酔いが覚めて

第24話 その 唇の色は

 どうやって家に帰ったのか記憶になかった。もしかすると自分が覚えている以上の醜態をさらしたのかもしれない。恥ずかしさのあまり目を覆いたくなる。

 目を覚ましたのは昼の12時をたっぷり周った時刻だった。そう言えばアルコールを口にしたのも久しぶりだった気がする。会社を辞めてから、一滴も飲んでいなかった。憂鬱を消す薬を飲み始めて晩酌を止めたんだっけか。それから具合が悪くなって薬も飲まなくなった。薬を止めたら体調が悪化しなくなった代わりに、今度は指の一本も動かせなくなって、たまたま大阪に出てきた弟に発見されるまで、死人のように寝ていたっけ。あのまま一人暮らしを続けていたら一体ぼくはどうなっていたんだろう。いくら気が滅入っていると言ったって、さすがに自分が死にそうになったら、飯を食ったり風呂に入ったりできるものなんだろうか。

 和室の布団から体を起こそうとすると、以前の出社拒否をしていたときのような憂鬱に襲われて、自分の体が鉛のように重い体に戻ってしまったような気になる。

 苦しくて胸がつぶれそうに痛んだ。思わず枕を顔に被せる。

 すると、足元の方でごそっと音がした。一瞬体が硬直する。体の左側に目をやると、顔のすぐそばには低いテーブルの脚がそびえていて、さらにその向こうには、目をみはるような真っ白な足。その足が柔らかく膝のところで折れ曲がった。上半身を引いてみると、机越しに、女と目が合った。


 あ、なんで、ぼんやりと重い頭がゆっくりと回りだす。

 そうか、今この部屋は彼女が使っているんだった。それから、昨日のぼくは酔いつぶれてグダグダで、二階に上がる余裕なんて皆無だった。だからきっと、母さんがここに布団を敷いて、ぼくを寝かしてくれたんだ。

「ごめん、邪魔だったね」

 立ち上がろうとしたけど、まだ目眩がする。よろけて机の角で脛をぶつけた。そんなぼくに、そろりそろりと彼女が近づく。机の縁をなぞるように、四つん這いになって、まるで獲物を品定めするチーターみたいに。そのうち飛びかかってくるんじゃないか。脛をさすりながら思った。

 でも、彼女はぼくに一定距離近づくと、それ以上自分からは近寄ってこなかった。ただじっと様子をうかがっている。ぼくはやれやれ、と頭を掻いた。

「もう考えるのはやめっ」

 そう宣言して、布団の上に大の字になった。考えるから頭がおかしくなるのだ。たいして優秀でもないのに、勉強ばっかりしてきたからこうなるんだ。もうぼくは考えないことにした。無、その字を頭の中に描く。無無無無無無無無無無。あれ、途中で撫でるってなったんだけど、何これ。っていうか、何、無って難しい。考えないってこんなに難しいことだっただろうか。


 軽くパニックを起こすぼくの頭が、顔のすぐそばで吐息を察知した。これはなに、薄目を開けた瞬間、ぼくの唇に、柔らかいものが触れる。暖かい、湿った息がぼくの鼻先を掠めた。

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