第2話 瓶の中の人魚

 拾い上げた瓶は思いの外重たかった。中には半分ほどの水が入っている。分厚いガラスの重みもあったのかもしれない。随分丈夫な硝子瓶だった。あまりの重さに一瞬ギョッとした。てっきり手紙か何かが入っているものだとばかり思っていたから。手元に引き寄せると、入っていた水がぽちゃんと揺れた。水の中には何か、人の形をした、おもちゃのようなものが入っている。ぼくは持っていたペンライトで瓶を照らした。


「ああ、」


 思わず声が漏れた。なんて精巧な人形なんだろう。水に濡れている分、表面がつややかでまるで生きているみたいだ。肩にかかった髪は細く、肌はハリがあってふっくらとやわらかい。脱力したように投げ出された手先の繊細さといい、閉じられた瞼を縁取る柔らかなまつげといい、誰かの手によって作られたものだとは到底思えなかった。生まれた時から過不足なく完成された生き物のような、そう、まるで生きているようだ。


 下半身は瓶の中で水に浸っている。それも形は人のものではなく、魚のそれだった。青い、きらきら輝く鱗がびっしりと足の部分を覆っている。ふっくらと曲線を描く下半身を覆った、金属質で重厚感のある鱗は、思いの外細かい。手にしたらきっと剥がれ落ちてしまうだろう。尾びれにまとわりついた透明な柔らかい膜は、樹脂のように透明で、水に漂っては広がったり閉じたりする。熱帯魚みたいだ。なんて綺麗なんだろう。けれどもその様子はどこか窮屈そうで、瓶の中で飼われているベタのような、不自由な美しさを感じる。

 作家はどうして彼女に人間の足を与えなかったんだろう。どうしてこんな完璧な造形二つをひとつに継ぎ足したのか。疑問に思いながらウエスト部分に目を凝らしても、継ぎ目は見えない。どう考えても量産されたものではなかった。きっとどこかの誰かが間違って手放してしまったんだろう。硝子越しに眺めるのがもったいないようにも、あるいはその品質を保持するためには仕方がないようにも思えた。瓶から取り出したら、途端に壊れてしまうような予感がする。これは、ぼくが責任を持って保管せねば。使命感のようなものがめらめらとたぎった。


 彼女を持ち帰って飾ることに、もうためらいはなかった。うっとりと彼女の青ざめた顔を眺めていた、そのときだった。人形の口元が、微かに揺れた。目元を縁取る微かなまつ毛が細かく震える。

 次の瞬間彼女がぼくを見た。見開かれた目は血のように赤かった。ライトを反射して鋭く光っている。息を呑んだ。声すら出なかった。ただばかみたいにだらしなく口を開けて、その目を見つめ返すことしか出来なかった。

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