人だ」


「あ、はい。そうです。けれどなんでそれをご存知なんですか?」


「僕も図書委員にさせられたんだ。ちなみに1年の1組。きみの隣のクラス」


「そうなんですか」


 やはり同年代の異性と話すと新鮮な気分になれる。それが清楚な女の子であればなおさらのことだ。もし相手がコミュニケーション手段が罵倒しかない綾乃であれば、こんな気分にはなれやしないだろう。


「じゃ、途中まで一緒に行こうか」


「はい。お願いしますね」


「敬語はよしてよ。同級生なんだから。――僕は緋之聖。きみは?」


「はい、あ、うん。私は都竹つずきちさ。ここで本を読むのは初めてだから、迷っちゃって。緋之くんが来てくれて助かったな。本当に有難う」


 そう。これが普通の高校生活。


 出会いがあり、健全な生活をし、青春を謳歌する。思春期を迎えたのに出会いもなく内面に閉じこもり腐っていくのは嫌だったから、こういう可愛い女の子と知り合いになれるのは素直に喜べた。


 なのに。


 なんでこう言う時に無粋な異物が現れるのだろう。


「クズ」


 呼ばれた。名前ではない。あの災厄の元凶にとっては固有名詞なのだろうが。


 こんな名で僕を呼ぶのはひとりしかいない。そう、あの少女。


「………月波さん」


 月波綾乃が、行く先に立っていた。仁王立ちだった。


 なぜあの華奢で小さな体であれだけの覇気を纏えるのかは不明だったが、とにかく物凄い剣幕で僕の前に立っていた。


「本当にクズね。どこまで私の手を煩わせるの? まさか図書室の場所を忘れたとか言わないでしょうね。もしそうだとしたらどうしようもないクズね。――蹴り殺すわよ?」


 相変わらずの言い様だった。言われ放題だった。


 と、そこでなんとちさが聖と綾乃の間に入った。


「あ、あの――1年生バッジをつけてるってことは私と同じ1年生なんですよね。月波さんでいいですよね。あの、緋之くんは迷っている私を助けようとしてくれて遅れたんだと思います。なので悪いのは私なんです。ごめんなさい」


 静かに頭を下げるちさに逆に驚いたのか、綾乃は少し黙り、そっぽを向いた。


「ふ、ふん。そんなの聞いてないのよ。……まぁいいけど。私が気に入らないのはこのクズのせいで私がこのクズを呼びに行かないとならなくなったってことだけよ。あんたなんて知った事じゃないわ」


「……ごめんなさい」


 強気を纏っていた綾乃の表情がゆっくりと崩れる。


 どうやらちさは綾乃にとって苦手なタイプのようだ。


「そんなに軽々しく謝らないで。それに同級生なんでしょ。敬語を使わないでよ」


 なんと罵倒がなくなった。提案に近い命令が出た。これは意外だった。


 僕がほうほうと興味深く頷いていると、居心地が悪く思ったのか、綾乃はその場で踵を返した。


「行くわよ。とっとと行かないと、こいず……委員長になにを言われるかわかったもんじゃないわ」


「そうだったな。行こうか」


「うん。行こう」


 綾乃を先頭に歩き出す。向かうは図書委員会が行われている図書室だ。







 だがこの集まりが何を示しているものなのか。


 僕はまだ知る由も無かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る