第12話 眠れないよ

 しばらくリビングのテーブルに体を伏せて脱力していたら、廊下から母がやってきた。

「和室に布団敷いて、寝てもらった」

「ああ、うん」

「これだけ騒いでも起きないんだから、ほんとお父さんってすごいわ」

「疲れてるんだよ、きっと」

 母は少しだけ笑って、ぼくの正面に腰掛けた。

「なんていうか、深夜にごめんね」

「ばかね」

 謝ることなんてなにもないのに。母はそう言って机の上の茶菓子に手をかける。


「海のそばだもん、こういうことも、一度くらいはあるわよ」

「あの人なにか言ってた?」

「なんにも」

 そう。言いながらぼくも茶請けに手を伸ばす。ふたりとも、どっちがさきにお茶を淹れに立つか、じっと根くらべしている。


「自殺、しにきたのかな」

「さあねぇ」

「今時入水なんて、そんな、ね。流行らないよね」

「わからないわよぉ、衝動的にっていうこと、あるでしょ。

 私だって若い頃は…そう、若いってだけで悩みの種だもんね」

「母さんにもあったわけでしょ、若い頃。どうだったの?」

 茶菓子をごくりと飲み込んで、彼女は諦めたように席を立った。急須にティーパックを開けて、ポットのお湯を注ぐ。


「どうって、そうね。あなた背負いながら、よく夜中にあの辺歩いてたわ。

 あなたちっとも寝てくれなくって。

 どうしよっかな、って考えながらうろうろ歩いてねぇ。

 夜中ですもの、突然思い立つの」

 そこ彼女は言い淀んだ。


「思い立つって、なにを」


「この子と死んだら、楽になるのかなぁ、って」


 ま、よかったわよね、思うだけで。随分と気楽に言いながら、彼女は急須を揺すった。湯飲みに温かいお茶が注がれる。そうか、ぼくのメランコリーは母親譲りだったのか。父さんじゃないとは、薄々思ってた。

「朝ごはんの支度したら、母さんもう一度寝るから。

 あなたもそれ飲んだら寝てね」

「…はい」

 寝る前に緑茶飲んじゃったら、また眠れないかもしれないなぁ。そう思いながら、湯気の立つコップを手元で持て余しつつ、結局口に運んだ。ふと見やった窓の外では空が、夜明け前の薄藍に染まりつつあった。

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