第37話 ふたり残されて

「おばちゃん、私、焼きそばね」

 吉澤沙穂がぼくの隣に座る。京子がぼくの驚いた顔を見て、にやにやと笑った。

「え、京子ちゃん、俺聞いてないんだけど。

 こういうことは先に言っといてくれる?」

「ごめん、忘れてた」

 幼女すら母親の臭いセリフを見抜いてその顔を見上げた。

「なんだ、航平くん、私が来るって、聞いてなかったの?」

 吉澤も困ったように眉毛を下げた。小学生の頃は特徴のない顔だと思っていたけど、主張の少ないナチュラルメイクがよく似合っている。これといって優れたところもない顔はベース型の骨格の中で、これといった欠点もなく、キレイにまとまっていた。丁寧に描かれた眉が、彼女の几帳面さを象徴している気がした。

 そんな顔をされたら、それ以上京子のことを追求できない。京子はそんなぼくを見て楽しそうに笑う。こいつ、小学生の頃から本性は変わってないじゃないか。確信犯だ。そうに違いない。こいつは昔からそういう女だった。

「はい、焼きそばねー、あと、お持ち帰りの分、出来てるよ」

 憤るぼくの前で、 おばちゃんが鉄板の上にするりと焼きそばを滑らせた。相変わらず華麗なヘラさばきだ。店主自ら焼きあげるスタイルは、年を取っても変わらないらしい。それから、緑の紙に包まれたスチロールのパックがふたつ、輪ゴムで止めてテーブルの隅に置かれている。

「ありがとー、じゃあこれ、お勘定ね」

 パックを受け取った京子が紙幣を取り出すと、おばちゃんはエプロンの前ポケットからお釣りを数えだした。銀と銅のお金が京子の手のひらの上に落ちる。

「じゃあ、うちらは一旦帰ります。このあと約束があるんで」

「え、ちょ、」

 京子は印籠のようにお持ち帰りのお好みを掲げながら、ぼくの目の前を通り過ぎようとする。

「さほちゃー」

 子供が吉澤に手を伸ばした。その手は吉澤の指先をするりと通り抜けて。あっという間に、出入り口の方へ引っ張られていく。

「ま、またねー、ようちゃーん!」

 吉澤も、去っていく親子の影にそう呼びかけるのがやっとだった。ぼくの目の前では、かつおの粉が焼きそばの上で踊っている。思わず、吉澤とふたり目を見合わせた。

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