第42話 空想ママゴト

 で、結果どうなったかというと、ぼくの目の前では幼児といい大人二人がママゴトをさせられている。ちなみにぼくはお父さんという設定で、今は会社に行っていないので姿が消えて見えないことにされているのだ。ちょっと辛かった。でも子供に文句は言えない。父親が外で仕事をしなければいけないなんて誰が決めたんだ、家事手伝いや育児をするお父さんがいたっていいじゃないか。そんなことを言って彼女に詰め寄るのはナンセンスだ。


 今ようちゃんはトマトを切っている。もちろんぼくの家に子供のおもちゃなどあるはずもない。割り箸や紙皿を使った、エアーおママゴトである。エアーなのになぜトマトを切っていることがわかるのかというと、ようちゃんが全部実況してくれているからだ。

「おねえちゃん、おゆがわいたわ、パスタをゆでてちょうだい」

「ちょっとまこちゃん、おかあさんいまいそがしいの。あとにして」

 京子はお姉ちゃん役なので、黙ってパスタを茹でるふりをする。まこちゃんというのは末っ子らしかった。まだ小さい設定らしい。もちろんあの例の女性がやらされている。ぼくの母は遠くに住んでいるおばあちゃんという設定だった。配役の妙は5歳児とは思えないので、ようちゃんは大きくなったら偉大な演出家になるかもしれない。

 京子お前、すごいものを生み出したんだな。小さいお前を育てるのは苦労するだろう、というセリフは今の役に合わないので飲み込んで、ぼくはじっと耐えた。


 ママゴトがおわっても、幼児はまこちゃんまこちゃん、と女性にまとわりついた。すっかり懐いてしまっているではないか。京子がグッタリして離脱しても、ようちゃんの遊びへの情熱は冷めない。今、母と女性と三人で、家の中でかくれんぼをしているらしい。

「京子、お前、毎日こんな」

「そうよ、休みなしよ」

 ちょっとだけ京子のことを見直した。ぼくの労働条件よりも、よっぽどブラックだ。

「悪い人じゃなさそうだけどね。でも。

 家に人が増えると、大変なのはご両親でしょ」

 京子が人の家だというのに、大胆に足を投げ出しながら言った。

 ぼくはまるで思春期の息子のように

「わかってる」

 とだまりこむ始末である。

「まあ、拾っちゃったものは最後まで面倒みるのが常識だけどね」

 犬とか猫が相手なら。京子はそう言って、机の上に忘れられていてすっかり冷めている茶を飲んだ。

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