第36話 待ち合わせの相手
ぼくは家に鍵をかけて出掛けた。彼女をひとり家に残していくのはどうかと一瞬考えたが、まさか連れて行くわけにもいかない。門に錠を下ろしながら、二階の窓を見上げた。人影がぼくを見ている気がする。
待ち合わせの場所は、子供の頃によく通った思い出のお好み焼き屋だった。習い事帰りの昼なんか、お持ち帰りのお好みを買いによく通ったっけ。店の外観は当時とほとんど変わっていなかった。引き戸を開けるとがらがらと大きな音が響く。
「こんにちわー」
カウンターの向こうでは、年をとって少し小柄になったおばあちゃんが、コテで鉄板を削っていた。染めていない白髪はパーマがゆるくとれかかっている。
「あ、来たね」
手前にあるテーブルには京子と見知らぬ子供が手を振っていた。5歳児に鉄板のある店はまだ早いんじゃないか。ぼくの心配をよそに、おばちゃんは鉄板の下のガスに火をつけた。
「うわー、可愛い」
社交辞令抜きで、そう思った。京子の幼稚園のころの面影が重なる。下ぶくれのほっぺが赤々として、真っ黒な目はくるくると大きい。
「やだ、ようちゃんよかったねー」
京子が子供のほっぺをくるくるとくすぐる。人差し指の背でつつかれたほっぺがぷるんと揺れた。ようちゃん、とよばれた子供は利発そうな目をぼくに向ける。媚びのない目つきだった。
「ちょっと人見知りなの。男の人には特にね」
京子がすまなさそうに言う。ぼくはいいよ、子供だもん、といって、ガラスコップに注がれた冷たい水を飲んだ。
まだなにも注文してないのに、おばちゃんが豚玉を運んでくる。京子がたっぷりと刷毛に含ませたソースを塗って、子供が青海苔を振りかけた。甘口のソースが焦げる、懐かしい匂い。ぼくは手元に運ばれてきていたコテで、お好みを切り分けた。
「はい」
子供の取り皿に四角く切ったお好みを取り分けると、子供はぼくの目をじっとみながら肩を揺らした。
「パパは、優しいの?」
ぼくは子供の目を覗き込む。彼女はこくんと頷いた。まるで張子の虎みたいに。そんなぼくたちにお構いなしに、京子はもうお好みを口に運んでいる。
「おいちー、ようちゃんのはママがふーふーしてあげるね」
京子がヘラの上に小さく乗せたお好みの破片に息を吹きかける。ようちゃんの小さな手が机の端を強く掴んでいた。初めてみるぼくに、あるいは熱せられた鉄板に、緊張していると見えた。ぼくから一度も目線を離さないまま、ヘラの上のお好みをかじる。小さな歯が白い。そのとき、がらがらっと戸が開いた。
「あ、ごめんごめん、待った?」
背後から声が降ってくる。振り返ると、店の入り口に立っていたのは、吉澤沙穂だった。ぼくは思わず京子の顔を見る。京子は意味ありげに、ふふふと笑った。
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