瓶の中の人魚
阿瀬みち
瓶の中の人魚
瓶の中の人魚
第1話 ただいまを言いに
久しぶりに見た海は、うねりも高く、濁っていた。
乾燥気味の砂辺に打ち上げられた漂流物は、誰にも触られることもなく地面でくたびれている。色の褪せて弾力のなくなった、傷んだぶどうのようなボール、誰のものかもわからない、片方だけのスニーカー、ぼろぼろになった鞄。波の模様を縁取るように流れ着いた枯れ草や海藻が風に揺られて、苦いような、なにかが腐ったような、塩辛い香りを運ぶ。
水は不透明で汚い。ところどころに浮かぶ波の泡は、黄ばんでいて、ドブ臭かった。砂浜に打ち上げられたゴミゴミした漂流物、流木や海藻に紛れたプラスチックの破片が細々と散らばった海岸。景観を目当てに観光客の訪れることもない、日本を縁取るありふれた砂浜の景色。
だけど、懐かしい。鼻いっぱいに吸い込んだ空気が記憶を刺激する。貝や魚が打ち上げられて、そのまま干からびていった臭いだ。砂浜を形作る、有機物の香り。無味乾燥な町の空気とは違う。
そうだ、ぼくは、帰ってきたんだ。この町に。
しばらくなんのあてもないまま、砂浜をブラブラと歩いた。砂の上は道路と違って、踏みしめるたび足が埋もれて歩きにくい。スニーカーのかかとから砂が侵入してくる。靴下にまとわりつく貝のかけらが不快だった。岩場で足を止めて靴の片方を脱いだ。中に入っていた異物を取り除く。
辺りをよく見てみると、黄色いぶにぶにしたなぞのかたまりが気持ち悪いし、フナムシと目が合ってぎょっとさせられる。岩には海藻がへばりついているし、どこに目をやっても生き物の気配に事欠かない。汚くて、広くて、生き生きしてる。ぼくの見知った海だ。その場にしゃがみ込んで、ちゃぷちゃぷと揺れる波を見つめた。沈みかけた太陽の光がオレンジに辺りを染め抜く。足元に寄せる波がいつまでも音を立て続けている。
ふと、ぼくから1メートルほどの岩場に、何かが引っかかって揺れているのが見えた。波の上下に合わせて、頭が見えたり消えたりする。近寄ってみると、ジャムの瓶のようなものが、深い黒の海に揉まれていた。ボトルメールみたいなものかもしれない。子供時代を思い出したときのような、苦い酸味がぼくの胸を揺すった。ぼくにはない純粋ななにかを持った誰かが投げ込んだものかもしれない。そう思うと、手を伸ばさずにはいられなかった。一度捨ててしまった何かを拾い上げるような気持ちで、ぼくは生ぬるい海の水に足を、そして手を浸した。
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